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言わない言葉


佳月に先導されながら、ゆったりとした歩調で菜の花畑の間を縫って歩く。自分の身長ぐらいある菜の花に囲まれながら歩くのというのは、周りを花で遮断されて、まるで迷路を歩くような心地だった。私は、歩き慣れたように花の間を進んでいく佳月の背中を追いかける。



父も佳月も、まるで何を考えているのかわからなかった。私は歩きながら、自然と眉間に皺がよっていくのを感じた。いや、佳月はまだいい。彼は恐らくただ命令に従っているだけなのだろう。問題は父だ。



――――当主様が私を凜さまのお傍に、と望まれたのです


先ほどの佳月の言葉を思い出す。それと同時に浮かび上がってくる、父の姿。穏やかな眼差しは温かいのに、心の底では何を考えているのか悟らせないあの瞳が、私は苦手でたまらなかった。一体どうして父は、私と佳月を引き合わせたのだろう。考えてみるが、まるでわからない。私と佳月が出会うことで父に生じるメリットなんてあるのだろうか。メリット、と、考えて、そこで父の望みを叶えやすくするため、というのが思い浮かんだ。父の望み。そう、たとえば。



――――私が佳月と出会うことによって殺しやすくなる、とか。





そう考えて、ぞっとした。父のあの私をジッと捉えた瞳を思い出す。やはり、父は何を考えているのかわからない。彼の行う全てが、私を殺すための準備のように思えた。心を許してはならないと、そう思わせる。




けれど。


――――私はお前を信じることにした。


冷えた脳裏に、車を出る時に見た、父の笑顔が過ぎった。私はぎゅっと手を握り締める。あの時、私の胸にこみ上げたのは、どうしようもない安堵感だった。この人の傍は安全だと。この人は私を守ってくれるのだと。そんなわけあるはずもないのに、自然と肩から力が抜けて、全てをこの人に預けたいと思ってしまったのだ。

どうして、いずれ殺す人間にあんな笑みを見せたのだろう。それとも、あれも作られた笑顔なのだろうか。だとするなら、私は――――



「わっ!」


そのとき、視界がゆれた。瞬間、体が前方に倒れこむ。躓いた――――覚えのある感覚に、すぐに理解する。


「凜様!」


「転ぶ!」と思って咄嗟に目をつむった。けれど私の体は地面に落ちることなく、誰かの腕によって支えられる。これもまた、覚えのある感覚だった。



「やはり、ご気分が優れませんか?」


私を支えたのは、心配そうな顔をする佳月だった。これまで考えていた思考がぶっとんだ。私はじんわりと顔が熱を帯びるのを感じる。



「わ、わ、あ、ご、ごめんなさい……!」


転ぶのは今日で二度目のことであった。精神的には二十歳を過ぎた大人の身としては、一日に二度も転ぶなんて恥ずかしくてたまらない。どうも私は、一つのことに集中するとほかの事に注意が散漫になってしまうようだった。前世ではそんなことはなかったはずなんだけど、と思い、やはり考え込むことが増えてしまったからだろうか、と気づく。今度から気をつけなければ。私は佳月に謝りながらも、とにかく、体を支えてくれている佳月から離れようと思って、佳月の肩に手を置いた。


「ほ、本当にごめんなさい」


そしてもう一度ちゃんと謝ろうと、佳月の顔を見て――――私はそのまま固まった。






髪の隙間から覗く金色の瞳が、思いのほか至近距離で私の顔を覗き込んでいた。先ほども間近で見たが、それとは比べ物にならないほどに近い。転んだ私を支えた反動か、目を隠していた長い前髪が横に振り分けられて、そこからハッキリと佳月の瞳が現れている。今まで考えていた父のことなど頭から吹き飛んでいった。視界一杯に広がる金色にまるで、心臓を鷲づかみにされたような気分だった。




脳の機能全てが停止して、思考が途切れる。その目に釘付けになる。囚われた。まさに、その表現が正しいような。太陽の輝きとも、菜の花の艶やかさとも違うその瞳の色は、神秘的で、とても――――






「ああ、すみません」


ぼんやりとその瞳に魅入られていると、私の視線を隠すように、佳月はさっと自分の瞳を髪で隠してしまった。


「不快なものをお見せしてしまいました」


淡々とした口調でそう言った佳月は、私をそっと地面に立たせると、そのまま私の体から手を離す。

そして私から視線を外して、私に背を向けた。少し離れる背中。





その背中に、気づくと私は手を伸ばしていた。




「え?」



驚いたように佳月が振り返る。だが、何よりも驚いていたのは自分自身だった。佳月の服の袖を掴む自身の右手を呆然と見つめる。


今、私は何を。





「凜様?」

「あ、ちがっ、いや、その、これはですね!」



佳月の訝しげな声に我に返って、慌てて掴んでいた佳月の服の袖を離した。探るようにこちらを見る佳月に、口の端を上げて笑う。



「な、なんでもないんです。本当に」



胸の鼓動が異様に早い。私はそれを誤魔化すように、立ち止まる佳月を追い越して歩き出す。少ししてから、追いかけるように歩き出す佳月の気配を感じながら、私は自分の口元に手を当てた。




今、私は何を言いかけたのだろう。きんきんと、頭を殴りつけるような酷い耳鳴りがした。



――――綺麗な瞳ね。まるで、月みたいだわ。



耳鳴りに混じって、少女の楽しげな声が聞こえる。耳を塞いでも聞こえてくるその声に、心の奥底にしまっていた何かが、滲み出てくる気がした。







菜の花畑を抜けた先には、少し開けた広場のような所があった。そこには、恐らく静音さんの趣味であろう机や、ベンチ、アーチなどが配置されていた。佳月にエスコートされて、私はそのベンチに腰を下ろす。

あれから、なんともいえない気まずさが私達を取り巻いていた。いや、佳月の態度は何も変わっていなかったから、気まずかったのは私だけだったのだろう。少し遠ざかった菜の花畑を見ながら、私は自分の胸に手を当てる。


どうして、あんな行動に出てしまったのだろう。鼓動は、まだ少し早かった。


あのとき、決して言うつもりのなかった言葉が出かけた。絶対に言ってはいけない言葉。言わないと決めた言葉。私は、佳月の服を掴んだ右手を開いて見つめる。



 あの時私は、何を望んだのだろうか。佳月に、そして己自身に、一体何を期待したのだろうか。




「菜の花の香りは強いですから。気分を悪くさせてしまったのかもしれませんね」


 ベンチの隣に立っていた佳月が、申し訳なさそうな声色でそう言った。ハッとして顔を上げて佳月を見ると、声色どおりの顔をしていた。


「あ、いや……。別に、その、菜の花、好きなので、全然」


 「大丈夫です」と言いながら、私は視線を下に彷徨わせた。何だか、今迄で一番、佳月の前から逃げ出してしまいたいと思った。


 関わらない。救わない。そうでなければ、恐ろしい。根底にある気持ちは揺らがない癖に、私はまた性懲りもなく胸を痛めている。自分で自分が何をしたいのか、わからない。わからないから、ただただ、逃げ出したくてたまらなかった。





「――――お話中、失礼いたします」



 そんな私の願いが届いたのか、唐突に第三者の声が聞こえた。驚いて視線を向けると、菜の花畑の方で、燕尾服を着た初老の男性が頭を下げて立っていた。


「少々、その者をお貸しいただきたく」


 頭を上げた男性はそう言って、その視線を佳月の方へ向けた。どうやら佳月に用があるらしい。「少し、失礼いたします」と言って私に頭を下げる佳月に一つ頷いてみせると、佳月はゆったりとした足取りで男性の下へ向かった。男性は佳月が近づくと、佳月の耳もとに口を寄せて、何かを伝える。男性の表情には幾分か焦りの色が見えた。もっとよく見ると、その額には汗が滲んでいる。一方で耳打ちをされている佳月の表情はピクリとも動かずに、時折ただ頷くだけだった。



「凜様」


 話を終えたらしい佳月が、私の方へと戻ってきた。ピクリとも動いていなかった表情を、申し訳なさそうな顔に動かして、佳月は言った。


「大変申し訳ないのですが、少し席を外させていただいてもよろしいでしょうか?」


 その問いに、私はパチパチと目を瞬かせる。


「えっと、それは全く構いませんが……。何か、あったのですか?」

「ええ、少し」


 そう言って佳月は曖昧に笑った。その表情と、少し離れたところでどこか慌てた雰囲気を醸し出している初老の男性を見比べて、ピンとくるものがあった



 ――――静音さんだ。

 こんなところにまでわざわざ佳月を連れ戻しに来るなんて、静音さん絡みしか考えられなかった。




「すぐに代わりの者が参りますので」


 そう言ってもう一度頭を下げる佳月に、私は「わかりました」と言って頷いた。原作では、静音さんは定期的にヒステリックを起こしては、周りの者に手が付けられない状況になることがあるとあった。そういう時に彼女を収められるのは、佳月だけであるとも。




 初老の男性と足早に去っていく佳月の姿を見ながら、私はほぅっと息を吐く。思いがけず訪れた一人の空間に、安堵の息がこぼれた。

 助かった。そう思うのに、心はあまり晴れなかった。佳月達の消えた菜の花畑が、風に揺れてゆらゆらと揺れている。何だか、この数時間でどっと疲れが増したような気がした。




 ああ、早く。



「帰りたいな……」


 まだ明るい空の下で、私はそう呟いた。





更新が遅れてしまい申し訳ありません。

とりあえず、今年中に更新できるところまで。


いつもブックマークや感想、ありがとうございます。

とても励みになっています。

来年もよろしくお願いいたします。

*はなこ

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