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父の問いかけ




 どうせ父は仕事が忙しいのだから旅行だなんて馬鹿げたものできはしないだろう、と高をくくっていたのが悪かった。一週間たったその日の朝。父は満面の笑みで私を迎えにきた。



「じゃあ、行ってくるよ」

「いってらっしゃいませ」



 楽しそうに笑う父に、いつのまにか用意されたのか、恐らく私の着替えが詰まった私のカバンが父へと渡された。逃げようにも、父に右腕を捕らえられていてできなかった。


 「楽しんでいらっしゃいね」と笑う母に必死で手を伸ばすが、母はひらひらと手をふるだけ。動こうとしない私を何の苦も無く抱き上げた父は、そのまま父が用意したのであろう黒塗りの車の後部座席へと私を押し込んだ。あまりにもスムーズな誘拐だった。


「これから行く敷地にはね、先祖が愛したと言う、それは美しい桜の木があるそうだよ」


 「お前に見せたいんだ」と、私を押し込めた父が本当に楽しそうに、私に言った。






 一宮の人間であろう初老の男性が運転する車が、一宮の敷地内を静かに走る。


 ずっと昔に先祖が森を拓いて作った一宮の敷地は、辺りを森林で囲まれており、その敷地は、とにかく広い。どれぐらい広いかまではさすがにわからないけれど、徒歩で移動するのは不便なほどには広かった。私の登下校も車が使われている。父は運転手にどこかの分家に行くように指示をしていたが、本家の敷地と分家の敷地は少し離れているために、行くには少し時間がかかるはずだった。それはつまり、その時間、父と近距離にい続けなければならないということで。



 先ほどから父が、これから行く先についての説明を、それは楽しそうにしていた。私はそれに適度に相槌を打ちながら、けれども決して父と視線を合わせないように顔を若干父からそらしていた。父の後ろに見える青々とした木々がゆっくり通り過ぎるのを、落ち着かない気持ちで眺める。






 まさか、こんなことになるなんて。今の私の心にはその言葉しかなかった。あまりにもあっさりとした誘拐劇にしばし呆然としていたが、ここで漸く頭が冷えてきた。今回のこれは、恐らく母もグルだ。玄関で父へと渡された大荷物を思い出し、私はため息をつく。おかしいと思ったのだ。急に旅行に行くなんて。あれは父の思いつきなどではなく、かねてから中々外に出ない私を連れ出すために、父と母が共謀して、計画を立てた上で、誘いに来ていたのだ。父と出来るだけ関わらないようにと心がけていたのに、突然、それも最悪の形でそれが崩れるとは。至近距離に父がいる空間に、居心地の悪さを隠せない。これからこんな時間が少なくとも一日は続くと考えると憂鬱だった。隙を見て逃げ出したいと思うが、さすがに分家の敷地からでは一人で家に帰れる距離ではない。それがますます私を憂鬱な気分にさせた。



 しかし、綿密な計画のもとの旅行とはいえ、父がちゃんと予定を空けられたことに少し驚きもあった。滅多に家に帰って来られないほど忙しいはずの父が、旅行なんてものを計画するのも驚きである。私の乱れる心を宥めるように、緩やかに車外の雑木林が通り過ぎていく。けれどそれでは宥めきれないほどに、私の心は乱れていた。





 父の話題は先ほどから専ら、これから行く分家の敷地にあるらしい所謂「幻の桜の木」の話だった。一宮の先祖が、それは愛したという美しい桜の木が、これから行く分家の庭にはあるらしい。それは周りでは「幻の桜の木」と言われており、見たものはその美しさに心を奪われ涙する、という。

 しかしその桜の木は、「幻」と呼ばれているだけあって、その家の広大な庭のどこにあるかはまるでわからないらしい。一目みたいと桜の木を探す人が大勢いたようだけれど、結局見つからなかったそうで、そこから「幻の桜の木」と呼ばれるようになったそうだ。なんとも胡散臭い話だ。先祖が愛した、と言う時点で既に胡散臭い匂いがぷんぷんする。だって先祖って、一体何千年前の話だ。どこにあるかわからない、ではなく、既に朽ちてなくなってしまったというのが有力そうである。



 そんなことを思いながら適当に父の話に相槌を打っていると、どうやらこれから行く先についての説明をあらかた終えたらしい父が、不意に口を閉ざした。父が喋るのをやめ、車内には、沈黙が流れ始めた。車の走る音だけが車内に響く。ずっと話しかけられるというのも疲れたけれど、沈黙も沈黙でなんだか居心地が悪かった。父が黙ったことで生じたその沈黙は、何だか私にとっては少し重たい。私はそんな気持ちを紛らわせるように、父を視界からはずして、再び、窓の外へと視線をやった。車は相変わらず木々の間を走り続けていた。延々と続く林をずっと眺めていても何にも面白くはなかったけれど、重たい沈黙の中にいる気持ちを、少しだけ紛らわせた。



 そんな沈黙を再び破ったのは、やはり、父だった。





「それにしても、落ち着いて会話ができるのは、何だか久しぶりだね」



 少し改まった口調で、父はそう切り出した。「この間もあまり時間が取れなかったし」と笑う父は少し申し訳なさをその声に滲ませていた。再び、今度は明確に私へと語りかけてきた父に、私は少しビクリと体を弾ませてしまう。何を返せばいいのかわからず、視線を父のほうへと向けたものの、結局父の肩辺りをさ迷わせた。父は視線を合わせられない私を咎めることなく、穏やかに私に話しかけてきた。



「学校はどうだい? 友達はできたかな?」



 それは普通の家の父親がするような問いかけだった。父のリラックスした態度での問いかけに、私の張っている緊張が少しほぐれる。しかし、完全に気を緩めることは出来ない。

 父は、家にいない間の家のこと、私のことを、たくさん私へ聞いてきた。質問に答えながら、私は何だか懐かしい気持ちになってくる。これは、五歳の誕生日のあの日以前、父が帰ってくるたびに私にしていたものと同じだった。父が私の近況について聞いて、それに私が答える。今ではもう、そんなに長時間父と話さないので、それはずいぶんと久しぶりのやりとりだった。

 私はやはり居心地の悪い気持ちは拭えなかったものの、さすがに、明確に私へ投げかけられる問いを無視するわけにもいかず、ポツリポツリとその問いに返答していた。





「最近外にずっと出ていないようだけれど、外は嫌いかい?」 

「……いいえ」



 父の質問は、私の最近の振る舞いに対する問いが特に多かった。外に出ない理由。学校に行かない理由。希薄になった、人間関係。質問を受けながら、この旅行は、私を外に連れ出す機会をつくるため以外にも、私の考えていることに探りを入れるために催されたものなのだろうな、となんとなく思い至った。

恐らく母から私の状態を聞いている父は、さすがに私の今の状態に何か言わざるをえなくなったのだろう。母にもずいぶんと心配をかけてしまっているようだし。




「それじゃあ、最後の質問だ」



 いくつかの質問をした後、あらかた質問を終えたらしい父が、そこで一息をつくと、改まったような声でそう言った。漸くこの質問攻めから開放されるらしい。私は俯いて、小さく息を吐き出す。

 随分とたくさんの質問をされた気がする。私の心を推し量るような父の質問は、答えるのに酷く神経を使った。もうあらかた質問はされきったと思うけれど、まだ何か聞くことがあるのだろうか。俯いたまま、次の質問の内容を考えてみる。


 質問をされていてわかったけれど、父はよく私の行動を把握していた。誰からの情報か、家の様子だけでなく、学校での様子についても知っているようで、私の学校での行動や、ちょっとした癖や習慣についても、つぶさに聞いてきた。しかしそれらももう質問されきったと思う。一体まだ何を聞くというのだろうか。




「お前は……」



 考えを巡らせていると父の声がかかった。ふっと顔を上げる。父の表情は変わっていない。何度も質問されて、少し気が緩んでいた私は、少しぼんやりしてその問いを待つ。






「――――お前はどうして、私を恐れているのかな」




 だから、何の備えも無いまま唐突に投げかけられたその問いかけに、思わずあからさまに体が跳ねた。

父と視線が絡み合う。ずいぶん久しぶりに、父の目を直視した気がした。父は私を責めるでもなく、目を細めて、ただ穏やかな色を瞳に滲ませていた。




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