無邪気なお願い
3話連続での投稿となっています。
「どうしてこんなところにいる。しかもこんな状態で……」
難しい顔をした椿くんが、固い声色で子どもに尋ねた。
そうだ。どうして彼がこんなところにいるのか。
まさか彼に、こんな形で会うことになろうとは。
にこにこ笑う冴を見ながら、私は思い出した影響でいまだごちゃごちゃになっている自分の頭の中を整理する。
私の覚えている限りでは、一宮冴は桜の檻の主要な登場人物の一人だった。
だが、私の記憶の中の彼と今目の前にいる子どもでは印象が大きく違いすぎる。
彼はこんな儚げな様子ではなくて、もっと強烈な印象の人だった。
自信家のナルシスト。傲慢で、強欲。
そう、彼はあの小説では、所謂「悪役」だったのだ。
「僕のこと、知りたいの?」
ニコニコと笑う子ども、冴は、こちらの動揺とは裏腹に相変わらず落ち着いていた。
継承者候補第二位だと言っても、私に対して特に反応がないところを見ると、もしかしたら彼は自分の立場をあまりよく理解していないのかもしれない。
だから、こんなにも原作とのイメージが異なるのだろうか。
と、そこまで考えて私は首を横に振った。
違う、そうじゃない。
私が介入している以上は、原作とは「相違」が多少あって当然なのだ、と。
原作を参考にしてもいいが、過信しすぎるのは危険だといい加減学ばなければ。
「僕のこと、教えてあげようか」
笑う子どもは緩く首をかしげてこちらを見た。
試すようにも見えるその表情は、しかし敵意はまるでない。あくまでも「無邪気」だ。
ちらりと椿くんに視線をやれば、彼はじっと冴の表情を見つめていた。
「教えても、いいよ。でも、代わりにお願い、聞いてね」
「お願い?」
「うん!」
彼の言葉を反芻すると、彼は実にうれし気にうなずいた。
椿くんの表情は相変わらず読めない。
視線を冴に戻すと、ぱちりと目が合った。
「あのね」
彼は私の顔をその琥珀糸の瞳でじっと捉えながら告げた。
「僕と、一緒に遊んでほしいの」
……遊ぶ?
予想外の言葉に、唖然とする。
椿君は不審げに目を眇めた。
「僕、今までお母さま以外とおしゃべりしたことも、遊んだこともないから。
子どもって、遊ぶんでしょう? 本で読んだんだ」
きらきらと目を輝かせてそういう子どもに、目を瞬かせる。
言っていることは異常なのに、冴はあくまで子どもらしい表情で笑う。
伺うように椿くんを見ると、椿くんは少し考えた後で緩く首を横に振った。
「悪いが、俺たちは時間がない。正直、なぜこんな状態になっているか気になるが、今知らなくても俺は困らない。
だからもうここから出ていく」
その言葉に、冴は目に見えた消沈したような表情になった。
私は、そんな彼を見ながら思考を巡らせる。
確かに、彼のことは気になる。
だが椿くんの言う通り、誘拐された今の状態で彼について知る必要性はどこにもなかった。
たとえ彼が監禁まがいのことをされていたとしても、私たちに今それを助ける余裕はない。
何か手を打つにしたって、ここから脱出しない限りは無理だ。
けれど。
「待って。ねえ、あの、私、話聞きたい……です」
「は?」
頭ではそう理解していたが、口をついて出たのは間反対の言葉だった。
私の言葉に、椿くんは不可解そうにこちらを見た。
私は負けずに言葉をつづけた。
「そもそも、雨宿りが目的だったし、雨が止むまでならいいんじゃないかなって、思うんだけど」
彼が冴だとするなら、彼の話を聞いておきたかった。
この世界で、凛として生きていくと決めた以上、彼との関りは避けては通れないものだから。
それに、この誘拐の首謀者――――彼の母親についても、何かわかるかもしれない。
彼の母について知らなければ、きっと無事ここから脱出できたとしても父のことはわからないままだろうから。
「聞こう。雨が止むまで。彼の話」
ЖЖЖ
一宮冴は、物語上「悪役」に位置する人間だった。
簡単な話、彼は所謂いじめっ子キャラだったのである。
彼は凛の死後、檻人の継承者候補筆頭の地位を手に入れるのだが、その権力を笠に着て、学園に通う身分の低い生徒をいじめる。
それに対抗したのが、物語の主人公だった。
正義感の強い主人公は、徹底的に彼に反抗する。だが、そのせいで彼女は、次のイジメのターゲットに選ばれてしまうのだ。
ただ、それだけのキャラであるなら彼はただの小物で終わる。
重要なのは、彼がしたこと。
――――彼は、主人公と佳月、言ってみればヒロインとラスボスが巡り会うきっかけをつくったキャラなのだ。
継承者としてほぼ確定していた凛が死んだことで、一宮は混乱し、次の継承者選びに時間がかかる。
しかし主人公が学園に入学して程なくして、ついに一宮は冴を継承者として選んだ。
主人公は、学園の友人に誘われて彼が継承者となる継承の式典に参加した。
そしてそこで、初めて金色の目の男に――――佳月に、出会うのである。
式典を潰しにきた、佳月と。
佳月はそこで、式典に参加していた一宮の人間全てを皆殺しにするのだ。
彼も彼の母も。
そして――――私の父も。
そう、そのシーンは父が殺されるシーンでもあった。
こちらを睨む椿くんを宥めすかして、私たちは彼の部屋に足を踏み入れることとなった。
踏み入れた部屋は、少しじめじめとして、畳と線香のような香りが立ち込めていた。
だが、それよりもまず目を見張るものがあった。
「何、これ……」
ぞっとして、体に鳥肌が走る。
部屋には、壁を埋め尽くさんばかりに白い長方形のお札のようなものが所狭しと貼られていた。
「これ……全部、お札?」
「見たところ呪術の類だな」
「じゅ、呪術?」
「そう。何の目的かはわからないが、何かの本で見たことがある」
「僕の魔力を高めるためなんだって」
部屋に入ってすぐ呆然と立ちすくんだ私たちに、冴は呆気からんとそう言った。
「魔力を高める?」
「うん。そうだよ。よくわかんないけど。だから、僕はずっとこの部屋にいなくちゃいけないの」
椿くんに視線を向けると彼は首を横に振った。
「魔力を高めるものなどないはずだ。禁術を使っていたらわからないが、それでもほとんどはおまじないの域を出ないだろう」
その言葉に冴を見るが、彼は特に気にした様子もなく、部屋の奥にあった二人掛けのソファに腰を下ろした。
ソファの隣には、彼よりも大きなテディベアが座っている。
札に目を持っていかれたが、それ以外でもこの部屋はどこか不気味だった。
部屋中に散らばった本や紙。おもちゃなどの類はテディベア以外に何もない。
子どもが暮らすにはあまりにも異様な部屋だ。
「食事はどうしているの? 食べてない、なんてことはないよね」
「一日に二回、部屋に人が来て食べ物を置いていくよ」
部屋に積まれた本に目をやりながら彼にそう尋ねれば、彼はやはり何てことないように答える。
「人? 使用人がくるの?」
「うん。あ、でも大丈夫だよ。まだ来る時間じゃないから」
ニコニコ笑う冴は、「そんなことより」と言葉を切って言った。
「何して遊ぶ? 鬼ごっこ? かくれんぼ?」
わくわくしたような表情の冴に、詳しい話を聞くのは彼のお願いを聞いてからか、とあきらめた。
だが、それにしても。
彼の部屋をぐるりと見渡す。
遊ぶにしたって彼の挙げた遊びは部屋でできそうもなかった。
外なんて論外だし、家の中で走り回るわけにもいかない。
椿くんは、「お前が勝手に決めたんだろう」と我関せずを通していて、早々に部屋の隅に座り込んでいた。
まあ椿くんは体調も本調子じゃないし、仕方がない。
「わかった。それじゃあ、」




