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外の世界




 あの日から、私は大きく変化したと思う。「何が」と言われると困るけれど、私の心の根本にあったものが大きく変わったような気がする。考え方も、人を見る目も、根本から変わってしまった。そしてその変化は、私の態度にも如実に表れてしまっていた。



 一つには、父に対する態度だ。あの日以来、父は、何度か仕事の合間を縫って私に会いに来た。しかし私は、父と満足に会話を成立させることができなかった。否、意図的に会話を成立させなかった。できるかぎり二人きりにならないようにし、どうしてもならなければならないときは、会話をすぐに終わらせるようにした。父が家に帰ってきても、母の後ろに隠れるようにして意図的に目をあわさない私を、母は不審がっていたが、私はそれを母に甘えるふりをして誤魔化した。とにかく、父と関わりたくなかった。いつ、何がきっかけで彼が私を殺そうとするかわからないから。


 父はあからさまな私の変化に恐らく気づいているけれど、特に何も言ってこなかった。何を考えているのか気にはなったけれど、父と目を合わせるのが怖くて表情すら確認することもできなかった。ただ、「しばらくは安静にしていなさい」と、いつものように優しい声色でそう声をかけてくることだけはわかった。父が私の頭を撫でる手は、昔と変わらずに優しいものだったけれど、それでも私は彼と目を合わせることができなかった。




 そしてもう一つは、人と関わることを避けるようになったことだ。以前まではよくお手伝いさんとも会話をしたり、遊び相手になってもらったりしていたけれど、あの日以来、必要以上に関わらないようになった。人に話しかけられると、優しくされると、触れられると、あの、私を殺そうとした優しい笑顔を思い出すのだ。お手伝いさんたちは最初そんな私の態度に戸惑っていたようだったけれど、あの事件の影響であると考えたようで、それからは私の意志を汲んで向こうからもあまり積極的に関わってこなくなった。




 こうして私は、必要最低限の人間と、必要最低限にしか会話をせず、部屋からも必要以上に出ないという生活を送るようになった。私は五歳にして、立派な引きこもりになっていたのだった。





 引きこもり生活はいたって快適だった。一人が心地いいなど、前世の自分なら考えなかったことだ。自室でただ、布団に包まって過ごす毎日は、ある意味で私にとっての安穏だった。


 ――――しかし、そんな生活も、いつまでも続くものではなかった。ついに、終わりを迎えるときが来てしまったのである。

 そう、小学校に入学する日が来たのだ。







「ほら、凜。お日様が気持ちいわね」



 季節はめぐって、春になった。今の私にとってはもはや敵でしかない太陽が照らす桜の下。白い手を太陽に透かした母が、形のいい眉毛を下げて笑った。桜を背景に微笑む母はとても美しい。しかしそれとは対照的に私は、自分でもわかるぐらいにへたくそな笑顔を浮かべることしか出来なかった。



 辺りには人、人、人。自分と同じ六歳ぐらいの子どもと、その子どもと手をつなぐ大人たちの大群が、辺りに蔓延っていた。桜の木の下で、真新しい制服に身を包み、両親と楽しげに記念撮影をしている姿を見ると、嫌でも今日と言う日を思い知らされる。




 ――――今日は、小学校の入学式だった。ただの小学校の入学式ではない。これから私が通うことになる、小学校の入学式だ。この世界は日本の世界の決まりごとと似ている部分が多くあり、六歳になれば学校に通わなければならない、という決まりもこの世界にはあった。義務教育の制度を恨んだのは初めてだった。義務である以上、私がどれだけごねようが、泣こうが、喚こうが、どうやったって外に出て学校へ通わなければならない。あの、必要以上に人と関わらなくても許された空間から、不特定多数の人間に囲まれる外へ出る日がついに来てしまったのだ。しかも数十年ぶりの小学一年生、というオプションつきで。



「帰りたい……」



 真新しい制服も、ずいぶんと久しぶりに着た洋服のためか、何だか居心地が悪かった。私は、汚れ一つ無い紺色のスカートの生地を握りながら、ため息をつく。五年の間、生まれたときから傍にいた数人の人間としか関わらず、さらに一年の間ほぼ誰とも必要以上に関わらなかった私にとって、この空間はあまりにも辛かった。

 入学式の間も、見ず知らずの人の中で座り続けたことで、既に気力の限界である。本当に、できるだけ、早急に、今すぐにでも帰りたかった。




「凜。せっかく素敵な日なのだから、そんな顔をしては駄目だわ」


 私のため息に気づいた母が、困ったように笑いながら私を見下ろした。ため息を聞かれたことに、私はバツが悪い気持ちになりながらも、上手く笑顔を取り繕うことはできない。母はほっそりとした手を伸ばして、私の頭を撫でながら言った。



「大丈夫よ。ここは、檻人のような特殊な身分の人間でも通える学校なの。だから、安心して通っていいのよ」



 母が言ったことと私のため息の理由は少しずれていたけれど、わざわざ訂正することでもないので笑って頷いた。この学校自体が嫌なのだ」など、娘の入学式を喜ぶ母へはとてもじゃないが言えない。





 ――――私がこれから通うことになる学校「月ヶ丘学園」は、能力も格式も優れている才能あふれる子どもだけが通える、前世で言う所謂「セレブ学園」である。敷地内には初・中・高等部までの学校があり、全てまとめて「月ヶ丘学園」。私がこれから通うところはそこの初等部にあたる。


 そして、この学園は「セレブ学園」とは言っても他の学園とは違う少し特殊な面がある。それは、特殊な地位にいる人間を積極的に受け入れている学園であるということだ。そう。先ほど母が言ったように、「月ヶ丘学園」は、檻人のような特殊な事情を抱えた子ども達でも通える学校なのである。セキュリティも設備も、檻人のために作られたといっていいほどに、檻人が通いやすいつくりになっている。


 そしてこの「月ヶ丘学園」こそが、何を隠そう将来サクオリの舞台となる場所なのだ。漫画は主人公が16歳のときから始まるので、正確には月ヶ丘学園の高等部が、ではあるけれど。

 檻人の継承者候補である以上は、ここに通うことになることはわかっていた。あの事件が起きる以前の私ならば、この目の前に広がる光景に大興奮していたことだろう。初等部といったって、敷地自体は同じ場所にある。だから所々に原作で描かれていた場所が目に入ってくるのだ。ファンなら大興奮する光景だ。そして何よりも、ここは物語の舞台の初等部。それが意味するところとは、そう。ここには、他の「登場人物」がたくさん通っているのだ。既に入学式で見覚えのある姿を何人か見かけていた。あの紙面上のキャラクターたちが、多少幼いといっても、動く姿をこの目で見られるなんて感激だと、あの頃の自分ならば思っていたに違いない。

 けれど、今の私はとてもそうは思えなかった。



 できるかぎり、いや、絶対に登場人物たちとは遭遇したくない、というのが今の私の本音だった。その理由は、将来何が世界に影響を及ぼすかわからないので、一宮凜と関わる人物をできるだけ少なくしておきたかったから。というのは建前で、本当の理由は、彼ら、つまり「原作」に近寄ることが怖かったからだ。今の私にとって、私の死の運命そのものである「原作」は恐怖の対象以外の何者でもないのである。

だから私はできるだけ「原作」に近寄りたくなかった。

 けれどこの学園に通う以上は、多少なりとも「原作」に近づくことになるだろう。それが憂鬱でたまらない。私がここでの生活を楽しみにできるわけがなかった。




 ――――そして、もう一つ。私がこの学園に通うことに前向きになれない原因がある。むしろ、こっちの理由が本命と言ってもよかった。それは、この学園には佳月の次に、この世界(ものがたり)で絶対に会ってはいけない人物がいることだった。

 何故会ってはいけないか、などは愚問である。この世界(ものがたり)で凜と出会ってはならない人物なら、理由はわかるだろう。その人物は、佳月のように「凜」に強く影響を受けたキャラクターであり、彼女の死によって世界に絶望してしまう、要注意人物。


 


彼の名前は――――





「あら、椿くんじゃない」

「え?」




 驚いたような、明るい母の声が耳に飛び込んできた。その、聞き覚えのありすぎる名前に私は振り返る。母の明るい声は、私の真後ろへ向けられていた。


 桜の木の下で、一人の小さな少年が立っていた。真新しい、汚れ一つ無い紺色のブレザーに紺色の半ズボンを着た少年は、どこからどう見ても小学生に違いないのに、大人顔負けの威圧感を放っていた。母の声に気づいた少年が、ゆっくりとこちらを見た。舞い散る桜を焦がすように、赤く煌くその瞳が、私を捉える。



 瞬間、私は再び、頭に衝撃が走るのがわかった。




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