奮い立つ心
再び三話連続の投稿になります。
外に出ると、やはりもう雨は上がっていた。
しかし以前として雲は空を覆っており、どんよりとした空気を醸し出している。
鼻につく雨の後特有のにおいがなんだか気持ち悪かった。
椿くんは、玄関を少し出たところで待っていた。
「遅い」
私を見ると、開口一番椿くんはそう言った。
そのまま私が追いつくのを待たずすたすた歩きだして行く。
「ご、ごめんね。冴と話し込んじゃって……」
慌てて小走りで彼を追いかけて、スタスタ歩き続ける彼の顔を覗き込めば、彼はなんだか憮然とした顔をしていた。
何かに怒っているようなそんな表情に、条件反射で身構える。
「な、なあに?」
聞くかどうか迷ったが、恐る恐る尋ねてみると、椿くんはちらりとだけ私に視線をよこした。
けれどすぐに視線を前に戻し、ため息交じりに言う。
「お前、わかっているのか」
言われて、頭上にはてなが浮かんだ。
わかっているって、何が?
言われたことが理解できないでいるのに気付いたのか、椿くんはもう一度大きなため息をついた。
「あいつは、お前が誘拐される原因になった人間だぞ」
そう言われて、そこでようやく「そういうことか」と納得した。
要は、椿くんは私が警戒心なく冴とかかわりすぎだといいたいのだ。
「それは、確かに突き詰めたら元凶は冴なのかもしれないけど、でも、冴自身には私に対する敵意はなかったよ?」
「だから、大丈夫だと?」
「う、うん。きっと冴は、継承のこととか、檻人のこととか、知らないんだよ。
だから、私に対しても敵意を持たなかった。心配する必要も、ないんじゃないかな」
そこまで言うと、不意に椿くんが立ち止まった。
合わせて私も立ち止まれば、椿くんは体ごとこちらに向けて私を見据える。
椿くんは鋭い色を瞳に宿しながら言った。
「お前は、妙だとは思わなかったのか」
「え?」
「あいつは俺たちについて何も聞かなかった。
追われているといっても、何に追われているか関心を持たなかった」
「妙じゃないか」と言われて、私は先ほどまで会っていた冴のことを思い出す。
確かに、冴は明らかに不審者である私たち二人に対して特に警戒心を抱かなかった。
人を呼ぶこともなく、それどころか、招き入れて雨宿りもさせてくれた。
確かに普通だったらおかしいとは思うけれど、でもそれは。
「それは……冴が世間知らずで、私たちのことを不審者だとも思わなかったからじゃないの?」
少しひっかかりを覚えながらもそう答えると、椿くんは私の感じた違和感を見透かすようにスッと目を細める。
「本当にそう思うのか」と問いかけてくる瞳に目をそらしてしまいそうになるがグッと堪えた。
冴を疑うような真似をしたくなかった。
けれど椿くんはまた追い込むように言った
「アイツはずっとあそこに一人でいたと言った。部屋に誰かが来るのは一日に二回。あの言い方だと、たいていいつも同じ人間が来ていたんじゃないか。なのに、今日は見たこともない人間が二人も来た。あいつが世間知らずだから俺たちを怪しまなかったのだとしても、少しぐらい聞いてきてもいいんじゃないか。俺たちは一体誰なのだと」
「ま、待って。待ってよ椿くん。その言い方じゃまるで」
畳みかけるように言葉を連ねる椿くんを慌てて止める。
椿くんは私の静止に、抵抗なく閉口した。
私は椿くんを伺うように見る。
「椿くんは……冴を、疑っているの?」
椿くんは私の問いに、迷いなく肯定をしめした。
私は驚いて目を見張った。
「ど、どうして? だって、冴は私たちを助けてくれたんだよ? 雨宿りさせてくれて、人も呼ばないでいてくれた」
「そうかもな。本当に善意だったのかもしれない。事実俺たちはあそこで雨宿りできていなければ体力的にも危なかっただろう」
「だ、だったら」
「だが、善意かどうかなんて本人にしかわからないことだ。まして、会ってすぐの俺たちにわかるわけもない。なら、疑ってしかるべきだ」
その言葉に私は硬直する。
彼の言い方では、人はまず疑うことから始めるのが当然であるかのようだ。
いや、確かに私たちの身分上は人をまず疑ってかかるというのは、正しい判断なのだろう。
けれど、冴みたいな、自分に親切にしてくれた人にさえ、疑いの目を向けなければならないのか。
椿くんは私をじっと見据えて言った。
「お前も檻人になるのならよく聞け。
人は疑え。信じるな。例えそれが、お前にとって大切な相手でもだ」
大切な相手、という言葉に私はぎゅっと手のひらを握りしめる。
「裏切らない人間なんていない。お前だって継承者候補なんだ、経験があるんじゃないのか。大事な人に裏切られたことが」
そう言われて、思い出すものは確かにあった。
あの、すべての始まりの「夜」のこと。
今でも思い出すだけで胸が締め付けられるように痛む。
怖くて逃げだしたくなる。
そうだ。私にとってその人がどれだけ大切であっても、裏切られることはあるのだと、私は知っていた。
あの、一番信頼していたあの人に殺されかけた夜の時のように。
あの――――父が娘を殺した、原作のように。
「でも」
思い出したことと、椿くんの威圧感に息苦しさを感じたが、それでも不思議と言葉は出てきた。
「でも、でも、本当のことは、本人にしか、わからないんでしょう」
確かにあの夜彼女は私を殺そうとした。
けれど、彼女がそれまで私と過ごしてきた日々をどんな思いで過ごしていたのかとか、私を殺そうとしたときどんな気持ちだったのかとか、私は知らない。
――――選択肢は2つですね。
そう、優しく告げたあの人の気持ちもわからない。
父の、本当の気持ちだってわからない。
父が私に優しくしてくれたときの気持ちも――――あの女の人と隠れて会っていた時の気持ちも。
「わ、わからないなら……わからないまま、疑うのは、きっとだめなんだよ。
だって、一回疑ってしまったら、怖くなって、もう、その人のことを知ろうなんて思えなくなっちゃうから。ずるずる後回しにして、きっともう、向き合えなくて、信じられなくなってしまうから」
私はぎゅっと拳を握りしめる。
「大切な人だから、大切な人だからこそ、疑うのは、だめなんだよ」
「――――ならお前は、その大切な人を信じて、裏切られたとして、耐えられるのか?」
それはとても冷めた声色だった。
必死になって言葉を紡いだためか強く握りしめていた拳から力がゆるゆると抜ける。
改めて見た椿くんの表情は――――凍り付きそうなほどに、冷たかった。
そうだ、とそこでぼんやりと原作の記憶がよみがえる。
彼が人を信じられなくなってしまった理由。
椿の母が、椿の意志も、一族の同意もなく、独断で椿に檻人の力を継承したあの日から、彼の中のすべては変わった。
一族からの妬みや憎しみを一身に受けて、彼は彼の母親を恨まずにはいられなかったのだ。そして、それを止めなかった父のことも。
二人が二人のためだけに、椿を檻人にしたことを。
でも違う。それは違うのだ。
君のお母さんは裏切ってなんかいない――――そう言いかけて、けれどそれは言葉にならなかった。
だって、それを今の私が言って何になるのだ。
私が知っているのは、原作の椿くんの母親。
原作を知っていたって、本当のことなのかわからない。
それを証明するだけの力がないのだから。
私はただ原作を知っているだけで、彼の家族への不信感を払しょくできるだけの力なんて、これっぽっちもないのだ。
転生して、原作を知っているからって、私にできることはなんて少ないんだろう。
それどころか、原作が私の動きを制限するようだ。
言葉が見つからないまま呆然と椿くんを見ていると、不意に椿くんの表情が険しくなった。
「……椿くん?」
その表情に声をかければ、「静かにしろ」と合図される。
辺りを見渡すように視線を走らせた椿くんは、次の瞬間、何かに気が付いたように焦ったように叫んだ。
「……にげろ! ここはだめだ!」
「気づくのが遅かったな。もう無理だ」
彼の叫び声と同時に、後ろから人の声がした。
え、と思う間もなく、勢いよく椿くんに手を引かれる。
彼に背中にかばわれたのだと気づいたところで、ようやく目の前にいる男の存在に気付いた。
「あ、あなたは……」
目の前にいたのは、あの夜、私を気絶させたあの男だった。
「ど、どうして……」
恐怖で体が凍り付く。
どうしてここに彼がいる、まさか、もう気付かれたのか。
椿くんが悔しそうに顔をゆがめた。
「人の気配はしなかったのに……くそっ」
「何も悔しがることはない。お前たちは子どもながらによくやった。
まさか牢屋から脱走するとは思わなかったよ」
まるで褒めるようにそう言った男は、不意に右手を上げる。
それが合図だったのか、辺りから男と似たような恰好をした男が次々に姿を現した。
囲まれている。
その事実に思わず椿くんの服を掴む。
椿くんが男たちから間をあけるようにわずかに後退した。
どうしよう。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
状況は絶望的だった。
男は見える範囲で五人。しかしもしかしたらまだ辺りに隠れているのかもしれない。
逃げ道はないに等しい。
戦うにしたって、大の大人相手にかなうはずがない。
学校の授業で多少そういった練習はするけれど、しょせん小学校でやる範囲にすぎない。
このまま捕まってしまったらどうなるのだろう。
私はやっぱり殺されてしまうのだろうか。
椿くんだって、無事では済まないかもしれないと言っていた。
――――怖い。
すがるように椿くんを見てしまう。
椿くんは珍しく焦ったような表情を顔に出していた。
険しい顔で男をにらみつけているが、どうしようもできないんだとわかった。
当たり前だ。彼だって私と同じまだ子どもなんだ。
どれだけ優秀で、どれだけ大人っぽくても、できることは限りがある。
椿くんの表情には焦りのほかにも、微かにまだ疲れが残っているようにも見えた。
そうだ、彼はまだ本調子じゃないのだ。
不意にここに来るまでの椿くんを思い出す。
いろいろひどいことを言われたけれど、でも結果として彼は私を守ってくれた。
椿くん一人だけだったら逃げられたかもしれないのに、彼は私のために無茶な魔法を使って、私のために一緒に逃げてくれた。
ううん。そもそも椿くんは私の事情に巻き込まれたようなものだ。あの時、私が一緒にいなければ、外に出ようなんて言わなければ、きっとこんな事態にはならなかった。
なのにこれ以上また、彼に守ってもらうというのか。
「ま、待ってください」
気付いた時には、もう言葉が出ていた。
体は震え、足元もおぼつかなかったが、どうにか椿くんの後ろから出て彼の前に立つ。
「おい、何してる!」と椿くんの静止する声が聞こえたが、無視した。
椿くんの前に出て数歩だけ男たちに近づき、立ち止まる。
「あなたたちの目的は、私、でしょう」
そして、この集団のリーダ格っぽい男に視線を向けて言葉を発する。
情けないことに声は震えていた。
正直立っているのもやっとなぐらいに怖い。
でも、ここでやめるわけにはいかなかった。
ぎゅっと拳を強く握りこんで、私は言葉を紡ぐ。
「椿くんは檻人です。手を出したら、困るのはあなたたちのほうではないですか」
「……何が言いたい?」
私の言葉に男は首をかしげる。
よかった、話を聞く気はあるようだ。
「つ、椿くんは見逃してください。私は、おとなしくついていきます。だから」
「おい、ふざけるなよ。何言って」
「だから、椿くんは見逃してください」
椿くんの私を止める言葉もすべて無視して、私はそう言って男を見上げた。
男は少し考えるようにこちらを見る。
「確かに俺たちの目的はお前だ。だが、たとえそいつが檻人であっても、我々を見られたのではそのまま返すわけにはいかない」
予想していた通りの返しに少し安堵する。
私は必死で考えたことを彼に言った。
「彼は檻人ですが、まだ当主ではありません。
もし彼をここで逃がしたとして、彼がここでのことを誰かに言ったとしても、その発言にどれだけの力があるでしょうか」
男は私の言葉にぴくりと眉を動かす。
正直なところ、今の椿くんにどれだけの発言権があるのか、私もよくわからない。けれど嘘でもいい。
はったりだってかまわない。
彼が、私の言葉を信じてくれさえすれば。
思い出すのは父や佳月の姿。
彼らは嘘をつくのが得意だと言っていたけれど、彼らのように、気丈に、余裕をもってふるまえれば、私にだって嘘ぐらいつけるはずだ。
「私さえいなくなれば、継承権は移り、実質あなた方が一宮で一番力を持つことになる。
そうなったとき、いまだ当主でない子どもの彼と、あなた方ではどちらが発言力があると思いますか?
あなたたちの目的はあくまで私だ。私さえ殺し、継承権さえ手に入れられれば、後はどうにでもなる。
檻人を殺し、下手に他家との確執を作るよりも、その方がずっと安全なのではないですか」
グッと足に力を入れて立つ。
表情を繕うのも忘れない。
男は私の言葉を黙って聞くと、ふっと嘲笑した。
「必死だな」
虚勢を見抜かれた。
表情が崩れそうになるが耐える。
まだだ。まだ終わっていない。
震える腕を叱咤するように手の甲に爪を立てて、じっと男の瞳を見つめる。
怖い。怖い。怖い。
でも、私の中では父の方がもっとずっと怖いはずだ。
男はしばらく私を見ていたが、やがて視線をそらして肩をすくめた。
そして周りの男たちにまた何かハンドサインを出すと、次いで再び私を見る。
「いいだろう。どのみち檻人を捕まえても処理に困る。そもそもあの方の命令はお前だけだしな。お前さえ連れ帰れば文句も言わんだろう」
その言葉にほっと体中から力が抜けるのがわかった。
よかった。よかった。私の言葉はちゃんと、通用したのだ。
思わず椿くんを振り返る。助かったんだよ、と。
けれど振り返ってすぐ、私は硬直した。
彼は怒っていた。今までのがかわいいと思えるぐらいに、それは苛烈だった。
「つ、椿く……」
何か言葉を発しようとしたが、その前に私の意識が遠のいていくのを感じた。
気付けば男が私の頭を掴んでいる。
男が手に力を籠めると、私の意識がさらに遠のいていくのが分かった。
――――私、殺されるのかな。
ぼんやりそんなことを考えながら、意識が暗闇に飲まれる。
最後に見たのは、椿くんの怒りに満ちな赤い瞳だった。




