第三章 その3
ホームルームが終わり、みんながそれぞれ部活の準備を始める中、僕は朝木さんの席へと向かって行った。朝木さんの席は前から2列目にある。前の方にあることに加え男子が朝木さんに話しかける事から否が応でも目立つ。
「あの……」朝木さんの周りの席の人達は僕が何で話しかけているのかと、不思議そうに僕を見ている。フラれた男がしつこく言い寄っているのだと思っているのだろう。
朝木さんは相変わらず何も話さない。
「少し話したいことがあるんだけど。少しでいいから時間くれない?」
朝木さんは立ち上がりバックを持ち帰ろうとしながら言った「何も話すことはないので。すいません」
周りの人間は何か楽しんでいるようにこっちを見ていた。
「ちょっと待って」僕は朝木さんのバックをつかんで言った。「僕じゃなくてもいいんだよ。世の中、悪いやつばかりじゃないし、絶対朝木さんの力になってくれる人はいるから。だからそのじ……」
一瞬自殺という言葉を口に出しそうになった。自殺をやめろなんて言えない……
「誰でもいいから相談することだよ。そうすればきっと心から笑えるはずだから」
「オイオイ何言っちゃってんだよ。」吉川はニヤケながら僕を見下すように憎たらしい表情を浮かべ言った。「朝木さんが嫌がってんだろ。このストーカー野郎が」吉川がバックをつかんだ僕の右腕を持ち上げて言った。
野次馬たちもその言葉に同調し吹き出すように笑った。裕太の顔も見えたが、何かポカンとしていた。
僕は吉川の手を力一杯ふりほどいた。
「あ?やんのかコラ」吉川が顔を近づけいかくしてきた。僕は目をそらし挑発に乗らないようにした。
「今大事な話をしてる所なんだ」
吉川が僕の胸ぐらをつかんだ。「うるせえストーカー野郎。ビビってんじゃねーよ」
「やめなよ吉川」みそのが止めに入った。
朝木さんはその隙にそそくさと逃げるように帰ってしまった。
「ちょっと待って」僕は朝木さんを引き止めようとしたが吉川が僕の胸ぐらをつかんだ腕を力強く自分の方へと引き寄せた。
せっかく朝木さんとちゃんと話そうとしていたのにこいつのせいで台無しだ。僕はその怒りを我慢できなかった。
僕は吉川の目を睨み付け言った。「おめぇはどいてろよ。邪魔なんだよ」
その瞬間、僕の左頬に吉川の右拳がはいった。
「きゃっ」みそのが悲鳴を上げた。
僕は倒れ尻餅をついた。目に見える景色がグルグルと回っていた。僕は机に掴まり立ち上がろうとしたがまた倒れてしまった。
吉川は大声で笑っていた。僕は何とか立ち上がった。僕は周りが見えなくなっていた。いわゆるキレたってヤツだ。そして吉川に向かって大きな声を上げ思いっきり体当たりした。吉川が黒板に激突する。
僕も殴ろうとしたが、裕太や何人かの男が止めに入って二人を引き離した。僕は息を切らしながら興奮が収まらず叫んだ。
「かかってこいよ。こら!」
吉川も僕に怒鳴り返す。「このストーカーやろうが」
「落ち着けよ翼」祐太が言った。
「うるせえぶっ殺してやる。」僕は裕太の押さえる腕を力ずくでほどこうとするが裕太は必死で押さえていた。
「何やってるんだ」担任の広瀬と生徒指導の中田が急いで駆けつけてきた。
中田が僕の胸ぐらを左手で強くつかみそのまま廊下まで僕を押し出した。
吉川も広瀬と教室の中で話しているようだった。
「何があったんだ」中田が僕の目をのぞき込むようにじっと見て静かに語りかけた。僕は正気に戻り何とかこの場を丸く収めようと言い訳を必死に考えた。これ以上大事にするほど馬鹿な展開はない。 そもそも僕は朝木さんの自殺の原因を聞き出したいと思っていただけなのに、なんでこんな事になってしまったのか。僕があのときカッとならず自分の感情を抑えていたらあんな事にはならなかったはずなのに、結局朝木さんから何も聞き出せずじまいだ。
「ただの喧嘩です」
「吉川がなんか悪口言ってきたんですよそれで」裕太が僕をかばってくれた。
「そうなのか」中田が言った。
「まぁそうです。でももういいです。ただの喧嘩です」僕はこんなくだらないことは早く終わらせたかった。
結局先生たちが野次馬たちに聞いた結果、手を出したことや悪口を言ったと事など吉川が喧嘩の原因を作ったと言うことになり、吉川が悪いと言うことになった。そして吉川だけが反省文を書かされた。
朝木さんは帰ってしまった。無駄な一日を過ごしてしまった。もう時間が無いのに。初めて僕は自分が心の底から馬鹿なんだと自己嫌悪に陥った。吉川のことなんか無視すればすんだことなのに。焦りばかりが募る。
明日だ。今度こそ明日ちゃんと自殺を思いとどまってもらえるよう説得しよう。そう思った。
9月19日
僕はいつもどおり教室へ入った。朝木さんが昨日のことで学校に来ていないか不安だったが、朝木さんは自分の席に座り本を読んでいた。
僕は、ひとまず安心した。すると、吉川といつも一緒にいる4人組が、教室の後ろにたまっていた。そしてその中の一人館山が「ストーカー」と教室中に響き渡るように言った。
吉川も「きめぇ」と続くように言った。自分だけ悪者にされたことに納得がいかなかったのだろう。
僕のことを言っているのは明らかだ。僕は気にせずそのまま自分の席へと座った。
僕は裕太に「昨日の件でまた部活休んじゃったよ。監督怒ってなかった?」僕は裕太に何気なく聞いた。しかし裕太は前を向いたまま返事をしなかった。
「おい裕太。どうしたんだよ」
「……」裕太黙ったままだった。
「おい」
「お前朝木さんのこと好きだったんだな」裕太は前を向きながら小さな声で言った。
僕は動揺を隠せなかった。「い、いや。……うん。でも」裕太は僕の会話を遮り言った。「諦めろだとか何とか言ったって、ライバルを減らしたかっただけなんだろ。親友だと思ってたのに」
「違うんだよ。確かに好きだったし黙っていたのは悪いと思う。でも俺は付き合えるなんて思ってないし、裕太のことを思って……」
「もういいんだよ。お前となんてもう話したくない」
僕はナイフで脳天から思いっきり突き刺された用なショックを受けた。親友から絶交ともとれることを言われたのだ。僕は一番大切な物を失ってしまった。
僕の後頭部に何か柔らかい物が当たった。後ろであぐらをかきながら座っている吉川達がテッシュを丸めて僕に向かって投げているのだ。僕は腹は立ったが気にしないようにと自分に言い聞かせた。あいつらに関わったら何もいい事なんて無い。
「ゴメン裕太本当にゴメン。でも本当に誤解なんだ」僕は気にせず裕太にわかってもらおうと言う気持ちそして大切な物をなくしたくないという思いで必死の裕太に話しかけた。
しかし裕太は返事もしてくれなかった。
これが僕の運命なのかよ。自分の運命が書いてある本なんて持ってないからはっきりとしたことは言えないけど、でも朝木さんの運命の本を見つけなければこんな事にはならなかったのではないか。
そう考えるのが普通だろう。きっと僕の運命はものすごく悪い方向へと変わってしまっている。実際に朝木さんの運命の本も、変えられる事は、事実なのだから。僕の運命は、運命の本を見つけたことによって狂ってしまったのかもしれない。
僕はあんな本見つけなきゃよかった。そんなことが頭をよぎった。いや違う。自分に言い聞かせた。僕は自分の頬を叩いた。僕の運命が、悪い方向にしろ変わっているのだとすれば、やはり運命は変えられると言うことになる。朝木さんの自殺だってきっと止めれるはずだ。僕は何を考えているんだ。一瞬でも運命の本を見つけなければよかったなんて考えた自分に腹が立った。
僕の頭の中は今の自分の人生が悪い方向へ向かっていく憂鬱な感情と、朝木さんの命が救えるかもしれないという希望がゴチャゴチャに入り交じっていた。
「おい吉井。ちょっと話があるから来いよ」吉川が言った。
僕は無視していた。
「こいつシカトしてんぞ。なめてんな」そう言うと周りのヤツが僕の腕を抱え無理矢理立ち上がらせた。僕は抵抗せずやるならやって早く終わらせてくれ、そんな気持ちだった。
吉川達は僕をトイレに連れて行った。トイレに連れて行かれると言うことは、だいたい何をされるか想像はつく。
トイレの一番奥の角に立たされ吉川は僕を下からなめるように見て「調子乗りやがって何で俺だけ悪者にされて反省文書かされなきゃならねーんだよ謝れストーカー」
「ごめん」僕はこんなくだらないことは早く終わらしたくて吉川の言うまま素直に頭を垂れて謝った。
「ずいぶん素直じゃねーか」吉川が少しニヤけながら言った。周りの奴らはずっと僕をにらんでいる。
すると吉川が僕にボディブローを入れた。僕はウッと声を出しその場にうずくまった。息ができなかった。その後、無理矢理胸ぐらをつかまれ、そして立たされもう一度同じ所にボディブローをいれられた。もう死ぬかと思うほど痛くて息もできなかった。
もう終わりだろと思いきやまた無理矢理立たされ「あと3発」と吉川が言った。俺はここで死ぬんだそう思った。
すると裕太がトイレにやってきた。裕太も俺を殴りに来た。そう思った。
「もうやめとけよ。今度は反省文じゃ済まされないぞ」と裕太は言った。
すると周りにいた仲間が裕太に詰め寄って裕太をなぐった。裕太の唇から血があふれ出し床に3滴4滴と落ちた。
「もうこのくらいでいいだろ。お前だってそれだけやれば十分すっとしただろ」裕太は血を拭う事もせずだらだら床にこぼし笑顔を浮かべ言った。その異様な姿に吉川達もたじろいだのか、「もうなめたまねすんじゃねーぞ」と僕に捨て台詞を残し帰って行った。
裕太はそのまま帰ろうとした。
「ありがとう」僕はトイレの床に座り込みながら言った。
裕太はブッと吹き出し笑った。裕太がクルッと振り返り満面の笑みでこっちに向かいながら言った「俺こそ悪かった。お前が俺に朝木さんが好きなことを黙ってたことは少し腹立ったけどさ、でもよく考えたら、お前が言い出せなかった気持ちもわかるし、俺ずっとあの調子だもんな。それにお前は、親友の恋愛を邪魔するようなヤツじゃないことは俺が一番わかってる。だからこっちこそゴメンな。俺お前の恋、応援するぜ」そう言うと裕太は僕に手をさしのべた。僕は照れくさかったがどうしても涙が止められなかった。
「お前泣くなよ」
「うるせえよ」僕は少し照れ笑いを浮かべながら裕太の手を握り起き上がった。
僕は親友を失わずにすんだ安堵感でいっぱいだった。
「それよりお前ずっと口、血だらけだぞ。吸血鬼かよ」
すると裕太が自分の手についた血を僕の顔になすりつけてきた。
「やめろよ。お前」
二人はいつもの馬鹿二人組に戻った。
また裕太は僕に血を付けようとしてくる。
僕ら二人はじゃれながらトイレから出た。
「大丈夫?」みそのが心配そうに言った。心配になるのも無理はない。裕太は口から血を流している。
「ああ、大丈夫だよ。ぜぇんぜん」裕太は笑いながら言った。
「本当にあいつら最低。私あいつらに言ってきてあげる。」
「いいよ。もうすんだことだから」僕はみそのを止めた。もうもめ事はたくさんだ。
「でも……」
「ありがとう。でももう本当にいいんだ。すんだ事だから」
みそのは一つため息をつき、裕太にハンカチを渡し、「わかった」といって教室へ戻った。
放課後になった。朝木さんは帰り支度をし、パソコン部が使用するパソコン教室へ向かった。
僕は裕太に、殴られ腹が痛いから、とうてい部活をできる状態じゃないと伝えた。
そして僕はしつこいと思いながら朝木さんの力になりたいという思いで、朝木さんの後をついて行った。朝木さんを苦しみから救ってあげたいそんな思いでいっぱいだった。それに朝木さんが自殺をはかる日が明日に迫っている。焦りもある。もう待ったなしだ。
僕は今まで結局何もしていない。僕は一人空回りして、朝木さんに心を開いてもらうどころかどんどん朝木さんの心から離れてしまっているようにも思えた。
コンピューター室は学校の最上階の一番隅にあるのでコンピューター室に近づくにつれて人気が無くなっていき、静かになっていく。野球部の練習が始まったのか、金属バットの音が鳴り響いている。笛の音も聞こえるフットボール部の先生の笛の音だ練習が始まったようである。
廊下をまっすぐあるいていくと突き当たりを左に曲がればすぐコンピューター室だ。徐々にコンピューター室に朝木さんが近づいていく。人気も無く朝木さんの歩く音だけが、タッタッと響き渡っている。今しかないと思い朝木に声をかけようとした。
しかし朝木さんが突き当たりを曲がろうとしたとき、壁の陰から吉川達が朝木さんを待ち伏せていたのか突然現れた。僕はとっさ近くのトイレに入り身を潜めた。
吉川達は朝木さんを囲むようにして立っている。
「朝木さん。そろそろ俺の気持ちわかってくれてもいいんじゃない。俺本当朝木さんのことが世界で一番好きなんだよ。大切にするしわかってほしいんだ」吉川は必死な形相で言った。
朝木さんは下を向きながら言った。「ごめんなさい。私……付き合えない。ごめんなさい」
吉川は不機嫌そうな顔して答えた。「何で?理由を教えてよ」
「吉川君のこと好きじゃないの。ごめんなさい」
吉川はまくし立てるように言った。「じゃあ誰が好きなんだよ。」「もう本当にごめんなさい」朝木さんは吉川達を振り切るようにしてパソコン教室へ行こうとした。
そのとき吉川が朝木さんの腕をつかんだ。
「お前訳分かんねーんだよ。」吉川の態度が突然急変した。
「お前男子のこと避けてるよなぁ。もしかしてレズなんじゃねーの、お前?」
その言葉を聞いて周りの奴らがからかうように笑い、「キモイ」だのと、言葉を浴びせた。
「男の良さ分からせてやろうか?」吉川が無理矢理キスをしようとした。
すると朝木さんが床にしゃがみ込み、何か苦しそうにしている。僕は思わず朝木さんに駆け寄った。
「大丈夫!」
朝木さんの息が荒く苦しそうにしていて、僕の袖をつかんだ。
「お前らビニール袋もってないか」僕は吉川達に言った。
吉川達は朝木さんに何が起こったのか分からず動揺している様子だった。
「ビニール袋もって無いかって聞いてんだよ!」僕は吉川達に大声で怒鳴った。
すると一人が鞄の中からビニール袋をとりだした。
「こ、これでいいのか?」
僕はすばやく受け取り、朝木さんの口元に当てた。
僕はいつかフットボールの練習中に、チームメイトが過呼吸で倒れビニール袋で処置を施していたのを思い出しだ。これは、過呼吸だと朝木さんの様子を見て分かったのだ。
「ゆっくり呼吸して、大丈夫だから」朝木さんは僕の言うとおりにゆっくり息を吸ってそしてはいてを繰り返した。
僕は吉川達に手を振りあっちに行けとジェスチャーで伝えた。
吉川達も自分たちがいない方がいいと思ったのだろう、すんなりその場から立ち去った。
僕は朝木さんの背中をさすりながら大丈夫、大丈夫と言い、落ち着かせるように努めた。
朝木さんの息遣いも少し落ち着いてきた。
「落ち着いた?」僕は聞いた。
朝木さんは一つうなずいた。
「よかった」
「ありがとうございます」朝木さんが下を向きながら言った。
「いいんだよ」
「死ぬかと思いました。本当に苦しかった」
「大丈夫だよ。過呼吸では人は死なないらしいから」
「でも私……」朝木さんが口ごもった。
「何?」
「このまま死ねたらなんて思いました。」朝木さんは、ポロポロ涙を流した。
僕は落ち着いて静かに聞いた。「何か悩みがあるの?」
「思い出したくないこと何です。誰にも相談もできない」
「それは何で?」
「相談したらそのことを口に出さなければいけない。それだけで思い出してしまう。もう私は記憶から消したいんです。思い出しただけで、気分が悪くなって、もどしてしまうんです」
僕は朝木さんが抱える心の闇があまりにも大きいことに一瞬たじろいでしまった。少しの沈黙の後僕は口を開いた。「でも、死ぬなんて考えちゃだめだよ。生きていれば必ずいいことだってあるから」僕は言いながら、なんでこんなありきたりな台詞しか出てこないんだと、自分に失望した。
「はい」朝木さんは小さな声で言った。
思い出したくない事って言ったらやはり子供の頃に受けた虐待の事を今でも心の深い傷として抱えているのだと確信した。
それにしても相談すらできないなんて、僕には何ができるんだ……どうすればいいか分からなくなってしまった。
「僕にできることがあったら、何でもいいから言ってほしい」
「ほっといてくれることが一番ありがたいです」朝木さんの本心なのだろう……そんなこと言われたってほっておける訳がなかった。
明日自殺することが分かっているのに何もしないわけにはいかない……僕は何とか言葉を絞り出しこの会話を終わらせないようにした。少しでも話しを続ける事で、朝木さんを救う何か糸口を探していた。焦りだけが膨張していく……
「昔何があったか分からないけれど。世の中悪い人ばかりじゃないし。いい人だって世の中にはたくさんいるから、だから……死にたいなんて言わないで。誰かに頼ってほしい。絶対力になってくれる人はいるはずだから……」なんだか自然に涙があふれ出してきた。
いろんな感情が詰まった涙だった。単純に朝木さんに生きていてほしい死んでほしくないという涙でもあり、僕は今どんな言葉をかければいいのか分からない。どんな言葉をかければ朝木さんが少しでも前向きになってくれるのか、分からない。その自分に対しての悔しさの涙でもある。もう僕は泣いてばかりいる。
「ありがとうございます」朝木さんは僕をじっと見つめながら言った。
「私のこと本気で思ってくれているんですね」
思いがけない言葉だった。もしかすると僕に心を少し開いてくれたのではと思った。僕は自分の気持ちをまっすぐに伝えようと思った。思ったと言うよりはとっさに言葉にしてしまった。
「俺朝木さんのこと本気で好きだから。心から……好きだから。朝木さんの力になりたい。よかったら何で死にたいなんて思っているのか話してほしい。何か力になれるかもしれない。いやなりたいから」僕が悩みを共有することで少しでも朝木さんが楽になるのではないか、こんな僕にでも少しは力になれるのではないかそう思った。
朝木さんは少し黙ったあと決意したように話し始めた。
「私小学生の頃……父に……」
少しの沈黙の後言う事を決意したかのように一息ため息をついた。
「虐待にあっていたんです……」朝木さんはそう言った後、泣いて言葉が出てこなくなってしまった。
僕はなだめるようにもういいんだよ。無理しなくても。と言った。僕は少し後悔した。明日までに何とかしなくてはならないという思いから、焦って解決を急いでしまったのだ。話したくないことをしゃべらせてしまった。
朝木さんは泣き止むどころかどんどん感情的になってしまい、声を漏らしながら泣いていた。
「もう大丈夫だよ」僕は必死でなだめた。
「お……思い出しちゃった。怖い……助けて」朝木さんは僕の腕を強く握っておでこを僕の胸に押し当てた。
「大丈夫だよ。もういないんだから。落ち着いて深呼吸して」僕は落ち着かせるのに必死だった。後悔しても仕切れない……
泣き始めてから20分くらいたっただろうか、ようやく朝木さんは落ち着きを取り戻した。
「大丈夫?落ち着いた?」
朝木さんはコクリとうなずき「いろいろすいませんでした。もう私帰ります。疲れた」といい立ち上がった。
このまま帰らせていい物だろうか。僕は考えた。これで朝木さんが自殺を思いとどまってくれたとは思わない。でもこれ以上、しつこくしたら朝木さんの負担になってしまう。僕はどうすればいいか分からなかった。
朝木さんは、そのまま歩き始めた。
「あの、駅まで一緒に行ってあげるよ」
「いえ、一人にさせてください。気持ちの整理がしたい」
「わかった……あの、いつでも相談乗るから、力になれることがあったら何でもするから」僕がそう言うと朝木さんは、少しこっちを振り返り会釈をした。目はうつろだった。
朝木さんはそのまま出口の方へと向かっていった。明日自殺することが分かっているのに、何も解決できなかった。僕ができることは何かないか必死で考えた。
僕の体は自然と朝木さんの後を追いかけていった。僕は焦っていた。何でもいいから何か朝木さんにもっと自殺を思いとどまってくれるような言葉はかけられないか。もう時間が無いのに……そんなことで頭がいっぱいだった。
僕は朝木さんに気づかれないように後を追いながら何か解決策はないかと考えていた。
気持ちばかりが焦っていた。朝木さんの後ろ姿を見ながら、明日死んでしまうかもしれないと思うと、いても立ってもいられなかった。本当は、自殺をさせないように柱にロープで縛り付けたい気持ちだ。しかしそんなことでは、何の解決にもならない。
朝木さんはバス停に向かっている。その後ろを30メートルくらい離れて朝木さんに気づかれないように歩いた。
朝木さんはバス停についた。するとすぐバスが来て、そのバスに乗った。僕は焦ってそのバス停に走ったが、朝木さんを乗せたバスは行ってしまった。時刻表を確認した。次にバスが来る時間は5分後だ。
僕は何をしてあげられるのかまだ分からない。自然に朝木さんの後を追っていた。何か僕が出来ることはないか、焦りだけが先走っていた。
5分という時間がとても長く感じた。僕が駅へついた頃には、朝木さんは電車に乗って帰ってしまうんじゃないだろうかそんな不安でいっぱいだった。5分が過ぎた、しかしまだバスは来ない。僕は何度も時計とバスが来る方向を繰り返し見ていた。イライラが頂点に達していた。そしてもう3分が過ぎた頃、ようやくとおくに、小さくバスが見えた。バスはバス停に近づくにつれ速度を落としてゆっくり走った。僕は列の一番先頭で今か今かとバス停につくのを待っていた。
僕の前にバスが止まり、ドアが開いた。僕は早く降りやすいように椅子には座らず運転手さんの後ろに立っていた。




