暁 後編
二話連続投稿です②
結界を境にして、佳月と隣合わせで座り込む。
先ほど「凛」が死ぬ光景を見てしまったせいか、気分はあまりよくなかった。
正直このまま社に戻っても寝付けそうになかったので、佳月の申し出は純粋に嬉しい。
しかし、こんな夜更けに佳月に付き合わせてしまったのも申し訳なく思った。
「あ、そうだ」
突然、佳月が思い出したように声をあげた。
そしてゴソゴソとポケットから何かを取り出す。
俯いていた顔をあげて佳月を見ると、佳月は手のひらに何かを乗せた。
「凛さま、俺の手元をよく見ていてください」
そこに置かれたのは何かの種だった。
「……花の、種?」
「はい。今日あなたのお母さまからいただいたんです」
そう言って、佳月は左手に右手を翳す。
そして佳月が何事かをつぶやくと、ぼうっと、佳月の手の中が輝きだした。
驚いて直視していれば、次の瞬間には――――佳月の手には一輪の白い花が握られていた。
「え、え、す、すごい!」
佳月の手に現れた白い花、マーガレットの花に、思わず声を上げて拍手をすれば、佳月は照れくさそうに笑う。
「こんな風に魔法を使ったことがなかったので、ちゃんとできるか不安だったんですが、よかった」
「あなたが笑ってくれて」と、佳月は優しく笑みを浮かべる。
そしてそのまま花を、境界ギリギリの私のそばに置いてくれた。
「すごいね、物を成長させるのって、結構難しいって習ったよ?」
「対象が小さいので、そこまでではありません。きっと、あなたもできると思いますよ」
そう言われて、思わず苦笑する。
「……大丈夫かなあ。私、今もまだ椿くんに怒られてばっかりなんだけど」
「彼は今難しい年ごろなんです。許してあげてください」
「……佳月と椿くんて、同じぐらいの年だよね?」
「気概が違いますから」
他愛のない話に、ついつい笑みがこぼれる。
佳月のそばにいると安心するし、佳月と話していると、嬉しい。
先ほどまで凝り固まっていた心が、解かれていくようで、不思議だ。
「なんだか、昔を思い出します」
しばらく色々な話をしていたが、唐突に、佳月がぽつりとつぶやいた。
「昔?」
「ええ。こういう森の中をあなたと二人でいると、あなたが俺の手を引いて、森を走ったあの夜のことを思い出します」
そう言われて、私も思い出す。
佳月と初めて出会った、あの屋敷での夜。
まだ私が現実を受け入れられなくて、逃げて、自分でも答えが出ぬまま、けれど佳月を放っておくことはできなくて、ただがむしゃらに森の中を走ったのだ。
「俺の運命は、確かにあの日変わった」
運命。
思い出すようにそう言った佳月に、私は思わず言葉に詰まったが、すぐに茶化すように笑う。
「う、運命なんて大げさだよ。私、何かすごいことをしたわけじゃないし」
「でも、俺にとっては奇跡みたいなことだった」
なおも佳月は言葉をつづける。
「俺はあの夜、あなたに救われたのだから」
どこか誇らしそうにそう言われて、胸がどきりと軋む。
救われた、なんて。そんなすごいことを私は本当にしたわけじゃない。
褒めてもらっているはずなのに、何だかそれを素直に受け止められなかった。
佳月の言う私はなんだかすごい人で、別人のように思えたから。
本当の私は、自分の運命すらどうにもできなくて、ただ死ぬかもしれないと、今もこうしてびくびくと震えているだけなのに、そんな風に言ってもらって、何だか申し訳ない気がする。
「はは。俺は今、あなたに感謝の言葉を言っていたつもりなんですが、すごい顔をしてますね」
不意に、私の思考を裂くように、私の顔を覗き込むようにして、佳月は笑った。
思わぬ反応にまじまじと佳月を見れば、そんな私の表情に、佳月は殊更優しく笑う。
「大丈夫ですよ、そんな顔をしなくても。俺はちゃんと知っているつもりです。あなたは本当はすごい人なんかじゃないって」
佳月の綺麗な瞳と目があった。
その瞳は、まるで月のようなのに、けれど先ほどみた月とはまるで違う。
ただただ優しくて、そこには私を甘やかすような甘さがあった。
「……例えば、あなたは花が好きです」
「え?」
私の目をジッととらえたまま、佳月は穏やかな口調で言葉を紡ぎだす。
「一番好きな花は牡丹で、色は赤。趣味は生け花で、よく俺の部屋に飾ってくれている。あと、動物も好きですよね。しかも、小さい動物よりも大きい動物の方が好き。ただ虫は苦手で、あと雷もちょっと苦手」
「え、っと?」
突然始まった話に戸惑うが、佳月は気にせず話をつづける。
「嘘をつくのがへたくそで、嬉しいとすぐに顔に出る。いやなことがあった時もすぐに泣きそうな顔をするけれど、最近は泣かないように頑張ってる。でも、本当は時々庭の花壇の端で誰にも気づかれないように泣いてて、泣いた後は、決まって花を活けてる」
「う、うん?」
なんだかすごく恥ずかしいことを言われている気がする。
というか、私が庭の端で泣いていたの佳月気づいてたんだ。それも恥ずかしい。
顔に熱がたまっていくのを感じていれば、佳月はまた微笑んで言った。
「俺はちゃんと知っていますよ。あなたは少し臆病で、泣き虫な、けれど頑張り屋で、優しい、ただの普通の女の子だって」
私は静かに息をのむ。
「伊達に長いことあなたと交換日記を続けていません」と佳月は楽し気に笑った。
「あなたは普通の女の子で、それでも頑張って頑張って、背伸びをして、俺に手を差し伸べてくれたんだ。あなたにとって、俺に手を伸ばすのがどれだけ勇気のいることだったか、今の俺はちゃんと知ってる」
私は口をつぐむ。
そうだ。私にとって佳月を助けるって言うのは、簡単なことじゃなくて。
それだけじゃない。他の色々なことだって、私はいつだって必死で。
「大丈夫ですよ。あなたは、一度も転ばないような、そんなすごい人ではないけれど、転んだってまた立ち上がれる、強い人だ。
あなたがこれまでずっと、何かを恐れていたことを俺は知っていたけれど――――でも、大丈夫」
金色の瞳が柔らかく細められる。
思わず無意識に伸ばした手は、結界に阻まれる。
けれど佳月は私の伸ばした手に重ね合わせるように、自身の手を伸ばしてくれた。
「あなは俺の運命を変えた、普通の、俺にとって特別な、女の子だから」
「……佳月」
その優しく甘い声色に、気付けば私は彼の名を呼んでいた。
胸にこみあげてくる思いが何なのかよくわからないまま、けれどその名を呼ばずにはいられなかった。
「佳月」
名を呼べば、佳月は酷く嬉しそうに微笑んだ。
ああ、結界がなかったらよかったのに。
そうしたら今、佳月の手に触れることがかなったのに。
「佳月、私――――」
思いのまま言葉にしようとして、けれどその瞬間、ざわりと吹いた柔らかな風が、私の口を止めた。
木々が揺れる音につられて、視線を上に上げる。
「————夜明けだ」
佳月がぽつり、とつぶやいた。
夜の闇を上塗りするように、木々の隙間から白銀の光が漏れる。
徐々に赤みを増していくそれは、まるで空をもやしているようだった。
「夜明け……?」
夜の空気が掻き消えて、朝の清廉な空気が森一帯を包み始めた。
眩しさに思わず目を閉じれば、朝の暖かな光が頬に触れる。
それに触れてみて初めて、その光が朝日であることに気付いた。
「夜が……」
ただただ呆然とその光を受け止めて、私は声を震わせる。
「夜が……明けた……?」
視界に入り込む夜明けの色、微かに香る朝のにおい、朝の温度。
夜明けの訪れを告げるそれらを私は確かに感じるのに、受け止めきれない。
「……お誕生日おめでとうございます、凛さま」
隣で告げられた言葉に、ハッとして朝日から佳月へ視線を移す。
すると私の顔を見た佳月が驚いたような顔をした。
「凛さま? どうしたんですか。そんな――――」
「泣いてしまって」と聞かれて、そこでようやく私は自分が泣いていたことに気が付いた。
慌ててぬぐうが、どうにも止まらない。
「ご…ごめんね、急に泣いて。でも、悲しいとか、そういうんじゃないよ。ただ」
ただ、どうしようもなく涙があふれてとまらなかった。
それはまるであの日、佳月と桜の木を見た夜のように。
ただただこぼれて止まらない。
朝が来た。ただの朝なんかじゃない。
私の14歳の誕生日の朝。
原作の「凛」が迎えることのかなわなかった、今日という日が――――
ああ、私の運命は、今、確かにこの瞬間変わったのか。
佳月と重ね合わせていた手をぎゅうっと握りこむ。
色々な言葉が怒涛のように渦巻いて、結局何も言葉にならない。
言いたいことはたくさんあった。
わからないことも。
私が生き残ったけれど、その理由もわからないし、結局この夜、この場所へは犯人は誰もこなかったことも謎のままだ。
それでも私は生きていて、それはつまりこれで佳月が、椿くんが、世界を滅ぼさなくてよくなると言うことで。
誰かが傷ついたり、悲しんだり、そんなことが起こることは、ないんだ。
だから、色んな疑問より、それよりも何より思うのは。
「……よ、よかったあ……!」
心にあったのはただただ安堵だけだった。
よかった。ちゃんと私————守れたんだ、私が守れるものを、ちゃんと。
たくさんたくさん悩んで、傷ついて、落ち込んで、回り道もしたけれど、それでもただ私は。
今日という日を、迎えたかったんだ。
「……おめでとうございます」
突然大号泣した私は相当おかしな人だったはずなのに、佳月はそんな私にもう一度「おめでとう」と伝えてくれた。
それがさらにたまらなくて、まるで何かの箍が外れたように、生まれたばかりの赤子のように、辺り一帯が明るくなるまで、私はずっとずっと泣き続けた。
夜が終わって朝が来て。
私の新しい朝が、始まる。
その日確かに、一宮凛の運命は、変わった。
жж
黒いフードを被った青年が、夜明けの空を背景に立つ。
青年にとって朝は不愉快なものだったが、それも今日は気にならなかった。
だって今日はようやく――――「あの子」を見つけたのだから。
「さあ、迎えに来たよ」
青年はただ「あの子」を探していた。
会いたくて会いたくて、狂いそうなほどに、渇望して――――そうしてここまでたどり着いた。
時間はかかった。力も尽きた。
けれどそれでももう一度「あの子」に会うことが、青年のただ一つの望みだったから。
「大丈夫。あとは俺が何とかする―――何とかします」
青年は、目の前でうずくまる少女に手を伸ばした。
朝日を隠すように立つ青年の前には黒くて大きな影が生まれる。
その影にとらわれた少女は、ただぼんやりと青年を見上げた。
その顔を、その瞳を見て、青年の心は震える。
もう間違わない。もう失敗はしない。
必ず「あの子」を――――幸せにしなくては。
青年にとって「あの子」のいない世界になんの意味もなかった。
「あの子」が笑って生きていけない世界なんて、いらない。
そんなの、「あの子」のいない世界など――――滅びてしまえばいいのだ。
運命が変わる。
私と、あなたと、誰かの。
子ども編 完
以降は番外編も活動報告とかに載せつつ、高校生編に入りたいと思います。
またお暇な時にお読みいただけると幸いです はなこ