運命は誰
二話連続投稿です②
「わ、かわいいお弁当」
場所は変わって中庭。生徒のために解放された、学校の施設というには広い面積と上品な景観に囲まれながら、私はりいちゃんと隣り合って木陰にあるベンチに座っていた。
赤色の包みを開いて現れたりいちゃんのお弁当箱は、何かのキャラクターをモチーフにしたような色彩豊かな具が詰まっていて、実に可愛らしかった。
「自分で作ったのよ」
「ええ! す、すごい!」
どこか得意そうにそう言う彼女に、私は驚きの声を上げる。
はじめこそひと悶着あったものの、何とかりいちゃんと二人でお弁当を食べるという状況に持ち込むことができた、現在。
想像していたよりも随分と安らかな雰囲気がそこにはあった。
この学園では食堂で食事をとる生徒が多いからか、中庭は人気がなく閑散としているが、それが逆に落ち着いた雰囲気を生み出している。
「私も自分で作ったんだけど……なんか、りいちゃんのを見てると恥ずかしくなってきた……」
「そう? 普通においしそうだと思うのだけれど」
ここに至るまで、彼女と何を話すか色々と考えてきていたのだけれど、こうして話してみると結構すらすらと会話が続いていた。
人見知りの私がこんなに話せるのは、たぶん彼女の気安い雰囲気のお陰だろう。
いつの間にか、今朝からずっとあった緊張はほぐれていて、私は純粋にお昼の休憩時間を楽しめているから不思議だ。
しかし、ただただ和んでもいられない事情がある。
緊張はほぐれたし、気分も緩みかけるが、それでも私にはすべきことがあった。
お弁当を半分ほど食べ終えて、これまでの会話に一区切りがついたところで、私は何気ない風を装って、ついに口火を切った。
「ええっと……ところでりいちゃんは、お弁当は自分で作る派なの? その、お家の人とかは作らない感じ?」
視線を自身の茶色いお弁当に目を落としながら、私は何の気なしに彼女に尋ねてみた。
彼女が何者なのかを確認するために、彼女はどこからきて、誰が家族で、どうしてこの学園に高等部から入学してきたのかを知りたかった。
真剣にお弁当を食べるふりをしながら、内心心臓をばくばくさせて彼女の返答を待つと、彼女からは予想外の返事が返ってくる。
「実は、私の両親はもう他界していてね」
「え」
思いがけない言葉に思わず視線をお弁当から彼女に向ければ、「あ」と彼女は慌てたように首を横に振った。
「ああ、ごめんなさい。そんな顔しちゃいやよ。もうずっと昔の話だし、実のところあんまりよく覚えていないから、悲しいとかそういうのはないの」
それは別に私を気遣って、というわけではなく、本当にあまり気にしていないような様子だった。
家族がいない。予想外の返答だったけれど――――しかし、昨日彼女が「家名」がないと言っていたことと、高等部からの入学であることを考えると、色々つながるような気もする。
思わず黙り込むと、それを私が気にしていると判断したのか、「本当に大丈夫なのよ」と改めて彼女は言葉を重ねた。
そして、「それに」と言葉をつづける。
「今はね、一人になった私を引き取ってくれた人と一緒に暮らしているから、とても幸せなのよ。
まあ、その人がぜーんぜん家事ができないなんだけれど。だから私が色々やるようになって、料理は特に得意になっちゃった」
そう語る彼女の瞳は優しかった。
彼女の話ぶりからして、彼女がその人の事を本当に大切に思っていることが分かる。
今はその人と二人暮らしということらしいけど、引き取ってくれた人、というのは親戚か何かだろうか?
なんにしてもその人が今のりいちゃんの家族ということか。
詳細はよくわからないが、彼女から彼女の自身の話を聞くと、「凜」とは別人なのだと実感する。
……もう少しその家族について具体的に聞いて見てもいいだろうか。
彼女の様子を伺いつつ、そう思って口を開きかけるが、その前に彼女が「あ」と声をあげた。
「そういえば話は変わるけれど、凜って檻人なんですってね」
「え」
唐突に思い出したように、りいちゃんが私を見た。
不意打ちで彼女から紡がれたその「檻人」という言葉に、なんだかどきっとする。
「え、ええっと……どうしたの? 急に」
「いや、大した意味はないのだけど、昨日の帰りに檻人の話を小耳に挟んだものだから、気になっちゃって。私はここからは結構離れたところに住んでいたから昔話程度にしか知らないんだけれど、この学園にも何人かいるのよね?」
どきっとしたのは杞憂だったようで、ただの好奇心からきた質問だったらしい。興味深そうに私を覗き込むりいちゃんに、私は返答する。
「そうだね。私と、あと4人はこの学園にいるよ」
「へえ、どんな人なの?」
「ええっと、一人は昨日一年生の代表挨拶をしていた男の子で、もう一人は生徒会長さん。あとは同じ学年にも2人いるかな」
特に隠すことはない、知ろうと思えば誰でも知り得る情報だった。檻人になる前は、後継者争いの関係で秘匿とされることが多いが、檻人になってからは、この世界の守護を司る象徴として立つことになるから、多くの人が檻人の存在を認知している。
「檻人ってなんだかすごそうなイメージがあったけど、ここでは結構身近なのね。私としては、凜が檻人っていうのはかなり意外だったんだけど」
「い、威厳がなくてごめん……」
「あはは、貶してるわけじゃないのよ。ただ、檻人はもっと威張り散らしてると思っていたから」
楽しそう笑ってそう言うりいちゃんに私は苦笑する。
まあ、原作の「凜」ならもう少し威厳もあったのかもしれないけど。しかし悪気なく笑う彼女の様子にこちらも気が抜けた。
その後もりいちゃんは興味深そうに檻人の話や、私の話を聞いてきた。
そうして、話題はだんだん逸れていき……。いつの間にか完全に私の話に変わってしまっていたな、と気付いた時には、すでに昼休みの終わりに差し掛かってしまっていた。
「凜、私お手洗いに行ってから教室に戻るから、先の帰ってて」
「あ、うん」
お弁当を食べ終わり、箱を手早くしまったりいちゃんが、そう言って足早に中庭を出て行く。
その背中を数秒見送って、彼女の姿が見えなくなると、私はがくっとその場で項垂れた。
しまった。私、結局りいちゃんの家族の話しか聞けてない。
途中から檻人や私の話になって、全然りいちゃんの話を聞けなかった。唯一聞けた家族の話にしても全然具体的な話は聞けなかったし……。
項垂れ、猛省しながら、私はのろのろと自身の膝に広げていたお弁当箱を片付ける。
いや、過ぎてしまったことは仕方ない。
何もこれが最後の機会でもないし、これからまた聞いて行ったらいいんだろうけど。
「はあ……それにしたって、もう少し聞ける話もあったでしょ……」
「そうですね」
「だよねー……」
って、うん?
私はお弁当を片付けていた手を止めた。
なんだか今、私の独り言に返事があったような。
「彼女について知りたいなら、もう少し聞き方を変えるべきでしたね」
追随して聞こえてくる声は、やはり気のせいではない。私は慌てて声のする背後振り返った。そこには、見慣れた人物が。
「か、佳月……!?」
「はい、こんにちは。凛様」
にこやかに笑って、まるでそこにいるのが当然のように私の背後に立っていたのは、佳月だった。
「ど、どうしたの? え? いつからそこに……」
「うーん、あなたが例の彼女と中庭に来たぐらいからですね」
言外にずっとそこにいたと言われて、私は二の句も告げられなくなる。
え、どこにいたの? 全然気配なんて感じなかったのに。
驚きすぎて固まっている私をくすっと笑って、佳月は「失礼します」と私の隣に腰を下ろした。
「すみません。立ち聞きするつもりでここにいたんですが」
「……うん?」
混乱した頭を更に混乱させるような発言が飛び込んできた気がする。佳月を見れば、佳月はもう一度「すみません」と謝ってから、続けて言った。
「昨日からあなたの様子がおかしかったから気になっていたんです。それで、昼に様子を見に行ったら、おそらく元凶と思われる人とお昼を食べに行く様子だったので、ちょっと気になりまして」
申し訳なさと、心配をかすかに滲ませたその言葉に、私は目を瞬かせる。
「……えっと、心配してきてくれたってこと?」
「まあ、いいように言えばそんな感じです」
「特に何もなかったようですが」と苦笑交じりにそう言われて、私は驚き、そして納得した。
そりゃそうか。昨日までの自分の様子を思い出す。
何でもない、大丈夫だと言いつつも、私は明らかに大丈夫な様子ではなかったのだろう。椿くんにも難しい顔をさせたし。
「ごめん、心配かけた」
「いえ、俺が勝手にしたことなので」
自分の不甲斐なさに頭を下げて謝ると、佳月にやんわりと頭を上げさせられる。
「――――それにしても凜さまは、やはり彼女が気になるんですか?」
そして、特に気にした風のない佳月はそれよりも、と先ほどりいちゃんが去って行った、今はもう誰もいないそこに視線をやった。
笑顔を消して、何かを考える様な表情をした佳月に、私は一瞬どきりとする。
「ええっと……まあ、初対面だし、仲良くなるためには色々知っておきたいかなって」
「なるほど」
本当のことも言えないので、曖昧に誤魔化す。私の言い訳に納得しているのかしていないのか、読めない表情で佳月は笑うと、視線を私に戻した。
「まあ、何か事情があるようなので何も聞きませんが。というか、仲良くなる、ということは、あなたはどちらかと言うと好意的に彼女を見ているんですか?」
「え、あー……うん。まあその、悪い子ではないなって」
「なるほど」
佳月はもう一度読めない笑顔でそう答えて、少し思案するように長い睫毛を伏せた。
「佳月?」
「あなたがそう言うなら、俺はやはり何も言えませんが……ただ俺としては彼女は、」
「え?」
「……いえ。何でもありません。もう教室に戻りましょうか」
不自然に話を中断させた佳月が、ベンチから立ち上がる。
横顔にはいつもの微笑みが乗せられているが、覗く美しい金色の瞳からはやはり感情は読み取れない。
りいちゃんに対して、もしかして佳月は佳月なりに何か思うところがあったのだろうか。
私にとって彼女は「特別」だが、ある意味では佳月にとっても彼女は「特別」な存在だ。
そこまで考えて、私はふと昨日の車の中で佳月の言った言葉を思い出した。
そういえば。
私を促す佳月に従って立ち上がりながらも、私は何の気なしに彼に尋ねてみる。
「ねえ、佳月」
「はい」
「私とりいちゃんって、やっぱり似てない?」
そう、変な話だが、昨日車の中で佳月に言われた時から、地味に気になっていたことだった。
私の突然の質問に、佳月は首を傾げた。
「昨日の車の話ですか?」
「う、うん」
そこまで追求するのも変に思われるかもしれない。別に聞かなくてもいいと思っていたのだが、でも今、ふと聞いてみたくなってしまった。
私よりいくらか大きい佳月を見上げながらその返答を待つと、佳月はやはりあっさりと頷く。
「ええ。本当ですよ」
「どうして? そりゃあ、細部までは違うけどさ……そんな、全く似てないってわけでもないでしょう?」
質問を重ねれば、佳月は考えるように顎に手を当てた。
しかし、数秒の間をおいて、やはり「似ていないですね」とにこりと微笑まれる。
……これは、私の目がおかしいというより、佳月の目がおかしいのではないだろうか。
「はは。そう疑うような目で見ないでください。まあ、確かに同じところはありましたけど、でも、それだけで、あなたとは全然違いますよ」
私の視線に佳月は困ったように笑った。
「雰囲気とか、そういう話じゃなくてだよ」
「ええ、見た目の話であっても、俺の答えは変わりませんよ」
いぶかしむ私に、佳月はさらに言葉を重ねる。
そしてジッと私の瞳を覗き込むように見ると、春の日差しのようにふわりと微笑んだ。
「俺にとって、あなたと似ている人間なんているはずがありません。あなたのその瞳も、髪も、俺にとっては世界で唯一、あなたしか持ちえないものだ」
「は……」
思わぬ返答に、私はぽかんと口を開けた。
何だか今、ものすごい口説き文句を言われたような気がする。
からかわれているのかと思ったけれど、佳月の瞳にその色はない。
「えー……」
佳月の言葉を数秒かけてようやく理解した。そのとたん何だか急激に照れくさくなってしまって、私は手で顔を覆って俯いた。
なんだそれ。なんだそれ。
深い意味なんてないのかもしれない。けれど、それは。
何だかむずかゆい物が胸中を満たす。
どうしよう、嬉しいかもしれない。
彼にとっての「凜」は、他の誰でもない私なのだと、まるでそう言われたように感じて胸がじわじわと温かくなる。
「じゃ、じゃあ、あの」
そこで、本当に、全く聞くつもりのなかった質問が、不意に心の中に浮かんできた。
聞いたら変に思われるかもしれない、とこれも昨日諦めた質問で、恥ずかしいから一生聞けないと思っていた質問を今なら聞ける気がして、私は思わず口を開いた。
優しい笑みを浮かべたまま軽く首を傾げた佳月に、私は勢いのまま問いを投げかける。
「佳月は彼女と……『凜』と会って、何か、感じなかった?」
「何か、とは?」
「……う、運命の人だって、思わなかった?」
ずっと、「凜」と出会ってから――――佳月が凜と遭遇してから、ずっと気になっていたことだった。
何もないことはわかっている。彼女が原作の「凜」だという証拠は何もない。
それでも、あの二人をあの場で一緒に見たとき、私にはその光景が酷く馴染みのある光景に見えてしまったのだ。出会うべくして出会った二人なのだと。
深刻な心持で佳月の返答を待つ。
佳月は私の質問に一瞬呆けたような顔をしたが――――次の瞬間にはふ、とこらえきれないように吹き出した。
……吹き出した?
「ちょ、ちょっと、なんで笑うの!? 今笑うところなかったよね!?」
「ふ、はは……はい、すみません、俺も笑うつもりは、なかったんですけど」
「いや、それ結構本気の笑いだよね!? こっちは真剣なのに!」
「す、みません。いや、でもまさか……そう来るかと思って……はは」
今日は意味のわからないまま人に爆笑される日なのだろうか。ついさっきも何処かで見たその様子に、私は固まる。
それは、めったにお目にかかれない佳月の本気の笑い声だった。
感情をむき出しにする佳月はかなり珍しいし、そういう佳月を見るのはすきだけれど、いや、何もそれを今見せなくてもいいはずだ。
我に返ってキッと佳月を睨みつけると、佳月は「すみません」ともう一度謝って、落ち着けるように大きく息を吐きだした。
「つまり、俺が、彼女に一目ぼれしたのではないかと、心配になったという解釈でいいですか?」
「ひ、一目ぼれ!?」
佳月の言葉に今度は私が呆けてしまった。
いやでも、あながちその表現で間違いはないのだろうか。
悶々と考えていれば、佳月がまた忍び笑いを漏らす。
「あなたは本当に、予想外の人だなあ……」
柔らかな笑みに、もう反論する気力もなくなってしまった。
何が面白いのかさっぱりわからなかったが、佳月が楽しいならもういいか。
半ば投げやりになって佳月を見ていれば「そう拗ねないでください」とようやく笑いを落ち着けた佳月が、それでも笑みを浮かべたままに言った。
「俺は運命論者ではないですし、出会ったばかりの人間にそういうものを感じるなんてありえません」
きっぱりと言われたその言葉に、私はじっと佳月を見つめた。
「……本当に?」
「俺があなたに嘘をついたことがありますか?」
「……たくさんあるよね?」
思い返してそう言えば、にこりと、誤魔化すように微笑まれる。
「これに関しては本当に嘘ではないです。信じてください。というか、そもそも俺はそういう、運命とかいう非現実的なものは好きではないので」
「……うーん、まあ、確かにそうかも」
「でしょう」
冷静に考えてみると、確かに佳月は「運命の人」なんて考えるような思考回路は持っていなさそうだった。
「もしかして、昨日からずっと気にしてたとか?」
「え、いや……」
その問いを否定しかけて、けれど閉口する。
私が昨日から散々悩んでいたのはそれではなかったはずなのだが――――けれど何故か今不思議と、「凜」と出会ったときからどうしても消えなかった、色々な不安や恐怖がなくなっているのに気が付いた。
これはつまり、「凜」の存在だけでなく、私は無意識にに佳月のことが気にかかっていたと言うことで。
突き詰めれば佳月を誰かにとられてしまうかもしれない、という子供染みた考えを自分がしていたということにたどり着いて、私は急速に恥ずかしさを感じ始めた。
「……お恥ずかしながら、結構気にしてた、みたいです。佳月と話してたら、なんか大丈夫な気がしてきたけど」
「それはよかった。俺はあなたに一途なので安心してください」
どこかからかうような佳月の笑みに、私は顔を上げられない。
それに佳月がまた楽しそうに笑い声をあげた。
ただ、何にしても昨日から今日に持ち込んだ様々な暗い感情は、りいちゃんとお弁当を食べて、こうして佳月と話したことで、うまく昇華されたたみたいだった。
少ないがちゃんと彼女と話して知ることのできた情報もあるし、佳月ともちゃんと話せた。それは私の中でも大きかったらしく、漸く地に足がついたような、安心できたような気持ちになる。うん。大丈夫だ。私は多分、ちゃんと高校生活をやっていける。
「ごめん引き止めて。早く戻ろうか」
昼休みの終わりを告げる鐘に、私はようやく顔を上げて佳月に言った。
佳月は「はい」と穏やかに笑って歩き出す。
昼休みのわずかな時間で随分疲労した気がするが、それ以上の収穫がある時間だった気がした――――
のだけれど。
「だから、もう私に構わないで!」
しかし、穏やかな昼の時間を打ち崩すような、悲壮に満ちた声が、唐突に私たちの間に降ってきた。
と同時に、1人の女の子が、私と佳月の前を走って通り過ぎる。
「待って、雛子!」
と、これまた悲壮感に満ちた声色の少年がその女の子を追いかけるように私たちの前に現れる。
穏やかな昼休みは穏やかに終わるはずだったが――――突如始まった修羅場に、私と佳月は揃って硬直した。




