風・降り立ちて
02 - 04:風・降り立ちて
騎士とはつまり、精霊を鎧としてまとう者の事だ。
術式により鎧を召喚し、着装する。
召喚する鎧は本人の資質により大きく左右されるため、様々な鎧の形が生まれる。
全身を覆う轟鴎のような鎧がやはり一般的だが、歌穩のように体の要所を守る鎧というのもそれなりに多い。その点、閃のように鎧と呼べないようなものは圧倒的少数派であり、珍しい部類に入る。
ちなみに、閃は軽装である代わり強力な防御術式が常時展開されているため防御力自体は非常に高い。
轟鴎は風、錫禅は炎、歌穩は水、閃は雷という風に騎士たちは多彩な能力を各々持っているが、その能力の傾向は鎧の『彩』に左右される。
鎧を構成する精霊がどの属性を持っているかが、その能力を決めるのだ。
そして、騎士の鎧はそれ自体が無数の精霊術式を秘めており、騎士はその力を僅かな呪文で発動させることができるのだ。
それだけでなく、少し意識を向けるだけで精霊に属性を与え操ることもできる。轟鴎や錫禅が風や炎をまとって戦うように。
これら多彩な攻撃手段と堅固な防御力が騎士鎧の存在価値といえる。
ところが、その騎士たちの中において例外が存在する。
発生したというべきか。
これまではなかったものが、唐突に生まれた。
それこそが龍夜の存在である。
漆黒騎士・刃牙。
精霊が属性を持たないが故か彩を持たない、漆黒の鎧をまとう騎士。
彼はいかなる精霊術式を展開することもできないという、本来の騎士鎧に真っ向から勝負を挑むような奇跡っぷり。
無論完全に使用不可能というわけではない。たとえば、精霊の風のような精霊だけをぶつけるような術式を使えば『鎧に織り込んだ術式での攻撃』は可能である。
逆に言えば、それしかできない。
しかもそれもレギオンに大しては効果が薄くなる。轟鴎のように、属性を持たせることができないためだ。ニュートラルな精霊ではぶつけたところでレギオンに取り込まれる危険さえある。
故に刃牙の攻撃手段は直接攻撃のみに限られるというキワモノっぷり。
固有術式による攻撃手段はなく、運動補助や強化などの補助術式のみを頼りにレギオン相手に肉弾戦を挑む。
これは騎士に限らず類を見ない戦い方だった。
場合によっては極度のマゾとかいった扱いを受けかねないレベルで。
なぜ、このような事が起きたのか。
様々な憶測が生まれた。
本人の資質に問題があった。
鎧生成の術式に問題があった。
本人と調和する精霊の属性がなかった。
そもそも例がないだけで常に内包されていた可能性だった。
等々。
それらに対して龍夜は口を閉ざし、何一つ語ろうとはしなかった。
否、唯一三奈に対しては口数少なく語ったことがあった。
例えば、彼は確かに騎士としての適性が低かったこと。
鎧を形成するために必要な『契素』が必要最低数に毛が生えた程度の数しか存在せず、鎧の形成自体が非常に困難であった。
例えば、彼が鎧を生成した術式はそのためにほぼ根本からの改造を施したこと。
鎧を形成するための術式は古くから伝わるもので、それは一度自分に使ってしまえば鎧の形が固定されてしまい二度とは使えない。そのため、普通に鎧を形成してはろくな物にならない事が分かりきっていた龍夜は、それを自力で組み替えた。騎士が自分自身に合わせて鎧をカスタマイズするのはよくあることだが、術式の構造自体に手を加える例は少ない。それをできる技術者がほぼ皆無だからだ。
それを龍夜はどうやってか、自力でやり遂げた。
そのように、三奈に語ったことがあった。
三奈はそれを誰にも語らず、ひっそりと胸に秘めている。
そうまでして騎士になる龍夜の想いを、結局聞き出せなかったからだ。
以上の事情から漆黒騎士と通常の騎士ではその戦闘方式が大きく違う。
刃牙では逆立ちしたところで普通の騎士のような戦い方はできないし、普通の騎士は刃牙のようなリスキーな戦い方を選ぶ理由がない。
結局のところ、刃牙は圧倒的防御力を有した剣士、でしかないのだ。
故にそれまで騎士団と共にレギオン討伐に当たる際には、彼は率先して露払いのような役割を買い、主戦力として前に立つようなことはなかった。防御力と狭い範囲での機動力に関しては高い評価があるため、囮役になることも多かった。
目に見える実績として<権天使級>を倒したのは、最近の件が初めてだったのだ。
しかし、そうなると次の疑問が出てきた。
どうやって<権天使級>を倒したのか、ということである。
切り刻めばいずれ消滅する<大天使級>までのレギオンとは違い<権天使級>には『核』がある。これを滅ぼさない限りレギオンは無限に再生する。
一般的な対応としては、レギオンの肉体を構成する精霊に対して高密度の精霊による攻撃を加えることで『核』に負荷をかけ討伐するという手法が取られる。
しかし漆黒騎士ではこれができない。
だが事実として<権天使級>を討伐した。
それは漆黒騎士が世に出た当初と同等かそれ以上に、多くの者の関心を引いた。
その方法は三奈も知らないが。
おおかたの予想は付いている。
彼女は実際にその存在を知らされてはいないが、龍夜には随分と頼りになる『相棒』がいる事は、なんとなく感じていた。
あるいは。
レギオンの『核』を狙い撃つことも可能だろうと。
そう予想はしていた。
していたが、まさかそんな世迷いごとをいち事務員兼姫の世話係が口にするわけにもいかず。
こうして、むっすー、と不機嫌極まりない顔をする可愛らしい姫を見ていることしかできない。
「まだ不満ですか、今日の戦闘が」
戦闘後の事後処理も終わり、ようやく騎士団日本支部ビルへと戻ったのは、日が沈んだ頃だった。
未明から戦闘準備を行い昼前に戦闘。そのまま事後処理をしてと引き上げるというなかなかにハードなスケジュールは、姫の体に重い疲労を残した。
「不満のない戦闘なんて今までにありませんよ。それでも、今回は反省点が多すぎます」
姫が特に気にしているのが、工の怪我の具合だった。
足を貫かれさらには腕も半ばまで切断された工。
応急処置をした遊乃の腕が良かったため傷自体は後遺症も残らずに済みそうだが、よほど強い衝撃を頭に受けたのか、半日たった今でも目を覚まさない。それが心配だった。
ちなみに事実関係をチクろうとした大輔は遊乃に捕まり裏で締め上げられたため、姫が真実を知り無駄な心配をしていただけだということに気付くのはまだ先の話。
目的である討伐には成功したものの、一人は重傷。
戦闘自体にしても連携が満足にとれているとは言えず、また、閃以外は時間限界ギリギリ。
時間限界――着装限界と呼ぶ――鎧を顕現できる制限時間には個人差があるのだ。今回、それをギリギリまで使うはめになった。
とても諸手をあげて喜べるような状況ではなかった。
「そもそも今回のレギオン発生には当初から不明点が多すぎました。
結局誰も、あのレギオンたちの『名』を聞いていませんし。一体誰があのレギオンたちを顕現させたのか……また、顕現させたその当人はどうしたのか。
それ以前になぜ誰も気づけなかったのか」
「念のためにまた情報を集めてもらえますか。ここ数年の間で似たような事例がないか」
「それなんですけれど、この間龍夜さんのケースを調べるときに、実は似たような事例がありまして。
あの時は探しているものと若干違ったので除外したのですが」
そういいながら、いくつかの事例のデータを姫の端末に転送する。
データを受け取った姫はさっそくそれを流し読む。
しばしの無言。
「……二年前、半年前、それと三ヶ月前。確かに同じようなケースですね。
最初のケースはロンドン……次に中国。三ヶ月前のは九州ですか。
こちら、担当したのは?」
「ロンドンと中国のケースに関しては各国の騎士団が。九州のケースも現地の騎士が数人がかりで対応しています。ただ……」
「ただ……?」
「そのどれもが騎士が複数人いるところへの唐突に<力天使級>が現れた遭遇戦だったみたいで」
「……全部が?」
「はい。事件にあったという騎士にも直接確認してみましたけど、友人同士で休暇をあわせて遊びに出かけたところにいきなり……だったそうで」
となると今回のはまた別口のパターンだろうか。
いや。
そうは思えない。
今回レギオンの発生に気づいたのは、謎の情報があったからだ。富士樹海に<中位>のレギオンが発生していると。
その人物が、遭遇してそのままやられたとしたら?
「いえ、それもおかしいわ。三体の<力天使級>を不用意に顕現させれば自分がどうなるかくらいわかるはずだもの。それを騎士団に知らせて到着を待たずに『名』を尋ねる? ただの自殺志願者だわ」
「そうなんですよね。
過去のケースは十分な戦力がその場にあり、その上<力天使級>という緊急の対応を要する相手だからこそ、その場ですぐに討伐しています。それにきちんと、近くの騎士団にも知らせているんですよ。
今回はそれらとは全て状況が食い違いを見せています」
「嫌味なくらいに、きれいに、ね?」
「……ですねー」
ここまできれいに状況を揃えられてしまうと、何者かの意志の介在を疑わずにはいられない。
しかしそうなると同時に面倒な仮説を前提としなくてはならなくなる。
「レギオンの発生を感知できるような、そんな力を持った存在が、こちらを誘導している可能性かぁ。
三奈、そういった存在、聞いたことはある?」
「あれば騎士団どころか世界中の術者の話題総ざらいですよぅ」
「ですよね」
はぁ、とふたりならんでため息をつく。
「そういえば」
気分を変えるために、三奈はあえてその話題を引っ張り出した。
「龍夜さん、ようやく怪我が完治したみたいですよ」
「……、そうですか」
微妙な間をおいて微妙な表情で微妙な返事をする、姫。
三奈がこの話題を出すのは嫌がらせなどではなく、良くも悪くも姫の気分を変える効果を期待してのことだ。
ついでにいうと、彼女が龍夜の話題をするのが趣味だという理由もある。
「といいますか、なぜ<権天使級>を討伐出来る実力がありながら百体の<天使級>相手に遅れをとりますか、彼は」
そういう姫の顔は不満気だ。
それがどんな感情から生まれるものなのか想像しながら、三奈は一応フォローを入れる。
「龍夜さんの鎧、性能が一対一に特化していますから。
普通の精霊術式も使えるみたいですけれど、それまでに使い過ぎて体力枯渇してたみたいですし。
たまにやっちゃうんですよ彼、そういう迂闊な事してドツボにハマるって。何度死にかけても治らないんですよね」
血なまぐさい話題の割にほんわか楽しそうな三奈。
「…………」
「? どうかしましたか、姫」
姫のジト目に気づいた三奈が首を傾げる。
「いえ別に」
貶しているくせになぜかのろけに聞こえた、ということに対しての無言の抗議とはさすがに気付かなかった。
書類をまとめて鍵付きの引き出しにしまい、小さな手提げカバンを手に立ち上がる姫。
「さて、今日の作業もこれで終わりです。三奈はまだ用事?」
「いえー、わたしも今日はそろそろ。
というか姫様、そんなに根を詰めなくてもいいんですよ? まだ学校だってあるんですし。
土日のたびにここに来ていては大変じゃないですか?」
「平気です。どうせこれから先の時期の中学三年生なんて消化試合みたいなものですから。出校日だけ押さえていれば普通に卒業できます。
三奈も私の成績は知っているでしょう? なんにも問題ありません」
「うーん、まあ、そうですけど。あ、ほら、友達とかは……」
「…………」
さっと視線をそらす姫。
ああやっぱり相変わらずかぁと追求をやめる三奈。
その容姿と必要以上に丁寧かつ距離感をわきまえた態度と不定期に学校を休む、というキャラクターは、普通に考えて学校生活の場から弾かれて当然である。特に出席日数と必要単位の計算を覚えて効率的に休む、といったダメ技術に分類されるスキルを身につけてからは三奈も半ばあきらめの境地だった。
それでも、同年代の友人というものを持って欲しいという想いはある。
さらに希望を述べるのなら、騎士のように生傷の絶えない世界とは無縁の、普通に日の当る世界の友人を。
三奈自身、そういった存在に幾度と無く助けられたからこそそう思うのだが、姫にそれを伝えるのはなかなか難しいところがあった。
姫は強すぎる。
今日の戦闘に関しても、姫が加わるだけで戦況は有利どころか勝利確実になっていた。
が、そのためにはクリアしなくてはならない問題が幾つもあり、姫の実戦投入はなかなか機会がない。しかし戦えば確実に勝利する。
それほどの力を幼くして制御する必要に迫られた。
そしてそれに応える知性と自制が存在した。
精神の成熟を強いられ、他者との違いを自覚せざるを得ず、己の存在価値を認識せずにはいられなかった。
その境遇が姫を孤独にするも、彼女はすでにそれを苦と思うだけの経験すら積めずに歳を重ね。
孤独の平原にぽつんと立ち、その孤独に自分自身さえ気づいていない姿に『誰か』が重なってしまう。
「……高校では友達ができるといいですねぇ」
「別に、騎士団にも三奈意外にも友達はいますから」
「でも片手の指の数が余るのは、ちょっと……」
「うううう……」
ついに涙目になる姫。
ちなみに三奈はそういう姫の顔も大好きだ。別にわざと泣かせようとは思わないが、わざわざご機嫌をとらずに自力で立ち直るまで存分にその表情を堪能する。
「三奈はたまにイジワルです」
「そんなことないですよ、普通です普通。超普通」
「そうでしょうか……」
疑わしい視線を向けるが残念ながら裏付けを取れるだけの友人関係が彼女には存在していなかった。
部屋を出て鍵をかけ、廊下を歩く。
騎士団が拠点としているビルは二十四時間稼動し続けるが、本格的に忙しくなるのはむしろこれからの時間だ。
すれ違う同僚たちと挨拶をかわしながらエレベーターで一階まで降りると、なにやらエントランスがにわかに騒がしくなっていた。
「何かあったんですかね」
「さあ、私はなにも聞いていませんが」
二人は顔を見合わせる。
出口付近に人が集まっており輪になっていた。
「どうかしたんですか?」
近場にいた中年の男性に問いかける。
「ああ、鈴橋さんと……それに、姫様も。
いえね、ちょっとした喧嘩ですよ、喧嘩」
「喧嘩って……これから忙しくなるのにそんな事で体力使うつもりですか? というかこんなところで辺に暴れて被害がでたらどうするんですか」
呆れる姫にしかし、若い隊員は笑って答えた。
「なあに、大丈夫ですよ。どうせすぐに決着付きますから」
その言葉と同時にバヂリと光が音が弾け、ぎゃっという男の悲鳴が響いた。
一瞬の間の後、うおおおおお! という歓声が上がる。
どうやら決着がついたらしかった。
「今の、何です?」
「術式の軽いぶつけあいだよ。
ノーガードで相手に術式をぶつける。互いに使える術式と使用回数を限定しているから、速さと読みが勝負の決め手だな」
「へえー。で、結構儲けてるんですか?」
「いやあそりゃあもう、いい具合に盛りあが……って……」
さあー、と中年の隊員の顔から血の気が引く。
さらりとカマをかけた三奈は涼しい顔。その隣りの姫はじとっと隊員を見ている。
最大限の侮蔑と軽蔑と落胆とその他もろもろの感情を込めた視線だった。
「……へぇ」
姫の視線がふっと横にそれる。
「う……うおおおおおお! す、スミマセンでした姫ぇ! 俺が、俺が悪かったです!
だからその冷たい視線をやめて下さい! いつものあったかい笑顔を見せて下さいいいい!!」
マジ泣き入った男の声で、ようやく回りの人々も姫がここにいる事に気づいた。
それぞれ焦ったり手を振ったり急いで回れ右して全力で逃げたりそいつにつかみかかって引きずり倒したり、非常にみっともない。そのほとんどが成人以上だというのだからさらにひどい。
その奥からひょっこりと小柄な少女が顔を出した。
薄い栗色の髪を肩まで伸ばし元気な笑顔を満面に浮かべ意気揚々と、全身に雷を纏った(・・・・・・・・)少女。
騒動の片割れを発見して呆れたというよりは納得の表情を浮かべる姫。
「おー、姫ちゃん! どったのなんか疲れた顔してるけど」
「あなたは元気ですねアリカ。朝にあれだけの戦闘をしてきたというのに」
「あははっ。まあアタシはね! ただ全力を出せばいいっていうか、それしかできないからさ、疲れはするけど辛くはないんだ」
ぐっと拳を握り腕を曲げるアリカ。無論力こぶなどはできないが、それだけで元気がありあまっている事は見て取れた。
「元気がありあまっているはかまいませんけど、あまりおおっぴらに騒ぐものではありませんよ?」
「うん、わかった!」
本気で分かっているのか非常に疑わしかったが、姫はそれ以上の追求をやめた。
天隙騎士・閃の着装者であるアリカ・ミチロギ。
その性格を一言で表すのなら『自由』という言葉に尽きる。
「それにしても、一体どうしてこんなところで喧嘩を?」
三奈の疑問はもっともだった。
騎士が集まる場所なだけあって、周辺だけでなくビルの地下にもそれなりの訓練場が存在する。
結界も張ってあるためちょっとやそっとでは壊れない、緊急時にはシェルターにもなる優れものだ。
そんなモノがあるせいで全力の決闘をやらかす連中が発生するのがたまにキズではあるのだが。
「いやさ、なんか馬鹿みたいなこと言ってるヤツがいて、すんごいムカついたからついね」
ぷくっと頬をふくらませるアリカは本気で腹を立てている様子だった。
「はあ。あなたがそこまで怒るなんて珍しい。なにがあったんですか?」
うん、とアリカは頷いて、簡単に経緯を語った。
ざっくりと話を聞いた三奈と姫は揃ってため息をついた。ここしばらくでため息の回数がうなぎのぼりだ。
「まあ、なんというか……情けない話ですねー」
「言葉も出ません」
「だよね、だよねぇ」
我が意を得たアリカは嬉しそうにジュースをずずっと飲み込む。
三人は場所を変えて、騎士団ビル内の食堂で軽い食事をとっていた。
アリカの喧嘩の経緯は、ざっと以下の感じだった。
アリカが本日の戦闘の記録や訓練、待機任務を終えて帰ろうとしたところ、一人の若い騎士が気になることを口走った。
曰く、『漆黒騎士はレギオン討伐に関する重大な秘密を握っているに違いない』という事だった。
そうでもなければまともに術式を扱えない漆黒騎士が<権天使級>を倒せるわけがない、というのだ。
それは多少なりとも誰もが考えたことであり、同時に切って捨てた考えだった。
そのようなものがあるのならばさっさと公開してしまえばいい。仮に現状よりもレギオンを効率的に倒す手段があれば、彼自身の生存率も飛躍的に上昇するのだから。
対レギオンの姿勢をとったとき、人類が情報を秘匿せずに共有する傾向が生まれやすいのが、対レギオンの情報が対人間にはおよそ有効でないものが大多数であるからだ。
無論、強力な術式や特殊な現象を引き起こす手段などはそれぞれの組織で秘匿しているが、レギオン討伐に関してのノウハウは新しいものが発見され次第公開されるのが常だ。それ以外に使い道がないのだから。
だから漆黒騎士がそれを隠すメリットは何も無い。むしろ騎士団がその技術とやらを習得し人員の回転率を上げることで、彼自身にも恩恵があると考えるのが道理。
しかしその男は、漆黒騎士は何かを企んでおりそれを秘匿しているとのたまった。
呆れて物が言えないとはこのことだ。自分自身の空想だけで物事を断定する。それはもはや妄想と言っていいレベルの妄言だ。
アリカも呆れてそれを指摘した。
だが男は自分の意見を曲げずに、あろうことか漆黒騎士を――龍夜を侮辱する発言をした。
『どうせ落ちこぼれの騎士の成り損ないみたいなヤツだろう。どんな怪しい邪法を使ってんだか得体が知れねえぜ』
『はあ? アンタなにさ、龍夜に会ったことがあるわけ?』
『そんな事ないけど、あわなくたってわかることがあるさ』
『バカみたい。あんたがどんな騎士かなんて知らないけど、あんたじゃ龍夜の相手にもなんないに決まってるよ!』
『なんだと……俺を馬鹿にするつもりか?!』
『バカにバカって言ってなにがわるいんだ!』
こんな感じで今にも鎧を召喚しそうなところで、途中で割って入った術者の男が先程の勝負方式を提案した、というわけだ。
「アリカも無茶しますねー。今日はもうそんなに着装限界まで時間残ってないでしょうに」
「ふんっ、あんなの相手に鎧なんていらないよ!」
「まあケンカになりそうになったのはどうかと思いますけれど、アリカの意見がこの場合は正しいでしょうね。
まったく、いつかそんな人が出るかもしれない、とは思っていましたけど、まさかうちから早速出るなんてさすがに落ち込みます」
「バカだよねー。ああいうヤツは本人に会ったら直接言っちゃうよ、たぶん。あはは、そうなってたほうが面白かったかな! あいつ、龍夜にやられたらきっと立ち直れないよ!」
「うわぁ黒い。アリカ、あまり人の不幸を笑うようなことはしちゃだめですよ?」
「あははは、三奈だって真っ黒なくせに変なのー!」
仲良くかどうかは判然としないが、笑いあう友人ふたりを見てふと疑問を抱く姫。
「あのう……」
「はい?」
「んう?」
「ふたりとも、あの人が負けるとは思っていないようですけれど……」
「うん、負けないよ龍夜は」
さらりと断言するアリカと、
「まあそういったくだらない事を言うような人に負けるようなら愛想尽きますし」
信頼なのかどうでもいいのかよくわからない返事をする三奈。
「ていうかー、アタシにも勝てないんじゃ龍夜には勝てないよ。アタシいまのところ負け越しだもん」
「え、アリカあなたあの人と戦ったことがあるんですかっ?!」
「わたしもそれ、見ましたよ。何度もしているとはさすがに知りませんでしたけれど」
天隙騎士・閃は精霊術式による広範囲殲滅を得意とする騎士だ。
強力すぎて制御に難があるため集団戦では活躍の場は少ないが、少数による連携や個人戦では無類の強さを誇る。
それが、負けた?
しかも、何度も?
「相性が最悪だと思うのですけれど……」
多彩かつ強力な精霊術式による攻撃手段を持つ閃と近接攻撃手段しか持たない刃牙。
距離をとって戦えばまず閃が負けることはないように思った。
「あ、もしかして近接戦限定戦だった、とか?」
「いいえ姫様。わたしが見たのは一度きりですけど、その時はなんでもあり――術式制限なしの広範囲フィールド戦闘で、八十七秒で漆黒騎士・刃牙の一本勝ちでした」
「そそそ。それが最初の時だね。相性が悪いっていうならむしろアタシの方が悪いんだ。アタシの攻撃は大雑把だから――龍夜はその隙を付いてくる。雷撃の僅かな隙間、術式と術式の微かな間、そこを逃さずに一直線に向かってくる龍夜は――刃牙は、とっても怖かったよ!」
自分の敗北をしかしアリカは、目を輝かせて語る。
まるでお気に入りの映画のヒーローを語るように。
「それ以降の戦績はどうなっているんですか?」
「アタシが二勝で龍夜が四勝! ここ最近は連勝してるよ! まあ、もう一年以上やってないから今やったらどうなるかなんてわからないけどさ!」
「そう……なんですか」
そう嬉しそうに語るアリカの様子からして、最初の頃は完全に圧倒されていたのだろう。
この話は姫にとっては意外なことだった。
「まーそれでも<権天使級>を楽に倒せるかっていうと、そんな事はないんだろうけどね。刃牙の刃を一度鎧でうけてみれば分かるけど、あの斬撃、すごいんだ。重くて速くて鋭くて――でも、やっぱりレギオンを倒すにはちょっときついと思う。
龍夜の精霊術の腕を考えたら、鎧を使わずに生身で術式だけで戦う方がまだ倒せるんじゃないかなぁ。まあ、その分死ぬ確率がすごいことになるだろうけど」
「ですよね。さすがに何か革新的な情報を隠しているとは思いませんが、どうやって倒したのかは興味があります。
……三奈、どうしたんですか?」
「いえー、別に」
曖昧な笑みを浮かべる三奈に首を傾げる姫。
三奈は返事をごまかした。
まさかこの状況でトンデモ理論を発表するわけにもいかず。
そのまま話題は雑談へと移っていった。
「それじゃーね、三奈、姫ちゃん」
大きく手を振るアリカを見送って、三奈と姫は逆の方向へ歩き出した。
「アリカはいつでも元気ですねー」
「もうちょっと落ち着いてくれるといいんですけど……」
夜の道を歩く二人。
九月も半ばを過ぎたもののまだまだ暑さの気配は強い。それでも秋の気配を感じられるくらいに風の中に涼しさを感じることができた。
「元気なのは結構ですけれど、それを内側に向けて発散させられるのは困りものです。
あのこの相手をできる人材なんてそうそういるものでもないんですし」
それでも無闇にケンカをふっかける性格でないことを承知しているからか、姫はどこかおかしそうな様子。
「そういえば三奈、アリカはどうしてあの人と戦う事になったんですか?」
「ああ、それなら簡単な事ですよ」
三奈は当時の事を――二年前の事を思い出そうとして。
刹那、姫の右手が掻き消える。
ぎいん、と甲高い金属音と共に足元のコンクリートにスローイングナイフが突き立った。
「……へ?」
突然の出来事に思考が追いつかない三奈の前に、いつの間にかカッターナイフを手に持った姫が歩み出る。
「随分と突然な挨拶ですね。いくらあなたでも礼儀くらいは知っていると思っていましたけれど?」
チキ、チキ、チキ、とカッターナイフの刃を少しずつ伸ばしてゆく。
音がひとつ重なるたびにびりびりと大気を震わせるほどの怒気が空間を侵食する。
三奈を狙われた。
彼女を激情に駆り立てる理由としては十分過ぎた。
その怒気を全身に浴びせられて。
ふわり、と女が空間から溶け出した。
唐突に現れた二十代前半とおぼしき白いロングコートの女は、あくまでも笑顔で。
三奈は彼女をよく知っていたし。
真っ先にその存在に気づいた姫もそれは同じ。
「一体どういうつもりですか、南雲隊長。事と次第によってはいくら私でも自制を放棄しますが」
「う、ふ、ふ、ふ。それも素敵な話だけれど、望ましい話じゃないわ。
大丈夫、あなたの腕を信用してのことよ、お姫様。きちんと殺気を込め急所を狙っていたでしょう?」
笑う女の言葉にゾッとする。
彼女――南雲朝緋の言葉のとおりなら、もし姫が気付かなかったり反応が遅れたりしていれば三奈は危うく命を奪われるところだったのだ。
そしてそれを許す姫ではない。
ナイフを撃ち落とす事が間に合わないと判断した瞬間、命をかけて三奈をかばったであろうことは容易に想像がつく。
つまり。
本当に間に合わなければ犠牲になるのは姫になる。
「南雲隊長、あなた一体――!!」
目の前が真っ赤に染まる三奈を、朝緋は右手を差し出すその動作だけで黙らせる。
単に意識を向けられた。それだけのことで息がつまり言葉を殺される。
存在感の絶対的な差。
騎士としての究極の形のひとつ。
その恐怖に全身が竦む。
それでも。
視線だけは抵抗をやめない。
そんな三奈に、朝緋はにこりと微笑んだ。
「三奈ちゃん、駄目よ。あなたはお姫様のアキレスなのだから。
騎士団の誰もが忘れがちだけれど、私たちの敵はレギオンだとしても、レギオンだけが私たちを敵としてる訳ではないのよ?
油断しちゃあ、だめじゃない。
一番怖いものは、レギオンじゃないでしょう?」
「あなたに言われるまでもなく知っていますし自覚しています。
わざわざそんなご高説を聞かせるためにやってきたんですか? 久しぶりに日本に帰ってきたと思ったら、随分と暇なのですね」
姫はカッターの刃を朝緋に向ける。
表情は、無。しかし瞳には強い光が込められている。
「くす、くす、くす。そんなに怒らないでよ。
大丈夫、大丈夫よ。何もとって食べようだなんて、考えていないから。
本当はアリカの気配を追ってきたのだけれど、貴方達がみえたから、先にこちらに来たのよ。
三奈ちゃん。貴方に、お願いがあったから」
「お願い、ですか」
思わず表情を硬くする三奈に、朝緋は変わらない笑顔を向ける。
手に提げた鞄から、小さな黒銀の腕輪を取り出した。
「これをね、あのこに、届けておいて欲しいの。何に使えるかはわからないけれど、あのこなら、何か使い道を、見つけるでしょうから」
ふわりと腕輪が浮かび上がり空を滑り三奈の目の前へ。
途端、三奈を縛っていた圧力が霧のように掻き消える。
そっと手を伸ばし、腕輪を取ろうとしたところで、横から入った手がそれを掻っ攫っていった。
腕輪をよこから奪った姫は、月光に晒すようにして腕輪を観察する。
「……別に仕掛けがあるわけでもないようですね」
「あら、ひどいわ。疑うの?」
「気をつけろと、先ほど誰かに注意を受けましたので」
「ふ、ふ、ふ。そう、ね。貴方の言う通り、とても、とても、正しいわ、お姫様」
くるりと、背を向ける朝緋。
「それじゃあ、あのこに――龍夜に、お願いするわね、ふたりとも」
言葉を残して、現れた時と同じように、姿が薄れて消えていった。
二人は無言。
何も言えずに立ち尽くす。
「まったく……ただお土産を渡したいだけなら、自分でやればいいものを」
先に口を開いたのは姫だった。
既に普段の調子を取り戻したのか、表情も声も硬さが消えている。
手にしていたナイフも、いつのまにやら仕舞いこんでしまったらしい。
しかし。
「……姫様、すみませんでした。わたしは、」
「黙りなさい、三奈。他人のくだらない意見を受ける必要なんてないわ」
三奈が何かを言いかけて、強い口調で遮られた。
「彼女の言うことももっともだけれど、それだけが全てではありませんし在り得ません。
他人が怖いからという理由で全てに怯えるなんて馬鹿馬鹿しいにも程があります。
だから三奈、貴方は私の傍にいて下さい。お願いします」
ぺこりと、きれいに腰を折って頭をさげる姫。
「そ、そんな姫さま! やめてください!」
慌てる三奈だが、姫は決して姿勢を崩さず。
だから。
「うぅ……姫様、私からもお願いします。
私は姫様の側付でいたいのです。だから頭を上げてください、姫様。
そんな風にされてしまったら、困ってしまいます」
「はい、わかりました」
三奈が認めてようやく姫が頭を上げる。
からかうような視線に、羞恥で三奈の頬が朱に染まる。
「ふふ、いつも三奈にはやり込められてばかりですから。たまには、私の気持ちも味わってください」
「ううう……そ、そんな事よりも!」
早くこの窮状を脱したいために、とりあえず話題の変更に出る三奈。
「そ、そのブレスレット! それ、龍夜さんに届けないといけないんですよね!」
「ん、ああ。これですね。
はい、三奈。お願いします。特に何か危険があるわけでもないようですから、普通に扱って大丈夫ですよ」
黒銀の腕輪を姫から受け取る。
よく見てみると、精緻な装飾が施された見事な腕輪だった。
幅五ミリほどであるというのに、ぐるりと一周で何かの寓話を表しているようだ。
竜がところどころに出てきて、最後に人が槍を突き立てているところを見るに竜退治の逸話らしい。
「……え、これ龍夜さんにあげるんですか?」
「まあ確かに私も選択肢としてはどうかと思いますが」
龍夜――ドラゴンの字をその名に刻む人物に対しての贈り物としては、あまり趣味が良いとは言えない。
「それにしても南雲隊長は随分とあの人を気にかけていますね。なぜなんでしょう」
「さあ……龍夜さんもそこまでは」
結局。
話はそれで終わり。
二人はいつも通り、自宅へと戻ったのだった。
結局アリカと龍夜が戦うことになった二年前の件を姫に話忘れた事に気づいたのは、家に帰ってさあ寝るか、という段になってからだった。
そういえば。
あの戦いも、発端をたどると南雲隊長の発言が原因だったな、と。
そんな考えが浮かんで。
すぐに消えて眠りに落ちた。
主人公の出てこない話、二回目。
次から話が龍夜へ戻ります。