闇・蔓延る
02 - 03:闇・蔓延る
レギオンは夜行性だが、何も夜しか活動しないというわけではない。
低位のものは活動範囲も活動時間も限られてくるが、高位のものになるごとにその制限は小さくなる。
騎士団の記録にも数体しか残されていない<熾天使級>は何の制約もなく思うがまま、望むがままにその暴威をまき散らしたとされている。
富士樹海。情念渦巻くこの森はこの国の騎士にとって最も危険な土地の一つである。
「<力天使級>三体、<大天使級>を多数引き連れて方向を北へ修正。どうやらこちらに気づいたようです。速度は秒速四十メートル。十七秒後に烈華、翠風両騎士交戦を開始します。戦闘開始確認後、残り二名も待機場所から現場へ直行、奇襲をかけます」
手元の端末に次々に送られてくる情報を即座に整理し、状況を告げる三奈。
彼女の隣には、暗い森の中にあってなお白い姫の姿。
二人は敵の迫る前線からさらに三百メートルほど離れた位置で、さらに数名の護衛(彼らは騎士ではないが)とともに待機していた。
三奈は情報の収集、集約を担当。姫は作戦指揮及び切り札としてここにいる。
<力天使級>三体相手に騎士四人は戦力としては足りているが、万全とは言いがたい。対処を間違えば最悪の結果になりかねない。
「本当はあと二人……<力天使級>の倍の数は用意したかったのですが」
「仕方ないですよ姫様。今はむしろこの状況で四人集まったことを喜ぶべきかと」
「相も変わらず人手不足は深刻ですね」
肩をすくめる。
プレッシャーは一瞬毎に大きくなってきている。森の奥の奥に得体の知れない存在を感じる。
もはや三奈からの報告を聞くまでもなく、その瞬間の訪れを肌で感じる。
そして。
「戦闘――開始」
三奈の言葉と同時、森の奥で閃光が生まれ、上空に向けて巨大な火柱が立ち上る。
離れていても肌を焼くほどの熱風が吹きつけ、草木を激しく揺らした。
「遭遇の第一撃で<大天使級>の大半は消滅。残りは散り散りに逃げているようです。どうしますか、姫様?」
「ここで放っておけば後々都会へ出てくることは目に見えています。被害が出ることが分かっていて見逃す必要はありません。術師に対応させてください」
「了解です。皆さん、お願いします。一班は西へ、二班と三班は東へ。南へはアリカへ行ってもらうことにします」
「天隙騎士ですね。確かに適任でしょう」
三奈の提案はそのまま受け入れられ、待機していた術師達が一斉に森の中へと走り去る。
その場に残るのは姫と三奈ただ二人になる。
「とはいえ<力天使級>に対しての攻撃力不足はやはり否めません。術師たちを向かわせなくて大丈夫でしょうか?」
「三奈のいう事はもっともです。けれど防御力において不安がある以上、前線へ出すことは出来ません」
姫はきっぱりと言い切った。
レギオンと戦いになる以上死の危険は常に付きまとうものだが、相手が中級の<力天使級>と下級の<大天使級>とではそのレベルは段違いになる。
その上レギオンに対して圧倒的防御力を誇る騎士と生身を曝け出さねばならない術師とではそもそもの防御力自体に天と地の差がある。
適正で言えば、姫の発言は正しい。
しかしそれは戦力が充分に整っているからこそいえる事。
いくら鉄壁を誇ろうと攻撃が続けばダメージは重なる。決定打がないまま長期戦になり不利になるのは常に人間。
そして決着をつけるには、騎士四人の攻撃力では心もとないのもまた事実。
「それでも……やるしかないんです」
己がどれほどの無茶を要求しているのか自覚している。それでも、その決定を覆すことはない。
覚悟と願いのこもった視線で、まっすぐに先を見つめていた。
翠風騎士・轟鴎。
烈風を自在に操る騎士である。目元が横に開いたなめらかなフォルムをした翡翠色の鎧を纏い、大斧を武器とする。
「てえええいっ」
斧を一振りするごとに風が舞い進路にあるものことごとくを切り裂き、破壊する。いかな<力天使級>といえども無傷ではいられない。
その後を追うように深紅の炎が迸る。
烈華騎士・錫禅。
炎をその身にまとう騎士。鎧もまた炎をそのまま固めたかのような色形をしている。
鎧の上から拳に装着した大人の胴体ほどの大きさもある巨大な手甲を轟々と赤く燃やし、怒涛の連続攻撃をレギオンに叩き込む。その一撃の威力は轟鴎の大斧さえも凌ぐ。
互いに、数多くのレギオンとの戦いを積み重ねてきた歴戦の騎士で、特に錫禅は前大戦を経験した優秀な騎士だ。
しかし。
「……増援はまだか? さすがにこれ以上はこっちが持たなくなりそうだ」
「今、歌穩さんが向かっているそうです」
声はそれぞれ低く太い成熟した男を思わせるものと、若さの残る少年のものだ。
「天隙騎士はどうした?」
「打ち漏らしの処理をしているそうです。まあ、あの人ならそれも一瞬でしょう」
「そうか。その一瞬でこっちがやられなきゃいいがな」
「冗談になってないあたり、キッツいですねぇ」
<力天使級>三体を前に言葉を交わす錫禅と轟鴎。戦闘が始まって一分ほどだが、二人とも既に息が上がっている。
騎士の防御力をもってして驚異であると言わざるをえない攻撃力を持つ敵が、三体。その現実が二人の精神に多大な負担を強いていた。
レギオンの攻撃は一撃の威力が重い上に奇妙な特殊能力を持っていることも珍しくない。事実、目の前にいる三体の<力天使級>の内二体はそれぞれ個別の特殊能力を有していた。
残る一体は能力は有していないが、その代わりとでもいうように異常なまでの防御力を備えていた。
とはいえ、こちらの攻撃が効かないほどではない。それでも倒しにくい、という状態は二人の神経をじわじわと浸食する。
「さて、轟鴎。お前あとどれくらい残ってる?」
「残り三百ってとこですね。そちらは?」
「四百がいいところだな……どんなに頑張っても二体が限度か」
「ええ。早くお二人に来ていただかない――とっ」
二人左右に飛ぶ。一瞬前まで二人がいた居たその場所を、黒い牙が地面からまっすぐに上へと突き破った。その高さは周囲の木々を追い越し、一瞬で小さなビル程の高さにまで達する。
黒い牙は無論、レギオンの一部――ではなく、牙そのものが一体のレギオンだ。
影から影へ。大地の中から唐突に現れる暗殺者。
その刃の鋭さは騎士の鎧すらやすやすと切り裂いてみせた。二人の騎士の鎧に小さく切り傷を付けているほとんどが、この影の牙によるものだった。
「ちっ。動きが読みづらい!」
錫禅は舌打ちとともに炎を全身に纏い、気合と共に拳を大地に叩きつけた。
大地が赤く染まりヒビ割れ、隙間から炎が吹き出す。影の牙は炎の直撃を避けるように地に潜りその場から姿を消した。
しかし錫禅はさらに大地を劫火で焼く。熱波に焼かれた地面は赤く溶け溶岩となり、蛇の体と猿の頭と犬の四肢を混ぜたような姿をしたレギオンに襲いかかった。
「ぜぜれれれれだでしししし」
赤い飛沫を全身に受けたレギオンが悲鳴を上げる。そのレギオンに上空から風圧がのしかかる。ダイヤモンドすら圧潰させるその風圧を天空から放つのは轟鴎。
さらに爆発させた大気の勢いに乗って接近、猿の頭を大斧で叩き割る。風圧が頭から胴体までを吹き飛ばし、カマイタチが無数の傷をその全身に刻みこむ。
その轟鴎めがけ、別のレギオンが襲いかかった。無数の岩石の集合体。その隙間から昆虫の足のような節足が突き出している。
猛烈な勢いで襲いかかる圧倒的質量に対して、足元の暴れる胴体を斧にまとった風と共になぎ払い、ぶつける。放物線さえ描かずにまっすぐに岩石レギオンへと向かう合成レギオン。
衝突はしかし、岩石レギオンの動きを止めるには至らない。
しかし僅かに勢いの衰えた隙をついて、その足元をくぐり抜け、ついでに足を数本、まとめて切り裂いた。
岩石レギオンは合成レギオンを体に巻きつけたまま回転し身を沈めるが、すぐに立ち上がる。もとより上下左右の区別のない体だ。転倒という概念がないのかもしれない。
絡まりあったレギオンに向けて、錫禅が燃え盛る炎を全身にまとった体当たりをぶちかます。
衝突の轟音は天まで響き、衝撃はは木々をなぎ倒す。
が、無数の足で大地に根を張ったように、岩石レギオンは動かない。
「う……お、ご……ぁっ!」
炎がさらに赤く輝く。熱量が膨れ上がる。
岩石レギオンは動かず、動じず。ジリジリと錫禅を押し返す。
むしろ間に挟まれている合成レギオンの方が圧力と熱波にまみれて大変なことになっていた。頭を失い、胴体を無数に切り刻まれ、岩石に巻きつけられて焼かれ、もはや瀕死の状態であった。
そこに。
「錫禅さん退いてください!!」
轟鴎の声と共に、後ろに飛び退く錫禅。
空に浮かぶ轟鴎が振りかざす大斧に込められた精霊が盛大な歌声を奏で、空間を震わせる。
物理現象を伴わないエネルギーの奔流が刃に集約。翡翠色の光の粒子が渦となる。
もはや光の集合となったそれを、大きく振りかざした斧を、振り下ろす。
渦が波になり波濤となってレギオンを襲った。
精霊の風。
物理現象を伴わない豪風が無音の破壊を撒き散らす刃となり、絡まりあった二体のレギオンの全身をいたぶる。
レギオンは人の負の想念に反応した精霊だと言われている。
真偽はともあれ、その構成が『異常な』精霊によってなされていることは紛れもない事実だ。
その存在が高まるほどに、その体を構成する精霊の純度は高まり、<力天使級>ともなれば七割近くは精霊で構成されている。
その分、物理現象に縛られなくなり、その形態、生態共に無限の存在だと言える。岩石レギオンのあの巨体を、昆虫のような細い拙速で支えているのが良い証拠だ。
全ては精霊の量と密度がその強さの基準となる。
そして物理現象に縛られないということは単純な暴力的手段では効果が薄いということ。
そういったレギオンに対して騎士が取る攻撃手段は、鎧に刻まれた精霊術式による物理・精霊両面からの同時攻撃。彼らの鎧の色は『彩』と呼ばれ、発動できる術式の属性と密接に関係する。
精霊の風は轟鴎の対レギオン攻撃の究極形態のひとつだ。
カマイタチや烈風、風圧などを一切生じない、文字通り活性化させた精霊を直接ぶつける『だけ』の技。
物理攻撃に対して非常に高い防御力を発揮する岩石レギオンのような相手に対し、その物理防御を無視してダメージを与えるための技だ。
合成レギオンが散り散りに砕け、それでもなお絶命せずにバラバラの体でのたうち回る。岩石レギオンも無数の亀裂をその全身に刻む。
しかしそれでも、まだ足りない。
岩石レギオンの威容はまだ健在であるし、バラバラになったレギオンはそれぞれが別々の個体として手足を生やす。
「くそ、これでもダメかっ!」
轟鴎が力を失ったように落下する。全力を攻撃に注いだがゆえに、その身を空にとどめておく力を失ったのだ。
その彼の落下点の地面に、黒い渦が生まれる。
牙レギオンの攻撃の予兆に気づいた轟鴎が斧の柄を立てる。が、そんなものであの鋭い一撃を防げるとは到底考えていない。せめて四肢のひとつ程度で済ませる決意で攻撃の一瞬を見極めんと落下地点を睨みつけ。
音よりも早く、黒の一撃が迫る。衝突――その直前の瞬間、衝撃で視界がぶれた。
「があああっ!」
轟鴎を蹴り飛ばした錫禅が悲鳴をあげる。
膝から曲げた足を真下から、脛から太ももを貫通し、それでも止まらなかった牙に肘を打ちつけて受け止めていた。
その腕も半ばまで貫かれている。
ずっ。
みずっぽい音を立てて、出現と同様の唐突さで牙が消える。同時に、支えを失った錫禅は大地にたたきつけられた。
「く……そ、が……っ。痛ぇじゃねえか……っ」
激痛に苛まれながらも体を起こす。が、足と腕からは血が溢れ、炎の鮮烈な赤を不吉な黒い赤で塗りつぶしてゆく。
死体にたかる蛆虫のように、バラバラになった蛇レギオン立ちがわらわらと集まってくる。
残された片腕に炎を灯すが、先程までの力強さはそこにはなく。弱々しい炎がゆらゆらと揺れるのみ。
轟鴎はいい具合に力強く蹴り飛ばしたため、戻って来るまでにもうしばらく時間がかかるだろう。決定的な瞬間は、少なくとも見ずにすむ。
そう考え、薄く笑みを浮かべた錫禅の周りを、じりじりと伺うように距離を詰める蛇レギオンたち。
それを。
「涼やかなれ刹那の悪夢――水籠」
直方体の水の塊が、一体残らず全ての蛇レギオンを飲み込んだ。
「こいつは……」
かすれた声でつぶやく錫禅。その彼の前に、木の上からひとりの騎士が飛び降りてきた。
「まったく、これだから男は。勝手に格好をつけて死ぬのは迷惑だからやめろっていつも言ってるでしょ」
「返す言葉もない」
現れたのは薙刀を手にした碧色の鎧の騎士だった。
碧水騎士・歌穏。錫禅と同じく、前大戦を経験した騎士だ。
鎧は身軽さを重視したような身軽なもので、水を思わせる意匠が彫り込まれている。兜は頭の上半分を覆うバイザーのような形をしており、長い髪が精霊の影響で青く染まり、ふわりと重力を無視して軽く浮いていた。
背筋を伸ばしてまっすぐに立つ姿は凛とした雰囲気をまとっていた。
別名、水鏡の騎士。
由来は水を操る能力から――だけではなく。
「死ぬならせめてもう一働きしてくれる。ていうか働いて。いや、無理とか言われても知りません、とりあえず動いて。いいから」
機械的な口調で極めて冷静な声で水の膜を岩石レギオンに向かって連続投射。続けざまの衝撃でその巨体を一気に吹き飛ばす。
その動作に波紋一つ程のゆらぎもなく。
波のない湖面のような鉄面皮から、そのような呼び名が付いていた。
「死にかけに、ずいぶんと無茶を言う……っ!!」
血を吐きながら。それでも。
魂の彩そのままに。
持ち上げた片腕が。鎧が。真紅の炎と、燃え上がる。
「焼けよ滅ぼせ皆々等しく――紅蓮颶連」
腕を大地に打ち付ける。炎が弾け、火の粉が舞い――舞い散る火の粉が集まり連なり水の籠の周囲で渦を巻く。
轟々と音を立てて超高速で渦を巻く火の粉の熱は水籠を一瞬で沸騰させ、内部に超高温の蒸気の竜巻を生み出した。
炎と水の渦で内部に閉じ込めたレギオンの全身を切り刻み、捻じ切る。細かく刻んで再生するのであれば、もはや再生できぬほど刻んで千切り砕いて滅するより他にない。
凝縮した精霊の嵐が、蛇レギオンの群れのことごとくを精霊粒子にまで分解した。
「ご苦労様、烈華」
「いやそろそろ本格的に死にそうなんだがな」
いっそ冷ややかとさえ言える歌穩に対し息も絶え絶えの錫禅。
「助けてはくれんかね」
「助けて欲しいんだ。へぇ。ふうん。はっ」
「鼻で笑いやがったこの女……」
「ははは、まったくこの男は」
「声にも表情にも一切の笑いを含まずに言葉だけ笑うな、怖い」
「どうしろと」
「せめて疑問形で尋ねろよ、なあ。ていうかそろそろ死ぬ、いい加減にしないと手遅れになる」
「わかったわよ」
くるりと薙刀を回して柄で軽く錫禅の腹をたたく。精霊によびかけ大気中の水分を集め傷口に固着させ、出血を塞ぐ。
「分子運動を停止させた水で傷口をふさぎ、損傷した細胞の代替物質を生成した。ひとまず動けるでしょうが痛みは消えないから、のこりは天隙にでも頼んでね」
「ひとまず動けるだけで助かるよ」
応急処置を受けた錫禅がゆっくりと足の調子を確かめるように立ち上がる。
「こちらとしては怪我人は後ろに下がっていてもらうほうが気兼ねせずに済むんだけど?」
「お前ひとりであの二体を相手できるわけないだろ」
「死にぞこないが」
「お前俺のことどんだけ嫌いなんだよ……」
戦闘そっちのけで戦慄する錫禅。
会話をしつつも手足をぐるぐると回し、ひとまずの調子を見る。
ざっと見積もりを立てて、
「全力動作は二回が限界だな」
そう結論づけた。
そのとき、森の奥からゴロゴロと音が響いてきた。岩石レギオンが迫ってくる音だ。
巨体と質量を生かした単純な攻撃。それだけに防ぐには全力を持って当たる必要がある。感じる気配からして、すぐにでもこの場に突っ込んでくるだろう。
「ひとまず俺が止める。その隙に行けるか?」
「可能だけど……もう一体の牙型は?」
「気配は感じる。まあ、タイミングを見ているんだろうよ」
今最も牙レギオンの餌食として相応しいのは、機動力を削がれた錫禅だ。
次こそ、確実に止めを刺しに狙ってくる。
故に錫禅は己を囮として牙レギオンを誘き出すつもりだ。
岩石レギオンを受け止めれば、自然と動きは止まる。牙レギオンもその隙をつくつもりなのだろう。
そこを歌穩に迎え撃ってもらえば、うまくすれば二体同時に討伐することもできるかもしれない。
が。
「おごっ?!」
薙刀の背で割と容赦ない具合に脳天直撃を受けた錫禅が膝をついた。
「だから、勝手に格好をつけてしぬのはやめてっていってるでしょ。人の話、聞いてんの?」
歌穩は錫禅の前に立ち、薙刀を構える。
精霊が全身に満ち、青く輝く。
「防御はわたしが最も得意とするところでしょう。あなたはあなたの得意分野でサポートして」
「いや、だがな」
岩石レギオンの動きを止めるということは、牙レギオンの格好の標的になるということを意味する。
確かに歌穩は防御術を得意としているが、一瞬の状況判断やそもそもの鎧の防御力自体では錫禅に軍配が上がる。歌穩が牙レギオンの一撃をまともに受ければ、重体どころか再起不能になりかねない。
そうなるとこの場における戦力は一気に低下する。
それならば、同じく再起不能を覚悟するならば歌穩を万全の状態で残すのが、戦況を進める上では確実な――
「文句言うなら今すぐ傷口開くよ」
「攻撃はまかせろなあに問題ねえ!」
碧水騎士は決して冗談は言わない。
十年来の付き合いで嫌というほど身を持って味わっていた。
敵ではなく味方に再起不能に追い込まれては本末転倒もいいところである。
「ただし……多少巻き込むが、覚悟しろよ」
「覚悟してるわ。ほら、くるわよ」
ゴロゴロと言う音はもはや騒音となっている。秒速四十メートルを優に超える速度が今まさに迫ろうとしていた。
耳と肌と直感を頼りにタイミングを図る歌穩。
錫禅はゆっくりと距離をとりつつ、体内の精霊を圧縮、密度を高める。
そして。
「七連花」
歌穩が薙刀を突き出す。精霊が渦を巻き、七条の水が螺旋を描き、高速で回転し、その先端に。
馬鹿げた質量が馬鹿げた速度で衝突した。
衝突のエネルギーが一瞬で熱に転換、水が蒸発、爆発。
ガリガリと地表を削りながら十メートル以上押し込まれるも、レギオンの突進を食い止る。
回転を続け水槍を削り取るレギオン。
水槍を生み出し続け食い止める歌穩。
異質な、そして異物質に込められた精霊同士。激しく衝突し、反発し、火花が散る。
激しい攻防を目にしながら錫禅は意識を集中し、牙レギオンを探った。
意識の網を広げ、神経をとがらせ、そして。
「歌穩!」
「無理よ」
攻撃の気配を感じた錫禅の警告の声に歌穩はにべもない返事を返す。
相手の攻撃が激しすぎて、牙レギオンどころか巻き込み覚悟の錫禅の攻撃に対しての防御術すら展開できないというのだ。
躊躇。
威力を調節すれば歌穩は無事だ。
しかしその程度の威力ではレギオン達に手傷を負わせることすらできない。
手加減をしなければ。
歌穩はまず無事では済まない。
かといって何もしなければこのまま歌穩は黒い牙に貫かれることは必至。
何か、手は?
ない。
刹那にも満たない間隙に思考が走り、しかしその時間は牙レギオンにとっては十分な時間で。
故に。
彼女が割入らなければ、何もかもが無為に終わっていた筈だった。
絶望を退ける彼女の声が高らかに響く。
「轟け残響――白乱華ぁーっ!」
明るく元気な、戦場には似つかわしくない声が響き、するどい閃光が二人の視界を縦横に斬り裂いた。
岩石レギオンに収束した光――雷撃が、その巨体を僅かに押し返し、回転を大きく削ぐ。
瞬間。
「灼熱地獄に哄笑上げろ――劇炎!」
天地に正方形の赤い面が生まれる。
面は広がり錫禅、歌穩、レギオン達を飲み込み。
空間を真紅に塗りつぶす。
面と面を結ぶ天地を空間まるごと焼き尽くすように炎で塗りつぶす精霊術式、劇炎。
空間内部に閉じ込められた相手は為す術も無くただ焼き尽くされる他はない。
しかし。
黒い牙が、紅の箱から突き出した。
破られた一点から結界が崩壊し、炎が爆散する。
熱気揺らめく跡に残されたのは、息を切らせる錫禅と、その攻撃を全力で凌いだ歌穩。そして黒い塊と化した岩石レギオンとボロボロになった牙レギオン。
見るも無残な姿になりながらもレギオン達は健在。
このままでは牙レギオンは地に潜る。岩石レギオンはどうにか仕留めることができても、もっとも厄介な神出鬼没の敵を逃すことになりかねない。
歯を食いしばる錫禅達。
そこに。
「ふたりとも、飛んでください!!」
ボロボロになった轟鴎が前体重をかけて斧を大地に突き立てると同時、ありったけの精霊を放出する。
衝撃。
地割れ。
突風。
そして、大地が持ち上がる。
岩盤がめくれ、厚さ十数メートルにもなる巨大な岩となり、無数に空へと吹き飛ぶ。
錫禅、歌穏も衝撃に合わせるように飛び上がり、風や岩を利用して大勢をを整える。
「なるほど、考えたな、轟鴎のヤツ!」
「あなたが考えがなさすぎるの。いい加減学びなさい」
体力の限界にありながらどこか余裕を伺わせる二人。その余裕は根拠のないものではない。
岩石レギオンはこのような空中にあっては満足に動けず。
牙レギオンにしても、まさか移動触媒の大地ごと持ち上げられてしまっては、どこに隠れていようと意味が無い。
そして。
この程度の範囲なら、限界の二人に加えもう一人が加われば確実にレギオンを葬れる。
富士樹海討伐遠征、最後のひとり。
「いい展開ですね、おふたりさま! 出てきたばかりでなんですけれど、これで終わりにしちゃいますよっ」
「ようやく来ましたか、アリカ」
「はい! 天隙騎士・閃、ただいま参上ですっ」
紫電を引いて天を翔けるひとりの少女。
右手には細身の剣。左手には円形の盾。
手甲足甲と胸当てのみの簡素な薄紫の鎧に、兜は額を守るだけということのほか軽い作りになっている。
一五歳の歳相応の明るさを満面に浮かべながら、同時に鋭い戦士の視線はレギオンに向けられている。
ぱちり、と彼女の指先でひかりが弾ける。
「それでは、この場は僭越ながらあたしが指揮を取らせてもらいます。ふたりとも、準備はいいですか?」
「無論」
「どうぞ、お好きに」
答えた二人は最初からそのつもりだったらしく、既に構え、体内の力を高めていた。
風に囚われたレギオンたちは為す術も無い。
閃が盾と剣を打ち合わせる。
精霊が喜ぶように踊る。
踊りは瞬く間に狂喜へ変わり、狂喜は狂乱へ変じ、狂乱は狂気を呼び起こす。
精霊の暴走はそのまま雷という物理現象を生み出す。
天隙騎士・閃。
その能力は、先ほど歌穏を圧倒する岩石レギオンを押し返した雷撃。
秩序ある暴走を、彼女は解き放つ。
「響け静寂――白璧無我」
言葉通り、音はなかった。
ただ光の奔流となった雷撃が、二体のレギオンを飲み込んだ。
同時に放たれた劇炎と七連花。
異種の精霊同士の強力な反作用が、ついに二体の<力天使級>を滅ぼした。
地上に降りた錫禅と歌穏はもはや限界と、さっさと鎧の着装をとく。
それを見届けた轟鴎も、鎧の着装を解除した。
炎が、水が、風が。
ふわりと、精霊になって大気に消える。
そして、最後のひとり閃も、ひとりゆっくりと降りてきて着装を解除した。
「……なんとかおわりましたね」
溜息をつく轟鴎――鈴村大輔。
「つかなんでお前そんなボロボロなんだ?」
「誰かさんが全力で蹴り飛ばすからでしょうっ?!」
「ああ」
牙レギオンの一撃から逃がす際、かなり強烈に蹴りをかましたことを思い出した。
錫禅――関屋工はだが涼しい顔。
「ありゃあお前が悪いだろ。あんなとこで全力使ってへろへろになるって、お前、初心者か」
「うっ」
「なにあなた、そんな馬鹿なことしたの。へえ。ふうん。それでこっちがこんなに苦労したんだ。はっ」
歌穏――斎木遊乃がれいとうびーむのような視線を放つ。
「あっははは! 相変わらず大輔はばかだなー!」
対して閃――アリカ・ミチロギはひまわりのような笑顔。言っていることは大概だが。
「うわぁ最後結構頑張ったのにこんな扱いですか僕!!」
「浮かせてただけでしょ」
「冷たい! 工さんこの人相変わらず冷たいですよ!」
「俺に訴えかけてんじゃねえよ……ほら、終わったらさっさと帰るぞ。ていうか俺怪我がそろそろ開そうで結構ヤバ……あ」
言ってるそばから血が吹いた。
それを見た遊乃はため息をひとつ、ハイキックで工の顎を蹴り飛ばし意識を奪うと、さっさと傷口に応急処置用の精霊術式の符を張ってさっさと歩き出した。
「うっわあー。さっすが遊乃さん、うちの隊長に勝るとも劣らない冷血っぷり! 感動した! あたしは感動したぞ!!」
何が楽しいのか、惨劇を目にしたアリカは逆にテンションが上がってせっせと遊乃の後を付いていく。
残ったのは呆然とする大輔と、気絶させられた工だけ。
「……え、嘘、僕一人で運ぶんですか? いやだって僕だってヘロヘロですよ、体格差も相当なもんですよ?! ねえ、ちょっと、おーい、嘘マジで無視してるよっ!!」
結局、工は轟鴎がひきずりながらどうにか待機チームの場所まで運んだものの、引きずって運んだせいで靴が駄目になったと後に大層怒られるハメになる。
おかげでしばらく落ち込んだとか。
そんな。
ある意味微笑ましい光景を見て。
「いやはや、連携はまだまだですがまあ、個人技能の練度はなかなか高まってきているようで。畳重、畳重」
釣られたように微笑む、ひとりの男がいた。
大抵の人物が男に抱く第一印象は、お人好し。そんな外見をしている。
長身の割に穏やな表情がそんな印象を抱かせるのかもしれない。
男は牧師の格好をしていた。
男は彼らを見ていた。見下ろしていた。
上空、七千メートルから。
「しかしまだまだ、期待には届きませんねえ。工くんなら何か気づけたかもしれませんが、まあ、あの傷では仕方ありませんか」
そうつぶやく彼の表情は、先ほどとはうってかわって落胆の色が濃い。
「ねえ、君もそう思いませんか?」
そう言って、振り向いた先。
そこには、黒い塊がいた。
黒くて、蛇のような体で、犬のような四肢を持ち、猿のような頭をした。
レギオンが。
サイズは人間大だがそれでも<力天使級>ともなれば十分な脅威である。
レギオンは赤い結界に囲まれて、囚われていた。
この状況で誰が捕らえているかは問うまでもなく当然牧師である。
牧師――アレックス・キングが、このレギオンを捕らえていた。
先ほど下で倒されたレギオンはこのレギオンの力の大部分ではあるが『核』ではない。それでも、己の体に相当のダメージを受ければ、それは核へと返ってくる。
本来これがレギオン討伐のスタンダードであって、最初から核狙いの戦い方は異端というより無謀の域なのである。
それはさておき。
アレックス・キングはレギオンに手を伸ばす。
何かを察したレギオンは驚くべきことに、アレックス・キングに牙を向くのではなく、ひたすらに怯えるように、逃げ場のない結界内でのたうちまわった。
レギオンを知る者が見たら卒倒するような光景だった。
ありえない。
レギオンが、人間から逃げるなど。
だが事実、レギオンは狭い結界内で無意味に無様に暴れ、その甲斐虚しく。
「安心なさい、なあに、すぐに元気になれますよ」
黒を、吹き飛ばした。
結界内に残ったのは、小さな小さな青い欠片。
そのレギオンの『核』を握りしめたアレックス・キングは。
「ふふ」
小さく、少しだけ。
笑った。
「さて。それでは」
くるりと周り、歩き出す。
空を。
何も無い空を、まるで普通に。
鼻歌さえ歌いながら。
彼は歩く。歩いてゆく。
黒い。黒い足跡を残しながら。
空を穢しながら。
歩みを進める。
進行方向は、ああ懐かしき。
我が領土。
年末年始、もっと更新したかった……。
とりあえず、週一更新を基本姿勢に行きたいと思います。