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父の推論

 父の表情はあくまで穏やかだった。しかしその問いは私の体を縫い付けて動けなくさせた。


 どうしよう。唐突な質問に混乱した頭が、上手く働こうとしない。


 父が私の態度に気づいていないわけが無い、とはわかっていた。これほどあからさまなのだ。自分が娘に怯えられていると、気づかないほど鈍い人じゃない。昨日の花壇での会話でも思ったことだったけれど、やはり彼は、私の今の状態に何か思うところがあるのだ。しかし、まさかこれほどまでに直球に尋ねられるとは、思っていなかった。


 焦りで、顔がゆがむのがわかる。車内には再び沈黙が流れていた。何か言わなければ、と思うけれど、何も言葉が出てこない。何をどう答えたらいいのかわからない。



 そんな私に畳み掛けるように、父は再び問いかけてくる。


「最初私は、お前は私を恐れているのではなく、お前を守ってやれなかった私を怒っているのだと思った。しかし、お前を見ている中で、それは違うと思った。

お前は明確に、私という人間を恐れている」


 「何故かな」と、緩く首をかしげた父の表情は、やはり変わらない。私と同じ青い瞳は凪いでいて、鋭さのかけらも無い。それが私にとっては何よりも恐ろしかった。だって、何を考えているのかまるでわからないから。


「答えられない、か」


 黙ったままの私に、父は静かにそう言った。質問を取り下げてくれるのか、と期待を込めて見つめるが、父の顔を見てその期待も裏切られる。


「なら、私が当ててみせようか」


 父は穏やかな表情のまま、でもどこか私の反応を楽しむように口に笑みをのせて言った。





「正直ね、私にはどうしても心当たりが無いんだ。だから本当の理由はお前から話してもらわない限り私にはわからない。だがその上で、あくまで客観的に、お前のここ最近の様子や状態を見る中で、一つ立てた推論がある」


 父は極めて冷静な口ぶりでそう話し出した。


「お前が私に対する態度を変えたのは、あの夜の一件以後。お前はあの一件以来、人を信用しなくなった。そして、むやみに外に出ることを怖がるようになった。

これはお前が自分の立場を知り、周囲に『死』の恐怖を覚えるようになったからだ」


 「そうだね?」と確認するようにそう言われる。確かにその通りだったが、私は肯定も否定もできずに俯く。父は思った以上に私の内情を把握していた。父のこれまでの私を気にしていないそぶりに、私は警戒していたつもりで、どこかでは油断していたのだと気づかされる。父は悠然と足を組んで、また話を続ける。


「そして、それと同時に私のことを怖がるようになった。周囲に対してのそれと、同じように。――――いや、それ以上に」



 ただ淡々と事実を述べるだけの無機質な口調が鼓膜を揺らす。あまりにも冷静な分析に、心臓の音がドクドクと激しく音を鳴らす。混乱した頭を何とか巡らせてみても、何も言葉が出てこない。


 前世を知らない父に、私の本心が当てられるわけがない。だが、父の中で既に出されているであろう予測は、私の真実に近い気がした。それだけ、父の私に対する分析は的を射ていたのだ。


 話を止めなければ、と思う。適当に理由を見繕って、言えばいい。だが、父の瞳がそれを許さなかった。じっと私を見据えたその青い瞳は、私に真実以外を語らせようとはしない。何度も口を開きかけて、また閉じる。だから父の目を見るのが苦手なのだ。父の目を見ると、嘘をつけなくなってしまうから。


 結局私は黙り込むだけだった。父はしばらく私の反応を見ていたようだが、何も言わないことを察したのか、軽く肩をすくめる。そして次の瞬間、彼はその雰囲気をがらりと変えた。穏やかな笑みはまるで変わらないのに、その質がどこか違っていた。まるで逃がさないとでも言うように、父の目がスッと細くなる。



「ここから出される推論が一つある。お前が私を恐れている理由、それは――――私がお前にとって他の何よりも『死』をもたらすものだと考えられているということ」



 私はひゅっと息を呑む。


「お前は私に殺されるのではないか、と思っている。

……そう、私は結論付けたのだが」


 「合っているかな?」と、微笑む父に、私は震えを抑えきれなかった。




 父は私の態度が変化しても何も言ってはこなかった。何も言わないのは、特に気に留めていないからだと思っていた。しかし、そうではなかったのだ。彼は表面では私に対して何も言わなかっただけで、その裏では恐ろしく冷静に私を観察し、原因を探っていた。父は「合っているかな」と尋ねながらも、その言葉には確信の色が見えた。そして、彼はその確信を本物にしようと、私の反応を窺っている。


 完全に私のミスだ。父に私の心情を隠さなかったのも、むやみに二人きりになったことも。


 動揺してはいけない。せめて、彼にそれが真実だと悟られては、だめだ。そうでなければ、今ここで、すぐにでも殺されてしまうかもしれない。そう思うが、私は父の瞳から視線を逸らすことができない。父の青い瞳は私の心を見通しているようだった。瞳に映る色は穏やかなのに、彼の作り出す空気は重く私にのしかかってくる。威圧されているのだ。そう気づいて、私はごくり、と唾を飲み込む。誤魔化さなければ。彼の確信を揺るがさなければ。でも何を。何を言えばいい。彼の目を前に、私は嘘がつけないのに。




「――――なーんてね」

「……え?」



 しかし、そんな雰囲気は次の瞬間に霧散した。父の私を追い詰めるのを楽しむような表情も跡形も無く消え、そこには穏やかな表情が残るのみ。私は呆然と父を見つめる。



「からかってごめんね。ちょっと、最近お前の私に対する態度が冷たいから、少し意地悪をしてしまった」


 「反抗期にしても早すぎるだろ?」と、父は若干気落ちした様子でそう言った。




 ――――からかった、だけ?

 私はふっと、自然に強張っていた肩から力が抜けていくのがわかった。先ほどまで合った圧迫感がまるで嘘のように消えていた。体から力が抜けていく私の様子に、父は「ごめんね」ともう一度謝ってくる。本当に、からかわれただけだったのか。緩んだ空気に、震えが止まる。


 しかし、根底ではまだ緊張を解くことができなかった。いつものように笑う父を見つめながら、私は不安を拭えない。だって、からかうにしては、父の瞳に嘘が見当たらなかったじゃないか。彼はあの時、彼の中の推論に確信を得るために、本当に私を試していたのではないか。あそこまでわかっていて、どうしてそれ以上私を追及しようとしない。理解できない。



「おとう、さま」


 納得できなくて父を呼ぶ。父は「ん?」と首をかしげて私を見る。



「どうして、これ以上聞かないのですか」

 

 聞いてほしいわけじゃない。聞いてもらわないほうが私は助かる。でも、あそこまで知っているのに何故、何も変わらず私に接することが出来るのか。父が私を殺そうと思っているとして――――私の様子に危惧の念は抱かないのか。

 父はそんな私を見て、笑った。



「お前の今の状況に対して、何か思うところがないわけではないよ。母さんも心配して、私に今のお前を何とかしてほしいと言ってきているしね」


 そっと、ゆっくりと、父の手が私に伸ばされる。いつもの癖で硬直した私の頭に、父の手は思いのほか優しく乗せられた。



「だが、私はお前を信じることにした。だからお前が言いたくなるまで、私は待つよ」


 髪を梳くように私の頭を撫でた父は、目じりを下げて笑った。その笑顔には何だか見覚えが合った。

ぼんやりと見つめて、気づく。ああそうだ、これは父親の顔だ、と。慈愛を湛えた瞳に私が映りこんだ。私は、途方にくれたような、それは酷い顔をしていた。



 その時車が微かに揺れた。外を見ると、景色が動いていない。

どうやら車が止まったようだった。目的地に、ついたのか。

 父も私と同じように窓の外に目をやりながら、「楽しいドライブも終わりのようだね」と肩をすくめた。ゆっくりと私の頭から手が離れていく。思わず離れていく手をじっと見つめてしまう。


 父はそんな私の様子に少し笑みを漏らすと、「一つだけ、」と私に向かって言葉を漏らした。



「ただ最後に一つだけ、お前に忠告しておこう」


 父の声につられて視線を合わせる。父は優しい声色で私に告げる。


「このまま逃げ続けてしまえば、お前は永遠にそこから抜け出せなくなるよ。

世界に怯え、目を閉じ、耳を塞いだ先にあるそこは、きっとお前にとってとても居心地がいいんだろうね。だが、それでは何が正しいのかさえわからなくなってしまう」



 「私はお前に、そこにいてほしくはないな」と、父は優しく笑った。そして私から視線をはずして、車のドアに手を伸ばす。




「ゆっくりで構わない。それでも、凜。閉じている目を開けて、耳を塞いでいる手をどけてごらん。そうしたら――――」


 扉を開けた父が、先に降りて私に手を伸ばした。延ばすことを戸惑う私の手を、父が軽く引いた。




「案外世界は、お前が思っているよりもずっと美しいかもしれない」



 外を出た瞬間に香った花の匂いに混じって、父の柔らかで温かみのある香りが、鼻腔をくすぐった。



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