「凜」と「りいちゃん」
二話連続投稿です①
「それで? その顔、一体何があったんだ?」
対面の座席に深く腰を掛けた椿くんが、どこか面倒くさそうな口ぶりでそう言った。
入学式やその他諸々のイベントが終わって放課後。
今日は椿くんが一宮の家に用事があるらしく、私と佳月は、ともに椿くんの家の車に同乗させてもらっていた。
「顔を合わせてからずっと辛気臭い顔をして、いい加減鬱陶しい」
「……はい……すみません……」
相変わらずの厳しい言葉に、普段ならばもう少し言葉を返せるが、今はとてもそういう気分ではない。ただただ恐縮する私から聞き出すのをあきらめたのか、椿くんは一つため息をついて、視線を私から隣の佳月へ移した。視線の意味を理解した佳月は、一度ちらりと私に目をやってから、「俺もよくはわからないんですが」と前置きして今日起こった出来事を話し始める。
話を聞くにつれて段々とあきれたような顔になっていく椿くんを見るのが怖くて、私は視線を横にそらした。
「全く、多少はマシになったと思ったが、お前は相変わらず対人関係のスキルに難ありだな……」
「返すお言葉もございません……」
否定もできずに乾いた笑い声を漏らせば、また一段と重たいため息を椿くんからいただく羽目になる。
いや、私も高校生になって人と関わることが前ほど苦手ではなくなったし、多少のコミュニケーション能力は身に付けていたつもりだった。
ただ、今日の出来事は例外というか。
「で、その『りいちゃん』とやらは、お前の知り合いなのか?」
今まさに思い浮かべた少女の名前を言われて、私はハッと顔を椿くんに向けた。
そう、「りいちゃん」こと、「凜」。私と同じ名前をもって、そして原作の「凜」と同じ顔を持つ少女。ただの偶然にしては色々と揃いすぎているその子を前に、結局私は何かを聞き出すこともできず、隣の席なのになんの情報も成果も得られないまま、ただこうして動揺を引きずったまま今に至ってしまっていた。
「その、別に知り合いというわけではないんだけど。ただ、知っている人ではあって。でも、本当の意味では知らない人でもあって」
「わかるように言え」
「きょ、今日初めて会った人です……!」
どっちつかずの私に椿くんがぎろりと睨みをきかせてきたので、私は背筋を伸ばして素直に答えた。
厳密には少し違うけれど嘘はついていない。
椿くんは「ふうん」と車のひじ掛けに頬杖をついて何かを思案するように目を眇める。
こういう時、佳月と椿くんに相談できたらなあ、と思う。2人は幼い頃から一緒ということもあって、いつだって私の良き相談相手だった。
困ったり、悩んだりしたことがあればいつも相談に乗ってくれる彼らだったが、さすがに今回のことは相談しようがない。
私は二人に、自分の前世の記憶についてや、原作漫画の話について話したことはなかった。そしてそれは、今後も話すつもりはない。
信じるかどうか、という点では、二人は私が真剣に話したことならきっと信じてくれるだろう。しかし、単純にそんな話を聞いて気分がいいと感じる人はいないと思うのだ。
だからこそ、彼女、「凜」について上手く説明する術を私は持たないのだが。
「ごめん。心配かけて。ただ、説得力ないんだけど、でも、本当に大したことはないんだ。ちょっと、りいちゃんが私とそっくりで、驚いた、だけ、というか」
気を取り直すように、何とか笑みを浮かべて、彼らに伝えられる範囲で説明してみる。
二人を相手に上手く誤魔化せるか不安だったが、案の定椿くんは怪訝そうな顔をした。
「俺たちに言えないことか?」
いつもは割と何でも素直に話す私が、こうも口ごもれば不審に思うのも無理はないだろう。
隣からは佳月の強い視線も感じて、私は視線を彷徨わせる。
相談したいのは山々なのだけれど、こればっかりは、相談のしようがないことなのだ。
何とも言えないまま黙っていれば、私の真意を探るように、じっとその赤い瞳で私を見据えていた椿くんが、やがてはあっと本日3度目のため息をこぼした。
「全く、嘘も誤魔化すのも下手なくせに、こういう時は絶対に口を割らないからな、お前は」
「……ごめん」
「そういうところ、頑固ですよね」
「……うん、ごめん」
隣に座る佳月からも呆れたようにそう言われてしまうと、謝るしか無くなる。
「責めてはいないがな」と、椿くんは苦笑まじりに、私の額を指で弾いた。
「まあ、今はそれでいい。そのうちちゃんと話せ」
確約はできないが、頷く。
椿くんはそれもお見通しのようだったが、諦めたように頭をかいた。
そして、ふと思い出したように「そう言えば」と首をかしげる。
「気になったんだが、そんなに似ているのか? そのりいちゃんとやらとお前は」
どうやら、先ほどの私の発言が気にかかっていたらしい。
「そっくりだよ」
「いえ、全然」
「え」
私と同時に正反対のことを言った佳月に驚いて私は隣の佳月に目をやった。
「うそ、結構似てるよね? 雰囲気は違うけど、目の色とか……」
「あはは。全然違いますよ」
にこやかな笑みを浮かべて私に返答する佳月は、どうやら本気でそう思っているらしい。
その即答ぶりに戸惑う。
結構似ていると思っていたのだけれど、私の勘違いなのだろうか。でも、環くんも似てるって言ったのに。
そこまできっぱり言われると、「結局どっちだよ」と顔を顰める椿くんにどう返答していいものかわからなくなる。
結局そのまま車が目的地に到着してしまい話はそこまでとなったが、私の中で疑問はずっと残ったままだった。
その翌日。
私はある一つの大きな決意を胸に教室にいた。
時刻は昼休みに入ったところ。新学期特有のざわめきをまとう教室の中で、私は自身が座っていた椅子から勢いよく立ち上がった。そして体ごと隣に向き直る。
目の前には、先ほどの授業の教材を机に仕舞う少女の姿があった。
「あの!」
周りのざわめきにかき消されないよう、微かに声を張って彼女を呼んだ。
「え? ……私?」
私の呼びかけに、一拍遅れて彼女が驚いたような顔でこちらに顔を向ける。
いざ彼女を前にして私は一瞬言葉につまるが、落ち着けるように一度深呼吸をして、改めて彼女を見据えた。
いける。絶対いける。予習は完璧だった。私は手の中にある「袋」をぎゅっと握りしめて、そして勢いのまま口を開く。
「い、一緒にお弁当食べませんか!!」
自分を精いっぱい奮い立たせながら私は胸に抱いたお弁当箱を突き出して、昨日から散々考えまくった誘い文句を、目の前のきょとんとしている少女、りいちゃんにぶつけるのだった。
名付けて「お弁当作戦」、とまあそこまで間抜けな作戦名をつけてはいないし、具体的な計画なんてあったものじゃないが、昨日散々考えた結果が、今のこれだった。
そう、昨日椿くんとも佳月とも別れて、一人自室にこもって私は、りいちゃんについてと今後について1人作戦会議を行っていた。
情報を整理、と言っても、整理するだけの情報も何もないのだけれど、それでも一人で考える時間が私には必要だったのである。
彼女はいったい誰なのか。原作は今どうなっているのか。主人公、そしてほかの登場人物たちの事。これから私はどうしたいのか。
もう随分と薄れかけている原作の記憶と、この世界で私が知っていることをすべて合わせて、今の現状は一体どういうことなのかを考えてみた。
主人公はいなかった。いくつか懸案事項はあるが、原作で起こった「世界滅亡」危機はほぼ完全に消えたと言っていい。
しかしそこに現れた、原作の「凜」そっくりな謎の女の子。
色々、散々、これでもかというほど、たくさん考えてみた。
これは誰にも相談しないと決めていたことだったし、決めた以上は自分でちゃんと考えてみたかったから。
そして、考えて考えて考え抜いた結果――――私は「わからない」という結論に至った。
彼女が何者かはわからない。そう、何もわからなかったのである。これっぽっちも。
だから私は――――考えることをやめることにした。
しかしそれは、ネガティブな思考放棄ではなかった。むしろ吹っ切れたという方が正しい。
考えたってどうせ大したことはないわからないのだと気づいたから。だったら、何もわからないまま嫌な想像をただ膨らませるよりもまず先に、ちゃんと彼女から直接話を聞くべきだと思ったのだ。
そして、彼女と話を聞くためのきっかけとして私が思いついたのが、この、「お弁当を一緒に食べる」という案だった。捻りも何もないが、これでも小一時間悩んで思いついたことである。
気合を入れるために自分でお弁当を作って早起きをしたためか、若干寝不足気味ではあるが、おかげでこうして逃げずにちゃんと誘うことができた。
あとは彼女の返答次第だった。
改めてりいちゃんの顔を見やる。昨日と変わらず、やはり原作の「凜」そっくりの顔だ。
ただし、今はその顔を呆気にとられたようにぽかん、と硬直させているが。
私の誘い文句を聞いた瞬間から変わらぬその表情に、最初こそ強気でどんと待ち構えていたのだが、いつまでたっても変わらないそれに、徐々に不安の影が胸に立ち込める。
……やはり、いきなりすぎただろうか?
それとも彼女にはもうすでにお弁当を食べる友達がいとか……?
自身の作戦に大いなる不安を抱き始めたところで――――けれど次の瞬間、りいちゃんが「ぶっ」と盛大に吹き出した。
「ふ、あはは! な、なにそれ、意味がわからないわ……!」
からからと、弾けるような笑い声が教室に響いた。
お腹を抱えて明るく笑う彼女に今度は私が呆気にとられる。周りのクラスメイトたちもなんだなんだと視線を向けてくるが、それどころではなかった。
今、私、何かおかしなことを言っただろうか?
笑う彼女をみながら、全力で思考を回転させてみる。
私としては、ただ普通に、女子高生らしく、スマートかつさりげなく、彼女をお弁当に誘ったつもりだったのだが。
「あの……りいちゃん?」
さすがに笑いすぎている彼女に、困惑して名前を呼べば、「ちょ、ちょっと待って……」と顔を破顔させたまま右手で制止される。
「私、何かおかしなこと言った……?」
「い、いいえ……おかしなことは何も……。
でも、だって、こっちは昨日のこともあったし、何だかやけに真剣な顔をしてるから、一体何事なのかと思って身構えてたのに……まさかそんな、お弁当のお誘いだったなんて思ってなくて……ふふ、あはは」
笑いを抑えようとして口元を抑えるが抑えきれていないりいちゃん。
え、私、そんなに真剣な顔で誘っていたのだろうか?
彼女の笑い声と言葉に、何だかだんだんと恥ずかしくなってきて私は俯いてしまう。
「そ、そんなに笑わなくても……」
「ふふ、ええ、うん。ごめんなさい……もう、収まるから」
はあ、っと大きく息を吐きだしてようやく笑いを抑えたりいちゃんは、改めて私に向き直ると、再び「ごめんなさいね」と謝った。
「まさか、誘ってもらえるなんて思っていなかったから。散々笑った後で何なんだけれど、本当に嬉しいのよ」
にっこりと、気を取り直したように、りいちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
そういう風に笑いかけられてしまうと、最早こちらも責める言葉を失う。
まさかお弁当に誘ってこんなに笑われてしまうとは思っていなかったけれど……感触としては、悪くない。嬉しいって言ってくれたし。
でも、肝心のお弁当を一緒に食べてもらえるかはわからないままだ。
「ええっと、あの、それで、一緒に食べてもいいかな……?」
不安に思いながら思い切って彼女に伺う。
私の問いに彼女は「ああ、返事がまだだったわね」ともう一度謝った。そして、今度こそ笑うことなく、どこか気取ったように居住まいを正すと、きゅっと口角を上げた可愛らしい笑顔で私に言ったのだった。
「ええ、もちろん。ご一緒させていただくわ」