第四章 その1 第四章 (完)
副作用で食欲もなく、食べたものをすぐに吐いた。口からの栄養がとれないので点滴で栄養を体に送る状態だった。
朝起きると抗がん剤の影響で髪の毛が枕に何百本も抜けていた。
それを見るたびに憂鬱になる。
僕はバリカンで自ら毛を剃った。
自分はどうあがいても死ぬと言う状況に、いても立ってもいられなくなり無意味にベットの上で暴れそのたびに看護婦さんが僕のことを押さえに来た。
一人でいるときに、何となくテレビを付けたらバラエティー番組がやっていた。僕が好きで毎週欠かさず見ていた番組だ。しかし全く笑うことなんてできなかった。むしろ楽しそうにおどけてみせる出演者や客の笑い声が憎くて憎くて仕方がなかった。何で僕より年上なのにあんなに元気なんだ。何で僕だけこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。
そんな感情でいっぱいだった。笑うどころか、バラエティーを見ることで、どんどん憂鬱になっていった。ぼくは、テレビのコンセントを引き抜いた。そしてテレビを3階の窓から、放り投げた。
テレビが地面にたたきつけられて、大きな音を立てて壊れた音を聞き少しだけ心がスッとした。
自分でも信じられない行為だったが、僕の心の闇は少しずつ広がっていった。
僕自身が若いと言うこともあるかもしれない。80歳や90歳になれば人生を全うしたと、死をたやすく受け入れることもできるのかもしれない、しかし僕はまだ16だ。こんな早く死にたくない。ともかく生きたい。生きたくてしょうがなかった。
友達が面会を希望していることを知ったが僕は拒否した。同情されるのが嫌だったからだ。
あいつかわいそうだよね、なんて言っている情景が頭に浮かんで離れなかった。
僕は毎日一人で泣いていた。自分でもこんなに自分が弱い人間だと思わなかった。死ぬことに対しておびえきっていたのだ。
抗がん剤の副作用はひどく、相変わらず食べ物を口にすることはできなかった。一時帰宅も出来る状態ではなかった。みるみるうちに痩せていくのが鏡を見ると一目瞭然だ。髪の毛は完全になくなり、ハゲを隠すニット帽を母ちゃんが作ってきてくれた。一生懸命作ってくれたのはありがたかった。できはよくなく「それだせーよ。かぶるのいやだよ」というと、母ちゃんは笑っていた。普段ならそんなこといったら確実に怒っていただろうが、母ちゃんは笑っていた。その笑顔が僕には辛かった。僕は今風のかっこいいニット帽を店で買ってきてもらいそれを毎日かぶっていた。
そっちのニット帽の方が母ちゃんが作ってくれたニット帽より1000倍かっこよかった。
ある夜僕は帽子の雑誌を閉じ、寝ようと横になった。ふと、横にあった飲み物などおく、小さなテーブルの上にある、形もデザインも悪い、母ちゃんが作ってくれたニット帽が目に入った。
僕はそのニット帽をずっと見つめていた。僕はニット帽を手に取りニット帽に顔をうずめた。毛糸の柔らかいにおいがした。そのにおいがなぜか母ちゃんのにおいとダブりそこに母ちゃんの愛を感じた。
声を押し殺し僕はまた泣いた。涙が止まらなくなっていた。
ほつれた毛糸がとても愛おしくて、不格好なニット帽だけど僕にとっては、値段なんて付けられない世界一のニット帽だ。
僕はそのまま眠りについた。そしていつものように悪夢を見た。まるで今の僕の願望そして恐怖が入り交じったような夢だった。
僕はレアルマドリードの選手として、スタジアムでプレイしている夢だ。僕は得意のドリブルで相手の選手を交わしゴールに向かおうとするのだが、体が思うように動かずスローモーションのように遅くなり相手に簡単にボールをとられてしまうのだ。そして相手チームには裕太がいて、裕太がゴールを決めた。朝木さんはそんな僕を試合が終わった後励ましてくれた。しかし抱きしめようとしたらゆっくりと体が透けていき、スーッと消えてしまった。僕は必死で探すと、朝木さんは左手首を切りシャワールームで倒れていた。僕はタオルで必死に血を止めようとしたがドンドンあふれ出てきて止まらない。救急車を呼ぼうとしたが携帯電話が見当たらず、周りには誰もいなかった。僕は大声で叫んだ。一人の年老いたおじいさんがこっちに向かってきた。僕はその人に助けを求めたが、その人は無視して去って行ってしまった。そこで目が覚めた。目を覚ました時は汗をびっしょりとかいていた。こんな夢ばかりを見る。僕は精神的にも追い詰められている証拠だと思った。
入院して2週間が過ぎた。3m歩いただけで息が上がる。
死ぬってこういうことなんだな……まさかこの若さで死を実感してしまうなんて自分はなんて不幸な人間なんだ。そんなことばかり考え、毎日100回くらいはため息をついている。
病室の窓から外を眺めると、僕と同じくらいの年齢の人が、自分の家族の見舞いなのか、花束を持って病院に持ってくる姿が見えた。 順序的に言えば、あれが正解なのに……俺は家族からお見舞いに来てもらう側なんて順番が違うだろ。
真っ青に染まる空を見上げながら、これも神が決めた運命なのか
な……そんなことがフッと頭をよぎった。僕の運命の本には、16歳で癌で死ぬと書いてあるんだろう。僕はそう思った。プロのフットボーラーになるなんて、そんな夢を描く事それ事態、ばかげたことだったんだ。だって僕は16で死ぬんだから。なんだか笑えてきた。今まで一生懸命練習した時間を返してほしい。友達と遊ぶ時間を削って練習していた自分が本当に馬鹿馬鹿しい。
死んだら神というヤツを一発、いやボコボコにしてやる。
若くして病気で死ぬのなら僕に生を受けさせなければいいじゃないか。馬鹿にしているのか。僕はだんだん腹が立ってきた。でも腹をたてても何にこの怒りをぶつければいいわからない。僕は一つため息をつきベットにうつぶせになった。
朝木さん何しているんだろう……
朝木さんの顔を思い出した瞬間、僕は朝木さんに伝えたいことがヤマほど、脳にあふれ出てきた。今の僕にしか伝えられないことがある。今すぐ伝えたい。その衝動が押さえられず、水色で浴衣のような入院用の服を着たまま、だるい体に鞭を打って病院から飛び出した。先生には外には出てはいけないと言われているが……
しかしそんなことはどうでもよかった。どうせこのまま治療していても近いうちに死ぬのだ。
僕は裕太に、電車代を持ってきて貸してもらうために電話をかけた。入院してから、裕太は、僕のことを心配してメールをたくさんくれたが、僕は一度もかえすことがなかったから、裕太と連絡をとるのは久しぶりだ。 今は、午前10時半だ。今は授業中だから出てくれないかもしれないが、裕太くらいしか頼りにすることができない。
8回目のベルで裕太は出た。
「翼?」
「うん。ゴメンな。授業中だったろ」
「そんなの気にすんな。先生にはトイレっていってある」
「そうか、急にゴメン」
「気にすんなって、それより大丈夫なのか?息が荒いぞ」
「大丈夫だよこんなの。それより頼みたいことがあるんだ。」
「うん」
「次の休み時間でいいんだけど学校抜け出してほしいんだ。無理かな」
「大丈夫だけど何で」
「電車代を貸してほしいんだ。ちょっと行きたいところがあるんだ」
「そんなことして大丈夫なのか?病院の人は知ってるのか?」
「知ってたら裕太に頼まないよ。どうしても行きたい所があるんだ。頼む」
「お前の体は大丈夫なのか?」
「大丈夫だって」
「……わかった。でもどこへ行くんだよ」
「朝木さんが入院している病院」
「朝木さんが入院してるって、お前朝木さんが入院している病院知ってるのか?」
「ああ、詳しいことは後で話すから」
裕太は少し黙った後にいった「分かった。持って行くよ」
「ありがとう。じゃあ駅で待ってるから」
「わかった。本当に大丈夫なんだな」
「ああ。大丈夫だ」
僕は病院から一番近い駅へと急いだ。近いといっても5km以上はある。今の体力でたどり着けるかとても不安だった。途中で倒れるかもしれないでも倒れるわけにはいかない、絶対に朝木さんに伝えたいことがあるから。
僕はタクシーを使いたかったが裕太にタクシー代を払わせるわけにも行かないし、そもそも入院用の服を着ていたら怪しまれるにちがいない、そして病院にもどされるだけだ。僕は自分で歩いて駅へと向かうことを決意した。
一歩一歩歩いて行った。まだ30メートルほどしか歩いていないのに、頭がくらくらしてきた。5キロなんて無理かもしれない。そう思い始めた。もう根性で歩くしかない。「根性根性」僕は声に出していった。一歩一歩、前に進んで行く。脂汗が頭からしたたり落ちてきた。一度止まり深呼吸をしてゆっくり前進していった。1キロほど歩いたところで歩道に座り込んでしまった。息が上がって苦しくてたまらない状況だった。10分ほど休んだところで裕太から電話がかかってきた。
「もしもし翼?駅に着いたけど、今どこにいるんだよ」
「今……はぁはぁなんか病院の近くのコンビニあたりに座ってる」
「ちょっとお前大丈夫かよ。親に連絡した方がいいんじゃないか?」
「それだけはやめろ。今行くから」
「今行くって、そこからまだ駅まで距離あるだろ」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないだろ……分かった今からタクシーでそこまで言ってやるから、そこで待ってろ」
「ゴメン」
裕太は一生で一度出会えるか出会えないか、そんな親友だと改めて感じた。
10分ほどした後にタクシーが来た。僕は少し体調も回復して、タクシーの運転手に怪しまれないように平気なふりをして立っていた。タクシーが僕の前に止まり扉が開いた。
僕は車の中に入り座った。
裕太が小声で話しかけてきた「本当に大丈夫かよ」
「大丈夫だって」
すると40代くらいの運転手がバックミラーで僕のことをじろじろと見ながら話しかけてきた「入院してるのに大丈夫なの外で歩いて」
僕は冷静を装いいった「大丈夫ですよ。ちょっと腰痛めちゃっただけなので、先生にも少しくらいなら出かけて大丈夫って言われているんです」そう言うと僕は腰をさも痛そうになでた。
「へぇ何で腰痛めちゃったの?部活かなんか?」
「そうですフットボー・・・あ、サッカー部なんです。それでちょっと痛めちゃって」
「そうなんだぁ。それは大変だね。行き先は?」
「あっあの」
裕太が小さな声で言った。「このまま病院へ行こう」
「でもタクシー代かかるぞ」
「大丈夫だって」
「あのどこに行きます?」運転手さんが言った。
「あの、じゃあ若葉病院まで」
「はい。若葉病院ね」
「本当に大丈夫か?」僕は言った。
「気にすんな大丈夫だよ」裕太はこっちを見て微笑んだ。
「ゴメンな。ありがとう」佑太には感謝しても仕切れない。
運転手さんはタクシーを発進させた。
僕は目を閉じ窓にもたれて休んだ。30秒くらいの沈黙の後運転手さんが話しかけてきた。
「お見舞いかなんか?」
「そうです。あの、友達がちょっと……」裕太が言った
「そうなんだ。大変だね」運転手さんも察したかのように言った。
「はい」
そして30分位して若葉病院に着いた。僕も少しは体力が回復した。
タクシー代は1万円を超えていた。
「ゴメンな」
「大丈夫だって、やらなきゃいけないことがあるんだろ、そんな体でここまでやるんだから」
僕は下を向いて少し照れくさく笑った。
「ところで面会なんかできるのか?」
「たぶんできない」
「は?じゃあどうやって会うんだよ」
「強行突破だ」
「は?強行突破?マジかよ」裕太は困ったように頭をかいた。
「お前には迷惑掛けたくないから、来なくても大丈夫だから」
「いや行くよ。今のお前じゃ心配だからな」
「ほんとにいいのか?」
「ああ。でも病室わかんないじゃん」
「分かってるよ3階の308号室だ」
「何でそんなことまで知ってんだよ」
「……それは言えない」
「何だよそれ」佑太は不満そうに言った。
「裕太まず、病院を一周してきてくれ」
「なんで」
「どこかから入れるところがあるかもしれない」
裕太は病院を見渡した後言った「わかった」そう言うと裕太は、小走りで病院の周りを一周した。一周だいたい200mくらいだろうか、裕太は首を振りながら戻って言った「ない。入れそうな所は」
「そっか、わかった、ありがとう。じゃあもう正面から行くしかないな」
僕ら二人は正面入り口から病棟へと入っていった。すると入ってすぐ左脇に、受付の40代くらいのおばさんと30代くらいの男の人がいた。
「面会ですか?」
僕は緊張しながら言った「はい」
「どなたの面会でしょうか」
「朝木ゆいさんです」
そう言うとそのおばさんはパソコンで何か調べたあと言った「朝木さんの面会はご家族の方以外はできないことになっています。ご面会は申し訳ありませんができないんですよ」
すると僕はその瞬間全速力で奥の右隅に見えた階段へと走った。
「おい待て」男が叫んだ。
男は僕を追いかけようとしたが、裕太が男を押さえつけた。
僕は後ろを振り返り言った。「すまん裕太」
「早く行け」裕太が叫んだ。
僕は息を切らしながら階段を上った。こんなに全速力で走ったら死んでしまうかもしれない。でもそれでもいい。僕はそう思った。1段1段上っていけば行くほど、一気に体力が失っていき3階についた時に尻餅をつき倒れ込んでしまった。
しかしこんなとこで休んでる暇はない、ぼくはここで死んでもいい、朝木さんに今の僕の気持ちをすべて伝えたい。僕は嗚咽を漏らしながら、「うわぁ」と声を出し立ち上がった。朝木さんに少しでも気持ちの変化が現れてくれるなら。僕はそんな気持ちで精一杯力を込めて立ち上がり、朝木さんの病室をを探した。そして僕の視界に308という文字が入った。
あそこだ!
僕はドアノブを握りドアをゆっくり開けた。そこには広々として窓には鉄格子がかかっている部屋があった。そしてベットに横になっている朝木さんと、朝木さんのお爺ちゃんが二人同時に僕の方を見た。
「お前なんでここにいるんだ。」朝木さんのお爺ちゃんが怒鳴った。
「朝木さんに伝えたいことがあるんです」僕は息を切らせながら言った。
すると後ろから病院の関係者らしい男が後ろから抱きついて僕を押さえた。「何者だお前、警察呼ぶぞ」その男も叫んだ、そして僕を強引に病室からだそうとした。
「出て行け」朝木さんのお爺ちゃんが叫んだ。
「はぁはぁ、僕は病気なんです。末期癌なんです!」僕も大声で叫んだ。
すると朝木さんが小さな声で言った。「私は大丈夫だから……吉井君をはなしてあげてください」
部屋の中が一瞬静まりかえった。
「大丈夫なのか?」お爺ちゃんが朝木さんに聞くと朝木さんはうな
ずいた。
「はぁはぁ、お願いします。少しの時間でいいんで、朝木さんにどうしても伝えたいことがあるんです。はぁはぁ」
「……もうはなしても大丈夫です」朝木さんのお爺ちゃんがそう言うと僕を抱えていた男の力がスッと抜け僕の体に絡みついた腕をゆっくり放した。
「はぁはぁ、僕はもうすぐ死にます」
その言葉を聞いた朝木さんが生唾を飲み込んだのが見えた。
「はぁはぁ、末期癌と診断されて、余命1ヶ月と言う宣告も受けました。だからこんな服を着ています。」
「病院から抜け出してきたのか?」朝木さんのお爺ちゃんが言った。
「はい、はぁはぁ、正直この三階まで来るのもやっとなんです。こんな僕だからこそ今朝木さんに言えることがあるんです」
二人は静かに僕の言葉に聞き入っていた。
僕は涙を流しながら言った「僕は死にたくない。はぁはぁもっと生きたい。もっと生きて友達とたわいもないことで笑い合ったり、好きな人と結婚して子供を一緒に育てて、平凡でいいから普通の人間としての生活を送りたかった。でも生きられない。朝木さん、この世界では僕みたいに生きたくても生きられない人がたくさんいる」
朝木さんの目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「はぁはぁ、だから自分の命を粗末にしないで」僕は涙が止まらなくなっていた「生きていればこそなんだよ人生は、生きていれば必ずいつか心の底から笑えるときが来るから、だからはぁはぁ……だから僕の分まで生きてほしい」
朝木さんは顔を布団で覆い声を漏らして泣いていた。朝木さんのお爺ちゃんは朝木さんの頭をなでながら涙を流していた。
「はぁはぁ、僕が言いたかったことはそれだけです。すいません急に押しかけてきて、ごめんなさい」僕はすがすがしい気持ちだった。 もしかしたら伝えることができずに、倒れて死んでしまうかもしれない。そう思っていた。しかし、伝えることができたからだ。僕は帰ろうと入り口の方へ振り返った。
「吉井君」朝木さんが僕を引き止めるように言った。「ゴメンね。吉井君が私のために一生懸命になってくれていたのに、知らんぷりしちゃって、私もう死にたいなんて思わない。こんなに私のために一生懸命になってくれるなんてありがとう」
僕は後ろを向きながら泣いていた。
「本当かゆいちゃん」朝木さんのお爺ちゃんが言った。
「うん」




