浅い夢
「言い訳もしないんですね、あなたは」
青年は、怒りをにじませた声で言った。青年の右手には銀色に光る抜き身の剣が握られており、その切っ先は向かいの相手に向けられている。その向かいの相手――――優しげな中年の男性は、青年の言葉に静かに首を振った。
「言い訳をするつもりがないからね。私はね、君がここに来るのをずっと待っていたんだ。君ならば、私の罪を断罪してくれるだろう――――そう、思ってね」
男性は死を歓迎するように両手を広げて、ゆっくりと目を閉じた。青年はその様子に憤るように、殺気を膨れ上がらせる。
「彼女は、あなたが殺したんだ」
何かを噛み締めるようにそう言った青年は、その身に駆け巡る怒りに任せて、手にした剣を振り上げた。男性は目を閉じたまま、穏やかに微笑む。
「ようやく謝ることができる――――あの子にも」
男性の頭に、青年は勢いよくその剣を振りかざした。
「変わった夢を見る子どもだ。君は」
無機質なアルトの声に、私の意識がぼんやりと覚醒した。目を開くとそこは、何もない、真っ白な空間だった。
否、真っ白な空間に紛れるように、一人の少年が立っていた。恐らく10歳ぐらいのその少年は、死装束のように真っ白い着物に銀色の髪、そして顔の上半分にお祭りの屋台で売っていそうな狐のお面、という人目を引く様相をしていた。にもかかわらず、少年に声をかけられなければ気づかぬほど、その存在感は酷く薄い。まるで幻のような少年は、私の元へと歩み寄ると、軽く首をかしげた。
「君みたいな小さな子どもと出会うだなんて、驚きだな」
声のトーンは愉快そうなのに、口元はピクリとも動かない。変な人だ、とぼんやり思う。
「変な人、とは失礼だな。君も似たようなものだと思うけれど」
驚いて、距離が縮めてきていた少年から一歩離れた。何でこの人は私の心がわかったのか。
「なんでも何も、この世界自体が心そのものみたいなものだからね。
君の感情は直接僕に流れてくるし、逆に僕の感情も君へ渡るはずだ」
再び心の中を読まれた。驚いたが、それ以上に少年の言葉で気になる言葉があった。「この世界」と少年が言ったこの場所。そういえば、ここはどこなのだろうか、とここに来て漸く自分のいる場所に違和感が生じる。どうやら自分は自分で思うよりもぼんやりとしていたらしい。
辺りは少年以外に何もないただの、真っ白な空間だった。どこまでも続く広い空間のようにも思えるし、少年と私の周りだけのとても限定された空間のようにも思える。障害物は何一つなく、存在しているのは私と目の前の少年だけ。真っ白な空間を見渡して、最後に少年に視線を戻した。この空間もだが、この少年も謎なことは間違いなかった。彼は、やはり今にも見失ってしまいそうなほどに存在が希薄だ。
そこでふと、彼の存在について思い当たるものがあることに気づいた。あくまでそれは「もしかしたら」という程度だったので、尋ねるか迷うが、どうせここでは心の中は筒抜けなのだから、と思い切って尋ねる。
「あなたは、さっき、私を助けてくれた声の人?」
ここにきて初めて発した声は、やけにこの空間に反響した。脳裏に思い出されるのは、男に体を押さえつけられたときのこと。同時に嫌なことも思い出して、頭が痛くなってくる。だが、あの時聞こえた声と、この少年の声は、同じものだった。気分の悪さを誤魔化すように深く息を吐くと、少年は「ああ」とまた愉快そうな声で言った。
「あれは別に、僕が助けたわけではないよ。
まあ、君が魔法を使えるようになるきっかけの一部にはなったかもしれないけれど」
「一部?」
「そう。基本的には、さっきの魔法は君の気持ちが引き出したものだ。
魔法というものもまた、人の感情に左右されるものだから」
この空間のようにね。
私の問いに、少年は真っ白な空間を指して答えた。少年の指の先は何もない真っ白な空間があるだけだったが、何故だかそこに、私の心の中にあるものが映し出されているように思えて恐ろしくなる。自分の妄想を振り払うように首を振ってから、私は少年に向き直った。
「――――あなたは、誰なの?」
その質問は、してはいけないような気がしたけれど、聞かずにはいられなかった。少年は問いかけに対して首をかしげる。
「さあ、誰なのかな? あるいは、誰でもないのかもしれない」
少年の声は、本当に不思議そうな声だった。まるで、誰よりも自分自身が自分自身のことを理解していないような。
「ああ、もう時間切れのようだね」
再度質問をしようと口を開きかけた私を遮るように、そう言って少年は、私の体を指差した。何のことかと指された指を辿るように自分の体に目を向けると、私の体は半透明になっていた。驚いて自分の体に触れる。しかし、指はすり抜けてしまった。
「大丈夫、元の場所に戻るだけだよ」
動揺する私に、少年はたいした感慨もなくそう告げた。ゆっくりと消えていく体に、私は慌てて少年に向かって叫ぶ。
「待って、まだ聞きたいことが……!」
少年に手を伸ばした。しかし、届く寸前で私の手は消えてしまった。ついで体も消えていき、視界も暗く閉ざされていく。
薄れていく意識の中で、最後に少年の声が聞こえた。
「縁があったなら、また出会えるさ」
惹かれあうものが、あるのならば。
目覚めは最悪なものだった。眠っていたはずなのに、眠っていた感覚が全くないような。そんな、酷く疲労感のある目覚めだった。
「凜! ああ……! 目が覚めたのね!」
気だるい意識を覚醒させるように、高い女性の声が耳に入り込んできた。右手が誰かに強く握られる感覚がして、視線を右手に向けると、白くほっそりとした女性の手が私の右手を握っている。それを辿って視線を上げていくと、そこには、目から大粒の涙をこぼす母がいた。
「おかあ……さま」
自分は一体どうなっているのかを尋ねようと声を出したが、思っていたほどの声量はでず、上手く声を発することも出来なかった。かさかさに乾いた酷い声色に、自分で驚く。母が痛ましいものを見るような顔で私を見ていた。とにかく、水を飲みたいと思って、どうにか母に伝えようと私は再び口を開く。しかし、私の言葉を遮るように、母ではない誰かの声が耳に飛び込んできた。
「誰か、この子に水を」
男性の、穏やかな声色。不意に耳に飛び込んできたその声に、私の体は硬直した。思わず母の手を握る力が強まり、母が怪訝そうにこちらを見るのがわかる。けれど、そんなことを考える余裕はなかった。
視線を声のする方へ向ける。そこにいたのは。
「大丈夫。すぐに水が来るから」
私を安心させるように、優しく笑う父だった。
途端、急激に頭に情報が流れ込んできた。父の姿が夢の中の父と重なる。
「凜?」
顔から血の気が引いていくのがわかった。がたがたと体が震える。その様子に気づいた父が、顔をしかめてこちらに手を伸ばすのがわかった。恐ろしさのあまりその手を避けようとするが、体は自由に動かない。父の手が間近に迫り、私は強く目を瞑った。
「顔色がまだ悪いな」
父の険しい声がする。父が触れたのは、私の額だった。私の冷えた額に、父の体温がじんわりと伝わってくる。ゆっくりと目を開けると、心配そうにこちらを覗き込む父の姿があった。
「あなた。お医者様に見せなくて本当に大丈夫なの?
凜は魔力を暴走させたのですよ」
「得に外傷があるわけではないし、魔力の枯渇は時間が解決してくれる。
今の状況で、必要以上に他人を凜の傍へ近づけたくはない。もちろん、このまま回復しないようなら医者を呼ぶつもりだから、そう心配しなくてもいい」
「ですが……」
心配そうな母の声が聞こえる。母と会話をしながら、父の手が私の額から離れていった。今度はその手が、宥めるように母の肩に触れるのがわかった。強張っていた肩から力が抜けていく。
けれど、胸の鼓動は早まったまま元に戻る様子がなかった。