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始まりの夜 後編


「遅いぞ。何をしていた」



 呆然としていた私の後ろに、人が立つ気配がした。咄嗟に振り返ると、そこにはあらぬ方向に曲がった右手を左手で押さえた覆面の男。


「まさか、躊躇ったわけではあるまい」


 鋭い眼光が貫いたのは、和恵さんだった。和恵さんは穏やかな笑みを浮かべたまま、「まさか」と首を振る。


「かずえさん……。どう、して……」


妙に脱力した体は、声を発するのも億劫なほどだった。けれど、ただただ目の前の光景が信じられずに、「どうして」とだけ何度も口からこぼれる。


 状況に頭が追いついていなかった。この時間、和恵さんは家の片付けの仕事をしているはずなのに、どうしてこんなところで、そんなものを持って立っているのか。そんな、まるで私を刺すようにこちらへ短剣を向けているのか。

 和恵さんがこちらへ来るのがわかった。それに対して、反射的に手が動いた。




「ちっ! 魔力のパンクで動けねえと思っていたが……!」



 男の舌打ちが聞こえる。近づく和恵さんを私は全力で後ろに突き飛ばした。和恵さんの体が、縁側の外へ傾くのが視界の端に見える。



 もう、何が何だかわからなかった。ただ、男と和恵さんのいない方へ、私は走り出した。






 長い廊下を全速力で走る。しかし、何故か体に力が入らなくて、なかなか思うように進まない。頭の中では、先ほどの光景が何度も頭の中でリピートしていた。


「和恵さん……」


 彼女がどうしてあんなところにいたのか。そんなものは愚問であることは百も承知だった。それでも、信じたくなかったのだ。ずっと、私の傍にいた彼女が、私を殺そうとしていたなんて。


 思い出すのは昨日の様子がおかしかった和恵さんの姿。彼女は、私が継承者候補として正式に決まったことを知っていた。知った上で、今日襲ってきたということは、彼女は他の継承者候補から送られてきた刺客ということ。そして、そうであるならば、彼女は私が生まれた頃から、ずっと私を殺そうとしていたということ。


 貧血のように頭がくらくらとしてくるのがわかった。これ以上色々考えるより、早く誰かに助けを求めたほうがいいらしい。壁で体を支えながら、お手伝いさんたちのいる部屋へ足を向ける。この時間ならば、母は寝ているかもしれないが、まだお手伝いさんの誰かは起きているはずだ。事情を話して、助けてもらおう。事情を話せば、必ず守ってもらえる。助けてもらえる。だから、早く。早く、早く助けを求めなければ。




 誰に?




 頭に浮かんだ言葉に、私の足は止まった。そして至った考えに、私は愕然とした。

 ――――この屋敷にいる人の一体誰が、私の味方なのだろうか。


 再び脳裏に映し出される和恵さんの姿。この家で最も信頼の厚かった彼女が、刺客だったのだ。だとしたら、他のお手伝いさんや、家の人たちが、私の味方である保証は、ないではないか。



 そう思った瞬間、私は急に自分のいる場所が酷く恐ろしい場所に思えた。遠くにぼんやりと見えかけていたお手伝いさんのいる部屋の明かりが、男や和恵さんの持っていたあの短剣の鈍い光に見えた。


 途端に私は踵を返した。廊下の壁伝いに、必死でその場を離れる。どこに行けばいい。母の所? 母のところにだってこの家の誰かが近くにいる。行ったら母も巻き込んでしまう。逃げなければ。でも、どこに逃げたらいいのかわからない。


 もしかしたら、助けを求めた瞬間先ほどの和恵さんのように刃を向けられるかもしれない。もしかしたら、彼女たちの仲間がまだお手伝いさんの中にいて、今和恵さんたちと一緒に私を探しているかもしれない。もしかしたら、この家に住む全員が私を――――


 息をするのさえ辛くなってきた。ガタガタと、体が震えているのがわかる。


 こんな恐怖を、私は知らなかった。紙面の上に描かれていただけの「死の恐怖」が、今まさに私の目の前に迫っていた。誰が味方かわからない。誰が裏切るかわからない。誰を信じていいのか、わからない。ここにきて、私は漸く、継承者候補の持つ重みに気づく。


 ああ。私は、いつ死んでもおかしくない状況にあるのだ、と。


 体全身を脱力感が襲った。もう、歩くのも限界に近かった。


 少なくとも、原作通りに14歳までは生きられると思っていた。頑張れば、それ以上生きることだってそう難しくないと思っていた。

 けれど、そうではないのだ。「凜」である以上、私はこの先命を狙われ続ける。中身の違う「私」は、下手をしたら14歳になる以前に殺されることだってある。頑張ったところで――――「凜」は、死ぬ運命にあるのだ。そんな当たり前のことに、今気づくなんて。





「全く、手間をかけさせてくれる」


 不意に背後から、低い男の声が聞こえた。ハッとして振り返る。そこには、覆面の男が立っていた。

もう追いつかれたのか。後ろに逃げ出そうとすれば、そこにも現れる人影。


「逃がしません」


 私の退路を塞いだのは和恵さんだった。挟み込まれたのだと気づく。もう逃げ道はどこにもなかった。どうしたらいい。そう考えて、瞬間、私は思考を止めた。

 今ここで逃げおおせたとして、その後どうするのだ。どうせ、今私に逃げ出せる場所なんて、ないではないか。


 体から力が抜けていくのを感じる。私が逃げることを諦めたと気づいたのか、和恵さんはゆっくりと私のほうへ歩いてきた。黙ったまま私の目の前にたった和恵さんは、短剣を持っていないほうの手で私の左腕を掴んだ。不気味なほどに穏やかな笑顔を、私は見上げる。


「もう、逃げないのですね」


 和恵さんが、短剣を私に向けたまま言った。逃げられないようにした当事者が、一体何を言うのだろう。残酷な現実を残酷な形で突きつけてきた張本人に、私は力なく頷く。


「にげるばしょが、ありません」


 何だか自分が酷く情けないように思えて、形だけでも和恵さんのように笑ってみせようと思ったが、できなかった。恐らく情けない顔を晒している私に、和恵さんはスッと目を細める。そして、また穏やかに「そうですか」と私に笑いかけた。


「それならば、あなたに与えられた選択肢は二つですね」


 今まで幾度と聞いた優しい声色で告げられた言葉の意味を、私は理解することが出来なかった。どういう意味か問いかけようと口を開きかけるが、瞬間、心臓がどくりと波打った。彼女の穏やかな瞳が、私の姿を捉えていた。その事実が、何故か恐ろしい。この感覚は、昨日も味わったものだった。




「さっさと殺せ!」


 耐え切れないように、後ろの男が声を荒げた。あれ以上何も言う気がなかったらしい和恵さんが、声に応えるように私を狙って刃を振り上げる。よけなければ、と思っているのに、何故か和恵さんから目を離せなかった。和恵さんの姿が、昨日の和恵さんの姿と重なる。いいや、それだけじゃない。もっと深いところ。そこにある、何かの記憶にいる、誰かと重なる。私が恐ろしいのは、和恵さんではない。和恵さんと同じ瞳をしていた、誰か。


 ――――私はこの瞳を知っていると思った。


 記憶と重なるように、振り上げられた刃が振り下ろされる。全てがスローモーションのように見えた、その時。




「そこまでだ。和恵さん」



 私の目の前を誰かが遮った。





 視界を覆う、上等な着物の生地。慣れ親しんだ香りが、体を包んだ。よろよろと視線を声のほうへ向ける。



 そこには、私の父が立っていた。



「この野郎……!」


 背後の男が唸るような声を荒げた。父に近づく足音に振り返ろうとするが、振り返る余裕もなくその場に崩れ落ちる。父はそんな私を抱きとめて、冷静な声で言った。


「取り押さえろ」


 父がそう命じると、どこから来たのか真っ黒い服を着た数人の男が現れ、後ろの男を取り押さえた。和恵さんも、無抵抗のまま体を押さえつけられる。瞬間、その様を見ていた私と彼女との視線が合った。

そらすこともできない私に、和恵さんは笑う。


「申し訳ありません、凜さま」


 いつものように、穏やかに笑った和恵さんがそう言うのを最後に、私の視界は完全に父の着物で覆われた。


「連れて行け」


 父の声がしてすぐに、近くから人の気配が消えていくのがわかる。そのすぐ後に体に浮遊感を感じた。父に抱き上げられたのだ、と理解する。



「凜、もう大丈夫だよ」




 温かみのある笑顔で、父が私を見た。もう意識が途切れそうなほど体に限界が来ていたけれど、私は父の笑顔から目を離せない。



 父の笑顔が先ほどの和恵さんの笑顔と、重なった。



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