私の最善
「つ、椿くん!」
明らかに椿くんの様子は異常だった。
呼吸も荒く、額には汗が滲んでいる。
「ど、どうしたの!? お腹痛いの!?」
「違う。大丈夫だから、構うな」
思わず彼の肩を掴む手に力が篭る。
しかし、椿くんは煩わしいとでも言うように私の手を振り払って、近くにあった木にもたれるようにして座り込んだ。
「ぜ、全然平気そうに見えないよ。どうしてこんな……」
振り払われた手を宙に浮かせたまま、座り込む椿くんを見る。
彼やはり、どこからどう見ても体調が悪いようすだった。
汗の量も尋常じゃないし、さっき肩に触れたとき熱が出ているみたいに体は熱かったのに、顔は真っ青だ。
こんなに体調が悪くなるなんて、何か原因があるはずだ。
何か……まさか。
「――――さっきの魔法の影響?」
ふっと思いついたことを恐る恐る問いかけると、椿くんはふい、と私から顔をそむけた。
無言は肯定の証である。
間違いない。これは魔法を使いすぎた状態なのだ。
そうだ、と先ほどの魔法を思い出してみる。
確かに、よくよく考えてみれば人を移動させるだなんて魔法、そう簡単なものではない。
そのへんの石を移動させるだけでもとんでもない精神力がいりそうなものなのに、椿くんは人を二人、それもかなり遠くへと移動させたのだ。
精神だけではない、魔力だって相応に必要のはずだ。
「どうしてそんな……」
彼にそんな危ないまねをさせてしまった自分が、不甲斐なくて仕方がなかった。
自然と視線が落ちる。
そもそも今回の原因は私にあるのに、彼に無茶をさせてしまった。
本当は、彼が無茶してまで私を助ける必要なんてなかったはずなのに。
「――――あの時、お前はいつ殺されてもおかしくなかった」
俯く私に、椿くんは荒い息を整えるよう、ゆっくりと肩を上下させながら言った。
顔を上げるが、椿くんは依然顔を背けている。
「継承者候補を誘拐したんだ。あの時、捉えた時点で殺さなかった理由はまだわかるが、連れ帰って生かす理由はどこにもない。殺してしまえばそれですむのだから。
だが、それを、どういう理由かは知らんが、俺たちは一時牢屋に入れられた。
だから逃げ出すなら、あの瞬間しかなかった」
なぐさめる、にしてはいささか冷たい声色だったが、彼が今回のことで私を責める気はないのだということはわかった。
確かに、あの時私達は「生かされる理由」がなかった。
もしあと少し遅かったら、私達を浚った人間があの場に戻ってきて殺されてしまっていたかもしれない。
だからこそ、あの時椿くんが取った手段は、取れうる手段の中でも最善の手段だったのかもしれない。
けれど。けれどだからって、椿くんがこんな無茶をしていい理由にはならないはずだ。
――――ああ、違う、そうじゃない。悪いのは私だ。
私はグッと唇をかむ。
今回彼に無茶をさせたのは、他でもない私だ。
私が何も力を持っていないから。だから彼が無茶をするしかなかった。
自分を、椿くんを、守りたいと思うものを守るだけの力が、今の私には欠片だってないのだと気づかされる。
「とにかく、移動するぞ」
ハッと顔を上げる。椿くんは木に手をついてよろよろと立ち上がりかけていた。
顔色はまだ悪く、立っているのも辛そうに見えた。
確かに遠くへ移動したとはいえ、同じ場所にとどまっているのは得策ではないだろう。
この家の人に見つかってしまえば、それこそ椿くんの魔法が無駄になるのだから。
今己の無力さに嘆くこと、それも時間の無駄だ。
今私達に課せられた課題はできるだけ遠くへ逃げること。
だが、それでも考えが止まらない。
今の私にできることはなんだろうか、と。
「…………どういうつもりだ」
低い地を這うような声が鼓膜を揺らす。だが関係なかった。
「椿くん、もう歩くのも辛いんでしょう?――――だったら、私が椿くんを背負って歩く」
考えて考えて考えて――――考えた末、結局私はこれぐらいしか思いつかなかった。
私は彼にしゃがんで背を向けた状態、そう、彼を背負う体勢で、首だけ彼を振り返ってそう言って見せた。
「な、背負うって、ふざけるな。俺は女に背負われる趣味はない」
明らかに不快だといわんばかりの表情でこちらを見る椿くん。
この反応は予想していた。
でも、今はそんなことを言っている場合じゃないはずだった。
私は彼に力強く言った。
「大丈夫! 私絶対落とさないから!」
「そういう問題じゃない」
「だって椿くん、今歩ける状態じゃないじゃない!」
「歩ける」
「嘘つき!」
「お前に負ぶわれるぐらいなら捕まったほうがマシだ」
「そ、そこまで言わなくてもよくない!?」
予想はしていたが、予想以上の嫌がられように涙腺がゆるみかける。
だが、すぐに首を横に振って涙を引っ込めさせた。
ここで折れるわけにはいかないのだ。
「お願い、椿くん。これは別に、格好をつけているだけとか、椿くんを助けるっていう高尚な理由があるとか、そういうわけじゃないの。ただ、私が、何も出来ないのが嫌な、自己満足なの。
自分のために体を張ってくれた友達が、苦しんでいるのに、どうしたらいいかわからなくて慌てるだけなのが、許せないから」
私は、今までろくにあわせたこともなかった視線を椿くんに合わせて、どうにか私が今考えていることをわかってもらおうと言葉をつむいだ。
相変わらず私の言葉は要領を得ていないかもしれないが、それでもわかってほしかった。
「だからお願い。椿くんが私を助けてくれたのなら、私だって椿くんを助けたい。私は椿くんみたいにすごい魔法は使えないし、頭がいいわけでもないから、こんなことでしか、きっと助けられないけど、でも、何もできないのは嫌なの。できることを、やらせて」
椿くんは私の言葉を黙って聞いた後、何かを探るように私の瞳をジッと見つめた。
彼の澄んだ赤い瞳はこちらの全てを見透かすようで怖くて、そらしてしまいたくなったけれど、今はそらしちゃいけないんだということはわかった。
だって、今の私に見透かされて困るようなことなんてないんだから。
数秒か数分か、黙ってこちらを見ていた椿くんだったが、やがて何かを諦めたように私から視線をそらすと深々とため息をついた。
「あの、椿く……」
「勘違いするな。魔法を使ったのは、別にお前のためじゃない。
今回の誘拐は油断していた俺の落ち度でもあるんだ。お前が死んだら、父上たちに申し訳が立たないだろう」
鋭い声だった。まるでこちらを拒絶するかのごとく。
ああ、やはり私の言葉は彼に届かなかったのか。
情けないやら哀しいやらで泣きそうになったとき「だが」と言葉を続けるようにして彼は言った。
「だが、今回の誘拐はお前の責任でもあるのに俺ばかりが力を使うのも癪に障る」
「……じゃ、じゃあ!」
その言葉に一瞬で出掛かっていた涙がひいた。
顔が自然とほころぶ。
彼は非常に不本意そうな顔をしつつも、しぶしぶと頷いてくれた。
そうと決まれば、早く移動しなければ。
そう思い、顔を前に向けて迎え入れる体制をつくる。
椿くんは数秒まだ躊躇うような空気を醸し出しつつも、やがて諦めたように私の背中に体を預けた。
「……ふん!」
かわいらしさの欠片もない掛け声と共に椿くんを背に乗せて立ち上がる。
正直私に背負えるか心配だったが、よかった。まだ小学生だからそこまで男女に対格差は出てないおかげでどうにか背負えた。
まあ、それでもなかなかしんどいにはしんどいのだけれど。でも、椿くんのしんどさに比べればこれぐらい平気だ。
さて、どこに移動するか。
椿くんを背負った状態のままぐるりと辺りを見渡す。
辺りを覆うのは鬱蒼とした木々。特に現在地がどこか、私たちがどこに捕まっていたのかを教えてくれる目印はありそうになかった。
「とにかく、出口がわかればいいんだけど……」
ほぼ間違いなくここは、一宮の――――あの女の人の一族の敷地内だ。
この敷地から外に出ない限りは、助けを求めるのは難しいだろう。
だから、とにかく出口を見つけたいのだが。
「あそこに結界があるのが見えるか」
歩き出したものの、途方にくれかけていた私を救うように、椿くんは私の背中ですっと指を斜め上へと突き出した。
「結界?」
「そうだ。普通、檻人の一族は、敷地ごとに結界が張られている」
「お前の家がそうであるように」と言う椿くんの言葉を聞きながら、私は椿くんの指が指すほうを見る。
そこにはなんの変哲もない空があるように見えたが――――よくよく目を凝らせば、なにか薄いベールがそこにかかっているように見えた。
「す、すごい! 見えた!」
「魔力のある者は普通見える」
初めてファンタジーっぽいものを体験して興奮する私に椿くんの冷めた声がかかるが気にしない。
そもそも私にもちゃんと魔力があったこと事態が喜ばしい。檻人に選ばれている以上はあって当たり前なのだけれど。
「――――で、あそこに結界と結界の継ぎ目があるのが見えるか」
指していた指を少し右のほうへずらしながらそう言う椿くんに従い視線を右へずらす。
そこには、なにかもやのようなものがあるように見える。
「た、たぶん見える」
「そこが恐らくこの敷地の出入り口だ。結界は普通、出入り口を中心に敷地を覆うようにして張るものだから」
なるほど、と訳知り顔で頷いて見せるが正直よくわからない。
だが、とにかくあのもやのような場所を目指して歩けば外に出られるということで間違いないだろう。
もっとも、出入り口には見張りがいるだろうが――――
「とにかく、近づける限りあそこへ近づこう。今はそれしか方法はない」
そう言う椿くんに私は一つ頷くと、彼の体に負担がかからないようできるだけ慎重に足を前に進めた。