ルール
夢だか現実だか判断できないけど今、僕は月面に立っていて、目の前には巨大なしゃべるウサギが二本足で立ち、僕を見下ろしている。
(お約束すぎる……)
「そりゃ当たり前さ」
「え、なんで?」
ウサギは首を軽く左に傾け、左前足で鼻をかきながら答える。
「だって、きみのイメージが見えてるんだから」
僕のイメージ?
「きみ、僕がどんな風に見えてる?」
「でっかい白ウサギの……オス」
もう一度、耳の先から尻尾まで見る。ウサギだ。ウサギ以外の何者でもない。
「ウサギかあ! きみ、ウサギ文化圏の住人なんだね」
(何を言ってるんだ? ウサギ文化圏って何だ?)
混乱している僕を見下ろしたまま、ウサギは耳をなで始めた。毛づくろいのようだ。
「ま、とりあえず時間がなくなっちゃうから、ルールを説明するよ」
ウサギは言い終わるとすぐ、ビヨーン、という感じでジャンプした。巨体から想像もできないほど軽く、僕の身長のはるか上まで跳び上がる。僕はウサギの足の裏と尻尾の裏がスローモーションで落ちてくるのを、口を開けてぼんやり見つめていた。
「このように、月の重力が地球の約六分の一というのは事実だよ」
そうか、さっき尻餅をついたのにあまり痛くなかったのは、重力が小さいからだったんだ。納得していると、ウサギがいきなり僕の鼻をつまんだ。
「何すんの」
あの前足につまむ機能があるとは思えないんだけど。しばらく待っても離してくれそうにないので、僕はウサギの腕にあたる部分をポンポン、とタップした。やわらかい毛の感触はフカフカで、小さい頃にイベントの動物ふれあい広場で触ったウサギそのものだった。
「どうだった?」
「どうって」
「息が苦しかったかい?」
ようやく解放された鼻をこすりながら、僕は全然息苦しくなかったことに初めて気づいた。
「君は、ここに来てから呼吸してないんだよ」
……そんなバカな!
あわてて息を吸い込もうとする。……あれ、呼吸ってどうやるんだっけ?
「月には、空気がない。だから呼吸はできない」
知ってる。そんなの常識だ。でも、じゃあ今ここに立ってる僕は、なんで無事なの? 宇宙服も着てないし、酸素ボンベも背負ってない。そうだよ、こんな格好で宇宙に出ちゃって、生きていられる訳がないんだ。
(え……もしかして僕、死んだの!?)
「大丈夫! 生きてるよ」
(あれ、今声に出したっけ?)
「出てないよー」
また頭が混乱してきた。
重力や空気については事実。
僕やウサギがここに立っているのは、おかしいというより不可能だ。
ウサギは僕の心が読めるみたいだし、そもそも僕はどうやってここに来たんだ?
「あ、ほんとに時間なくなっちゃうから、大事なルールだけ言うよ! ちゃんと聞いてよ」
僕の顔を両前足で挟んでグリグリして、そのまま僕の目をのぞきこみながらウサギが「ルール」を早口で話し始める。
「ここに来られるのは、一日一回、一時間まで。区切りは夜の0時。またぐことはできない」
「来るときは『月に行く』、帰るときは『地球に帰る』と意志を決めて口に出せばOK。また、時間切れの場合は自動的に帰る」
「きみがここに来ている間、本体は眠っている。きみが戻るまで起きないから、きちんと準備してから来ること」
「質問があれば何個聞いてもいい。ただし、答えるのは一日一個に限る」
「物の持ち込み、持ち帰りはできない。身につけている服だけは一緒に移動するけど、その他は全部あるべき所に残る」
大急ぎでそこまで言い終えると、ウサギは僕の顔から両前足を離した。
「じゃあ、時間だ。またおいで、トモ」