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信頼の在処 前編

二話連続投稿です①

椿視点。


俺はあいつが嫌いだった。


あいつと初めて会った日のことは覚えている。

入学式の朝、母親に手を引かれた彼女は、ひどく所在なさげな様子でそこにいた。

青ざめた顔、震えた声。

あの日。怯えたような彼女の青い瞳と目が合ったあの日から、ずっとあいつが嫌いだった。




俺をかばった彼女が男の手により気絶させられ、連れていかれる。

その様子を前に、俺にできることは何もなかった。

ただただ、彼女をにらみ、こぶしを握ることしか。


わかっている。わかっているつもりだった。

あいつが俺のためにこんなことをしたのだということも。

あの人数を相手に、俺にできるのは何もないのだということも。

このまま彼女を犠牲にして生き残ることが、檻人として正しい判断なのだということも。

それでも、この行き場のない怒りを俺はどうすればいい。


怒りを抑えるように息を吐きだして、彼女を抱えた男と数人がここから離れていくのを確認する。

気配が完全になくなったところで、俺を外へ連れ出すためか残された男二人が動き出す前に、目くらましのための魔法を使った。

ここで奴らに捕まるわけにはいかない。

やはりまだ完全に魔力が回復していないのか、瞬間少しふらつくが、それを堪えて男たちから逃げ出す。

先ほどの人数を相手に逃げるのは不可能だったろうが、二人程度なら十分に撒ける自信があった。


檻人を相手に二人しか残さないとは、子どもだと思って油断したのかなめられているのか――――と考え、自嘲する。

今はそんなのどうでもいいことだ。

重たい体を引きずるように走りながら、連れて行かれた彼女を思い出す。

彼女は屋敷の本宅、彼女を誘拐した首謀者のもとに連れていかれたのだろうと推測された。

あの場で彼女を殺すのではなく気絶させたことを見ても、やはりどういうわけかやつらは彼女をすぐには殺すつもりはないらしい。

一体何の目的があるのかは知らないが、とにかく早く、彼女のもとへ行かなければ。

連れていかれる間際、俺をかばった彼女の後姿を思い出した俺はグッと唇をかむ。


震えた足。震えた声。小さな背中。なのにそれらは俺の前に立ちふさがった。

――――俺を、守るために。


思い出すだけでも腸が煮えくり返りそうだった。

ああ、なんて腹立たしい。

早く彼女を見つけ出し、何か言ってやらないと気が済まない。

弱いくせに俺をかばった彼女を、どうしたって許せそうにないのだから。









「――――あれ? どうしたの?」


目の前の少年は、数十分前に会った時と変わらず、無垢な瞳でこちらを見上げた。


「戻ってきてくれたの? あ、もしかして、また僕と遊んでくれるの?」


少年は立ち上がると、にこにこ笑いながらこちらへ駆け寄ってくる。

彼のいる部屋の前に立ったまま、俺は笑顔の少年――――冴を見つめた。


「お前だな。やつらをここに呼んだのは」


口に出した言葉に、冴はぴたりと動きを止める。

そしてそのまま何も知らないような顔をして、小さく首をかしげた。


屋敷に連れていかれたであろう彼女を助けるためには、屋敷の場所を知る必要があった。

現在地すらよくわかっていない今の状況下で、屋敷の場所を見つけるのは難しい。

だからこそ、こいつの力が必要だった。

俺の問いかけに「何の話?と冴は恍けたように笑う。

それには返答せずに、俺はそのまま言葉をつづけた。


「あれほどの大人数が用意周到に俺たちを取り囲むなんて状況、俺たちがどこにいるかを正確に把握していなければ不可能だ」


冴の表情を確認するようにゆっくりとそう告げれば、冴は笑みを浮かべたままほんの少しだけ目を細めた。

俺は確信を込めて冴に告げる。


「お前は、あいつが継承者候補だと知っていたな?」


そのまま少年の顔をじっと見つめていると、少年はぴたりと笑うのをやめて不意に無表情になった。


「なんだ。気付いていたのか」


その変容に目を細める。

冴はつまらなそうな表情を顔に浮かべると、俺から視線をそらして近くの障子にもたれかかった。


「うん。顔、見たことあったんだ。母様が昔、写真で見せてくれたから。すぐにわかったよ」


「でも、」とさらに言葉をつづける。


「でも僕は、継承者候補とか、そういうのはよく知らない。本当だよ。母様は何も言わないから。

ただ知ってたのは、あの子が母様の嫌いな人だってことだけ」


「騙しちゃってごめんね?」と再び取り繕うように無垢な笑みを浮かべた冴は、そういって再び俺をまっすぐに見上げた。


「凛ちゃんと遊ぶのとっても楽しかったよ。でも、僕にとって母様がすべてだから」

「……お前は何故母親が凛を狙っているのか知っているのか」

「ううん。だって、知る必要、ないもの。母様が僕に言わないってことは、そういうことだもの。僕は母様を信じてる」


迷うことなくそう告げた冴に、一つため息をつく。

あいつは一体何をもってしてコイツを信じるに値する人間だと判断したのか。

もういいと一言だけ声をもらして、続けて言った。


「今はもうお前の事情はどうでもいい。だが、こちらの要件は聞いてもらう」

「……要件?」


きょとり、と冴が目を瞬く。


「そうだ。お前、昔はここではなく屋敷にいたと言ったな」

「そうだけど……」

「案内しろ」


「え」と俺の言葉に冴はほんの少し驚いたように目を見張った。


「待ってよ。どうして僕がそんなことしなくちゃ――――」


冴が言葉を言い終わるのを待たず、俺は冴の胸倉をつかみ壁に押し付けた。


「————このままだとあいつはお前の母親に殺される」


俺が言った言葉に、冴の瞳が微かに揺れる。


「なあ。お前はあいつがどうしてお前の母親に殺されなければならないのか、それすら知らないんだろう」


彼の琥珀色の瞳をじっと睨みつけながらそう告げれば、冴はほんの少し俺から視線をそらした。


「……だから何なの?」

「あの間抜けで無害そうな能天気馬鹿を、お前の大好きな母親が殺そうとしている。そこにお前は、何の疑問も抱かないのか。ただ母親が嫌いだからだと、それでお前は納得できるのか」


目をそらしたままの冴にまくし立てるようにそう言えば、冴は「でも」と小さく声を漏らす。


「でも、僕は母様を信じているから」


俺はそれを鼻で笑った。


「お前はそればかりだな」


そう言うと、冴は眉間にしわを寄せてこちらを見る。

俺は気にせず言った。


「お前はさっきあいつに、母親を知りたいのだと言っていたな。それは本当にそうなのか?

お前はこの部屋の封印を自力で解けていた。なのに自らここを出ていかなかったのは何故だ? 母親に会いに行かなかったのは何故だ?」


「それは、母様を信じていたからで」


「本当にそうか? 俺にはお前の『信じる』が免罪符のように聞こえる。

相手を信じているからと言って、何も知らなくていいわけじゃないだろう。

何も知らないまま盲目的に信じることは、思考放棄と一緒だ」


冴の瞳に動揺の色が濃くなる。


信じることは、思考を放棄すること。

だから相手を信じてはならない。疑って、常に相手は敵か考え続けること。それが俺がこれまで生きてきた中で学んだことだった。

そうしなければ生きていけない環境だった。

裏切られてからでは遅い。常に疑ってかかって。

それがたとえ、父や、母であっても。


――――大切な人だから、大切な人だからこそ、疑うのは、だめなんだよ


あいつはそう言ったが、やはり俺には納得できそうにない。

だって、違うのだ。

アイツが生きてきた世界と、俺が生きてきた世界は、違う。


思考を断ち切るように一瞬目を閉じて、そしてもう一度冴を見据えて俺は言った。



「お前が本当に母親を知りたいというなら、信じているというのなら、その目で確認しろ。

どうして今、あいつが殺されなければならないのか」


胸倉をつかんでいた手を除けてやれば、冴はその場にずるずると座り込む。


「お前にはその責任があるんじゃないのか」


最後にそう告げると、冴は、何かを堪えるようにうつ向いたまま、小さくうなずいた。






白い装束が暗い夜道にひらりと揺らめく。


冴はやはり屋敷までの道を覚えていたようだった。

迷いなく進む彼の姿に、屋敷から連れ出されて以来、ずっとあの建物に監禁されていたと言っていたが、もしかしたらそのあとも何度かは屋敷に通ったことがあったのかもしれない、と考える。

だがそれでも長い間閉じ込められていたことには間違いがないようで、数十分歩いたぐらいで彼の息はだんだんと荒くなってきた。

運動していないのだから仕方ないだろうが、それでも今は休ませる時間もない。

「大丈夫か」ととりあえず声をかけてやれば、冴はすぐに「平気」と言葉を返した。


「ねえ、ずっと、聞きたかったん、だけどさ」


喋らなければいいものを、乱れた呼吸のまま冴は不意に思い出したように言葉を発した。

視線で続きを促すと、冴は荒い呼吸を抑えるようにして俺に問いかけた。


「君は、凛ちゃんのことが好きなの?」


予想外の質問に、一瞬足が止まる。

冴を見れば、俺に習って足を止めて首をかしげてこちらを見ていた。

知らず眉間にしわが寄るのがわかる。


「ふざけるな。むしろ嫌いだ」


そう吐き捨ててまた歩き出すと、冴は納得のいかないような顔をした。


「じゃあどうして助けに行くの?」

「……弱いくせに俺をかばったのが不愉快だったからだ。あって文句でも言わないと気が済まないだろう」


俺を追いかけるように歩きながら「変なの」と呟く冴は無視して、俺は前に歩みをすすめる。


あんな奴に守られるなんて、まっぴらごめんだった。

あんな弱いやつに守られたままでいるなんて、プライドが許しそうになかった。


だから助けに行く。

それ以外に理由はないのだ。





雑木林を数十分ほど歩くと、ほんの数メートル先にこれまでとは違い舗装されている道が見えてきた。

あの道なりにいった先に屋敷があると告げる冴にうなずき、まさか正々堂々と正面から入るわけにもいかないので、迂回して屋敷の裏手に回る。

迂回しながら屋敷の外装を調べつつ、屋敷の裏手の茂みに入り込んで辺りを伺った。

見た感じではそれほど警備の人間がいるわけではないようだ。

これならうまくすれば忍び込めるだろう。


「あそこが本宅。母様がいるならきっとあそこだよ」

「そうか」


助かった、と礼を言えば、冴は複雑そうな顔をしてうつむいた。

中々強引に連れ出した自覚はあった。未だ自分の中で、母親に関してどうするのか決めかねているのだろう。

さっきは自分の目で確かめろとこいつに言ったが、こちらとしては正直屋敷の場所さえわかればもうこいつに協力してもらう必要はなかった。

息も荒く、体力的にも気持ち的にももうこれ以上着いてくるのは難しいだろう。

だから、そのまま彼をおいて茂みから抜け出そうとする。

だが、その前に服の裾を掴まれ引き留められた。



「なんだ」と声をかけると、冴はうつ向いたまま言葉を発する。


「ねえ。母様は凛ちゃんを……」


何かを言いかけたが、けれどすぐに言葉を止めた。

一息おいて、屋敷の方を何か遠くを見るような目で見つめる。


「僕は、どうしたらいいんだろう」


ポツリ、と小さく溢れた言葉はひどく頼りなげだった。

黙って見つめていれば、冴はそのまま言葉を続ける。



「……あのね、母様はよく悲しむ人だった。僕はそれが嫌で、僕のせいで泣いているのだと思って、どうにか元気になってほしくて。でも、ある時気が付いた。母様はいつだって自分のために泣いているんだって」


俺の服の袖を掴んだ手がぎゅっと握り込まれる。


「それでも……わかってはいたけど、でも僕は母様を信じたかったんだ。だから、僕が母様を知りたいって気持ちに嘘はなかったよ。でも、知りたいと思ってたのに、僕はずっとあの部屋から出ようとしなかった。

あの部屋を出るのが怖かった」


何か途方にくれたような顔をした冴は、視線を屋敷から俺に移した。


「ねえ。どうしてかな。母様を信じているのに、どうして知るのが怖いんだろう」


そう問いかける冴に俺が与えられる答えはなかった。

その答えを俺は持ち合わせていない。

それ(・・)は、俺がすでに嫌になって、諦めてしまったものだったから。


俺は冴から目をそらして緩く首を横に振った。


「さあな。俺はお前みたいに人を信じていないからわからない。それに、相手を知ろうとしたところで、それが真実とも限らない。人は嘘をつく生き物だしな。

だからこそ俺は、常に相手を疑うのが賢い生き方だと思っている」


俺の返答にうつ向いた冴に「だが」とさらに言葉をつづける。


「だが、あいつは、お前を信じていたよ」


冴がのろのろと顔を上げた。


「騙されているかもしれない、いや、実際に騙されていたのに、あいつはお前を信じることを選んだ。

あいつがお前を信じた理由を俺は知らないし、きっと知っても理解できないが、きっとそれが、今お前が求めている問いの答えなんじゃないのか」


そう告げれば、冴は何かを堪えるようにグッと唇をかんだ。

俺はそれと、強く握りこまれた自身の袖をちらりと見降ろして、軽くため息をつく。


「ついて来たいなら来い。俺は屋敷に入る」


少し強引に冴の手を振りほどいて俺は屋敷へと近づく。

冴は少し迷うような気配を見せたが、意を決したかのように俺の後に続いた。




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