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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
24/28

傷・癒えぬまま

 その男は床に埋まっていた。

 具体的には肩のあたりから床にめり込んでいた。頭を床にめりこませると尻は自然と上に上がってしまうため不恰好な土下座にも見えて非常に間抜けな姿だ。

 実際は土下座どころではないわけだが。


 家に入って真っ先に道場に通された龍夜が最初に見た光景が、これだ。


 どうしろってんだこれを。内心罵る。隣を見ると灯駈がいたたまれない表情をしているしその向こうの智晴も反応に困っている様子だ。

 唯一の例外は連れてきた張本人である葉鉄のみ。

 葉鉄は軽い足取りで埋まった男に近づくと、大きく振り上げた足をそのまま床に叩きつけた。

 重い音と共に床だけでなく天井までびりびりと震える。


「とんでもねえ震脚だな、おい」

『かはははは。こりゃあもう笑うしかねえな』


 龍夜では同じことができないのかと問われれば答えは否。可能である。

 が、あくび混じりの片手間よろしくで出来るかというとそれは否である。

 ともあれ。

 衝撃により、埋まっていた男の頭が飛び跳ねた。軽く悲鳴を上げて立ち上がる。

 男はおよそ四十代くらいにみえた。僅かに白髪の混じり始めた頭髪は、一晩逆さまになっていた影響だろう、所々みだれている。

 驚きながらもその表情はどこか柔らかい印象を与える。

 葉鉄がこの場へ連れてきたという事はそういう事なのだろうが、外見はあまり似ていないらしい。灯駈はどうやら母親似のようだ。

 つまるところ。


「…………おや、不良娘。帰っていましたか」

「う」


 彼こそが四条灯駈の父にして神浄四相流・四条式師範、四条清吾である。

 清吾はふらふらと立ち上がる。床の穴をみて悲しそうに眉尻を落とした。

「あのねえ葉鉄。うろたえた僕も悪かったけれど、さすがにこれはないんじゃあないでしょうか」

「あのままだと不安のまま道場をこわされそうでしたからねぇ。緊急措置、ということでお願いしまぁす」

 清吾の要求などどこ吹く風。そんな様子に深く肩を落とす。

 と、その視線がこちらを向き、今度は眉間にしわを寄せた。

「ふむ……君は初対面ですね。はじめまして、僕は四条清吾。そこの四条灯駈の父親だよ」

「……はじめまして、俺は東雲といいます。ひとまず、こいつらを保護した……というかこいつらに助けられたと言うか。ひとまず昨晩のあれこれを説明するために来ました」

 龍夜がどことなくぎこちない表情と言葉遣いで答えた。

「それはわざわざどうも。ところで、まさかとは思いますが我が家のひとり娘に不埒な真似をしていた……などということはありませんよね?」

 瞬間。


 つ、と龍夜の肌を冷たい汗が流れる。

 清吾と葉鉄の意識が僅かに変わった。それだけで感じられる圧が変化し、本能を刺激する。


(こいつはまた、とんでもねえな)


 己もまた一伎型の全てを継承はしているが、やはり練度が違う。これが師範たるものの力かと内心で納得する。

 それに並ぶ葉鉄はさすがに劣るものの、それでも龍夜と渡り合える実力を感じさせた。

 で、だ。

 特に清吾の方に関して。


(笑顔のくせに鬼の形相の気が浮かんでやがる……)


 気を実体化させるには仙人クラスの鍛錬が必要だったはずなのだが。

 まあ世の中例外はあるわけだし、ひとまず誤解を解かねばなるまい。


「あー、まああれだ。特に不埒なこととかはしてないのでご安心を。とはいえ、色々と厄介な事情が絡んでいますので、その辺りは説明しなくてはならないかと思いますが」

「ほう、厄介な事情、といいますと?」

 躊躇いと緊張を舌に乗せて龍夜は言葉を続ける。

「…………あなた方四条の棄てたもの関連、において」


 その瞬間。

 するりと龍夜の全身を襲っていた圧の片方が消えた。

 そして。


「…………あぶねえな」

「ふむ。なるほど」


 龍夜が僅かに差し出した左手の指先。鉤爪のように曲げられた爪先に、清吾の眼球が触れていた。


「お、お父さんっ?!」


 一瞬視界から消えた父の右腕が龍夜の首に触れるかどうかの位置に止まっていることに非難の声を上げる灯駈。

 互いに命を獲れる距離。絶対の死線。そのぎりぎりで踏みとどまるふたりの顔からは感情が削り落とされている。

 腕一本の距離をはさみ、互いの視線を覗き込むこと数秒。同時にふ、と息をつき苦笑を浮かべる。


「と、まあそういう事でして」

「わかりました。ひとまず理解はしましょう。とはいえ納得できるかどうかはこれからの話次第とさせて頂きますが」

「…………ええ、理解できますよ」


 頬を伝う冷や汗を拭いながら龍夜は深く息をついた。

 これだから、四条式は苦手なのだ。





 龍夜、灯駈、智晴の順に正座で道場の床に座る。

 正面に清吾、やや離れた右手に葉鉄。

 何から話したものかと考えていると、まず清吾が口を開いた。

「さて、まずは正式にご挨拶しましょうか」

「……正式?」

 灯駈が首を傾げる。

 龍夜は隣に座るふたりを見て、次いで葉鉄に視線を送り、最後に清吾を見た。

「かまいませんよ。葉鉄にはだいたいは伝えていますし、その子もいずれは知らなければならないこと。もう教えてもいい頃合いでしょう。まあ智晴さんは」

 ちら、と彼女をみて苦笑する。なんとなくその気持ちには同意できた。

「隠すだけ無駄な努力となるでしょうから」

 智晴の情報集積の手腕を鑑みるとその評価も納得できる。であれば、下手に動かれるよりは事実を教えておいたほうが安全だとも考えられるだろう。

 そもそもが、今回の流れの一端には彼女のそういった性質が関わっている事は否定できないわけである以上。


 ふう、と息をついて龍夜は居住まいを正す。正座を解き、胡座をかく様な形になりながらも背筋を伸ばす。両の拳を膝につけ、まっすぐに視線を向ける。


「神浄四相流・一伎型皆伝、理由あって名を正しく名乗ることはできませんが、先ほど伝えました字と合わせまして名は龍夜。この度は四条式のお力添えを戴きました事、深く感謝致します」

「神浄四相流・四条式師範、四条清吾。この度は娘を導き我が元へ還して戴きました事、深く感謝致します」


 互いに頭を垂れる。

 その姿に。

「…………ほぁ?」

 驚きっぱなしの灯駈だった。

 まあそんな反応だろう。何も知らなければ。

「神浄四相流の四条式と一伎型。僕らは大元を正せば同じ流派の人間、ということだよ」

 その言葉に呆然としていた彼女は、きょときょとと父親と龍夜の間で視線をさ迷わせる。

 そんな彼女よりも先に持ち前の好奇心を発揮したのは智晴だった。

「あー、はいはいはーい!」

「却下な」

「うわこの男笑顔で超ひでぇ!!」

 面倒くさいという感情を精一杯押し込んだために逆に胡散臭い笑顔全開になった龍夜が速攻で質問を却下しようとする。

「それでですね、それじゃあ四条式……というか、この場合は神浄四相流? って全部で何個ぐらい種類があるんですか?」

「はい却下」

「だからこの男さっきからなんなんすかもー!!」

 めげない智晴に対しそれでも切り捨てようとする龍夜。

「まあ実際問題、それは『言えない』んだよ。取り決め上な」

「まあ、そういう事でして。遭遇したら仕方ないけれど積極的に情報を広めたりはできないのですよ。たとえ、それが神浄四相流どうし、四条式どうしであってもね」

「え、あ、あのちょっと。ちょっと待って」

「よう、回復したか」

「回復したっていうか……え、何? じゃああなた最初からうちの事知ってたってこと?」

「まあ苗字を見たら大体予想は」

「ていうかお父さん、わたしそんな話いままで聞いたことなんてない!」

「さっき言ったとおりですよ。四相流について語ることができるのは今回のように遭遇した場合を除けば、皆伝を受けて伝えるに見合うと師範が判断した場合です。うちだと僕と月水と葉鉄くらいですよ、四相流について知っているのは」

「ちょちょちょちょっっっと待って! ちょっとお願い整理させて!! ええとお父さんとお母さんと葉鉄姉がええと……」

 ついに情報の処理が追いつかなくなったのか灯駈が頭を抱えだした。

 自分の時は一伎と四条がまったく逆の状態だった。なるほど、見ている人間はこんな気持ちになるのか。性悪ジジイが笑っていた理由がよくわかった。だからと言って許さんが。

 龍夜はそれを苦笑して見やり、居住まいを正す。

「では、その間に本題に入りましょう」

「うん。そうだね。……と、僕もいい加減疲れてきたし、口調を崩してもらっていいですよ。その口調、ぎこちなさが隠せていませんからね」

「……んじゃあまあ、適当にさせてもらいます」


 口調を軽く崩して龍夜は昨晩の事を語った。

 おおまかな流れは先ほど灯駈に語ったものと同じ内容だ。

 聞いている間清吾の表情は変わらず、ただ聞きに徹していた。むしろ離れて聞いている葉鉄の気配が剣呑さを増してゆくのが恐ろしい。

 話が終わると清吾は腕を組んで瞑目した。葉鉄からは冷たい殺気が迸っている。果たして自分は生きてこの道場を出られるのか。


「ふむ……まあ、事情については理解できました。やれやれ、因果というものは中々に厄介なものですね」

『くかかか、逃れられねえよなあ。安心しろ、そういう運命のイタズラってやつにゃあ、俺でさえ手を焼くくらいだ。百年も生きてねえガキが気にすることでもねえさ』

「お前は慰めてんのかからかってんのかどっちだよ」

『両方に決まってんじゃねえか』


 くかか、と腕輪の中で笑う相棒。サマエルについても、既に話してある。


「しかしまあ、義父からも散々言われていたのですが。この因果もあるいは、僕の軽率が招いたことなのかもしれませんね」

「軽率?」

「ええまあ。本格的なものではないのですが、僕、十年前の大戦に軽く関わってるんですよ」

 清吾の言葉に龍夜が顔をしかめる。

「……四条式があれに参加してるなんて聞いてないですが。うちの師匠はさんざ暴れまわったみたいですけど」

「本当に隅っこ、友人の補助の形でしたから。そもそも僕もその友人が術師であることを知ったのはそれがきっかけ、というくらいに、そちらの業界からは身を引いていたんですけれど――まあ迂闊だったと今回の件で反省しますね」


 やれやれ、と笑う彼はしかし後悔しているようには見えない。


「まあ、そのおかげでその友人が助けられたのなら、有りなんじゃないですかね。少なくとも今回、死人はまあ……ないわけじゃないですが。少なくとも貴方にとっての最悪は回避されている」

「それで自分を慰めることにします。しかしそれにしても……領主のいるこの街で、そんな儀式が、ね……僕はこの街に住み始めて二十年以上ですけれど、そんな陰惨な話、初めて聞きますよ」


 単純な虐殺ではなく、追い詰め、責め立て、狂おしく狂わしい。

 人と人の感情のるつぼを生むことで生成するレギオンの巣。


「領主との面識は?」

「ありませんね。いるいない、と言った情報くらいは入ってきてはいましたが。どんな人物なのかどれほどの人物なのか……それも知りませんでした。まあ御存知の通り色々な意味でにぎやかな街なので、目立った事件がそうそう起きない事から優秀な人物なのだろうと勝手に思っていたのですが……その認識も改めたほうが良かったのかな」

「どうですかね。正直残された資料や実績を見るかぎり相当な人物だとは思いますよ。いや、はっきり言って国内でも有数の使い手だったはずです」

『それも、騎士としても術式研究者としても十分な実力を持っていたはずだ』

「ふむ……そんな人物がなぜ今回のような儀式場を見落としていたのか。いやそれ以前に彼は一体何処へ消えてしまったのか……謎は多いわけですね」


 龍夜は軽く肩を竦める。

 色々と思うところはあるものの、それを語る場ではない。


「わからない点についてはこちらで今後も調査はしますよ。可能な範囲で情報を伝えることもできます。ただ、灯駈の体調の監視とサマエルとの連絡のために、一日に一度はここにお邪魔する事になるかと思いますんで、そこをお願いしたく」

「え……別に平気よ。何かあったら自分で気付くわ」

「うるせえ素人そこは素直に従っとけ。言っとくが、お前にかけてる術式は扱いを間違うとこの家まるごとふっ飛ばすんだぞ」


 龍夜の言葉にうえ、と舌をだして顔をしかめる灯駈。とはいえ彼女にとっては自分の行動が招いた結果なので不満を抱くこともできない。


「とりあえずそこんとこの了承をいただけますか」

「ふむ……」


 清吾は両腕を組んで僅かに考える。

 しばらくしてひとつ首肯すると、娘に視線を向けた。


「そうだね。必要なことだろうし問題はないよ。ただいくつか守ってほしいことがあるんだ」


 条件が何かしら出ることは想定できたことである。龍夜は特に反論もなく無言で先を促した。


「まず家に入る際にその刀を僕に預けること。僕がいなければそこの葉鉄でも構いません。

 君のことを疑うわけではないのですがなにぶん血の気の多い馬鹿が何人かいましてね。君が刀を持って灯駈の部屋に入る所を見たらいきなり襲いかかりかねない。ああ、無論君のことはある程度説明はしますが……現場を見て理性を保てないのが何人かいましてねぇ」

「それは四相流を使う人間としていいのか。しかもよりにもよって四条式で……」


 四条式の基本は後の先やカウンターなどである。

 余程の実力でもない限り、自分から飛びかかるのは愚の骨頂と言える。


「ははは……まあ、その未熟さは情熱と根を同じにするものでして。今後の成長に期待、としか」


 己とて未熟な時期を経て今ここにいる――否、今も未熟であると自覚している以上、そこを責めるのも酷だろう。


「それともうひとつ。うちの娘に戦い方を教えてあげて欲しい」

「――――」


 その発言には。

 さすがの龍夜も息を飲み瞠目した。

 それは灯駈も同様だった。

 そんな二人を置き去りに清吾は話を続ける。


「君はその年齢で一伎の技を全て授かったんだろう? 四条式には同年代がいないし、なにか助けになるかと思ってね」

「え、いやちょっと、お父さ」

「断る」


 灯駈が何かを言う前に、龍夜が断じた。決して語気を荒らげたわけでもないのに、言葉に込められた冷たい熱にぞっとした。逆鱗に触れたのだ。しかしそれでも相変わらずの笑みをうかべる父を見て背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。


 ――なんだこいつら。化け物か。


 そんな感想を抱く灯駈の隣では智晴が、ふたりの圧で心臓の鼓動がやべぇ死ぬなにあちしの親友って割と平然としてて結構規格外過ぎね? などと思っていたりするのだが。

 さらに言えばそんな彼女を何の訓練もしねえのによく耐えるもんだと感心しているサマエルがいたりと。

 有り体に言えば今道場にいる面々は例外なく例外だった。


 それらをただ見ているだけだった葉鉄が、

「はい、そこまで。灯駈ちゃんや智晴ちゃんを怖がらせてどうするんですか」

 ぱん、と両手のひらをあわせてひとつ打つ。せめぎ合っていた気が霧散し、道場内に満ちていた圧力が打ち払われた。


 ――こいつはこいつで、バケモンだな。


 およそにこやかな笑顔を浮かべながらできるようなことではない。

 そもそもが考えてみれば、この清吾と葉鉄――この二人は彼の師や兄弟子と同等の高みにあるのだ。

 下手に刺激しても面倒事が増えるだけ、と割り切る。


「とにかくお断りだ。下手して一伎型の癖が移ったらどうするつもりだ」

「そこは心配していませんよ。少しでも無理があればその子なら自分で気付くだろうし。それに――自衛の手段は、あったほうがいいだろう? 君が護ってくれるつもりなのだろうけれど、君にだってやるべきことはあるんだ。常に警護し続ける、なんてできないだろう」


 龍夜は瞳を細めた。この男、気づいている。うっすらとぼかしたが、知識があればすぐにでも判る内容だ。当然、葉鉄もうっすらと口元に笑みを浮かべていた。

 龍夜はぼりぼりとあたまを掻くと、仕方なしにそれを認めた。


「…………わかったよ。四相流の基礎、俺に出来る範囲で鍛えてやる。それでいいか、灯駈」

「へ? え、あ……あー、もう、いいわ、なんでも。わけわからないことばかりなんだもの。正直、もう少し色々と教えてくれると助かるんだけど」

「お前の父親に聞け。俺は知らん」

「言うと思ったわ」

「話はまとまったようだね。それじゃあ悪いけれど、灯駈と智晴くんは席を外してくれるかな。残りはちょっとデリケートな話になるからね」

「さらに隠し事をする気か、この父親は……」


 呆れを隠さない灯駈に清吾は苦笑する。

 彼としてもゆっくり伝えていけばいいと思っていたことを一気に晒す羽目になったのだ。段取りが狂って困っているのである。

 不満気な様子だったが灯駈は聞き分けよく、道場をあとにした。

 二人の気配が遠ざかるのを確認して、清吾は静かに口を開く。


「さて」

 声がかかる。

「ああ」

 それに応じる。


 葉鉄の目の前で唐突に。それは始まり、終わった。





 攻防は三度、入れ替わった。まず最初に攻勢にでたのは、それを得意とするところの龍夜だ。

 刀を抜く動作と共に床上を滑るように移動。左手で鞘を引きながら時計回りに胴を回し、肩の動きを以て刀を抜く動きを作る。同時に清吾の動きを封じるように立てた右膝で座ったままの相手の胸を押し体勢を崩した。

 しかしそこで僅かに清吾が体を動かした。攻防が入れ替わる。

 渦巻く刃の流れ、それに逆らう動きだ。それはつまり、自ら刃へと向かっていく流れでもある。その動きに龍夜は刹那の中で驚愕を覚えた。

 刀、というものは触れれば切れるというものではない。切断をなすためには当て、押し、引くという流れがなければならない。

 そして円の軌道を描く場合、その移動距離は外縁に近いほど長くなる。円の内側に近くなれば移動距離は小さくなり――同時に、切断できる範囲も狭くなる。

 その半径に飛び込んできたのだ。即ちこれこそ清吾の攻勢。鋭い斬撃を鈍らのそれとするものだ。切断を損じた刀は、厚い道着に引っかかり、まともな運用はこの攻防の間はできなくなるだろう。

 それは武器破壊にも通じる。

 故に。

 龍夜の右手が柄から離れた。

 その動きに清吾はほう、と心の中で感嘆する。

 戦闘の中で武器を捨てるのは難しい。それが万全の状態であれば尚更だ。その一瞬を封じられても、その後使える場面があれば、などの想像が働く。それが馴染んだものであれば尚更だ。

 しかしそれを、迷いなく手放した。それを軽率と取るか英断と取るか。それは結果を見なければわからないところであろうがしかし。

 ――良い、判断ですね。

 清吾はそう結論した。

 四条式に武器を取られて、まともに返ってくる、と考えるならばもはや救いようがない。

 しかし龍夜は右手は離したが左手は離していない。即ち。

 ――こちらに自由に使わせるつもりもない、と。

 切断の動きを失った刀は流れの動きで鞘に収まるだろう。これにより武器封じは封じられ、しかし龍夜は動作の一つを遅らされた、と思うだろうが。

 ――さすがに一伎型。守りの動きまで攻めの動きとしますか。

 龍夜の左手が、わずかに傾いだ。人差し指と中指をまっすぐに伸ばし、軌道は変えずにしかし狙いは正確に心臓へ。

 刃の抜く動きを追うように移動する左手は、刃に沿って直線にしかし体の動きを追って円を描く。そこに割り込んできた清吾の体は、ほぼ刃と並行の位置にある。

 そこに、手首を僅かに内側に曲げ、指を立てることで。

 ――心臓を取りに来ましたか。

 単純に心臓を狙うと言っても、そこは骨や筋肉によって守られておりたやすい話ではない。

 しかし。

 ――神浄四相流・四条式――梨礫。まあ、四相流の基礎の基礎からの技術を使っているものですし、一伎型に同じような技があってもおかしくはないですね。

 梨礫。打ち込んだ拳から相手の体内に気を走らせ、内部から破壊する四条式の技だ。

 龍夜が立てているのは指二本だが、そこに込められた針のように研ぎ澄まされた気は紛れも無く必殺のそれ。道着の厚みなど無視して、骨と筋肉をすり抜け心臓に致命の一打を加えるだろう。

 ならば、と。

 清吾は大きく体を曲げた。

 伸ばした背筋を猫のように曲げる。

 気の針をまともに受ければ、たとえ心臓への直撃を回避しても体内の気脈を狂わせられ、まともに身動きがとれなくなる。防御即敗北となる悪質な攻撃。

 故に回避の動きを取るのが定石。しかし距離と速度、さらには先の動きで前へと動く体を転換させていては、追撃をかわしきれない。

 つまり。絶対に安全な部位で相手の攻撃を凌がなくてはならない。



 がり、という音と共に、二人の動きが止まった。

 肉を裂き骨を噛む音は清吾の口の中から響いた。龍夜の人差し指と中指の第一関節を噛み、僅かに砕いた音だ。

 清吾の防御にして、攻撃。口腔内であれば気の針の受毛止める必要なく止められる。指を歯で抑えれば良い。無論、ほんの一刹那の間違いで失敗してしまう危険な行為だが。

 押さえる位置も重要だ。第一関節より深く指を突き入れる事を赦してしまえば、口の中で指の向きを変えられてしまう。

 つ、と龍夜の指先から手の甲にかけて、血が流れる。それを見て、龍夜はようやく全身から力を抜いた。

「参った、俺の負」

「はい」

 敗北宣言を許さず拳が龍夜の胸に突き刺さった。四条式ではない普通のアッパー気味のパンチ。

 軽く両足が床から浮きもんどり打って倒れ床上でのたうち回る。それを見ながら変わらずのやわらかなほほ笑みで清吾は言った。

「四相流の挨拶としては先程まで。今のはまあ、親馬鹿な父親の理不尽な怒り、とでも思っていて下さい」

 対する龍夜は話どころではない。両足が浮いたせいで体内の衝撃を外へ逃がすこともできず、爆発したかと錯覚するように暴れる内蔵の痛みに目の前が赤く染まっていた。

 血を吐いていないため内蔵は無事のようだが、それが逆に恐ろしくもあった。





 三十分後、憔悴しきった顔で龍夜は四条家を後にした。

 灯駈には少なくとも今日一日は家でゆっくり休むように厳命し、サマエルにも見張るよう言いつけた。大層不満そうだったがひとまずおとなしくはしているだろう。

 千晴は今日は灯駈の家に泊まるという。ふたりとも色々と話したいことはあっただろうが龍夜も一旦身を落ち着ける必要があるので、それは後日ということにした。

「……そういや、完全にひとりになるなんて何年ぶりだろうな」

 思考がつぶやきとなってこぼれた。そもそもこの癖にしても、サマエルに話して聞かせることが常であったためについたものだ。

 外から見ればひとりごとだったが、今や完全にただのひとりごとである。自覚すると自分の痛々しさに苦笑するしかない。

「さて、どうするかな……」

 ひとまずの面倒は片付いた。

 灯駈が目を覚ます前に騎士団へのでっち上げの報告も済ませており、今急ぎでやるべきことはない。いや、あの山の儀式場は一度徹底的に調査をする必要があるだろう。あるいは、アレがアレックス・キングにより作られたものであればその手がかりを掴むきっかけになり得る。

 いやそれよりも先に、この周辺で仮宿として使える場所を探すべきだろうか。灯駈の術式を監視するためにも、物理的に距離を置くのはまずい。

 清吾と葉鉄には気づかれたが、今の灯駈は何よりも……レギオンにとっての格好の餌食だ。サマエルがいるとはいえ、不測の事態に対応するためにもやるべきことは多い。

「……次は失敗しねえ」

 これは龍夜にとってもリベンジだ。

 無関係であるべき少女を巻き込んだ自分自身への。

「術式の安定まで一ヶ月、完全回復まで約三ヶ月……か。年明けまでには、こっちの用事も片付けたいところではあるな」

 あまりひとところに長く滞在すると、それだけ自身の持つ特性が弊害となって降りかかりやすくなる。というよりも、今回智晴が巻き込まれたのは間違いなくそれが原因であろう。もっとも、結果的に誰も死ななかったのも、そのおかげなのだが。

「やはり面倒なもんだな。いや、だからこその呪か……」

 愚痴をこぼしながら歩みをすすめる。

 いずれにせよアレックス・キングの捜査と同時に四条灯駈の保護も完遂するまでこの街に釘付けになることは確定してしまった。ならばまずはアレックス・キング関連の問題を片づけたいところだが……さて、それよりも先にこちらの問題を片付ける必要があるか。

 ため息とともに足を止める。


「…………何やらサマエルが勝手に妙な契約をしたらしいじゃねえか。話は聞いてるぜ」

「ああそうか、よかったよ。もし知らぬ存ぜぬを通されたらどうしたものかと、心配していたものでね」

「そうかい」


 互いに正面から向きあったまま、しかし視線は微妙に逸らしたまま。

 十メートルの距離をおいて向き合う龍夜と雪杜。

 残夏の熱がじわりと肌を焼く。しかしそれ以上に冷たく凍る場の空気。


「お前の相棒は?」

「置いてきたよ。これは君と僕の取引なわけだしね」


 なるほど、賢明な話だ。しかしそれだけに、厄介な話だ。

 つまるところ事態を止める人間が誰も居ないということなのだから。


「は……ま、いいさ。こっちとしちゃあサマエルの事を黙っててもらえるってのは相当にありがたい話なわけだしな。

 いいぜ、テメェの要求に応えよう。

 ……取引の結果として……お前は俺に、何を求める?」



 覚悟はしていた。

 状況も推理できている。

 しかしそれでもその答えを得ることには若干以上の躊躇いがあった。

 しかしどうも、そう思っていたのは龍夜だけだったらしく。





「殺し合いを」





 するりと、当然の様に出てきた言葉に。

 龍夜は深々とため息をついた。


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