魔法の使い方
如月椿は、この学園では所謂憧れの的である。
成績優秀で運動神経も抜群。おまけに顔もいい。
性格は少々気難しく、表情もあまり豊かではないのだが、それさえも彼の人気を上げる要素でしかなかった。
10歳になり、思春期と呼ばれる中々難しい年齢に突入したため表立って告白なんてことはないが、それでも年々、確実に彼のファンは増えてきていた。
そんな女子の羨望を一挙に集める彼は、前述したとおり少々気難しい性格で、お世辞にも社交的な性格とはいえないために、一時男子からはいじめとまでは言わないが、彼を良く思わないグループから絡まれる、なんてこともあった。
だが絡んだはいいのだが、何せ彼は子どもらしからぬ冷めた性格をしていたために全く相手にされず、そんな対応がまた素敵だなんて女子の人気に更に拍車をかけるだけに終わってしまった。
男子はそんな彼を結局どうすることもできずに、最近ではもう一週回って彼を尊敬する男子が増えてきている。
そんな名実共に学園の人気者となっている彼と私の関係はどういうものかといえば、なんと言うことはない。
ただの赤の他人。よく言ってクラスメイト。
まあ、それも当然だった。
というのも、あの入学式の日以来、彼と私は本当に、ただの一秒も話すことは無く、名前を覚えられているかすらも怪しい状態だった。
無論同じ学校に通っている以上、廊下ですれ違うことはあったのだけれど、挨拶どころか一度たりとも視線は交わったことは無い。
ただ一つ接点と呼べるものといえば親同士が知り合いという点であるがそれだけで、話の種にすらなりはしない。
四年生になり晴れて同じクラスになったものの、その関係には特に進展は無かった。
いや、むしろ悪化してしまったといってもいいかもしれない。
そしてそれこそが、10歳になった私のもう一つの悩みの種だった。
私としては彼とどうなりたいのかと言われると、「よくわからない」と答えざるをえない。
彼と関わることで彼にかかるデメリットを私は知っていたが、かといって彼の事情をそれこそ全て知っているにもかかわらず、あの入学式の日のように見てみぬ振りをするというのも何か違うと、私は思えるようになっている。
では全てを知っている私に彼を救えるのか、と言われるとまた返答に困るところだ。
知っているからといってそれは救える保証にはならない。
むしろ知っているからこそ、近づきにくいというのもある。
そう。最近私は前世の記憶の使い道に困ることが増えていた。
知っていて役に立ったことは多いし、私の死を回避するにあたっては必要不可欠な情報であるのは間違いないが、それが返って視界を狭くする原因にもなるということは既に経験済みだ。そして何より、それを利用して誰かと仲良くなるというのはどうなのだろう。
例えば如月椿の場合でいうと、彼の過去を私は一方的に知っているわけで、だから彼に「私はあなたの苦しみを理解している! だから助けてあげられる!」というのも気持ちの悪い話だ。
そこまであからさまでなくとも、彼と関わるのなら前世の記憶を意識せざるを得ないと思う。
もっともそれは彼だけに限った話ではないのだけれど。
そんなこんなで、私は前世の記憶との折り合いと、彼との距離感を掴みあぐねている状態だった。
まあこういう難しい話は焦って結論を急げばまた前の二の舞になりかねない。まだ四年生になったばかりで同じクラスである時間は後一年ほどある。だからその間に少しずつ仲良くなれるのならなって、もしなれなかったとしても、遠くから見守る形で、私にできることがあればその時は力になれたらいいかななんて感じで、とりあえずは現状維持でいこうという結論を私は出していた。
そう。そんな、微妙な距離感でいこうかなと思っていたのだ。
なのに。
「ど……どうして」
かすれた声が人気の無い放課後の教室に響き渡る。
美しい茜色に染められたその教室には、影が二つだけあった。
男と女。第三者から見たら何かと誤解されそうなシチュエーションであるが、二人の間にはそんな雰囲気は微塵も、本当に塵ほどにもない。
影のうちの一つである――――一人の少年は、精悍な顔をこれ以上ないというほどに仏頂面に歪めてそこに立っていた。
赤い瞳を不機嫌そうに眇めて、見下ろす先にいるのは一人の少女。
無様にもびくびくと震えるその少女――――言わずもがな私なのであるが――――は、彼とは違った意味で顔を最大限に歪めながら、こうなってしまった経緯を必死で考えるのであった。
そう。ことの発端はあの魔法の授業が終わりを迎えた刻限にまで遡る。
「一宮さん」
「は、はい」
あの後、結局石を割れないまま授業が終わり、私は重たい心境のままトボトボと石を返しに教壇へ向かった。
だがすんなりと石を返すだけでは終わらず、私は石を受け取った先生に呼び止められてしまった。
「結局石は割れなかったのですね」
先生は、私の返した傷一つ無い石を目にし、こめかみの辺りを右手で押さえながら悩ましげにそう言った。
その表情に真っ正直に「はい」というのは憚られたが、事実割れなかったのだからどうしようもない。
私は先生から視線をそらしつつ、極々小さな声で「はい」と肯定した。
「……まったく。あなただけですよ。授業内で割れなかった生徒は」
ため息混じりにそういわれると、胸にぐさりとくるものがあった。
先ほどから聞こえない振りをしていたが、周りのクラスメイトたちの「楽勝だったな」という声をつい拾ってしまい、それがまた追い討ちをかけてくる。
私だけできなかった。
それはあまりにも辛い響きを持っていた。
「このままでは私としても、もちろんあなたとしても困ります。
ここで躓いてしまえば、魔法なんて一切使えないのですから」
その声色は厳しいが、事実だった。
これまで前世の知識をふんだんに使って筆記の成績は好成績だっただけに、授業についていけない気持ちというものを久しぶりに味わった。
どうしよう。やっぱり個人で特訓とかしたほうがいいんだろうか。
そう思うのだが、魔法の特訓なんて今までやったことはない。
筆記とは勝手が違うし、そもそもどうしてこんなにできないのかもわからないのだ。
一体どうすればいいのか。
「そんなあなたに提案があります」
「え!」
沈む私にかけられたその一言に、私は自然と俯きがちになっていた顔を上げた。
何かこの壊滅的な魔法のセンスを改善する方法があるのだろうか。
縋るような気持ちで先生のその眼鏡の奥の瞳をジッと見つめれば、先生は「いいですか」と間を置いて言った。
「あなたには今日から補習を受けていただきます」
「ほ、しゅう?」
「そうです。期間は次の魔法の授業がある日まで。それまでにこの魔法が習得できるように補習を受けていただきます」
先生のその提案に私は僅かに驚きつつも、同時に少しホッとしてしまった。
小学生で補習なんて少し恥ずかしいが、それでもできないよりはマシだった。
私は感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます!」と頭を下げる。
そんな私を見下ろしながら、先生は言った。
「それでは今日の放課後、指定された教室へ行きなさい」
そうだ。責めるべきはその時一体誰が補習に付き合ってくれるのかを尋ねなかった私自身だ。
いやでも普通に考えて、補習と言われたらあの先生か、他の時間の空いている先生の誰かだろうと考えるじゃないか。
そうでなくてもまさか、「彼」に教えてもらうことになるなんて思わない。
先生に指示された教室に行って待っていたのは、見覚えのありすぎる少年だった。
一体こんなところで何をしているのだろう、と訝しんだ私に向かって彼は「遅い」と一言だけ言葉を投げかけた。
それに「え」と固まる私が次の瞬間目撃したものは、少年の手に握られた一つの石ころ。
まるで私を待っていたかのように出迎えたその少年は、私にその石を渡して言った。
「先生から話は聞いているな。今日から俺が君の魔法の特訓に付き合うよう言われた、如月椿だ。よろしく」
まるきりよろしくするつもりが微塵もなさそうな表情その少年――――椿くんは、傷一つ無い綺麗な右手を差し出してきたのだった。
本当に、何故よりによって彼を補習相手に選んだ。
■
先ほど、椿君との距離感を掴みあぐねていると言ったが、そうなっている理由は、実はもう一つある。
これは単純な話なのだけれど、私が彼という人間自体に苦手意識があるのだ。
いや、私の場合得意な人というほうが少ないのだが、その中でも彼は抜きん出ていた。
一体どうしてそんなに苦手なのかと言われると、簡単な話が――――椿くんが私のことを嫌っているからである。
というのも、最初、彼と同じクラスになった当初は、私も彼と仲良くなろうと試みたことがあった。
せっかく同じクラスになったのだからこれも何かの縁だと思って、私は私の持てる全ての勇気を振りしぼって一度だけこちらから挨拶をしたのだ。
彼は私に興味がないから、無視されるかもしれない。
それでも、もしかしたらこれが何かのきっかけになる可能性だってある。
そう思っての行動だった。
しかし、彼の反応は予想外のものだった。
「おはよう」と席に座る彼めがけて声を発すると、彼は声をかけた私のほうへ視線だけちらりと向け――――次の瞬間その赤い瞳を吊り上げてこちらを睨みつけてきたのである。
そこには、明らかな私への嫌悪があった。
嫌われている可能性も、考えていなかったわけではない。
彼は彼の育った環境ゆえに、弱い人間というものを毛嫌いしている。
だから私みたいな人間のことは、当然嫌いだろうとは思っていた。
しかし、まさかあそこまで明確な嫌悪を向けられるとは思っていなかったのだ。
せいぜい無視される程度だろうと思っていたが甘かった。
それ以降私は彼と話すタイミングを失ってしまった。
というよりも、あまりに怖い形相で睨まれたのが割りとトラウマになり、私の心は完全に折れてしまった。
彼は見事、私の中での苦手な人ランキングにおいて、父に続く二位にランクインしてしまったのだ。
私は決して好意的とはいえない視線をこちらに投げかけてくる椿くんを見ながら、零れそうになるため息を必死でかみ殺した。
何だってこんな形で彼と向き合う機会が訪れてしまったのだろう。
向き合うにしたってもっとこう、順序があると思うのだ。
少なくともこんな唐突に、しかもいきなり二人きりだなんて状況は、私には難易度が高すぎる。
「何故俺が君の補習相手に選ばれたのか、不思議に思っている顔だな」
椿くんは淡々とした口調で、私の中にあった疑問を言い当てた。
図星だったために思わず体がびくりと跳ね上がる。
椿くんはそんな私に特に表情を変えることなく言った。
「単純な話だ。魔法の練習というのは、魔力量の総量の近い人間とやるほうがより効果的だと言われている。魔力の総量が同じだと、それを引き出す感覚――――まあ、言ってみれば魔力をコントロールする感覚が近い。
先生は君が魔法を使えないのはそのコントロールの仕方に問題があると考えたのだろう。だから君と魔力量の総量が近い俺が選ばれた」
「な、なるほど……」
冷静な声でそう説明されると、何だか私も冷静な気持ちになってきた。
だが、そういう理由で私の補習に付き合わせてしまったとなると、今度は何だか申し訳ない気がしてくる。
放課後なのだから、彼にも用事ぐらいあっただろうに。
断らなかったのだろうか。
先生から頼まれればさすがに彼も断りにくかったのか。
「理由はわかったな。じゃあ、とりあえず一度やってみせろ」
「え? あ、わ、わかった……」
だがそんなことを悠長に考える間は与えられなかった。
冷たい口調でそう言われて、私は慌てて手のひらに石を乗せた。
授業のときと同じ要領で、手のひらの石に魔力を込める。
魔力を勢いよく石へぶつけてみたが――――石は、砕けるどころかひびすら入らなかった。
がっくりと肩を落としながら、私はそっと椿くんの方へ視線を向けてみる。
椿くんは、一連の様子を何も言わずただジッと見つめていただけだった。
その冷めた赤い瞳と彼の醸し出す圧力のようなものが変な緊張感を作り出していて、正直こわい。
「や、やっぱり私、そもそも魔法のセンスがないのかなー」
割れなかった石を黙って見つめる彼に、何だか居たたまれない気持ちになった私は、場を和ませるために軽い口調でそう言った。
だが彼は、その言葉にぴくりと眉を動かした。
「センス? それはただの甘えだろう」
「え」
彼は眉間にしわをよせたまま、石から私の方へと視線を移した。
「魔法にセンスも何も無い。魔力がある限りは、魔力量の限度までは誰でも魔法は使えるのだから」
「そして君は人並み以上に魔力を持っている」と彼は少し厳しい口調でそう言った。
思いのほか反応があって、私は少し戸惑いながらも口を開く。
「そ、それはそうなのかもしれないけど、でも、本当にどれだけやっても使えないし……」
言いながら、私は割れない石にちらりと視線をやった。
「センスがない」というのはただの甘えだというが、ならここまでできないのは一体何故なのか。
そんな思いを込めて彼にそう言うと彼は「そうだな」とあっさり肯定を返してきた。
そして腕を組んで、どこか尊大そうに言った。
「だから要は、君の取り組み方が悪いんだ」
「え」
直球なその言葉が胸にぐさりと刺さった。
彼はそんな私に気を留めず続ける。
「いいか。魔法というものは魔法をかける対象をいかに捉えるかが重要になってくる」
「魔法をかける、対象?」
「そうだ。例えば今の場合、この石だが……君はこの石が何で出来ているか知っているか」
「石?」
そう言われて、私は再びまっさらな石に視線をやった。
石が何でできているかなんて考えたことはない。
石をじっと見つめながら、私は恐る恐る答える。
「ええっと……す、砂?」
自信はなかったが、あたっていたらしい。
その答えに対して彼は「まあそうだな」と頷いた。
そして重ねて言った。
「じゃあ、砂は何から出来ている?」
「え、砂!? ええっと……」
続けざまに質問されて慌てる。
砂は何でできているんだったっけ。
これでも一応大学にまで行った身だから、それぐらい知っているはずだと思うが、いくら頭を捻っても答えが出てこなかった。
転生してから時間が経過しすぎているためか、そもそも私が馬鹿なのか。
黙りこくる私に、椿くんはやれやれというようにため息をついた。
「君は対象がどういうものなのかを知らなさすぎるな」
小学生からそんな蔑むように言われてさすがに思うところがあったが、わからなかったのが事実だ。
ぐうの音も出ずにまた黙りこくると、彼は言った。
「いいか。魔法というものは、魔法をかける対象へ、どの程度の魔力を、どこへ重点的に送るか、ということが要になってくる。
今の君のように対象についてよく知らなければ、それだけ魔法はかかりにくくなるし、例えかかっても効力は薄いだろう」
「そ、そうなんだ……」
悔しさ以上に感心が勝った。
知らなかった。魔法がそんなに難しいものだったとは。
原作では普通にみんなが使っていたから、誰でも簡単に使えるものだとばかり思っていたのに。
だが、感心して頷く私に、椿くんは尚も言った。
「もっとも、この程度の小さい物、どういう性質なのかを理解せずとも簡単に壊せるものだし、だからこそ最初の授業で使われるんだが……君はそれすらもできないようだから、そこから始めるしかないな」
馬鹿にするようなその口調に、再び悔しさが勝った。
何だか彼は、私が思っている以上に性格が悪いような気がする。