捕らわれた二人
つん、と、土の香りが鼻についた。
やけに体が重く、頭がずきずきと痛い。
恐る恐る開けた目に映った景色は低く、どうやら自分が横向きに寝転がっているらしいことに気づく。
自分の身に何が起きたのか理解できず、数秒、ぼんやりと視界に入ってくる景色を眺める。
どうしてこんなに頭が痛いのだろう。
視界に入ってくる景色は暗い。
明かりもないどころか、日の光もないようだった。
日の光が入っていないということは、今は夜なのだろうか。
起きたばかりだからか、余計に視界は悪かった。
もっと辺りを見ようと、ぼやけた頭のまま体を起こそうと身じろぎした、その時だった。
「目が覚めたのか」
すぐ近くから囁くような小さな声が聞こえた。
その声は実に聞き覚えがあった。
ハッとして声の主を探す。
その人は思いのほかすぐ近く、横になる私の頭のすぐそばに、後の壁にもたれかかる様にして座り込んでいた。
「つ、つばきく……!」
「喋るな。その体勢のままジッとしていろ」
思わず声を上げようとするが、その前に鋭く咎められた。
それに慌てて口をつぐんだところで、漸く今の状況について理解する。
そうだ、確か私、あの時。
脳裏には、あの夜の出来事が明瞭に浮かぶ。
倒れこんだ椿くんの姿と、恐らく彼を倒したらしい知らないだれか。
そして、茂みから見えた、あの光景。
思い出してすぐ、ざっと、辺りを目だけ動かして確認した。
ようやく暗闇に目が慣れてきたのか、どうやらここが牢屋のようなものの中だということがわかった。
手足は拘束されてはいなかったが、そうでなくても今の状況が絶望的であることにかわりはない。
これはもう間違いない。
私は、誘拐されたのだ。
ぎゅうっとどこかが締め付けられるように痛んだ。
思い出した途端、恐怖や不安といった不の感情が一気に押し寄せてきたようだった。
先ほどの椿くんの言葉も忘れて、椿くんへ声を発しそうになった私の言葉を遮るように、椿くんは声を低くして言った。
「いいか、今から俺の言うことをよく聞け。何を言っても声を出すな」
それに、またしても私は言葉を呑みこむ。
椿くんは続けて言った。
「――――このままここに居ればお前は間違いなく殺される」
静かに告げられたそれに、私の背筋に冷たいなにかが走った。
椿くんはやけに冷静だった。
けれどそれとは対称的に私の頭の中は混乱を極める。
あれだけ気をつけていたのに。周りにもあれだけ言われていたのに、まんまと攫われてしまったことに、自己嫌悪する。
どうして不用意に夜の庭に出てしまったのか。
自分への苛立ちと、恐怖で頭がいっぱいになった。
このまま、私は死んでしまうのだろうか。
最悪の結末を打ち消すように、私はぎゅうっとこぶしを握り閉めた。
爪が皮膚に食い込んだ痛さで、少しだけ頭が冷静になる。
とにかく、今の状況をもう少し確認したかった。
まず、あれから一体どれくらい時間はたったのだろうか。
体感ではそんなに時間が経ったような気がしないけれど、意識を失っていたせいでよくわからない。
この牢屋の中は暗いけれど、窓があるわけではないから判断材料にはなりそうになかった。
時間が経てば経つだけ、私達が居なくなったことに屋敷の人たちは気づく可能性はあがる。
そして、気づいてくれたなら、きっと探しにきてくれるはずだった。
けれど、そこまで考えて、脳裏に父の姿が浮かぶ。
父は、本当に助けに来てくれるのだろうか。
気絶する前にみた光景を思い出すと、父が助けに来てくれるなんていうポジティブな想像はできそうになかった。
父が動かないのであれば、屋敷の人たちも動かない。
たとえ私の不在が明らかになったとして――――あの屋敷にいる誰が、私を助けてくれるのだろうか。
ふと、最初の夜、初めて私が殺されかけた日のことを思い出す。
誰が味方で、誰が敵かわからない。
世界で、自分が一人ぼっちになったような、そんな感覚。
私はぎゅっと目を瞑って出てきそうになる涙を堪える。
いっそぴいぴい泣いてしまいたかったけれど、どうにか堪えた。
ここで諦めたら、前と何も変わらない。
出来る限りのことはしなければ。
私はここで死ぬわけにはいかないのだから。
とにもかくにも、助けがくる可能性があまり高くない以上、自力でここから抜け出さなければならないわけだが。と、そこまで考えて、ふとこの状況――――私だけでなく椿くんまで閉じ込められている今の状況ってかなりまずいのではないだろうか、と気づいた。
何せ、椿くんはは私と違ってもう正式な檻人である。
誘拐犯の手違いなのか、彼が檻人であると気づかなかったのかはわからないが、彼に何かあれば、如月家が黙っていないだろうし、何よりもっと大きな問題に発展しかねないことは確かだった。
私と一緒にいたせいで巻き込んでしまったのだろうが、彼だけならここから出してくれるかもしれない。
一人になるのは少し、いやかなり心細いが――――それでも、彼を、死なせるわけにはいかない。
今の私には椿くんのことを守るだけの力はないが、せめて自分の身は自分で守る気概ぐらい見せろ――――そう考えたところで、私の思考を止めた。
止めた、というより、止めざるをえなかったというべきか。
「あ、あの……?」
恐る恐る椿くんのほうを見ようとするがそれは叶わない。
なぜならば、今私は椿くんに目を覆うようにして頭を鷲づかみにされているからだ。
鷲づかみ。
なぜ。
先ほどから黙り込んでいるなとは思ったけれど、人が一大決心をしている間にどうしてこうなった。
「は、」と、思わず口をあけて唖然とする私をよそに、椿くんは私の頭を掴む手に力をこめたようだった。
痛い、と思わず口から零れれば「うるさい」と一蹴される。り、理不尽な。
うろたえる私を気にも留めず、椿くんは淡々と私に言った。
「とにかく、ここから逃げるぞ」
「俺が言いというまで目を瞑っていろ」と、その言葉と共に頭を掴む手に更に力が入るのを感じたが最後、私の視界は白い光で一杯になった。
感想としては、なんというか、どうにも私は格好がつかないな、と思った。
鼻に付くような土の匂いに青臭さが混じる。
相変わらず横向きに倒れこむ私の顔をくすぐるように、地面からあられもなく伸びる雑草がそよそよと揺れた。
辺りはいまだ暗かったが、先ほどよりは幾分も明るい。
そっと、私の頭を鷲づかみにしていた手が掴んだときとは正反対に静かに離された。
かなり強くつかまれたせいか、それとも別の要因か、かすかに違和感の残る頭を押さえながら、私はよろよろと体を起こす。
「ここは……?」
確かに先ほどまでは牢屋に閉じ込められていたはずなのに、今は牢屋の見る影もなかった。
鬱蒼とした木々に囲まれたそこは、人の気配はまるでなく、しん、とした静けさが辺りに広がっている。
「どうやら成功したようだな」
私の隣に座り込んでいた彼が、どこかほっとしたように言いながらそう言った。
「あの、い、一体何をしたの?」
わけがわからない、その気持ちのままに疑問を椿くんにぶつければ、椿くんは私を馬鹿にするような目で見下ろした後、何ということはないというふうに私に告げた。
「牢屋からここまで移動しただけだ」
「いどう……移動?」
椿くんの言葉に、私は間抜けにも彼の言葉を繰り返し言うことしかできなかった。
移動、確かにさっきの場所とは違うのだから私達は移動したのだろう。
けれどどうやって?
私達はさっき確かに牢屋の中にいたはずなのに、そこを抜け出して、おまけに一瞬でこんなところに移動するなんて。
そんなのまるで。
「テ、テテテテ、テレポーテーション……!?」
「何だそのやたらとテの多い名称は」
驚愕のあまりあんぐりと口を開けたまま固まる私を椿くんが冷ややかに見下ろしている。
けれどそんなことを気にする余裕は今はない。
だって、テレポーテーションって。
そんなのありなのだろうか。それなんてファンタジー。いや、そういえばここはファンタジーな世界でした。
冷たい眼差しの椿くんに何か言おうと思って口を開く。
「す、すごいね……」
混乱した状況で出てきたのはそんな陳腐な言葉だけだった。
すごい。確かにすごいけどもっとなんか言い方があっただろう。
語彙力の乏しさが明るみに出たところで、椿くんの視線はますます冷ややかになる。
「これぐらい、一族の当主になるのならできて当然だ。
魔法のかけらも使えない自分を少しは恥じるんだな」
「す、すみません……」
流れるように言われた罵倒に謝ることしかできず、私はそのまま閉口した。
改めて辺りを見渡せば、やはりそこは牢屋の見る影もなく、外に出られたのだと実感する。
「俺が誰なのか知らなかったのか、それとも子どもだからと油断したのか、あの牢屋はただの牢屋だったのが幸運だったな」
椿くんは確かめるように両の手のひらを握ったり開いたりしながら、独り言のように呟いた。
言葉の意味がわからずにぽかんと椿くんを見れば、まるでごみでも見るような目で見られたけれど、ちゃんと説明してくれた。
「魔法の対策が施されていなかったということだ。
おかげでこうして簡単に抜け出すことができた」
「へえ」とやはり間抜けな返事しかできないが、けれどそれも仕方のないことだと思う。
何せ私はまだこの世界より、前世で住んでいた時間のほうが長いのだ。
科学になじみのある私にとって魔法というものはまだ現実味がない。
これで私が魔法を使いこなせていればもう少し身近に感じられたのかもしれないが――――けれどあいにくと魔法はからきしだった。
「とにかく、早くここから移動しよう」
体についた土や草を手ではたきながら、椿くんはゆっくりとした動作で立ち上がった。
「牢屋から外に出ることはできたが、現在位置が不明だったから、正確な移動はできなかった。
とにかくあそこからできるだけ離れた場所へ移動したつもりだが――――どうやらお前を浚った連中のテリトリーからはまだ抜け出せていないようだな」
辺りを睨むように見渡しながら椿くんは告げる。
そんな椿くんを尚もぼけっと眺めていた私だったが、そこでふと大事なことに気づいて慌てて立ち上がった。
「そ、そうだよ! 椿くん!
どうして椿くんまで逃げちゃったのさ!」
急に立ち上がったせいで少し立ちくらみがしたが、構わず椿くんの肩を鷲づかんで問い詰める。
それに椿くんは眉をぴくりと動かした。
「それは何か。俺だけあの牢屋に残ればよかったと?」
「そうだよ!」
私の即答に、椿くんは訝しげな顔をしたが、気にせずに続けて私は言った。
「だって、椿くんは檻人なんだよ!?
私はあのままあそこにいたら危なかっただろうけど、でも椿くんなら絶対見逃してもらえたって!」
そうだ、どうして椿くんまで外に出てきてしまったのか。
あのままあそこにいれば彼だけでも逃がしてもらえただろうに、一緒に逃げ出すなんて。
さすがに殺されはしないでも、抵抗したら怪我をさせられるかもしれないのに。
「ね、ねえ。今からでも遅くないよ。椿くんだけでも助けてもらおうよ」
正直彼無しでこれからどうすればいいのか全く検討もつかないけれど、これでもかき集めれば私にも勇気や見栄ぐらいある。
だから早く逃げて、と言いかけて、先に椿くんが口を開いた。
「なら聞くが」
椿くんの声は相変わらず冷たく、表情も落ち着き払っていた。
「その後お前はどうするつもりだ。ろくに魔法も使えない、武術の心得もなく体力も人並み以下な上に頭も悪い。そんなお前に何が出来る」
そうだけど、いやそうだけれども、そんな人をまるで駄目人間みたいに言わないでほしい。
あまりにもな言葉に、私の顔は引きつる。
確かに引き篭もり期間が長かったので体育ではいつも先生に怒られていたけれど、勉強はこれでも頑張っているのだ。
ぐうの音も出ずに黙りこくっている私に追い討ちをかけるように、椿くんは尚も続ける。
「それに、俺が檻人だからといって、そう簡単に帰してくれるかどうか」
「え」
思いがけない言葉に、私は肩を掴んでいた手から力を抜いた。
それに気づいた椿くんが、わずらわしそうに肩から私の手を振り払う。
「この誘拐の目的は十中八九おまえの殺害だ。
継承者候補が狙われるなんてよくあることだが、無論それは表沙汰にできない。どれだけそれがよくあることであろうと、この国で人殺しは罪だ。
まあ、継承を巡っての争いは随分と昔から続いているから、それも一種の慣例みたいになっているがな。
だが、それでも殺したことが表沙汰になるのはまずい。
特に、お前を誘拐したのは継承者候補に挙げられるような比較的地位の高い連中だろうから、余計にお前を殺したことが表ざたになるのは困るだろう」
振り払われた手をそのままに、私は彼の話を黙って聞く。
確かに言われて見ればそうである。
私は前世の記憶が戻ったときから、殺される殺されるとびくびくおびえていたわけだが、そもそもこの国で殺しは認められていない。
だから当然向こうは証拠一つ残さずに秘密裏に継承者候補を消したいに決まっている。
今までの先代の檻人の中にも、そうやって周りを蹴落として檻人になった人間はいるのだろうが、それでも問題にならなかったのは、罪が明らかにならなかったからだ。
そう考えて、私はぞっとした。
一体そうやって、何人の人間が継承争いのために血を流したのか。
継承のために当たり前に人を殺す一族のあり方――――椿くんは慣例と言ったが、これはもういっそ「呪い」のようにすら思えた。
「奴らは、お前を自分たちが殺したとばれたくないはずだ。
俺を檻人と知ってか知らずか、お前と一緒に誘拐してしまったからといって、俺をおいそれと帰すのはリスクがある。さすがに殺されはしないだろうが――――まあ、無事に帰るのは難しいかもな」
椿くんの話を聞く限りでは、確かに椿くんを檻人だからとおいそれと帰してくれるような生ぬるい話ではないようだった。
けれどそれはそれで、ますます申し訳なさが募る。
私は本当に彼を巻き込んでしまったのだ。
「巻き込んでしまって本当に申し訳ありません……」
心底申し訳なくなって椿くんから離れて深々と頭を下げるしかできなかった。
それに対して椿くんはふん、と鼻をならして言った。
「いい。お前に謝られると何だか腹が立つ。
それに、今回の一件は油断した俺にも非がある」
そう次げた椿くんの声色は尊大だったが、そこに怒気は込められていないようだった。
それに安堵する一方で、やはりまだ申し訳ない気持ちのまま私は恐る恐る顔を上げる。
椿くんは私に背を向けて立っていた。
「とにかく、これで俺も共に逃げる理由はわかったな
わかったら、さっさとこの敷地から抜け出すぞ。いつ追ってがくるかわからな――――」
そこまで言って、椿くんは中途半端に言葉を途切れさせた。
え、と思う間もなく彼の体がゆらりと揺れる。
「つ、椿くん!?」
そのまま重力に従って地面に倒れそうになるのを、慌てて彼の肩を掴んで支えた。
「大丈夫だ、構うな」
そう言って私の手をどけようとする彼の手は弱弱しい。
息も荒く、額には汗が滲んでいた。
見るからに椿くんの様子は異常だった。
前回忘れられてもおかしくないほどの久しぶりの更新にも関わらず、続きを読んでくださった皆さま本当にありがとうございます。
ペースは遅くなってしまいますが、地道に更新して参ります。




