エピローグ
第一章エピローグです。
第二章から、タイトルを『刃牙』から『夜の刃、月の牙』へと変更いたします。
01 - エピローグ
彼女は頭を抱えていた。
神明市南西にある、打ち捨てられた一五階建てビルの一三階から上が全焼した。報告書の中にそんな一文を見つけたからである。
「何をしてくれているのですかね、あの人は……!!」
「まー、派手にやっちゃいましたね」
そばに控える三奈も呆れ顔だ。
ここは<楽園騎士団>日本支部。東京都にあるその本部ビルの、さらに姫専用の部屋である。
三奈が上げてきた神明市での定期報告。その報告書の内容に姫は呆れているのだった。
「まあ、他に待ち伏せできるような場所がなかった、ということもあるのでしょうけれども」
「それにしたってこれは……。このような報告書、母様にどう報告したものか考えただけで頭が痛いです」
「同感です」
それでも、三奈の不正行為に関してはうまく隠している。そこはさすがにあちらも配慮したということだろう。
「ともかく依頼の任務はこのまま続けてもらうとして……やはりうちからも誰か派遣するべきではないでしょうか」
「とは言いましても姫、ご存知のとおり、今は中国南東の例の件で人員が」
「……そうでした。わかりました。ひとまずこちらは彼に任せ、いざという時の為に人員の選定だけ進めておきましょう。
正直なところ<権天使級>がこれほど突発的に発生するなど異常事態だとしか思えませんから」
「少し調べてみたのですが、やはり一ヶ月未満での<権天使級>へのシフトは過去の事例としては存在しません。国内だけでなく、世界的に見ても」
三奈の表情はどこかすぐれない。
やはり不安なのだろうと姫は思い、意識してその顔に明るい笑顔を浮かべる。
「そうね……けれど、異常事態ではあるけれど非常事態ではありません。
幸い今回の件で彼には最低<権天使級>への対処能力があることがわかりました。それならば、アレックス氏程は見込めないにしろ、神明市とその周囲へのある程度の対応を見込めるかもしれません。
……ええ、業腹ですけれども」
「あはは……それでは、彼には領主調査の依頼に加え、該当地域の対レギオンの対応も依頼する形で」
「ええ。お願いしますね」
三奈はお辞儀を一つして部屋から出て行った。
それを見送り、ふうとひとつ溜息をつく。
報告書を見る。
「まったく……唐突にもほどがあります」
前日までの調査ではせいぜい<天使級>との交戦が数回。という報告だったのに、今朝上がってきた報告は<大天使級>との接触、及びその<大天使級>が<権天使級>となりこれに応戦、討伐したとあった。
どんな展開の速さだ、と驚いたのは何も姫だけではない。噂に敏い者達が、既に騎士団内でも話題にしているのを彼女は感じていた。
――あの『落ちこぼれ』が単身<権天使級>を撃破した
あまりいい噂ではない。明らかに彼を見下している中身に、彼女は辟易としていた。
彼女も彼の実力に対して猜疑心はあるが、個人でレギオンに対抗しようとするような無茶な人間が、何年も生き延びられる甘い世界でないことは知っている。一定以上の力はあるだろうと認識はしていた。
「ってなんで私があの人の事をかばうようなことを考えなければならないのですかっ!」
まったく不愉快である。
それもこれも、いきなりこんな訳の分からない報告書を上げてくるほうが悪い。
そんな言いがかりとしかいいようのない事を考えながら、さっさと次の書類へと彼女は移っていった。
「失礼いたします」
姫の部屋を後にして、三奈はふうと息を一つつく。
正直、今朝送られてきた報告書は彼女の度肝を抜くものだった。無論、彼の能力を疑うつもりは毛頭ない。
三奈の知る限り『騎士としての実力』であれば龍夜はどれだけ頑張っても中の下が限界だと思っている。しかし同時に『戦士としての実力』を鑑みた場合、騎士団内でも彼に敵う相手は数少なくなると思っていた。
それでも。
「これはちょっと……やり過ぎですよぅ、龍夜さん」
彼が動けば、どうしようもなく動きを押さえておけない種類の人間が何人か居る。
姫もその傾向があるが、それよりも厄介なのが――いや、今いない人間の事を考えても仕方がない。
それよりも彼女が気になったのは。
「アレックス氏について、ですねー」
『神明市の領主について、あらゆる情報が欲しい。容姿、経歴、能力、趣味嗜好、調査報告、精神鑑定、ありとあらゆる記録。全て。全てだ、すぐに寄越せ!!』
果たして、彼のあの依頼は何だったのか。
今回の報告書では、敵を誘導したのはアレックス・キングの定期報告から街の集中点を特定、結界を張り、追い詰めた、となっていた。
無論それでは時間が足りない事から、前回の報告書を提出した直後に依頼を出し、それから丸一日かけて結界の構築作業をした、という体で報告書は出来上がっていた。
可能なのである。
その作業自体もそうだが、アレックス・キングの過去の定期報告書を渡すということも。その程度ならば、わざわざ騎士団のプロテクトを破る必要がない。
故に、すべての情報を求めた龍夜の態度が気にかかる。
「……一体何を考えているんですかねー」
不安は尽きない。
窓から空を見上げた。
今日も、穏やかな秋晴れになりそうだった。
四条灯駈は不機嫌だった。
己に対して不甲斐なさを感じていた。
毎朝の定期のジョギング。
そこで、自分の変化ととうとう向かい合うことになった。
「……………………最悪だわ」
頭を振って、くるりと反転。きた道を引き返す。
公園に、足を踏み入れようとした瞬間。
体の芯から凍る恐怖に、体が動かなくなってしまったのだ。
なぜそんな事になったのか、自覚はあった。
昨日帰り道の途中、見知らぬ道に踏み入り、彼女は得体の知れないモノに殺されかけた。いや、殺されるはずだった。
どうして助かったのかはさっぱり理解出来ないが、その恐怖がこびりついて離れない。
なぜその恐怖をこの公園で思い出すのか理解出来ないが――。
とにかく、彼女は恐怖していた。
昨日灯駈が目が覚ますと自分の部屋で。すぐに、あの恐怖を思い出した。
自分がパジャマになっているのに気づいて、そもそもどうやって家に戻ってきたのかがわからず部屋で震えていると、四条式の門下であり住み込みをしている葉鉄が部屋部屋ってきた。
彼女の言葉によると、灯駈は家の近くの公園のベンチで鞄を枕にして眠っていたらしい。
あまりにもよく眠っていたので起こさずに背負って帰ってきたのだといった。
あまりにも普段どおりのその様子に、灯駈は自分が出会ったあの恐怖が夢だったのかと思った。
「あの、葉鉄姉ぇ。あたしの制服……その……汚れて、なかった?」
「制服? そうねぇ、少し泥が付いていたみたいだから、今洗濯してるわよぅ」
「う……ん、そっか」
いつものおっとりとした葉鉄の仕草に、ほっとする。すると、何故か涙が出てきた。
「え……ちょ、あれ……なんでっ」
「どうしたんですか、灯駈ちゃん?」
「え、いや、ちょ、あたしにもわかんなくて、そのっ」
羞恥と戸惑いで真っ赤になる灯駈。それを見ていた葉鉄は、優しく微笑んで、静かに灯駈を胸にだきよせた。
ますます混乱して羞恥で頭の中が真っ白になるが、その暖かさと柔らかさに次第に落ち着いて、涙も収まって。
「……ありがとう、葉鉄姉ぇ」
「いいんですよぅ。灯駈ちゃんは妹みたいなものですから」
いつもの言葉に妙に安心して。
思い切り、その暖かさを胸に感じたくて。
息を大きく吸い込んで。
――ちのにおいがした
ああ。そうか、と。
あれが夢ではないと、現実だったのだと、そう、分かってしまった。
それでも、葉鉄の厚意がありがたかったので、何も気づかぬふりはしたが。
あの恐怖が現実だったとわかって、それでも彼女は安心した。少なくとも自分はアレに一瞬とはいえ対処をしてみせたのだ、と。
同時に恐怖は際限なかった。あの場で気を失った自分がなぜ生きているかは分からないが、死んで当然の流れだったのだ。あの存在は、それだけの相手なのだ。
「強さは恐怖と共に在れ。父さんはよく言うけどあれはちょっとね……」
今でも身が竦みそうになる。それでもこのままではいけないとジョギングに出たというのに、まさかここでもそれを思い知らされることになるとは。
「……しばらくは、道場で型の練習でもしてるしかないかな」
強いていつも通りに振る舞いながら、彼女は自宅へと駆け出した。
神葉学園一年八組。
智晴は自分の席で、難しい顔で手帳を見ていた。
「むぅ……どうにも、集まらないなぁ」
彼女はとある人物に対しての情報を集めていた。
彼は彼女に情報収集のイロハを教えてくれた人物だ。その彼が、しばらく姿をみせていない。元々ふらりとどこかへ消えてしまう性質の人ではあったが、こうも連絡が取れないのは彼女としても初めてであった。
そして、今日見がてら彼の情報を集めだしては見たのだが――。
「あっちもだめ、こっちもだめ。うーん、夏休みの終わりごろを境に、さっぱり情報がなくなってるなー」
死んだか? などと思うが、彼がそうやすやすとそんな事になるとも思えない。
大型トラックに追突されても平気な顔をしていた人外級である。むしろどうすれば死ぬのか教えてくださいといった感じであった。
「智晴、どうしたの? なんか悩んでるみたいだけど」
「あっちゃんかぁ……うん、ちょっと人探しで。なかなか追跡できなくてにゃー」
「……珍しいわね、あなたが見つけられない人なんて」
「どうにも完全に人目を忍んでるみたいなんだよねコレ。なにか悪いことでもしたのかな」
智晴のひとりごとに灯駈が首をかしげる。
「『かな』って……よくわからないのに探しているの? 珍しいわね」
「うん? あー、あーあーあー違う違う。これ別に噂の追跡でも誰かに頼まれたわけでもなくてね。
単純にあちしの師匠がちょい行方がわかんないから、探してるの」
「行方不明って……最近物騒だし、ちゃんと警察とかに行ったほうがいいんじゃないの?」
「けどあの人警察嫌いだしなぁ」
何してんのよその人、と眉をひそめる灯駈。
実際智晴も彼が何をしているのかはよく知らないが、何かありきたりでないことをしている雰囲気ではあった。
「どんな人なの、それ?」
「うん。そうだね、あっちゃんにも聞いとこうかな。
えとね、名前は『アレックス・キング』ていう、牧師さん。
あっちゃん、知らないかな?」
日が昇りきり、龍夜が目を覚ます。
昨晩は墓を作ったり痕跡を消したりで、結局報告書の仕上がりが日が昇るあたりになってしまった。それから仮眠をとって、昼前にようやく目を覚ました次第だ。
人のいない廃墟に打ち捨てられたソファ。天井をぼーっと見上げて、今後のことを考える。
「ひとまず、アレックス・キングの行方を探るしかないな」
『まあ、本来の依頼もそれだったわけだしな。しかし本当に報告しなくていいのか、龍夜』
「別にいいだろ。依頼はこなす。その結果には特に言い含められていないし」
『お前それ詭弁な』
相手の想定外の部分を付いているのだから当然なのだが。龍夜は気にしない。
結局、自分の思うとおりが出来ればいいだけなのだ。
それがたまたま、人に受け入れられる形になっているだけで。
しかしそれももしかすると、今回の依頼が最後になるかもしれない。今後は騎士団から危険人物として手配され、それ以外の組織からも狙われる事になる可能性もある。
だが。
「それでも、俺の敵が――篠中龍夜の敵が出た以上、やめるわけにはいかない」
『へっ、相変わらず頑固な奴だ』
内ポケットから携帯端末を取り出す。
「アレックス・キングか……ひとまず、腹ごしらえをして町の北へ行こう。
どうやらそこで、牧師をしていたらしいからな」
『ああ。了解だ』
体を起こし、刀を竹刀袋に納め、布団替わりに体にかけていたコートを羽織る。
「敵は<楽園騎士団>アレックス・キング――。
やるぞ。
どうせ俺たちは落ちこぼれだ。
つまり手加減容赦一切無用」
『つまりそいつは』
不敵に笑う。
「いつも通りだ」
『いつも通りだ』
瞳に力を込めて、大きく足を踏み出した。
というわけで第一章は終わりです。
次は第二章。のんびり行きます。