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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
3章 自覚と錯覚の境界線
28/28

新しい朝が来た


 ひゅう、と朝の空気を切り裂く音。

 ぴたりと止まった刃先に集中していた意識をゆっくりとほどいてゆく。

「ふぅ……まあ、こんなところか」

 朝日の昇る気配が世界に躙り寄る中、龍夜は全身にじっとりと汗をかいていた。いつもの準備運動を終え、一息ついて空を見上げる。ほの明るい空には、沈みかけの月が見えた。

 世界が最も眠りにつく時間。真夜中よりも、こういった時間帯。

 龍夜にとってはその時間帯こそが、もっとも心安らぐ時だった。何しろ……レギオンの活動時間と人間の活動時間が重なってしまうから。

 人の流れに合わせて感情も動き、そういったものが溜まり撹拌され、レギオンが生まれる。人類未踏の地にレギオンが発生しないのと同じ理屈だ。

 だから人の流れが最も途絶える時間帯こそ、騎士にとって安寧の時でもある。

 もし、人類の活動領域外でもレギオンが生まれていたら、今頃人類は無数の熾天使級に蹂躙されていることだろう。もっとも、その後はレギオンも存在を維持できず消滅するのだろうが。

「実際、不可解な存在ではあるんだよな」

 まるで人類が滅びるために用意されたかのような存在定義。

 多くのことがわかっていない……というよりも、何がわからないのかさえわからない、暗中模索が延々と続いている悪夢のような存在。

「そんなものを使って……アレックス・キング……あんたは何をしようってんだ」

 そのつぶやきに答えが帰ってくるのは、まだしばらくの時間を必要とするようだった。





 教会の裏でのいつもの鍛錬を終えて教会に戻ると、部屋の中にはいつの間にか先客が居た。

「やあ」

「……お前か」

 龍夜は顔をしかめ来訪者を見やる。来訪者――雪杜はそんな龍夜にむしろ満足そうな表情を浮かべた。

「テメェ、なんの用だ。お前に焼かれた右腕がまだ痛くてたまんねえんですがねぇ」

「それを言ったら君にぶった切られた術式の反動のせいでたまに視神経ぶっ壊れるこっちの身にもなってくれないかな」

 ひやり、と部屋の温度が下がる。

「……まあいい。何か用があるんだろ」

「ははは、用がなければ来てはならないかな?」

「気持ち悪いことを言うな」

 用があって初めて顔を合わせる必要性を感じる程度の間柄である。というより極力会いたくない相手だった。自分を負かした相手と顔を合わせるのはきまりが悪い。

 とはいえ、雪杜もあの戦いの勝利が、実際の戦闘の勝敗とはやや違う事を理解しているのか、そのことがどこか態度の端々にあらわれていた。

 龍夜は負け、雪杜は勝った。

 だがあの戦いは勝敗をつけざるを得ない状況だった。現実問題として、龍夜は戦う時はどうしようもない場合を除いて勝てる戦いしかしないし、そういう部分の考え方は雪杜も同じだろう。だれが負ける戦いに立ち向かいたいものか。

「なあ、お前この前の時さ、いつやべぇって思った」

「君がいきなり雷撃術式ぶっぱなしてきた時かな。正気の沙汰じゃない。君は?」

「その後謎の爆撃術式ぶっぱされた時だろうよ。何だあれ意味わかんなかったぞ」

 つまり普通の戦いだったら最初の一手で互いに尻尾を巻いて逃げて後日十分な準備をしてから暗殺なりなんなりで再度襲撃していた。

「まあ、似たようなもんか」

 そもそも術者である雪杜が騎士と正面からやりあうのが自殺行為で、同時に漆黒騎士が術者と正面からやりあうのが非効率極まりない。

 結果は互いに納得の行くものだったが、内容はとても納得の行くものではなかった。別に戦いが好き、などという言うつもりはないが、その中身に不満が残れば解消したい気持ちが出てくるのは当然と言える。

「んで、なんの用だ?」

「実はいくつか気がかりなことがあってね。それを聞きに」

「ほう。しかしもうあれから何日も経ってるってのに悠長な話だな。急ぎじゃないわけでもねえんだろ、こんな時間に来たってことは」

「急ぎの用事ではない、んだろうね。ただ一度決めてしまうと気持ちが急いてしまってね。聞きたいことと言うのは他でもない。この事件、君がどこまで見通しているのかを問いたい」

 どこまで、か。

 予想通りとはいえなかなかに難しい問いだ。

 今確実にわかることなど何一つない、というのが実際正しい。犯人も、目的も、手段も何もわかっちゃないない。

 だがあやふやな推論程度のものであれば答えられる――というより、すでに答えは出ていた。もとより直感にて物事を捉え、それを論理で補強していくタイプなためそんな状態なのだが、これを人に理解してもらうのがなかなか難しい。

「いや、まあ、そうだな」

 そこまで考えて思い直す。

 相手は雪杜だ。こちらの考えを聞かせてやれば、勝手に自分なりの論理で肉付けを行うだろう。

 おそらくそのつもりでこの場所にいる。自分の言うことを全て信用するような脳天気ではない。

 ならばいくらでも安心して適当な言葉を並べ立てられる。悪質な開き直り方をした龍夜は、雪杜にソファを勧めた。その向かいに自分も座りながら、さて、と言葉を探す。

「まずこの前の洞窟のレギオン。あの状況を作った人間がいる、ということに関しちゃ異論はないだろう。問題はそれが誰なのかって話だが、あの一種の儀式場を――それも巨大で異質なものを作成し、その上隠蔽できる人間ともなると相当な実力者だということが推測できる」

 この部分に反論はないのだろう、雪杜は視線で話の先を促す。

「状況からして数年かけて作られたことは確実。となると、お前が街に来た時には既に存在していたことになる。お前のことだ、自分が住む街に関して一応の調査くらいはしたんじゃないか?」

「ああ、まあね。そしてその結果、何もない――本当に、術式的なものはこの教会にしかないほど、何もない場所だとわかった。いや、思っていた。だからこそ、家も僕をここに放逐したのだろうしね」

 それこそ徹底的に調査しただろう。その術式構成の異常さに目を奪われそうになるが、雪杜の真に異常なところはそれを可能にする超高レベルの術式構築力と制御力にある。それを封じ込めるためには綿密な調査を行い、本当に術師として何も出来ないような場所へ隔離するだろう。

「だが違った。これは驚異的なことだ。お前の実家については――まあ、どんな家かは知らんが、伝統的に術師を家業として営み、術師を輩出するような家は例外なく偏執的なところがある。その調査から隠れおおせたってことだからな。俺でもサマエルのサポートなしだと自信がねえ」

 おおよそ、儀式術式はその場の規模と力の強さは比例する。大きい儀式場であるほど探索から逃れるのは難しい。

「ここまで考えると一つの答えに行き着く。そのレベルの儀式場を構築し、運用し、隠ぺいする。そのためには実力もさることながら時間が必要だ。だが優秀な領主の存在する街で本当にそんなことが可能なのか? 一日で作り、一度だけの使いきりの儀式場ならまだ可能だろう。だがそれを数年単位で隠し、運用し、あれだけの犠牲者を隠し通すことが本当に可能なのか?」

「君は……まさか、疑っているのか、この街の領主を……?」

「ああ疑ってる。というよりヤツ以外が犯人の場合でもこんな体たらくを晒した挙句に俺が死にかけてんだからぶん殴る」

 乱暴な事言ってるな、という視線をさらりと受け流す。

「まあ冗談はさておいて、だ」

「冗談に聞こえなかったけどね……それで?」

「ヤツが容疑者であると推測するには十分だからな。疑うのは当然だ。それに……」

 最初に疑いを抱いたきっかけ。それを口に出そうとして、ためらう。

 この理由はおそらく、雪杜をこちらの勢力へ引っ張り込むだけの威力がある。だが果たして言ってしまっていいのか、躊躇いがあった。

 だがいつまでも隠しておくのもまた理不尽だとも思う。


 憧れだと、そう言った。


 龍夜にも憧れたものがある。

 だからこそ、それを告げる事こそが必要なのではないかと思う。

 それが全てを塗りつぶす憎悪を生むとしても。


「加賀原南帆が行方不明になる前日、彼女に接触していたらしい」


 ひん、と。

 唐突にすべての音が消失した。

 空気の流れさえ恐れをなしたかのように、唐突な停滞を迎える。

 原因は他でもない。表情を失い感情を凍らせた雪杜だ。


「…………それは、どういう事かな?」

「その意味を確かめている最中だろう。だが少なくともアレックス・キングはその時点で何かしらの兆候を得ていたはずだ。最初はその時に逆に襲われてしまったのかとも思ったが……事ここに至っては逆なんじゃねえかと考えられるだろう」


 吹き付ける殺気を受け流しつつ、あえて淡々と伝える。


「無論全て推論、あてずっぽうもいいところだ。常識的に考えてあり得ない事だろうさ。けどな、少なくともこの街ではあり得ないなんて言葉、何の意味もないことは俺達はよく知っているはずだ」

「…………、すでにあり得ないことが起きている、か」

「数日で<権天使>級に位階を上げた<大天使>級の出現、擬似的に核を再現した天使級群。それに、お前には言わなかったがこの前俺とお前が戦った場所、あそこもちょっとおかしな部分があってな」

 説明を求める雪杜の視線に、一度言葉を切る。感情に任せて言葉を発しそうになる自分を抑えるためだ。

「結論から言えば、あの場所はおそらく大天使級レギオン、加賀原の養殖場になっていた可能性が高い。人避けの結界、自然回廊を構築している上、設置されていた社には人が定期的に手入れしている様子があった」

 建物というものは、人の手がなければあっという間に朽ちてゆく。そしてそれを戻す手間は並大抵のものではない。

 あの場所にあった社は、最近建てられたものではない年季がある割にそういった風化がなかった。修復の跡はあったものの、おそらくは一度、大掛かりな改修をしたにとどまる。

「あの場所が良くない場所なのは、おそらく昔からだろう。自然浄化のために誰かが社を建てて、人が立ち入らないように隠した。が、ソレを見つけたヤツが、社を修復し、今度は本来の目的とは逆に利用した。建物は燃やしちまったが、そんなとこだろうな」

 元々社を建てたのは、おそらく四条式に連なるものだろう。

 四条式は裏の関係と関わることを禁じているため直接的な対策が取れない。ギリギリのラインの対策だったに違いない。そしてだからこそ、今代の誰にも伝わっていない事も想像に難くない。

 同時に、四条式の作った封印だからこそ灯駈が気づいてしまい、大天使級との遭遇を招いた。

 彼女の血脈が、歪められた己の流派の封印に過敏に反応した。有り得る話だと龍夜は思う。

 神浄四相流は気の流れを感じる事が肝要だ。彼女は資質だけなら己より余程高い。ふとした拍子にその強い資質が、本来の敵を感じることもあるだろう。

「あり得ない――あり得てはならない話だが、俺にはどうしても、アレックス・キングがなにか企んでいるとしか思えねえ」

「…………なるほど、君の言うことはよくわかった。けれどそれなら考えるべきことがもう一つあるんじゃないかい?」

「騎士団の関与か。そりゃねえだろう。俺をココへ寄越してるのが良い証拠だ」

「君だからこそ寄越した、とは考えられないかな? 騎士団の考え方の中心は対レギオン能力。失礼だけれど、君はその点で見ればどうしても侮られてしまうんじゃないかい? 君程度になら見つからないと踏んだからこそ、対面のためにもアレックス・キング失踪の調査を依頼した……」

 なるほど、その理論なら俺に話が来たこと自体隠蔽のひとつだと言えるだろう。

 だがそれはないと龍夜は踏んでいた。

「ここの調査を依頼した責任者は俺の能力をよく知ってる。騎士としては今ひとつでも、術式研究者としちゃそこそこ能があるって事と――俺の忌刈りの能力をな」

「……隠すつもりは、ないんだね」

「お前なら当然掴んでるんだろ、このくらい」

 忌刈り。

 騎士にとってどころか、裏の世界に身をおく者にとっては忌避の対象だ。嫌悪しない人間の方が少ないだろう。無論、龍夜とてそのひとりだ。

 その有り様は決して誇れるものではない。だが、必要なものだとも理解している。必要だからこそ嫌悪する。

「忌刈りの黒、それが君に与えられた役割だとは聞いている。とはいえ忌刈り全般に言えることだけれど、その役目をどんな風に果たすのかまでは、さすがにつかんでいないけれどね。しかしそうか……確かに忌刈り相手に、隠し事をするのは難しいね」

 互いに浮かべるのは苦笑だった。その意味合いがどの程度同じなのか、あるいはまるで違うのか。それを語り合うには二人の関係は異質に過ぎた。

 聞くべきことを聞きひと通りの納得を得たらしい雪杜がためいきひとつ、立ち上がる。

「んで、お前はどうするんだ。邪魔はしてくれないで欲しいもんだが」

「それをこれから決めるのさ。君の話はいちいちインパクトが大きくて扱いに困るからね」

 ふんと鼻で笑い飛ばす。インパクトが大きいのはこの街そのものだし、龍夜にとっては雪杜の存在そのものが驚異の塊だ。あれこれ言われる筋合いはない。

 出て行く雪杜を見送り、ソファに背を預ける。

 雪杜に話しながら改めて状況の奇妙さを実感していた。複雑とは少し違う。不透明な部分が多すぎるだけだ。逆に言えば本筋さえ捉えることができれば簡単に整理がつく予感がある。

 話したことも想像や予想で補強したものだったがおおよそ間違いはないはずだ。問題はその最終的な目的が見えないということだ。これを突き止めないことには何事も後手に回らざるをえない。

 だが本質をつかむことも目的を知る事もどちらも難しい。当然だ、それがあるとすればこの屋敷の中のどこか。なければ犯人の頭の中。龍夜なら前者は選ばない。屋敷の偏執的な防御態勢を見ても、龍夜と同程度の臆病さはあると見ていい。

 つまりどちらもほぼ不可能というわけだ。分かり切っていた話だが。

 そしてそんなことはどうせいつもの事なのだ。





「あら、おはよう、東雲さん」

「ああおはよう。少し遅れたか?」

 そっけない灯駈の挨拶に龍夜も軽く返す。挨拶に混ぜた質問には小さく肩をすくめる仕草で答えがあった。

 雪杜を見送ったあと、龍夜は清吾との約束を果たすために四条式の道場を訪れた。本来なら気と精霊の扱いを教えるだけだった筈なのだが、いつのまにやら戦い方まで教える羽目になったからだ。

「別にいいわよ。ちょうどさっき準備運動が終わったところだったから。それで……」

 どうするの、と灯駈がいいかけたとき、おそるおそるといった様子で少女が声をかけてきた。

「あの……灯駈さん……その男は?」

 背丈は灯駈よりやや低いくらいだが体の線が随分細い。年齢はおそらく見た目通り、小学校高学年前後といったところだろう。

 なんとなく、龍夜は向けられた視線の居心地の悪さを感じた。不審と疑念と不服と……その他諸々の感情がないまぜになった視線だった。

「あー……実はお父さん――師範に言われて、しばらく私はこの人に稽古をつけてもらうことになったの」

 その瞬間。

 ざわりと空気がささくれ立つ。

 ――どうにも嫌な感じだな、と感じ視線が自然と灯駈の腕に向く。当然、サマエルが何かいうことはないが、癖のようなものだ。

「灯駈さん、そいつに稽古をつけてもらうって……そいつは何者なんですか!?」

「それは――あれ? 言っていいの?」

 四相流の他系統の存在を知らされていなかった我が身を鑑みた灯駈が素直な疑問を投げかけた。

 龍夜はわずかに視線を天井に向けて。

「――四相流の皆伝を受けた人間だ。師範代を許されたわけじゃないから、本格的な稽古は付けられんが基礎の強化と矯正ならできる」

 というか、龍夜が灯駈にしてやれる事と言えばそのくらいだった。そして灯駈に対してはそれさえすれば後は十分だという考えもある。

 皆伝。その言葉に道場の中の空気がまた少し変わる。龍夜の言葉と実力を推し量る視線。

 その雰囲気にむしろそわそわとした気持ちにさせられたのは灯駈の方だった。なんというか、居心地が悪い。自分の道場なのに。

 さてどうしたものか、と二人で考えていると。

「あらあらぁ、おはようございます、東雲さん」

「……朱金師範代か」

 袴姿の葉鉄が現れた。

 葉鉄は道場内をさらっと一瞥すると状況を察したらしく、くすり、と小さく笑った。

「東雲さん、それは私に預ける約束ですよ」

「ん――ああ、そうだったな。すまない、どこに居るのかわからなくてな」

「朝はここにいなければ食堂で朝食の準備をしていますよ」

 住み込みで働いていますから、との言葉になるほどと納得した龍夜は、竹刀袋に収めた天穿牙を渡す。

 受け取った葉鉄は何かを感じたらしく、わずかに眉をしかめる。

「あらあら、コレは……」

「あんまり人を近づけるな。喰われるぞ」

 そのようですね、と刀を道場の奥の壁に立てかける。

 そして葉鉄は振り返り、ちょいちょい、と手のひらを上にして指先を繰り返し立てる動作を行った。かかってこい、ということである。

「……やっぱそうなんのか」

 龍夜は頭を抱えた。

「えーっと……やっぱそういう事なの?」

「そういう事なんだろうよ」

 重い気分で灯駈に答える。彼女は当惑していたが龍夜はむしろ納得している。とはいえ、できれば避けたい事態であったことに違いはないが。

 とはいえわかりやすくはある。

 仕方なく龍夜は裸足になり、道場の中央で葉鉄と向かい合った。

 葉鉄は両手をだらりと下げ自然体のまま笑顔で立っている。龍夜は左を前に半身に体を開き、軽く指を曲げた左手を肩の高さに差し出した。

 静寂。動きの止まった二人を周囲が固唾を呑んで見守る。

 そして、特に何のきっかけもなく。先手を打ったのは龍夜だった。

 灯駈の耳に届いたのは軽く、小さな音。ソレが爪先で床を蹴った音だと理解したのと、龍夜の左手が葉鉄の首に触れたのは同時。

 次の瞬間、龍夜はうつ伏せに床にたたきつけられていた。


「…………え?」


 見れば、いつの間にか葉鉄が左足を踏み出し、肘を突き出していた。だがその経過が灯駈には見えなかった。

 ざわり、とその結果を目にした周りの人々も声を漏らす。

 灯駈も驚きだった。まさかコレほど一瞬で、一方的な形で決着がつくとは思わなかったからだ。

 ――ていうか、弱っ。

 若干以上に動揺した。大丈夫だろうか、この男に師事して。そんな不安がよぎる。

 そんな時、龍夜がようやく体を起こした。

「……っ、痛ぅ。クソ、これだから四条式はやり辛いんだ」

 ぶつくさ文句を言いながら立ち上がる。どうやら右肩の辺りをやられたらしく、動きがどことなくぎこちない。

 と、そこで気づく。

 葉鉄が、龍夜を叩きつけた姿勢のまま微動だにしない。残心どころではなく、完全に停止している。

 それに気づいた灯駈が声を出す前に、龍夜の掌底が軽く額を叩く。と、がくんとつんのめり、数度咳き込んだ。

 その様子に再びざわりと道場の中がざわめく。

 葉鉄は口元を押さえ呼吸を整えていた。弓なりの横目で龍夜を見ながら。

「くす、随分と変わった手を使うんですね」

「普通に組手をしようとしたらそっちが変わり手を打ってきたんだろうが……! ヘタな受け方したら死んでただろうが!!」

「仮にも皆伝ならあの程度の技、受けられないと思いませんし。受けられない程度の人に灯駈ちゃんの相手をされても困りますから」

 その物言いに龍夜が半眼でうめく。

 それを灯駈含む見学者はぽかんと眺めるほかなかった。その様子に気づいた二人が、ようやくこちらを向いた。

「……………………今の、俺らがなにやったかわかったやついんのか?」

 全員揃って首を横に振った。

「灯駈も見えなかったのか?」

「え……うん、見えなかった、けど。そんなに変かしら」

「変っつうかなんつうか……朱金師範代、俺にさせようって事はつまりその辺の感覚のところか?」

「それも一部、ですね。おおよそ自覚のない、あるいは届いていない部分を補佐してあげて欲しいと私は思っていますよ」

 なるほど、と勝手に納得している二人を灯駈はなんとなくもやっとした気持ちで見守る。さらにいくつか言葉を交わした龍夜がこちらを見て両腕を組む。

「まあひとまず、四相流でやりあった場合、俺と朱金師範代の実力が同程度だってのは見てもらってわかったと思う」

「わか……た、のかしら……?」

 納得できるようなできないような微妙な面持ちで首をかしげる。

「ん……? 流れはわからなくても結果は見えてたろ。細かいやりとりを省くと俺が朱金師範代の気絶させて反撃食らったって話なんだが」

 やはり何を言っているのか理解できず、やはり皆戸惑う。

 気絶させて反撃もらうってどういう事だろう。なんで意識ないのに動いたことになってるんだろう。

 だがその言葉を肯定するように葉鉄はにこにこと笑ったまま。

 仕方なくなんとなく、龍夜の実力は認めざるをえない、そんな空気になった。





 とはいえ気になるものは気になる。

 朝の短い時間でできる鍛錬も限られているため、結局今日は先程起きたことを説明するに留めることにした。

 今、龍夜と灯駈は先程までの大きな道場から離れたところにある、小さな道場へ場所を移していた。

 普段徒弟達が使う道場の他に、小さな道場が幾つか敷地内にあるのだという。随分贅沢な話だと呆れたものだが、四相流の事を思えばさもありなんと言ったところだ。

 先程は気を使ったため被害はなかったが、本来四相流どうしが競い合えば普通に床は抜けるし天井は飛ぶし壁に穴が開く。修繕のたびに鍛錬をやめては非効率なため、いくつか使いまわせるようにしていたのだろう。

 現在はそこまでの使い手が少ない上、めったに本気での手合わせを行わないから使われていないだけだ。

「練習環境ってのはほんとうに大事でな。実戦を想定して、とかいって足場や視界が悪い場所で鍛錬しても効果が薄いんだよ」

「そうなの? てっきりあなたは荒野のど真ん中や洞窟の奥深くで鍛錬したりするのかと思ったのだけれど」

「しないってことはないが、それは基礎が出来上がったからこそ、だ。歪な鍛え方をすると状況の変化についていけなくなるのさ。とはいえ、その状況に対してなら誰にも負けない、特化型の性能に仕上げることはできるが……ま、そういうのは稀だな」

 ふうん、と納得している様子の灯駈に苦笑する。雪杜なら龍夜の言葉の意味を理解するだろう。

 特化型の性能に仕上げられるパターンとしてわかりやすいのは暗殺者だ。暗所や群集内での効率的な動作を追求した特定技能暗殺者は実在する。

 そんな発想に至らない彼女は実に健全だ。

「それで……結局さっきのはなんだったの? それに、なんだか私が見えてなかったことがおかしい、みたいな反応だったじゃない」

「おかしいというか理屈が合わないって言う方が正しいかな。さっきのやりとりな、平均的な<大天使>級の攻撃速度なんだよ。それだけでなく、先日お前が俺を庇って割って入った時の戦闘速度域はさっきのあれよりもう二段階程早いんだ」

「え……」

 龍夜の指摘に灯駈もたじろぐ。

 あの瞬間は今でもはっきりと覚えているからだ。

 焼けるような夕陽の光に満ちた世界で、浮かび上がった漆黒の悪夢に無我夢中で抗った。

 負傷を承知で自分たちを守っていた龍夜にいてもたってもいられず、必死に割り入った。

 あの一瞬一瞬、全ての刹那は今でもはっきりとまぶたに焼き付いている。

 それが、先ほどの超速戦闘と同じか、それ以上に早かったと言われてもピンとこない。だって、自分は何一つ理解できなかったのだから。

「これもさっきの話と地続きになるんだがな、人間ってのは自意識に想像以上に縛られるんだ」

 自意識。

「シチュエーションによって自分の能力が上下する。あるいは報酬の有無やその日の天気、朝の占いだってなんでもいい。そういう『自分がどういうものなのか』という無意識の縛りってのは思いの外強い影響をおよぼすんだ」

「ふうん……それがさっきの話とどうつながるの?」

「練習環境によってベースとなる感覚を正しく作るつったが、ここに自意識が絡むんだよ。出来るはずのことが出来ない、掴んでいるはずの感覚に気づけない、見えるはずのものが見えない。そういう悪い癖も、練習環境でついちまうんだ。自分の能力を自縄自縛で抑えつける羽目になる」

「……わたしが、そうだっていうの? でも、どうして」

「それはおいおい実感していけばいい。そのためにも今日はやっぱりさっき朱金師範代どやったやつをやった方がいいだろうな。こういうのは体で覚えていくのが手っ取り早い」

 何かはぐらかされたような気がしなくもないが気になっていたことだ。素直に指示に従う。

 龍夜に言われて、先程の葉鉄と同程度の距離を開け向かい合う。姿勢は葉鉄と似ているが、自分がいちばん動きやすい姿勢を取る。鋼より足幅はやや小さめにして腰を落とした形だ。龍夜は先程と同じ、左を前に半身に体を開いた。

 こちらから見ると手のひらが顔にかぶさり、絶妙に視線を指先で隠してしまっている。また、右足が奥に隠れてしまっているため動き出しの瞬間がつかみにくい。

 なるほど、攻撃的なスタイルの龍夜らしい。

「最初は手加減して――つっても、油断したら吹っ飛ぶからしっかり見てろよ」

「鍛錬中に気を抜いたりなんかしないわ。これでも四条式――あなたと同じ、四相流よ」

 その言葉に龍夜は口の端を吊り上げてにっと挑戦的に笑ってみせた。

「ああ、その意気だ。気持ちで負けてちゃ話に何ねえからな――いくぞ」

 その言葉が終わるやいなや、龍夜が目の前に迫っていた。

 葉鉄がされたのと同じように、伸ばされた左手の指先が喉元へ迫る。

 思考を削ぎ落とし最低限に絞る。後へ逃げる――のはダメだ。明らかに速度で優る相手には明らかに悪手。

 ならば上下、あるいは左右。

 上はない。相手のほうが上背がある。飛び越える足をつかむくらいするだろう。

 ならば。

 左足に力が入る。相手は左手を突き出しているが、それは左回りの円運動とほぼ同義だ。ならば巻き込まれるように内側に入り、すれ違いの速度でかわし、打つ。

 相手の外側に回らないのは威力を警戒してだ。流れに逆らう動きは、肘や足の追撃を招く。

 判断を自覚しないまま足の指先が床を蹴り。


「――――あら?」


 天井を向いて仰向けに倒れていた。おかしい、今自分は確かに動こうとしていたはずなのに。

 疑問が頭のなかでぐるぐる渦巻いていると、にゅっと視界に龍夜が入り込んできた。

「まあさっき俺がかましたのがこういうことなんだが」

「何っ? 今何をしたの!?」

「だからさっきも言ったろ。意識をぶった切ったんだよ。反撃の途中で動きが止まったせいで朱金師範代みたくその場に止まれなかったんだな」

「いや……でもいつ意識を断たれたのか全然わからなかったんだけど……」

「まあそれがミソだからな」

「ていうか葉鉄姉ぇはどうやって反撃したの……?」

「正直俺もよくわかんねえんだよなそれ。確かに意識を断った感触はあったし実際に意識はなかったはずなんだが」

 人体って不思議だよな、と他人事のように感心する龍夜に、なんとなく宇宙人を見る気持ちを理解した。





 数度灯駈の意識をぶった切りながら動きを説明し、対応方法についてあれこれ試しているところで灯駈の登校時間になった。

 灯駈は制服姿に手早く着替えて出てきた。門の前で待つ龍夜をみてすこし驚いた顔を見せる。

「どうしたの東雲さん。もしかして見送り?」

「ああそうだが……なんでそんなに驚く」

「え、いやだって東雲さんそういう律儀なタイプに見えないもの」

 またストレートに言うな、と呆れ半分に笑う。しかも的中ど真ん中で反論できないのがたちが悪い。

「まあ様子見だよ。サマエルが居る限りそうおかしな事にゃならんだろうが、気になるもんは気になるからな」

『かかか、気にしてもテメェにできる事なんざ何もねえんだし、無駄に気を揉むだけだぜ』

 光を吸い込むような鈍い黒のブレスレッドから、からかうような声が返ってきた。こちらもまた、反論の余地のない言葉を投げかけてくる。

『あれこれ気を回すのは構わねえがテメェ馬鹿なんだから無理すんじゃねえぞ? 腑抜けねえ程度に休んどけ。どうせ調査は気長にやるしかねえんだしな』

 調査? と首を傾げる灯駈をサラリと無視する。

「まあ何か別のアプローチは考えてみるさ。ともかく、灯駈の事は任せたからな」

『ヘイヘイっと……やれやれ、普段は面倒見られてる分際で偉そうなこった』

「そうなの、サマエルさん」

『ああその通りだ。ってぇのもこの龍夜ってのがなぁ、本当にしょうもねえやつで――』

「……さっさといけよ、もう」

「あ、そうだわ。それじゃあ行ってきます」

 腕時計を見て駆け出す灯の背中を見送る。サマエルの事だから変に口を滑らせる事はないだろうが、なんだか無駄な事は教えやしないだろうかと若干の不安がよぎる。

「――つうかぜってぇ変なこと吹き込むよな」

 灯駈との稽古の約束は夕方帰宅後にもある。その時いったい何を聞かれるのか、今から気分がずしんと重くなった。

 かぶりをふって懸念を追い出す。

「さて、しばらくぶりにしっかり休んだし次の方策を練らねえとな。いい加減、アレックス・キングのしっぽくらい掴まねえと」

 まず道場に預けた天穿牙を受け取って、それから教会へ戻ろう。

 教会に仕掛けられた術式をひとつひとつ紐解く事も視野に入れて見るべきか。おそらくトラップが何重にもなっているだろうから容易な作業ではない。とはいえ今ぱっと思いつく調査対象はもうそれくらいしか残っていない。

 そんなあからさまなものにヒントを残している可能性は低いだろうが――。

 そこまで考えたところで、コートの胸ポケットに振動。携帯端末だ。

 ディスプレイに表示された名前は。

「三奈? 何かあったのか……?」

 三奈から電話をかけてくることはあまりない。龍夜の生活サイクルが破綻している事が多いので、メールのほうが確実に用事が伝わりやすいのだ。もっとも、コレは騎士全体に言える傾向なのだが。

 事実、ここ一年三奈から電話があったことなどなかった。騎士団からの緊急連絡ならあったが、今ディスプレイに三奈の名前が出ていると言うことは、彼女自信の携帯からかけているはず。

 何か急ぎの用事だろうか?

 通話ボタンを押し、端末を耳に当てた。

「もしもし三奈か。何かあったのか?」

「どおおおおいうことですかいきなり!!」

 きいん、と。耳鳴りがした。

 音割れと共にもたらされた怒声に鼓膜の犠牲さえ覚悟したくなる、そんな声。

 反射的に投げ捨てそうになったがすんでのところで思いとどまる。

「…………音響兵器か何かか、今のは」

 頬をひきつらせてひとりごちる。通話はまだ続いており、なにやら叫んでいる様子だった。手をいっぱいに伸ばしているというのになお聞こえるってどんだけだよ。

 さっと周囲を見回して人影が無いことを確認し、門の脇の植木の側にしゃがみ込む。

 いっそのまま切ってしまおうという誘惑を振りきって――なにしろ、切ってもどうせかけ直してくるに決まっていた――通話モードをスピーカーへ切り替える。

「――――なんて、一体どういう事ですか!? だいたいあなた、あの時からわたしに対してですね」

「あー、三奈。三奈さん? ちょっとすみません、話し聞いてもらっていいですか」

「わたしがいったいどんな思いでこの三年……なんです、何か言い訳でも?」

「いや、言い訳っていうか……いきなり怒鳴られて話が聞けてねえんだよ。らしくねえな、一体何をそんなに慌ててんだよ」

「何をって、慌てもするに決まってるじゃないですか……! まったく、人の気も知らないで……!!」

「三奈落ち着け。いいから少しテンション下げろ。俺がお前に山ほど借りを作ってるのは理解してるしまあいつか返そうとは思ってるが、とにかく最初から話してくれ。一体何に対してそんなにハイになってんだ」

「…………そうですね、少し取り乱しました」

「少しつったか今」

「今から端末のデータ全部消して差し上げてもよろしいんですよ?」

「やめろ、仕事にならなくなるだろ……」

 つい反射的にツッコミを入れてしまったら思いの外マジのテンションで返された。やるかどうかはともかく、三奈なら出来る。

「で、一体何があったんだ」

 どうせまた変な厄介事でも起きたのだろうと思っていたら。


「それはこっちのセリフです! 一体何がどうしたら、年下の高校生と一緒に暮らすことになってあまつさえ学校に通うなんて事になっちゃってるんですか、龍夜さん!!」


 ――――どうやら、厄介事が起きているのは、こちらの方らしかった。



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