檻人と死
父の言葉は原作どおりだった。だからこれは予想通りの展開だったけれど、それでもいざ言われると若干の衝撃を受けてしまった。父はそんな私に「まだ時間があるから、ゆっくり考えなさい」と声をかけてくれた。
しかし、原作では「凜」は継承者として確定されていたし、現状でも一番継承者にふさわしいのは私だ。父は「したいと考えている」とはいったものの、このままいけば確実に私が継承者になるだろう。それでも父は、私に考える余地があるといった。父は、私がなりたくないと言ったら、それを許してくれるのだろうか。もっとも、そこまで「なりたくない」と思っているわけではないけれど。
「これからどうしようかな……」
布団に潜り込み、目を閉じた。父が話を終えるのを部屋の外で待っていたらしい母に、問答無用で布団の中に押し込められて、私は一人、また布団の中にいる。父は夜遅いにもかかわらず、先ほどあわただしく家を後にした。父は一体いつ寝ているのか、少し不安になる。
父の話は原作どおりで、やはりこの世界は「桜の檻」の世界なのだと再認識させられた。いや、さすがにここまで鮮明なイメージを妄想だとは思わないけれど。さて、何から手を付けていくかなと目を閉じながら考える。
最初に解決する問題は、順番的にいって佳月のことだろう。佳月に会うかどうか。会ったのなら、どう接するか。私は今5歳で、佳月に会うのが8歳。まだ3年あるが、この家の人間である以上、その中で私が自由に動ける時間はあまりないかもしれない。
ああ、とにもかくにも、私はもう少し記憶をしっかり思い出さなくてはいけない。「凜」の死因のことだけでなく、色々な記憶が曖昧だ。登場人物や、話の展開は大まかにはわかっているけれど、細部までとなると怪しい。
それに、父が帰り際に言っていたことも気にかかる。私は、出かけ際の父の言葉を思い出した。
――――すまない。継承者候補になることで、危険な目にあわせてしまうかもしれない。
部屋を出る間際、慌しく戸を開けたところで、父は振り返ってそう言った。その瞳はやけに真剣みを帯びていて、私は思わず固まってしまったのだ。
原作でも、「継承者」をめぐる争いの熾烈さは大きく描かれていた。継承者は、檻人の血が濃く、魔力の量の多いものからなる。それは、血が濃いほど龍の檻が強固なものになるからであり、魔力の量が多いものほど長寿だとされているからだ。そして、継承者に任命されたものは必然的に一族の当主になり、その家族も一族で優遇された立場になる。よって、継承者候補は時として、命を狙われた。魔力はともかくとして、血はどうにもならない。だから、己よりも血の濃い人間を殺すことで、継承者に成りあがろうとするものがいるのだ。特に、最も継承者に近いもの、たとえば、「凜」のような直系の血筋の子は幼いころから命を狙われることになる。
私がこれまで家族やお手伝いさん、数人の家庭教師の人以外とあったことがないのはこのためだと思う。現檻人の娘である私は、この家で最も継承者になる可能性が高い。だから、自分で動くことの出来ない無防備なこの時期に、父は私を隠していたのだ。最も、6歳になれば学校に行かなければならなくなるから、この隔離生活ももう終わりにちかいけれど。5歳で檻人に話すことになっているのは、そのためだろう。これからは不特定多数の人間と出会わなければならないから、己の立場を理解し、自衛する必要があるのだ。
そう考えると、やっぱり「凜」の死は「凜」の立場を奪いたい一宮の人間の誰かに殺されて起きたということなんだろうか。しかし、誰なのか皆目見当もつかない。
「頭痛くなってきた……」
布団に包まった状態で、私は足をばたばたと上下に動かした。あまり大きい音を立てるとお手伝いさんがすっとんでくるので、気持ち足をゆらしただけだったが。ここでの生活はどうにも気を使う。
とにかく、今日はもう寝よう。寝たら何かを思い出すかもしれない。私は、大きく息を吐き出して、眠りについた。
次の日の朝も、何も代わり映えのない始まりだった。5歳になり、檻人のことも聞いたのだから、これからは外の人と関わることも増えるだろうと思っていたし、ここは所謂「ファンタジーな世界」なのだから、魔法についても何か教えてもらえると思っていたのに、正直拍子抜けだ。まあ、1日2日で劇的に何か変わるわけもないし、その上体調を崩していると思われているわけだから、当然といえば当然だけれども。
いつも通りの家庭教師の人との勉強を終えた私は、部屋の前の縁側に腰をかけて、ぼんやりと広い庭を見ていた。いつもならば外で探検をしたりするのだが、今日は母から外出禁止令が出ている。母は大分過保護な人間である。
すぐ傍には和恵さんが控えていた。和恵さんも、いつもはここまで一緒にいないが、今日に限っては母から傍にいるように申し付けられているようだった。今日は私が勉強中にも傍に控え、私の体調を気遣ってくれている。
――――それにしても、暇だ。
地面につかない小さな足をぶらぶらさせながらため息をつく。5年も見てきた庭を今更眺めても何も面白くない。かといって、家の中を歩き回ればお手伝いさんに気を使わせてしまうことになるだろう。ここの家に置かれてある本はもう読みつくしてしまったし、ボードゲームのような類はここで見たことがない。何か暇を潰せるものはないものか。
少し悩んだ末に、私は和恵さんに、何かやることはないのか聞いてみることにした。体をひねって、すぐ後ろに控えている和恵さんを振り返る。
「かずえさん」
視線が合わなかったので、声に出して和恵さんを呼んだ。しかし、なんだか和恵さんはぼんやりしているようで、なかなかこちらを見てくれない。
「かずえさん?」
私は再度、和恵さんに声をかけた。そこで和恵さんはハッと我に返ったかのようにこちらをみて、慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。少々ぼんやりとしておりました」
「あ、いいえ……。それはかまわないのですが」
和恵さんがぼんやりとするなんて、とても珍しい。少し驚いて言葉につまる。
彼女は、誰が見ても明らかなほどに優秀な人間である。それこそ、こんなすごい人が私の傍に四六時中いていいのかといつも不安になるぐらいに。「一を知って十を知る」というが、彼女は一を知らなくても全てわかってくれる人だ。そんな彼女が、言って見れば勤務中にぼんやりしているなんて、何か悩みでもあるのだろうか。
そこまで考えて、そういえば、私が和恵さんについて知っていることは少ないな、と思い至る。私が知っているのは、彼女の家は代々一宮に仕えてきた一族で、彼女はそこの長女であること。そして私が生まれる前も、母に仕えていて、母からの信頼もとても厚く、私が生まれてからは、自ら志願して私の世話係になってくれたことぐらいだ。
何か悩み事があるのならば聞いて助けになりたいと思うが、何も知らない5歳児に大人の女性が悩みを打ち明けるわけもない。そうして私が彼女に何と声をかけるか迷っていたときだった。
「――――凜さまは、檻人になられることが嫌ではありませんか?」
「え?」
唐突に、和恵さんから声をかけられた。
振り返ると、和恵さんはじっとこちらを見つめていた。少しびっくりして素っ頓狂な声を上げると、和恵さんは少し顔を和らげて頭を下げる。
「すみません。昨日、当主さまのお話が聞こえてしまったもので……」
どうやら、昨日の父との会話を聞いていたらしかった。それにしても、本当に今日の和恵さんは珍しい。彼女が家のことについて何か言うことなんて今までになかったのに、まさか「檻人」について聞いてくるなんて。
「驚かせてしまって申し訳ありません。
ただ、私も分家といえども一宮に生きる身。檻人についての話は少なからず聞き及んでおります。ですから、凜さまはお嫌ではないのか、と」
和恵さんは、とても穏やかな眼差しで、私に再度問いかけた。私はなぜか、その視線にどきりとして、思わず目をそらしながら答える。
「わたしは、べつにいやだなんておもったことはありません。
たしかに、いのちをねらわれることもあるとききましたが……」
「凜さまがお望みになるのならば、私はここから逃がしてさしあげることができます」
「え?」
再び、間抜けな声を上げてしまった。視線を和恵さんに戻すが、彼女の表情は変わらない。
今、和恵さんは何と言った?
「凜さま、私は見分不相応にも、あなた様をわが子のように育ててまいりました。
ですから、凜さまが、この家に縛られ、そして命の危険にさらされてしまうと考えると、恐ろしいのです」
和恵さんは、まるで私が怖がらないようにと、優しく笑いかけながらそう言った。予想だにしなかった誘いに声も出ない。
「凜さまがお望みになるのならば、この私が……」
続けて言葉を募ろうとした和恵さんに、ようやく私は我に返った。こんな、近くに他の人がいる場所で、これ以上を彼女に言わせてはいけない。私は、和恵さんの言葉を遮るように言った。
「いいえ、かずえさん。わたしはそんなことはのぞみません。
わたしは、おりびとになることをこわいなんておもったことがないのです。
だから、にげたいともおもったことはありません」
これは、今の私の本音だった。正直、私は未だに「命をねらわれる立場」というものを想像できないでいる。前世でも、今世でも、私は命をねらわれるなんて立場と無縁の場所で生きてきたのだ。「死ぬ」とわかっていても、上手くそれを自分に結びつけることができない。だから、私は檻人の役割を継ぐことにそれほど抵抗がないのだと思う。檻人になることで、自分の周りの何かが変わるとはとても想像できなかったから。
私の言葉に、和恵さんは一瞬だけ顔をしかめ、それを隠すように深く俯いた。しかし、すぐに顔をあげるといつも通りの表情で私をみて、また穏やかな笑みを浮かべながら言った。
「そうですか……。それは、残念です」
その笑顔に、私はまたなぜか、どきりとした。彼女を怖いと思ったのは初めてだった。