話したい理由
3話連続での投稿となっています。
部屋は完全に締め切られていて外の様子をうかがうことはできないが、ぽつぽつと雨が屋根を打つ音はかすかに聞こえてきていた。
部屋に入って数十分。まだ雨は弱まらないようだった。
「ここは? ここは? どうするの?」
「え? えっとね、ここはこっちに折るんだよ」
私が彼に提案した遊びは「折り紙」だった。
部屋で走り回ることなく、なおかつお喋りしながらできる遊びといえばこれぐらいしか思いつかなかった。
冴に確認して、いらない紙を正方形に切って、折り紙の用紙として彼に渡すと彼は実に不思議そうな顔をした。
どうやら折り紙という遊びを知らなかったらしい。
だが、私が一つ桜の花を折ってみせると、彼は感動したように目を輝かせて、自身も折り紙に取り組み始めた。
折り紙を折りながら、いろいろな話をした。
彼は外の話が気になるようで、私にいろいろ聞いてきた。
話していて思ったけれど、彼はとてもいい子だ。原作とはやっぱり違う。
でも、だからこそ、彼がこんなところに閉じ込められているという事実はひどく胸が痛んだ。
どうにかしたいのに、どうにかできるだけの力が今の私にはない。それがもどかしい。
椿くんは相変わらず部屋の隅で目を閉じてじっとしていた。
少しは気を休められているといいのだけれど、と思うが、彼のことだから警戒心は緩められていないかもしれない。
「で、ここをこう開いたら……」
「できた!」
普通の白い紙を使ったため味気ないが、それでもかわいらしい花のが完成する。
冴は嬉しそうにそれをぎゅっと胸元で抱きしめた。
やはりどこからどう見ても普通の子どもだ。
一体何をどうしたら、原作の彼のようになるのか不思議で仕方がない。
「……冴は、いつからここにいるの?」
もう一枚花を折って見せながら、私はそう尋ねた。
彼は私の問いにことりと首を傾げた。
「うーん。いつからだろう? 最初はお屋敷にいたんだけど、途中からここに連れて来られて、それからずーっと」
冴はなんてことないようにそう言ったけけれど、その事実に私はまたぞっとする。
彼を継承者にするために、彼女はそこまでやるのか。
「人は? 食事を持ってくる以外で、誰かこないの?」
だが、一人閉じ込められているにしては、彼はとても流暢にしゃべる気がした。
私たちが喋っていたことに感動はしていたけれど、そのあとの会話はいたって普通に成立していたし。
「お母さまが、時々くるよ。最近は来ていなかったけど……。
お母さまは、僕としゃべってくれる人。ほかの人はみんな、喋りかけても何も言ってくれない」
なるほど、彼の母親とは会話できていたのか。
いや、でも。それにしたって母親以外の誰とも会話をせずにこの狭くて暗い部屋にずっといたなんて、想像しただけでも頭がおかしくなりそうだ。
「さみしく、ないの?」
言ってから、しまった、と口を押える。
それはあまりにも不躾な質問だと思った。
だって、こんな部屋で一人、さみしくないはずないのに。
「さみしい?」
私の言葉を聞いた冴は、きょとりと目を瞬かせた。
「さみしいって、どういうの?」
「え? それは……えーっと。誰かと会ったり、話したりしたいのに、それができなくて……その、胸がきゅーっとなる、感じ?」
「胸がきゅー……」
冴は花の折り紙を置いて、自分の胸に手を当てた。
目を閉じて自分の鼓動を確認しているようだった。
「うーん……。よくわかんないや」
数秒そうした後、彼はやはり不思議そうに首を傾げた。
だがすぐに、「でも」と言葉をつづける
「でも、お母さまと、もっとお話ししたいなあ」
「お母さまと?」
「うん」
言われた意外な言葉に、思わず複雑な心境になった。
彼女には今は到底良い印象を持てそうにない。
けれど彼にとっては、唯一話すことのできる相手が母親なのだろう。
いや。でも、かといって冴は、こんな監禁まがいのことをされてまだ、母親が好きなのだろうか。
「どうして?」
「え?」
「どうして、お母さんと、話したいの?」
いくら唯一話せる相手でも、そもそもそうなった原因が彼女なのに。
何も知らされていないから、わからないのだろうか。
でも、それでも彼女が自分をここに閉じ込めていることは、わかっているはずなのに。
「冴がこんなところにいるのは、そのお母さんのせい、なのに」
そう告げれば、また冴はきょとんとした顔をした。
その不思議そうな表情に、こちらが変な質問をしたのかと思ってしまう。
でも、普通は母親に嫌悪を抱いてもいいはずだ。
「お母さんのこと、好きなの?」
そう問えば、冴は「うーん」と数秒うなった後で「わかんない」と首を横に振った。
「わかんない、って」
「だって僕、お母さまのこと全然知らないもん」
至極当たり前のようにそういう彼に、私の中でますます疑問が膨らむ。
だって、だったら。
「だ、だったらどうして、話したいって思えるの?」
私は真剣にそう問うたが、冴はおかしそうに笑った。
笑われて、戸惑う。
冴の言葉を待つと、冴は笑いながら言った。
「おかしなことを言うなあ。ふふ。変なの。わかんないから、お話したいんだよ。
だって人は、人を知るためにお話をするんでしょう」
「変なのー」と冴はけらけら笑う。
だが、私はそう言われてハッとした。
確かにその通りだ、と。嫌うにしたって、冴は母親のことを何も知らないのだ。
だから、知りたいから、話したいと思った。
知らないから知りたいというのは、当たり前の気持ちなのに、私はどうしてそう思えなかったのだろう。
――――そうだ、そもそも私は、どうなのだろう。
ふと、父のことを思い出す。
私は父のことを知った気でいて、怖がって、逃げていたけれど、でも本当のところは父のことをまるで知らない。
知らないのに――――私はどうして父が怖いのだろう。
結局のところ私は、あの日、記憶を思い出してから一度だって、父と向かい合って、目を合わせて、話をしていないのだ。
「————雨、止んだみたいだな」
不意に、ずっと黙り込んでいた椿くんがそういった。
言われて耳を澄ませば、もう雨の音はしなくなっていた。
「えーもういっちゃうのー!」
冴は不満そうに唇を尖らせて言った。
だが仕方がない。雨が止んだ以上、ここにいる理由はもうなかった。
私たちは追われている身なのだから、ずっとゆっくりはしていられない。
「ご、ごめんね。あの、結局あんまり遊べなくて……」
折り紙も結局三つしかできなかった。
彼の言う「遊ぶ」には程遠いものだったかもしれない。
だが、それでも私としては彼と話せたことはよかった。
立ち上がって、早々に出ていこうとする椿くんを確認して、私も立ち上がった。
同様にして立ち上がった冴は、いまだに不満げな顔をしている。
「あの……冴」
「なあに?」
声をかければ、冴は不満げな顔のまま首を傾げた。
私はそれに思わず笑う。
「お話、できてよかった。やっぱり、話さないと、わかんないものなんだよね」
私の言葉に、冴はきょとんとした顔をする。
「私、話すことがずっと怖いことだって思ってた。たぶん、話したら、怖いことを知ってしまうような気がして」
たぶん、父が、本当に私を殺そうとしていると知るのが怖かったのだ。
父のことを何も知らないのに、父が話すことを勝手に想像して、怖がっていた。
いや、今でもそうだ。実際、嫌な想像しかできない。
冴にしたって、母親と話すことが本当にいいことなのかはわからない。
原作の冴は、もしかしたらすべてを知ってしまったから、あんなに性格がねじ曲がってしまったのかもしれない。
でも、それでもやっぱり。
「話さないと、わからない」
どちらに転ぶにしたって、話さなければ、何も始まらないのだろう。
相変わらず不思議そうな顔をしている冴に私は笑って、それから彼に小指を出した。
冴は、私の出した小指を訝し気に見つめる。
そんな彼の手を取って、前に出させた。
「指切り。こうやって、小指を絡めてするの。
約束を守る、おまじない」
言いながら彼の小指と小指を絡めて、指切りをして見せた。
「私、必ずまたここに来る。今は一緒に逃げたら危ないから、できないけど、必ずまた来るから。
だから、今度会ったときは絶対、外で遊ぼうね。そう、さっき言ってた、鬼ごっことか、かくれんぼとかしよう」
そういって笑うと、冴もうれしそうに笑った。
最初おぼつかなかった指切りは、次第に意図を理解したのかぎゅっと小指に力が込められた。
そして、指切りしていない方の手で胸のあたりを押えて言った。
「ああ、今なんだか、胸のあたりきゅーってした」