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望んでいた言葉

二話連続投稿です①






外に出て空を見上げれば、空はかすかに赤らみ始めていた。

長い夜が終わる。

私は、私の手を引き歩く父を見上げた。

父はいつもの穏やかな表情をしていて、先ほど見せた冷たさはどこにもない。


まだ、聞かなければならないことがたくさんある。

冴を思って私は唇を噛む。

こんな中途半端なままで終わりたくはなかった。







その後、どうやら私は熱を出したらしい。

らしい、というのは、私の中では父の手配した車に乗り込んでからの記憶がぷつりと途絶えており、気付いた時にはいつもの私室にいたからだ。

目覚めたのは事件の日から3日たった日のことで、いつからいたのか、そばに控えていた佳月が心配そうな顔で私を覗き込んでいた。


すぐに呼ばれた医者の診察によれば、疲労と、あと普段あまり使われていない魔力の急激な放出によるものだろうとの診断だった。

何か心当たりは、と言われて、そういえば椿くんを助けるときに魔法を使ったんだと思い出す。

急激な魔力消費に体が追いついていないだけで、数日すれば熱も下がるだろうとのことだった。


目覚めてすぐ一番気にかかったのは冴のことだった。

やってきた父に尋ねれば、「悪いようにはしない」との答えが返ってきた。冴は今回の事件で罰せられるには、あまりにも無知である。

当然継承権は剥奪されるが、一族追放とまではならないらしかった。


そのことに安堵しつつも、澪さんについてはあまり詳しい話は聞けないでいた。

話したくないのか、話せないのか。

澪さんの処遇だけではない、今だ澪さんと父との関係ははっきりしていないままだった。

だからこそ、父ととにかく腰を落ち着けて話をする必要がある。

父が話したくないと言えど、私たちには約束があった。


しかし、物理的な理由でこれがなかなか難しいことだった。父は一宮の上層部への対応など、今回の件での後処理に追われていたらしい。

時々見舞いにやってくるが、そんなに長い時間はいられないらしく、大した話もできぬままだった。



私が熱にうなされている間に、事態は着々と収められていく。

椿くんは、先日仁さんと如月の家に戻ったらしかった。あちらもあちらで片づけねばならないことが多いらしいが、また数日経てば見舞いに訪れるらしい、と佳月から聞いた。

去り際に、椿くんは私へ短い手紙を残していった。


『約束は違えない』


小さな紙に、彼らしい丁寧な文字で綴られたそれは、私を奮い立たせるには十分だった。

事件はまだ終わっていない。

私はまだ、知らなければ、話さなければならないことがあるのだと。



静かな夜だった。

ここ数日寝る以外のことをさせてもらえなかった私は、中々寝付けないでいた。

障子の向こうも薄暗い。今は夜中だろうか。

私は布団からもぞもぞと起き上がる。

寝っぱなしだったためか若干体は重いけれど、熱はもうずいぶん下がったようだった。



少し乱れた夜着を整えて、私はそっと障子戸を開けた。

障子の外には、あんなことがあったからか、普段は取り払われている建具が外と中とを隔てていいる。

そのため廊下は薄暗かったが、目が慣れているせいかそれほど歩くのに不自由はしなさそうだった。


転ばないように慎重に足を進めていれば、ふと足の辺りに冷気がまとわりつくような感じがする。

何だろう、と冷気をたどるように廊下の奥へ目を凝らすと、外を覆う建具がわずかに開かれているところがあった。

そこに、誰かが腰を下ろしているのが見える。



「……お父様」



会える予感がしていた、とまでは言わないが、会いたいと思っていたその人だった。

私は自分の胸元の合わせをぎゅうっと握りこむ。

開かれた建具の隙間から足を出すように縁側に腰を掛けていた父は、ゆっくりとした動作で私を振り返った。



「やあ。夜歩きとはあまり感心しないな、凛」


浮かべられた笑みは、いつもの優しい笑顔と一緒だった。




立ち尽くす私に、父は隣に座るようにと手招きをする。

私は父に勧められるまま父の隣に腰を下ろした。

肩が触れ合うぐらいの近さに父がいるけれど、以前のような恐怖はまるで感じない。


「……具合はどうだい?」


隣に座った私へ、父は静かな声で尋ねた。


「倒れたときはびっくりしたが、無事で本当によかった」


確認するように手を伸ばした父は、手の甲で額に触れる。

父の体温は低くて、それがとても心地よい。


「ああ、もう随分よくなったようだね」


さらりと前髪を梳くように頭を撫でられる。

こうして顔をちゃんと見ながら話すのは久しぶりな気がした。


静かな目で私を見下ろす父を私はそっと見返す。


「お父様は、ここで何を?」


父は私の問いに口を閉ざすと、視線を外へ向けた。

それに倣って私も視線を外の庭へと向けると、ちょうど月明かりが庭の花々を照らしている様子が見える。


「少し、考え事をしていたんだ」

「考え事?」

「ああ、これまでのこととか……お前のこととかね」


そう言ったきり押し黙る父は、言葉の通り考えに耽るようにぼんやりと外の景色を眺める。

沈黙が続いた。

けれどそれは嫌な沈黙ではなく、場の空気はひどく穏やかで、あんなに忌避していた父といるのに不思議な気持ちだった。

それには私の気持ちの変化が原因にあるのだろうけれど、きっとそれだけではない。

何が変わった、とははっきり言えないけれど、今ここにいる父はいつもの父とは少し違っているような気がした。


『約束は違えない』


椿くんからもらった手紙を思い出す。

今なら、聞ける気がした。


「聞いてもいいですか?」


父が答えるように私へと視線を移して、かすかに首をかしげる。

私は一呼吸おいて、父を見据え言った。


「お父様と澪さんは――――どういう関係だったんですか?」


ずっと、聞きたいことだった。

今回の事件や、これまでの出来事の根本に巣くっている謎。

あの原作では、父が私を殺す原因となるのは、澪さんの存在だった。

あの夜の、父の冷たい横顔が脳裏に浮かぶ。原作で描かれていたような関係ではないみたいだったが、それでも、彼らは「他人」ではなかった。


私の問いかけに、父は目を細める。

父にしては珍しく、そこには迷いの色が浮かんでいるような気がした。


「……約束をしたんだったね。お前にちゃんと話すと」


父は口元を緩めるが、迷いの色は消えていない。

「言いたくないことですか」と尋ねれば、父はしばし逡巡したのち、「いいや」と首を横に振った。


「ちゃんと話すつもりでいたよ。約束だから。ただ、今までは全く話すつもりのないことだったから……私の中ではもう過去でしかなかったから」



少し考えるように目を伏せた父を黙って見つめていれば、父はやがて目を開いて、いつもの穏やかな笑みを顔に浮かべた。

そして、「そうだな」と、まるで思い出話をするような口ぶりで言葉を紡ぎ始める。


「どこから話せばいいか……そう、彼女は――――澪さんは、かつて、檻人の継承者候補一位の人間だった」


「澪さん」と父はどこか親し気に、懐かしさを込めて彼女をそう呼んだ。





一宮澪は、生まれながらに才能に溢れる「選ばれし子ども」だった。

それは決して誇張した表現ではなく、彼女の容姿は人を惹きつけ、勉学や運動も彼女の右に出る者はいなかったし、魔力も多く、彼女が継承者候補としてなを連ねられるのは必然のことだったという。


「私と澪さんは年も近く、家同士の交流も多かったから、自然と話す機会も多くなった」


「友人だった、と思う」と言葉を濁したのはそう言うにはあまりにも今の関係が変化してしまったためだろうか。

父は話を続けた。


「彼女は檻人になると信じて疑っていなかったし、周りも、私ですら彼女が次の檻人になるだろうと思っていた。それだけ彼女は優秀だったし、彼女はそれに見合うだけの努力もしていたから」


彼女の頑張りを父は知っていた。

父の両親は、当然父に檻人になってもらいたかったようだが、父自身はそこまで執着はなかったという。

なりたいものがなればいいし、彼女は檻人にふさわしいとも思っていた。


「だが継承の日、澪さんを龍は受け付けなかった」


私はその言葉に目を見開く。


「拒絶反応……」


「ああ」と父は重くうなずいた。

原作にもあったそれを、私は知っていた。

時々、ごくごく稀に龍の力を体質的に受け付けない人間がいる、というのをこの世界の書物でも、原作でも読んだことがある。

そういう人は、たとえどれだけ能力に秀でていようとも、檻人として力を継承した瞬間、生気を吸い取られ体が弱っていき、数年で命を落とすという。


「継承の日、彼女には拒絶反応が出た。

当然、すぐに継承の儀は中断され、もしもの時のために控えていた継承者候補二位の私が檻人を継ぐことになった」


龍を受け入れることができなかった彼女は当然、檻人になる権利も当主となる資格も失った。

そんな彼女を周りの人間は腫物に触るように扱い、彼女へ大きく期待をかけていた彼女の両親の対応は、手のひらを返したように冷たくなっていった。


「当時の彼女の憔悴しきった様子は、今でも覚えているよ。

私は彼女を友人だと思っていたし、見ていられなかった」


だから、と父はそう言って一瞬口を閉ざした。

伺うように父を見れば、父は何も言わずに笑って見せる。

それは父らしくなく何か後悔しているようにも見えて、言わずともその状況的に父が彼女を献身的に支えたのだろうということはわかった。


「きっとそれがいけなかったんだろうな。

私は彼女を友人として助けたかったが、彼女はそう取ってはくれなかった。

それも無理はないんだろうけれど。あの時、彼女のすがれるものは私しかなかったんだ。

気付いた時には彼女が私へ向けるものは、『依存』という異質なものに変わっていたよ」


父だけが心の支えとなった澪さんは、日に日に父へと依存を強めた。

かつての才にあふれた女の姿はそこにはなく、ただ自らを受け入れ守ってくれる存在へ執着する姿はとても見ていられるものではかった。


「彼女は私を求めたけれど、私は彼女を受け入れることはできなかった。

私にとって彼女は友人でしかなかったから。当時の私にはもう好きな人がいたしね」


「じゃあお父様は……澪さんを振ったの?」

「そうだね、いいように言えばそういう感じかな。でも正しくは……」


父は穏やかに述べた。


「見捨てたんだよ。これ以上澪さんとともにあってもどうにもならないだろうと思ったんだ」


見捨てた。

そう言い切った父の顔は平然としていて、どこか冷めているようにも見える。

先ほど親し気な色をにじませて呼んだ彼女の名は、今はもう温度を失っていた。

この間も見た顔だ、と思って、どきりとする。

父はきっと、線引きがしっかりしている人なのだと思う。自分の側にいるものに父は優しいけれど、それから一歩でも外れれば、冷徹なほど、平気で人を突き放す。


押し黙った私には触れず、父は話を進めた。


「彼女は私の拒絶を切片に、壊れてしまった」


父の拒絶に、澪さんは絶望した。

彼女にとって、父がすべてで、父しかいなかった。

その存在に拒絶されたことは、彼女にとって絶望に他ならなかった。


「彼女の取り乱しようを見て、私は自身の選択の誤りに気付いたよ。

けれど気付いたところで後の祭りだ。彼女は私をあきらめるどころか、より私への執着を強くした。

彼女が異様なまでに檻人にも強く固執し始めたのもそのころだったかな。檻人にさえなれば、すべてがうまくいくとでも思ったのかもしれない。

彼女がいつ冴を身ごもったのか知らないが……恐らくは、冴の存在も、自分が無理ならせめて息子をとも思っての行動だったんだろう」


どこか言いにくそうに父はそう告げる。


「結婚してからは、とにかく徹底的に避けるようにしていた。何をするかわからなかったから。

お前が生まれてからは特に気をつけていた」


「まあ結局、お前に怖い思いをさせてしまったわけだけど」と、髪をかきあげて自嘲するように父は言った。


「……お父様は、澪さんをどう思っているの?」


私は慎重に言葉を選んでそうたずねる。

原作では、父の澪さんへの思いは、「何らかの理由で澪さんに負い目を持っていた」という描かれ方をしていた。

そしてそれが理由で––––父が凛を殺したのだと。

私の問いに、父は少し考えるように目を閉じたあと、口を開いた。


「かつては友だったし、離れてからも、彼女が変わるきっかけが何かあればいいとは思っていたよ」


「だが」と言葉を続ける。



「だが、それもあの夜にすべて終わった。私の彼女への思いは、彼女が私の娘に手を出した時点で大きく変わったんだよ」


父は胡座をかいた膝の上に頬杖をついて、嘲るように笑う。


「薄情かもしれない。だが当然だろう。

娘に手を出されて許せるわけがない。

私は、大切なものを傷つけられて、相手を許すつもりも、手段を選ぶつもりもないよ」


そう吐き捨てるように言った父の瞳は、あの時澪さんへ向けていたものと同じそれだった。

本当に、今日の父はいつもと雰囲気が違う。

珍しく感情的、というか。


「もしあの日、お前に何かあったとしたら、ふふ。自分でも何をしていたかわからないな」


そこで私はようやく、父は酷く憤っているのだとわかった。

あまり感情を表に出す人じゃないし、大抵いつも笑っているから気づかなかったけれど、これは間違いなく怒っている。

怒る父の姿は新鮮で、普段ならビビっていただろうが、今はそこまで怖いとは思わなかった。

だって父の怒りは、私を心配する気持ちから生まれたものだとわかったから。


父は澪さんに対して、負い目や、それに追随するような感情は抱いていない。

それが意味することはつまり。


私は自然体が強張るのを感じた。

澪さんに対して、負い目がない。ならば私は、父から聞きたい言葉があった。

けれど上手く言語化できずにいれば、私の視線に気づいたのか、父と視線が交錯した。

何かを探るように瞳を覗き込まれるが、じっと見つめ返せば、父はふっと笑う。


その笑みで、自然と体から力ぬけた。

鼓動はどっどっとせわしないが、嫌なものじゃない。


私はその場で勢いよく立ち上がった。

月を背に、父に向き合い、そのお揃いの青い瞳を逃がさぬように見つめて、そして。




「————お父様は、私を殺しますか?」


震えるかもしれない、と思ったけれど、言葉は意外に力強く空気を揺らした。

それがさらに私の心を支える。


けじめだった。

脳裏にこびりついたそれは、どれだけ父の優しさに気付こうとも中々拭われることはない。

だって、原作ではそれが真実だったから。

だから、信じたいから、信じるために、ずるいかもしれないけれど、父の言葉でハッキリ聞きたかった。


父は私の素っ頓狂な質問を怪訝に思うことなく、柔らかな表情のまま受け止めた。

わずかな沈黙に心臓の鼓動は早まるが、頭は冷静だった。

そして沈黙ののち、父は静かに、けれどはっきりとした口調で言った。




「いいや。殺さない。殺すわけがない。お前は私の愛おしい娘なのだから」



その瞬間、長く心を巣くっていた重たい何かがすうっと晴れていくのが分かった。

微笑む父に恐ろしさはまるでなく、ただただ優しいお父さんが、そこにいるのだと、理解した。




ずっと望んで、怯えて、耳を塞いで、それでもなお切望したその言葉は、想像していたよりも簡単に、優しく、私へ与えられた





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