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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
22/28

残響・潰える


 02 - 15:残響・潰える





「い、や、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 ぶちり、と自分の中の何かが弾ける音を聞いた。


 最善は尽くした。

 全力は賭した。

 それでも。なあ、俺よ。


 全てを賭けていたと。そう言えるのか。

 文字通り、己の存在に命を賭けた少女を前に。


 否。

 否、だ。

 故に。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおああああああああああああああああああっ!!!!」


 吼えた。

 それが負け犬のそれだとわかっていても。





 声を、聞いた。

 途切れる。落ちる。ほんの手前。

 今意識を閉じれば『自分』はもう帰って来れない。

 それでも抗えない。そんな微睡みから引き上げる。その声は。

 確かにいつか聞いた、雷鳴のようなあの声だった。

 そして。

 記憶が弾ける。





 血の海に倒れる灯駈に駆け寄り腰をおろし、己の影に刃を突き立てる。

「龍影影装――刃牙!」

 ぐばり、と影の龍がふたりを飲み込み、周囲の<細胞>までをも蹴散らす。

 そして、黒い嵐が消え去るとそこには騎士・刃牙と、こそげ落ちた脇腹に黒い刺々しい鎧の一部を覆われた灯駈の姿が現れる。

「あ……あっちゃん!!」

 ふらつきながら駆け寄った智晴は、灯駈を強く抱きしめた。その冷たい体に息を飲む。

「う、あ、そん、これ、どう……ああ……!!」

「取り乱すな!!」

 肩を強く掴み、体を揺さぶる。

「奇跡的だが、まだ息がある……くそ!」

 確かにまだ死んではいない。だが、だが、それだけだ。鎧で傷口を覆ったのは応急処置だったが、いくらなんでも失った血と臓器が多すぎる。ショック死していないのが不思議なくらいだ。

 これではもうあと何秒も持たない。故に。

 己の力で足りぬのならばと。


「サマエル!」

「あいよ、と。しっかしまあ無茶をする嬢ちゃんだぜ」


 黒い塊がぷかり、と刃牙からわき出した。

 それを呆然と見やる智晴。

 駆け寄ってきた雪杜と芳鈴も、その謎の物体に驚いた様子だ。


「無駄口はいい。なにか手はないのか」

「ふぅむ……さすがにほぼ死んだこの状況じゃ無理、ってところなんだが。

 条件を満たせるか、刃牙?」

「無論」

 条件の中身さえ聞かず、刃牙は即座に応じた。

「ようし、わかった」

 だからだろうか。サマエルの言葉には満足気な響きがあった。

 ふわり、とサマエルが智晴の前に滑る。

「なあ眼鏡の嬢ちゃん」

「え、あ、う、ん? えと、何?」

「お前ブレスレッドもってたろ。あれ出せ、あれ」

「そ、それであっちゃんは助かるの?!」

「さてな。だがベッドしなけりゃゲームには参加できねえぜ?」

 そう言われて、智晴は急いでポケットからブレスレッドを取り出した。

 黒い、何の変哲もないそれを、サマエルに言われるまま灯駈の腕に付ける。

「さて、刃牙」

「ああ」

「これから俺は、今までお前にやっていたことを、この嬢ちゃんにやる」

「俺に……って、まさか」

「そう。この嬢ちゃんを宿主にするってことだ」

「…………平気なのか?」

「そのためのブレスレッドだよ」

「そういう事か!」

「……いやあの東雲、悪いけど、僕らにも状況を教えてくれないかい?

 その黒いのは一体どんなモノで、これから何が起きるのかを」

「そう、だな。時間がないから手短に説明するぞ。

 まずこいつはサマエル。精霊だ。ああ、質問は後にしろ時間がねえ」

 精霊、という部分に驚き、口を挟もうとした雪杜の機先を潰す。


「こいつは普段、俺の中にいて、体内の精霊の絶対量の何割かを専有しているんだ。こうすることで俺が扱える精霊の量は激減するが、まあその分、こいつが精霊術を使って俺をサポートしていた。

 葛籠はいくらか心当たりがあるだろ。俺がやけに術式を連発できているとかな。あれは俺とこいつで交互に術式を使ってたってわけだ。

 こいつはふらふらその辺に浮かんでいるだけで力を消費して消滅しかねないんでな。俺の中に入れて保護してたわけだ。

 で、今からこいつを四条式の中に入れる。当然体内の精霊がこいつに占有されたら普通の人間なら病弱っつうか棒に当たれば死ぬレベルの耐久性になるんだが、それを回避するのがこのブレスレッドだ。

 こいつは、どうも精霊が空っぽなんだ。契素だけで出来ている物質だな。本来的には在り得ないものなんだが、まああるんだから仕方ねえ。

 ともかく、空っぽってことはこいつには精霊が詰め放題だってことになる。当然、このサマエルもな。つまりサマエルがブレスレッドに入り、こいつの肉体にも一部を入れ、そして精霊で肉体を補完する。これからやるのは、そういう事だ」

「……精霊で肉体の補完……可能なのか、それは?」

 まったく話題についていけなくなっているふたりを放置し、肝心の部分を尋ねる雪杜。

 それに刃牙はやや口ごもり。

「可能だ」

 と答える。

「ただし、大量の精霊が必要になる上、術式をかけ続けなければならない。サマエル。この傷だとどのくらいの期間になる」

「そうだなぁ、早くて三ヶ月はかかるだろうな」

「三ヶ月毎日、儀式術式をかけ続けなければならない。これがどれだけ非実用的な術式か、わかるだろ」

「……確かにね。非実用的というより非現実的。いや、いっそ妄言のレベルだ」

 お手上げ、というように、両手を上に上げた。

「……しかしサマエル。まず術式をかける精霊が足りていないだろ。もうずっと俺の中にいたせいでお前自身を構成する最低限の精霊しか残っていないはずだ」

 龍夜の中にいる、ということは、逆に言えば龍夜の肉体が許容する量以上の精霊は抱え込めないということにもなる。

 サマエルと龍夜の潜在体内精霊量は、およそ同値。しかしサマエルは存在のためにどうしても大量の精霊が必要な存在であるため、占有率はおよそ七対三。

 それでも、これから行う術式には到底足りない。

 つまり。

「だからよ、これからテメェが稼ぐんだよ。その精霊を」

「いや、だからだな、一体どうやって」

「おいおいおいおい! 馬鹿だなぁ相変わらずテメェはよぉ!

 見ろよよく見てみろよ! 周りには精霊の塊が大量に沸いてんだろうが!」

 周り。

 周囲。


<細胞>群。


「こいつらを殲滅して精霊に還元すりゃあ、なあに、ギリギリ術式には足りるだろうよ」

「殲滅って……ちょっと、こいつらを?! いくらなんでもそれは無理が……!!」

「…………それで足りるんだな」

「あんた、やる気なの?!」

 芳鈴の声を無視して、刃牙は立ち上がる。

「やるよ。お前らはここの守りを頼む」

「……ひとりでやれるのかい?」

 鎧の奥で、龍夜が笑う。

「はっ。さっき言っただろ。全力さえ出せれば、なんとかなるってな」

「そうか。じゃあ敵は任せた」

 雪杜が下がる。

 そして。

「あ、あの! 東雲さん、ですよね。

 よくわからないし、理解もできてないけど……あっちゃんを助けて下さい!!」

 親友を抱きしめて、必死で懇願する姿に。

「当然だ」

 それだけを答えた。





 着装限界まで残り五百二十四秒。

 しかし灯駈の命を救いたければ、三百秒でカタをつけろ。それがサマエルの指示だった。

 三百秒。

 五分間。

 はっ。

 黒い、醜悪な<細胞>群を見やり、鼻で笑う。

 随分と無茶を言ってくれる。

 だが。


「無理じゃねえ――ああ、不可能なんて在り得ねえ」


 己が己の信ずる騎士であるために。

 四条灯駈を生かすために。

 無理などここで斬り捨てる。


「さあ、始めようぜ。笑えるくらいに同じ色だが、なに。すぐに教えてやるよ。

 俺とお前らと、どちらがこの色に相応しいのか。格の違いを、存在の違いを」


 すらりと刀を抜く。

 星震天穿牙。

 刃牙を中心に押し潰すような威圧感が広がる。


「刻み込め」


 踏み出し。

 肩にかついだ刀を、体ごと振り下ろす。


 虐殺の始まりを告げる花火が咲いた。





 暴虐の限りを尽くす獣のような刃牙の姿に智晴は息を飲んだ。

 そんな中。

「さ、て。それじゃあ始める前に、まず巫女娘。ええと何つったっけ名前?」

「……もしかしてあたしの事? 佐々森よ。佐々森芳鈴」

「ああそうだそれだそれ。じゃあ巫女娘てめぇにまずは指示だ」

「や、だから佐々森……ああもういいわよ! で、何よ」

「テメエは結界を張って<細胞>共をここから逃がすな。なに、そんなに強固なやつじゃなくていい。触れたらせいぜい、数秒動きが止まってしまう程度の網でな。

 そうしてりゃあ、あの馬鹿がかってに処理してくだろ」

 相性の問題から、龍夜はそこまで手を回せない。というか刃牙は補助術式しか使えないから回しようがない。

「はあ……まあいいけど。だったら雪杜にさせればよかったんじゃないの、あれの相手」


 と、指さした先で。

 刃牙が振り抜いた拳によって五メートルほどの広さで壁がべこんとへこんだ。ぐしゃり、と潰れた<細胞>が黒い霧となって消える。

「…………うわあ」

 ギャグのような光景に乾いた声を漏らした。

 何しろ。

 今の拳の一撃は、混じりっ気なしのただの拳打だったのだから。

 鎧は身体能力を強化する。

 術式は身体機能を補強する。

 しかしそれでは、ただ『勢いのあるパンチ』にしかならず、拳が壁に埋まったり、多少の余波で破壊することはあっても、拳圧で壁をめり込ませるなど出来はしない。


「……武術、かな。拳で眼前に展開した薄い精霊の膜を打って大気を震わせた。どう、正解?」

「はっはっは。見所あるな坊主――といいてえ所だが、ひとつ間違いだ。精霊の膜はあいつが展開したんじゃなくて、あいつが潰した<細胞>が帰化したモノだよ。

 あいつがああやって<細胞>をつぶすと、大気中の精霊に粗密が生まれるだろう? その密度の薄い部分をうまく狙い撃ってるってわけだ」

 な、簡単だろ。

 サマエルの言葉にはそんなニュアンスが込められていたが。

 ふたりは何むちゃくちゃ言ってんだこの黒いのはそして何むちゃくちゃやってんだあの騎士は。という感想しか出てこなかった。

 それっぽく言っているが内容は『水の上を走るためには右足が沈む前に左足を前に出せばいいんですよ』と言っているのと同レベルだったからだ。

 要は、実現できるわけがない。のだが、なぜか実現できている辺り、あの騎士鎧――というより、あの騎士そのものがちょっと頭のおかしい存在である。

 しかし。

「効率わるいわね」

 攻撃範囲はやはり狭い。術式であれば倍どころではない範囲の<細胞>を一度に攻撃できる。

 時間がない、という割に悠長にやっていて良いのかという不安を覚える芳鈴。

 しかし雪杜はそうではなかった。

「そうだね。とはいえ僕らが手を貸すわけにもいかない理由は、なんとなくわかってきたよ。

 なるほど、彼の戦い方だと周囲の精霊をほとんど消費せずに済むわけだ。僕らが戦うとどうしても精霊術を使う――つまり、儀式に必要なエネルギーを消費しながら、になるからね。

 少しでも儀式の成功率を上げるために、可能な限り精霊を消費せず、しかし敵を倒して莫大な量の精霊は確保したい、となると、どうしても彼が戦わざるをえないわけだ」

『はっはぁ。いいねえ、利口なガキは。てことでその利口なガキに相談だ。てめえ、俺らの事を黙ってろ。

 無論ただでなんて都合のいいこたぁ言わねえよ。ああ、そう。

 取引しようぜ。どちらにとっても良いことのない、そんな取引さ』

 雪杜が瞳を鋭く細めた。

 黒い球体と雪杜の間の空気が凍りつく。

 しかしそれも僅かだった。ちらり、と顔を土気色にした少女をみおろし、息をつく。

「いいよ、乗った。君のことは誰にも言わないし、誰かが誰かに報告しないようにもする。それで問題ないね」

「え、ちょ、雪」

「ああ、了解だ。もし何かあったら……あーあ、可哀想になあ、そいつのせいで、イタイケな少女は儚く散る、と。なあ、巫女娘?」

「あ、あんたら……っ!!」

 脅迫だった。

 それ以上も以下もない。完膚無きまで完全な。

 相手が少女の命など簡単に見捨てられるような人間であれば通じないだろうが、少なくとも芳鈴を相手にした場合この手の脅迫は十分以上に効果的なものだった。

 雪杜はそれを重々承知していたし、サマエルも僅かな時間でそれを見ぬくだけの長い経験があった。端的に言って、どちらも割と悪質な性格をしていた。

 そして同時に、サマエルは既に雪杜が何かしら特殊な環境下にあり、芳鈴がその監視の役割を持っていることも予想がついていた。異端を排除し、しかしその力を利用したいとする人間のとりうる手段としてはわかりやすく納得のいくものだ。このような例などいくらでも見てきた。

 故に、口を閉ざすべきは芳鈴。しかし直接芳鈴にそれを求めてもおそらく効果は薄い。そこで雪杜に先に約束を取り付けた。

 排他を受けるものとその監視者という立場でありながら、二人の間に目立った軋轢が見られないのは、雪杜の精神性の異常さよりも、監視者である芳鈴が心情的に雪杜寄りであるからと踏んだのだ。

 故に、ここで話を雪杜が受ければ、芳鈴もそれを受けざるを得ない。

 なぜならば、彼女がサマエルの存在を上に報告した場合、自動的に取引に乗った雪杜の立場を追い詰めることになるのだから。

 一般人を見捨てる。その上、雪杜の立場を追いやることになる。

 その選択をできるほど、ドライに己の任務に忠実であれるような芳鈴ではない。

 故に。

「????っ! わかったわよ! 黙ってればいいんでしょ!!」

 こうなる。

 無論、このことが露見すればふたりともただでは済まないだろう。

 それに罪悪感を覚えるようなサマエルではないが。


「さて。じゃ、始めるか」


 話がまとまったところで黒い球体からほのかに精霊が青い輝きとなって零れ落ちる。

 それはゆっくりと灯駈を囲むように幾何学的な文様を形成する。


「これから周囲の精霊を強制的に集め、精霊回路を形成する。巫女娘は結界の維持、小僧は回路の安定とそっちの眼鏡が潰れないように適度に見といてやれ」


 文様が絡みあい、三次元的に交差し、光がその中を循環し始める。ゆっくりと巡り始めた光の粒子はその速度をだんだんと早め、それに従い周囲の空間から次々に青い光が浮かんでは回路へと流れこんでゆく。

 輝きが強くなってゆく。

 少女の命を呼び覚ますように。





 儀式の始まりを肌で感じた。この圧迫感に一般人がどれだけ耐えられるかは賭けだが、今は灯駈の強さを信じるよりない。

「……は、何だ。結局最初から最後まであいつについては何もできてないのか、俺」

 鎧の奥で己を嘲笑う。

 結局。

 漆黒騎士・刃牙。騎士鎧・刃牙。

 その防御力は物理面、術式面からみて相当な強度を誇る。単純なぶつかり合いであれば大抵の敵は蹴散らすことができる自負もある。

 が、およそレギオン相手にそんな事になりえない。まるで意味が無い。

 何よりもそれは刃牙を纏う龍夜にしか恩恵がない。自分を守ることしかできない鎧。それが、龍夜の刃牙に対する評価である。

 無論戦場において己を守ることは最優先である。そうでなくては他の何を守れるというのか。

 だが、力のほぼすべてがそれにしか使えないのであるならば。それで何が守れるのか。

 故に磨き上げた技術に全てを託す。それしかできないから。

 それでも。

 やはり。


「届かねえ、よなぁ!!」


 怒り。憤懣。

 八つ当たり。

 薙ぎ払う勢いで風が巻きごう、と悲鳴を上げる。斬り裂いた大気が空気の断層を生み烈風が<細胞>を吹き飛ばした。

 動きは止まらない。流れるように足を踏み出し壁面を蹴り砕く。衝撃と共に散弾銃のように岩石が飛び散る。

 動作のひとつひとつ、全てが破壊を生み出す。単純かつ効率的な殲滅戦。虐殺とさえ表現できる余りに一方的な蹂躙。しかしそれでも刃牙に僅かの余裕もない。

「……っ! 消費が早いんだよ、てめぇっ!!」

 兜の奥から漏れる声には焦りが滲む。

 刃牙が<細胞>を倒し、精霊へと霧散させる早さよりを随分上回る勢いでサマエルの儀式術式が精霊を回収していくのだ。

 これでは三百を数える前に周囲の精霊が枯渇する。

 この儀式では常に一定量以上の精霊を供給し続けなければならないため、龍夜がサマエルの回収よりも早く精霊を供給しなければならないのだ。

 それが。

「……っ、やるしかねえんだろうが」

 視界に収まる<細胞>は山とあるが、既に当初の半分以上は消し去った。

 ただ己の身とその刃によって。

 宣言された制限時間は残り百五十秒を切っている。しかし体感ではそれより六十秒は早く殲滅しなければ供給が途切れる。

 ふ、と。

 刃牙の中で、龍夜は笑う。


 ああ。ああ。

 理解する。

 やれと、そういう事なのだろう。

 既に自分の力は届かなかったこの場に於いて。

 もはや出し惜しむ理由などありはしないと。

 そういう事なのだ。


 ならば。

「のってやるよ、保護者様!」

 サマエル。

 刃牙と龍夜を試し続けるもの。

 そうとあらば、応えるより他にない。


「神浄四相流・一伎型――奥義参式・催涙雨」


 その瞬間。

 刃牙の周囲の空気が一斉に爆裂した。

 光も音もなく、歪み、唐突な圧力となって空洞内を荒れ狂う。とっさに雪杜の展開した結界がぎしりときしみを上げ、その肝を冷えさせる。


「ぐ……」


 その中心――発生源となった刃牙は、その場で両足を強く踏みしめ、苦しげな声を漏らした。

 星震天穿牙を腰だめに構え、やや前傾の姿勢のまま、ゆっくりと刀を滑らせながら正面に構え直す。

 しん、と空気が凍る。

 先の爆発を生き延びた<細胞>群は、当初のおよそ三割程。

 いけるだろうか。

 おそらく。

 頼りない確信。

 止めていた呼吸を僅かに吐き。

『それ』を、放つ。


 たった一度の、素振り。


 合わせて。

 豪、と、視界の一切を歪みが埋め尽くした。

 爆裂により天井に突き刺した気の針を、一斉に、降り注がせる。

 広大な空間全てを覆う程の気を研ぎ澄まし、維持し、操る精神力。振り絞られたそれは月光を弾きながら輝く雨のように降り注ぎ、天地をつなぎ間にある総てを貫き穿つ。


 対超大型種用奥義・催涙雨。

 およそ一対一で相対すべきでない、逸脱したサイズの存在を相手にするための技である。

 最大攻撃半径は龍夜においては半径百メートル弱。普通に考えて広範囲殲滅用の技であるように思えるが、一伎型の定義ではあくまでこれは一対一のための技である。


 十秒にも満たない局地的集中豪雨は、あれほどまでに埋め尽くしていた<細胞>群を瞬く間に飲み込み、押し流した。


 戦闘時間、百七十二秒。

 これに於いて、無数の命を飲み込んだ大量のレギオンとの戦いは、決着を迎えた。





 着装を解いた龍夜が息荒くどころか顔色まで悪くして治療のその場所へとやってくる。

 基本的に奥義は体力精神力精霊力気力総ての消耗が激しく、使いどころを間違えれば自分を死に追いやる技である。

 使われないことを前提にされている規格外の技を奥義と呼んでいるのだから当然といえば当然だが、それだけに使いどころを見極めることが出来れば絶大な効果を発揮する。今回のように。

 とはいえ、連日連夜の戦いで消耗した身にはさすがに堪えたようで、表情からは余裕がすっかり消えていた。

 それでも弱音を吐かないのはもはや意地か。

「……で、結果は。上手くいったんだろうな」

「ああ、順調だよ。むしろ君の最後のトンデモ技が一番危なかったよ。少し防御が遅れたら僕らまとめてミンチだよ?」

「サマエルの精霊を集める速度が早すぎんだよ。こっちの気力との釣り合いを考えたらあの場でああでもしないとタイムオーバーだったんだ。

 ……つうか、当のサマエルはどうした」

 地面に寝かされた灯駈と、それを抱きしめる智晴。その二人を挟んで雪杜と芳鈴が座り込んでいた。

 誰もが疲労困憊といった様子だが、同時にひとつ山を乗り越えたような穏やかな達成感が漂っていた。

「あの謎の球体なら、今は彼女の中に入ってるよ」

「なんだ、もうそんなに進んでるのか……いや、早すぎんだよだから」

『はっはっは。まぁいいじゃねえか。早いほうがこの嬢ちゃんの負担は少なくて済むんだしよ』

 それはその通りなので反論はできない。ギリギリのところを狙って失敗しましたで済ませられる問題でもないのだから。

 おかげで精根尽き果てる羽目になったが、成功したというのなら十分元はとれたと言えた。

「安定してんのか?」

『ああ、お陰様でな。くくく……それにしても、こいつは凄まじいな。精霊との親和性が肉体の隅々にまで感じられる。いい戦士になるぜ、こいつは』

「おい」

 龍夜が軽く発した殺気に智晴がぴくりと反応する。それを見て、気が立っているのを自覚した。

 深い溜息をついて、龍夜も他の面々に習い腰を下ろす。 


「…………終わった、のか」


 言葉にして、ようやくそれを実感した。肩にずしりと重い疲労がのしかかる。

 今にも目をとじて眠ってしまいたいところだが、どうにか耐える。

 天井を見上げ、降り注ぐ月光を浴びる。


 ぱらりと、視界の中に黒い点が浮かんだ。

 疑問を覚えるよりも早く、それが顔にパラパラと降ってきた砂礫だと、顔に当たる感触で理解して。


「…………いや、待て」


 ぱらぱら。

 ぱらぱらぱら。



 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。


「ちょ、」


 ごぱ。

 視界の真ん中がぱっくりと裂けて月光が洪水のように流れこんできた。


「立てええぇぇぇっ!!!」


 全員に声をかけるが、既にその時には。

 雪杜が結界を張り。

 芳鈴がそれを強化し。

 智晴は灯駈を抱えて身を小さくして。


 しっかりと身を守っていた。


 ちなみに、その結界の中に龍夜はいない。


「おま」


 引きつった表情で罵倒の言葉を投げる前に。





 その日。

 山の中腹が謎の陥没を起こしたことが、地方ニュースでささやかに流れた。



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