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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
21/28

呪・顕る

何度も書きなおした末に好き放題やってしまいました。


 02 - 14:呪・顕る





 青い顔で。

 震えながら。

 それでも、瞳に力強い光を宿して。


 四条灯駈は、現れた。


「お前、どうやってここに来た」

「あのコが危ないところに行くのはいつもの事なのよ。だから、お互いの場所をGPSで判るようにアプリケーションを設定してるの」


 なるほど、と嘆息する。

 そういった機能は自分の持つ携帯端末にも導入されている。携帯電話にもその機能があるとは知らなかったが、簡単な見落としではある。

 しかし。


「……なんで来たんだ。面倒なことになってることは分かってただろ」

「面倒なことに智晴を巻き込んでおいて、はいそうですか、なんて放っておけないでしょう。確かにあんな、訳の分からないモノが出てくるなんて思ってなかったけど、幸か不幸か前に一度ああいうのは見たことがあるからね」


 龍夜は口を閉ざす。

 やはりあの時無理にでも記憶を隠蔽しておくべきだったか。いや、たとえそうしていても智晴が行方不明になっている以上同じ流れだ。

 つまるところ、何から何まで後手に回っている自分の迂闊さが全ての原因になっている。

 不利劣勢はいつものことだが、それで他人を巻き込んでいるようでは三流以下もいいところ。

 己の不甲斐なさにいらだちを覚えるが、反省は後だ。


「で。湊か」


 ほら、とポケットの中の携帯を放る。慌てて受け取る灯駈。


「山の中で拾った。本人は見つかっていないが、まあ最悪の事態にはなってないだろ」

「……根拠は?」

「あいつは自分の命を軽く見るタイプか? 状況に諦め、簡単に死んでもいいと思うような」

「ううん。命がかかるほど状況を抜けだすのに燃えるタイプ」

「だろうな。俺もそう感じた。だから平気だ。その意志がある限り、あいつの運命があいつを救う。少なくとも今回はな。そういう呪いがかかっている」

「呪い?」

 物騒な響きを持つ言葉に灯駈が顔をしかめる。

「あー……まあ本人に害はねえよ。加護と言うには役に立たねえし罠と呼ぶにも平和すぎるし、何よりも発動条件が呪いがかってるんでな。便宜上そう呼んでいるだけだ」

 気にするな。と、明らかに気になる言い回しをしている男が言った。当然灯駈は納得いかない様子だったが、何を言っても聞きはしないような気がしたので、結局口は閉ざしたままだった。


「それで……あなたたちは結局、何をしに来たの?」

「俺たちはこいつらの駆除だよ」


 と、奥でうぞうぞと生まれてくる黒いものを指す。次の瞬間、光の槍がそいつらをなぎ払った。


「さっきはありがとうね。あなた、四条灯駈さんでしょう」

「え、あ、はい。そうですけど……ええと」

「ああ、こっちが勝手に知ってるだけだから気にしないで。同じ学校なのよ。あたし二年の佐々森芳鈴」

「同じく二年の葛籠雪杜」


 ふたりが名乗り、雪杜は同時に獣牙陣を展開する。その光景に、灯駈が目を見開いた。


「随分物騒なものがあると思ったら、先輩が作ってたんですね、その壁」

「へえ、君、これが見えるんだ」

「……? ええ、まあ」


 なるほど、と頷く雪杜。灯駈は雪杜が何に納得しているのか理解できずに困惑する。

 代わりに龍夜が口を開いた。


「こいつは結界って言ってな。適性がないと見えないんだよ。まあ、よくフィクションにある魔法的なものと思ってりゃ問題はない」

「ふうん……魔法、ね。あなたもそれを使うの?」

「あー、まあ使えない事はないが、どっちかっていうとコレ専門だ」


 言って、刀を持ち上げる。

 と、灯駈が僅かに顔をしかめた。


「……う、ん」

「おい、どうした」

「うん。なんかいきなり頭が痛くなって。おかしいわね……なんかデジャヴが……」


 龍夜はそうか、とだけ口に出して刀を納める。

 記憶の改ざんが既にほころび始めている。この状況で隠蔽することの意味は既に薄くなっているが、こちら側の事情について、知っていることは少ないに越したことはない。


――知ればそれだけ因果を呼び寄せる。


 何も知らない少女をこれ以上巻き込まないための、せめてもの悪あがきだった。


「さて、念の為に聞くが、今からでも戻るつもりはないか?」

「ないわ。智晴を見つけて帰る。そのために来たんだもの。そのために全力をつくすと決めて、ここに来たんだもの」


 相変わらず。

 頑固で、まっすぐで。

 だから。


「そうか」

「いいのかい?」

「よくねえよ。ねえけど、どうしようもねえ」


 雪杜の疑問に、苦さの滲む声で答えた。どうしようもない。だけど、どうにかするしかない。

 そう。

 いつだって世界はそんなものだ。





 現在の作戦を聞いた灯駈の反応は。


「随分と分の悪い賭聞こえるわね」


 といったが、特に反対はしなかった。知識のない自分が何を言うべきでもないと思ったのだろう。

 それは龍夜たちにとっては歓迎すべきことだったが。


「四条式、か」


 その意味をよく知るところの龍夜は、素直に歓迎したくはなかった。

 四条式が裏の世界との関係を絶って久しい。それでも、その中にめぐる血と因果は、こうして確かに存在する。

 そんな事を確かめるハメになるとは思っても見なかった。


 結界の縁ギリギリに立つ。

 視線の先数メートルには、既に無数の黒い影が群がっていた。

 後方には三人が控えている。


「因果な話だなぁ、龍夜」

「サマエル」


 龍夜にしか聞こえない声。

 それはどこか寂しげな響きを伴っていた。


「奴らは覚悟を持って決別した。それでもこうして世界は追いかけてくる。

 四条式は決して逃げたんじゃない。戦士をやめたわけでもない。ただ、歩く場所を変えようとしただけだ。

 それでも影は追ってくる。光のなかにいる限り、影はいつでもついてくるんだ」


 故に。


「なら少なくとも、今は正面から立ち向かうしかない、か」

「ああ、そういう事だ相棒。

 は。葛籠の野郎に俺の存在を知らせるのはたしかに危険だが、なあに、交渉次第だと思うぜ? いざとなれば俺を呼べ」

「そうだな――まあ」


 なるようになるさ。


 言葉を飲み込み。

 術式を刃に絡め。


「神浄四相流・一伎型――虎牙突穿」


 踏み出す。真っ直ぐに。





 その姿を見た灯駈は息を飲んだ。

 恐怖も絶望も飲み込んで、諦念と雑念を振りきって、その姿がまさに一振りの刃。

 似ている。

 どこが、とは言わないけれど。

 そう感じた。

 直感であるけれど、それは信じるに価するものだった。


――四条式と似ている。


 龍夜の苛烈を極めた攻撃的な戦法はむしろ四条式の真逆をゆくものだ。

 しかしそれでも、その根底にある何かが、自分と同じものだと直感させる。


「……さて、それじゃあ、僕らもそろそろ行こうか。四条さんは、芳鈴とセットで、離れないように、互いにかばいあう形でね」

「素人にこんな真似をさせて、ごめんね、四条さん」

「あ、いえ、気にしないで下さい。先輩たちも、無理を言ってすみません」

「なに、正直に言えば君のあの体術に大きく期待しているところもあるのさ。何しろ、状況は最悪だからね。藁にも縋りたいところなんだよ」


 雪杜が歩き出す。

 ふたりは最後に結界を出て、ふたりの討ち漏らしを徹底的に掃除する役割だ。

 既に戦場には雷光と猛風が入り乱れ、銀の刃が黒い影を次々に屠る凄惨さを見せていた。


 そこに、飛び込む。

 恐怖がある。躊躇いが生まれる。


 それでも。

 覚悟は、ある。


「じゃあ、いくよ、四条さん」

「はい。佐々森先輩」


 足をとめる理由は、今はない。





 視界の大半が黒で埋まる。斬り裂き斬り払い斬り捨てて、その先から先から次々に黒の波が溢れてくる。

 嫌気がさすほどの悪意の渦の中に居ながら、先程までよりも体が軽い。

「本当に、嫌気がさすな」

「おいおいここはテメェの未熟を嘆く場面だぜ?」

「毎度のこと、すぎ、て……っとぉ! わざわざ今、やることでも、ねえ――よっと!」

 左右のレギオンを斬り捨て、足元から湧き出たものは踏みつける。

 軽業師のような身のこなしで充満する闇の群勢の合間を抜け、悪夢のような正確さで致命的な一撃を刻んでゆく。

 急激に、剣が冴えてきた。

 理由はひとつ、四条式に違いないだろう。

 先程まで感じていた焦燥感が、ひどく軽くなっていることを自覚していた。

 状況が好転したわけではない。むしろ守るべき対象が増えたことはさらなる負担であるともいえる。それでも、いや、故に、と言うべきか。

 龍夜のポテンシャルを引き出すための精神的な枷がひとつ外れたのだ。


 劣勢であるからこそ全力を振り絞ることができる。己の制御の外側にまで及ぶ感情の波。そういったものが、今の龍夜の力を押し上げている。


「とはいえ、麻薬みたいなもんだけどな」

「だな。限界は近い。そろそろ落とし所が見つからねえと、まあ面白くねえ結果になりそうだな」


 龍夜たちがこのまま敗北するか、あるいはそれを回避するために、龍夜の切り札を切るか。

 死ねばそこまでだがここでカードを切ることは今後の活動に大きな制約が掛かる可能性がある。


 葛籠雪杜。


 どこか龍夜を敵視する男。


 彼が龍夜のアキレスを黙って見逃すとは思えない。


――さて、そろそろ状況が変わってくれないと辛いんだがな。


 と。

 まるでその龍夜の思考を読んだかのように。



 レギオンたちが揃って動きを止めた。





「……なんだ?」

 雪杜は今まさに放とうとしていた術式を止める。まるで波が退くように、黒い影が退いてゆく。


 空洞の奥へ、奥へ、奥へ。

 暗闇の底へ、底へ、底へ。


 四人の見ている前で、あれだけいたレギオンは瞬く間に数を減らし、消えていった。

 そして静寂が訪れる。

 誰も微動だにせず。

 誰も口を開かない。


 例外なく、この場にいる誰もが理解していた。



 何かが、来る。


 暗闇の奥。そこから、ひきずり込むような、あるいは今にも破裂しそうな気配を感じる。

 全身をじっとりとねぶる違和感。最初は小さかったそれが、ゆっくりゆっくり、確実に大きくなってゆく。

 龍夜と灯駈は体内の気を高め。

 雪杜と芳鈴が術式を構成する。


 静かな、無音の暴風雨のなか。



 雲がかかったのか。

 月明かりが、消えた。



 瞬間。



 雪杜と龍夜はそれぞれ芳鈴と灯駈を抱え、大きく飛びすさった。

 それを追うように空間が歪み、音を奏でる。


 あ;lskdfjヴォイスrんてq@53mヴぇrwktvぁいlじゃw091^9!!!!


「精霊符・断空異識!」

 脳髄をかき回されるような音。しゃがみこみそれをとっさの術式で遮断する。

 しかし。

「佐々森、結界を最小範囲で防御!!」

「了……解っ!!」

 未だ異音の影響で顔をしかめていた芳鈴だが反応は早かった。何も無い空間から硝子の鈴を取り出し、二度、振る。

 無音が広がり、雪杜の術式の内側を防御の精霊が満たす。


 それを、覆うように、叩くように。


 まるで樹の枝のような、無数の黒い鋭いものが弾丸のような速度で突き立つ。


「……なんなの、これ?」

「さて、こう暗いとなんともね。けど……」


 その視線が上へと向かう。

 闇の中、目を凝らす。

 気のせいでなければ、その視界いっぱいに、うごめく黒い何かがあるようにも見える。

 その雪杜の視線に気づいた芳鈴も、息を飲んで同じようにそれを見た。


 やがて、黒の奔流が止まる。

 ふたり同時に結界を解除し、立ち上がる。


 辺りはまるで、黒い木の密集した森のようになっていた。黒い木々はどこか生物的な文様を浮かべており、不気味に鼓動している。

 恐る恐る、芳鈴がそれに手を伸ばす。

「やめたほうがいい」

 その手首を、雪杜が掴んだ。

「これ、気配は薄いけどレギオンだよ。何がおきるかわからない」

「え?」

 これが?

 言われてみれば、ほんのかすかにだがレギオンの気配を感じる。

 しかしレギオンとして存在する事さえ難しいほどの密度の負の精霊しか感じ無い。

「……今日は訳のわからない事ばかりね」

「まったくだ」

 油断無く辺りを見回しながら肩をすくめる。


「よう、生きてたか」

「ああその声は君か。君も無事だった――何してんだ東雲」

「? 何って何が」


 頭上から降ってきた声に従って上を見上げた雪杜の視界には、龍夜と灯駈の姿があった。それは問題ない。問題なのは、ふたりの体勢だ。

 なぜか龍夜は自分のコートの内側に抱え込むようにして灯駈を抱き抱えていた。場所が場所なら恋人が熱い抱擁を交わしているようにさえ見えるだろう。

 月明かりさえない上に距離があるが、それでも灯駈が顔を真赤にしている事はわかった。

 龍夜が足場にしていたレギオン樹から飛び降りる。


「足場にして平気なのかい、それは?」

「一応足の裏に結界張ってたから平気だよ」

「それにしても、一体どうやって君たちは身を守ったんだい? 音を術式で遮断したら結界は張れないだろうに」

「うん? いや、そうでもねえよ。コートに自動発動の防御術式をしこんでるからな。俺は音を遮断して、あとはコートの術式で身を守ってた。まあそうはいってもまともにぶつかればただじゃすまねえから、可能なかぎり避けてたけどな」

「避け……」

 龍夜の言葉に絶句する。

 なんだそれは。人間のやることなのか。いくら各種自動発動の術式があるからといって、あの速度の攻撃を少女ひとりをかばいながら避け続けるなど。そもそも自動発動の術式は便利な代わりに融通が効かないし燃費も相当に悪い。

 強化系術式を使いっぱなしの身でよくもまあそんな無茶ができると感心を通り越して呆れる思いだった。


「あのさ」


 そんな空気を破ったのは、灯駈だった。


「いい加減、離して欲しいんだけど」

「ああ、悪かったな」


 コートからいそいそと出てくる灯駈。誰とも視線を合わせようとはしない。

「……なにしてんだ、お前?」

「なんでもないわよっ! ……う」

 何も理解していない龍夜の言葉に噛み付くが、視線を合わせてしまい言葉を飲み込む。

「ううううう――、そ、そんなことより!!」

 耳まで真っ赤にしてしまう。なんというか、芳鈴はそんな灯駈を見て哀れに思うと同時、持ち帰れないかなこの生き物、などと場違いなことを考えていた。

「この状況、一体何なの? いきなりこんな事になって正直わけわからないんだけれど」

「これ、なあ?」

 龍夜もあたりを見回す。その声にも隠しようのない困惑が滲んでいた。

「相変わらず、気配は薄く広く――というより、この薄さはもはや大天使級ですらねえな。それでいて規模は権天使級以上、と。何がどうなってんだろうな、これ」

 なあ、と雪杜たちに視線を送る。当然、雪杜達も答えられない。

「もう……こんなんじゃ智晴がいつになったら見つかるのか」

「まあそうなんだけど……いやまてよ。今ならいけるんじゃねえのか」

「いけるって、何が?」

「葛籠。お前探査術式で人間探せねえか。よくわからんが、これだけレギオンの気配が薄ければ邪魔されることもないだろ」

「それは試してみないことにはなんとも言えないよ。とはいえやってみるだけの価値はありそうだね」

 首を傾げる灯駈に芳鈴が説明する。

「つまりね、術式で人探しをしようって事よ。最初からそれができればよかったんだけど、レギオンの影響が強い場所だと探査系の術式はまともに動かないの。けど今はなぜかその気配が弱まっているからもしかしたら、ってこと」

「はあ……なるほど」

「お前も戦って分かったと思うが、レギオンの気配ってのは結局何百人分の人間の感情の寄せ集めだからな。人間を探す術式を使っても訳のわからねえことになるんだよ」

 人ごみの中で人一人を探すのとおんなじことだ、と肩をすくめる。

 とりあえずそういうものか、と理解しておいた。


 雪杜が足元の石を拾い上げ、短剣で砕く。砕いた意志は光になってふわりと空中に溶け消えた。

 灯駈には何かが広がっていく感覚だけが感じられた。それだけでも、相当な感度と才能であるのだが。


 瞳を閉じ、術式を広げていく雪杜。

 しばらくしてその瞳がひらく。剣呑な光を宿して。


「……どうした」

「なにかある……いや、ないのか? しかしこの状況でこの現象は説明が……」

「おい、どうしたんだ?」


 龍夜に問われた雪杜はやや戸惑いながらも、斜め上方を指で指し示した。

 三人の視線がその先を追う。その先で、雲が晴れていき、ゆっくりと月明かりが差し込んできた。

 そして、顕になったのは。


「う……」


 灯駈が悲鳴を飲み込む。

 芳鈴も嫌悪に顔をしかめた。


 黒い、天井まで届く巨大な漆黒の樹。

 幹の太さは四人が手をつないでも半分にも満たないほどに巨大で、しっかりと床に根をはっている。

 しかしただの樹ではない。まるで人間の臓腑をより集めて重ねてかき混ぜたような、醜悪な外見をしている。

 その表面を巨大な血管のような管がビッシリと覆い、他のレギオン樹同様わずかに脈動していた。


「……あれだけの巨体で、レギオンの気配が薄い。どういう事だ? いや、それよりも、お前は何を感じたんだ、あいつから」

「うん。あの巨体。あの真ん中と、一番上にそれぞれ違う反応があった。

 真ん中にあるのは、凝縮された負の精霊の気配と、それと混ざり合うように人間の気配が。そして――上の方からは、何も感じなかった」

「何も、感じない?」

「そうだよ。人間の気配どころか、レギオンの内部であるというのにその反応すら皆無だった。いや、こちらの探査精霊が受け付けない、というのが正しいのかな? とにかくおかしな状況になってる」

「ほう」


 龍夜はざっとレギオン大樹の全体を見る。

 上か、中央か。

 可能性として高いのは人間の気配があるという中央だろうが、しかし負の精霊の気配が凝縮されているというのが気がかりでもある。

 あるいは先程までの濃密な気配の全てがそこに集まっているのだとすれば、一緒にいる人間はとうに発狂していておかしくはない。


 それでは、呪いの条件に反する。

 智晴に呪いがかかっている以上心身ともに致命的な状態になっていることはないはずだ。

 呪いが発動していることは、感覚的にわかる。

 故に龍夜が選択肢たのは。


「上にするか」

「簡単に決めたね」

「悩んで正解がでるか?」


 雪杜はレギオン大樹を見上げ。

 は、と鼻で笑った。


「それで、どういう作戦で?」

「相手が何を仕掛けてくるか何も分からん。である以上、電光石火の先制で一気に攻めるしかない。

 葛籠。対象の詳細な場所を教えろ。探査できない位置、深さ、範囲。

 四条式と佐々森は万が一に備えてこの場で待機。葛籠は加速術式を三倍がけ」

「三倍? 体が砕けるんじゃないのかい?」

「俺を何だと思ってんだ」


 なるほど、と頷いた雪杜は、早速術式の構成にとりかかる。

 灯駈と芳鈴は指示のとおり、ふたりからやや後ろに下がる。

 龍夜は。

 示された一点をまっすぐに見つめ。



 刀を抜き、己の影に突き立てた。



「龍影影装――漆黒騎士・刃牙!!」



 言葉と同時、その影がぶわっと膨らみ、龍の頭となってその姿を飲み込んだ。


「んなっ?!」


 灯駈が息を飲む。

 しかし次の瞬間、全身に叩きつけるような大量の精霊と気が放出された。

 龍が形をなくし、渦を巻き、凝縮され、ひとつの形を取る。

 最後に残ったのは夜色の鎧。龍頭をかたどった兜と、龍を想起させる全身の意匠。


――漆黒騎士・刃牙。


 刃牙が腰を落とす。

 雪杜が術式を発動する。

 瞬間。


 影も残さず疾走した刃牙の姿を追うことができたのは、灯駈だけだった。


「……なに、あれ」

「あれは『騎士鎧』っていってね。あれも精霊術――魔法のひとつの形よ。あれを使う魔法使いを、騎士って呼ぶの」

「まあ彼の場合、騎士っていう言葉に何かしら思い入れがある節が感じられるけどね」

「騎士……」

 灯駈は呆然と、高速で駆け抜ける龍夜を視線で追いながら、その言葉を呟いた。





 龍夜は、レギオン樹を足場に一気にレギオン大樹に接近する。黒い疾風は一切の躊躇を置き去りに、瞬きする間に大樹に肉薄していた。

 気を受けて輝く星震天穿牙を鞘から抜き放つ。

 跳躍から、その勢いのままに突き。

 巨大な敵意に反応したレギオン大樹だったが、その速度の前には反応を行動に移す暇もない。

 雪杜の示したポイントに寸分違わず刃が突き立つ。


「ほう……確かにこの奥、精霊を感じないな。龍夜、しくじるなよ?」

「誰にモノを言っている!」


 突き立てた刃に捕まり、大樹の幹に取り付く。そのまま大量の気を星震天穿牙に注ぎこむ。


「神浄四相流・一伎型――龍咆」


 解放された気が表面を爆破、破壊する。

 素早く開いた穴から中にはいった刃牙は、そこに広がる空洞に僅かな驚きを見せた。

 そして、その最奥。

 そこには。


「いたか、湊!」


 気を失い力なく横たわる智晴がいた。


「脈は――よし、問題ないな。呼吸もしっかりしている。精霊も異常はない。じゃあこの空間は一体……」

「ふむ。刃牙、そいつのポケットを調べてみろ。そこから何か感じる――いや、何も感じない」


 刃牙は言われたとおり、ポケットの中を探る。と、そこから出てきたのはひとつのブレスレットだった。

 色は黒く、表面に何かの意匠が施してある。


「ああ、そいつだ。ふむ、なるほど……」

「サマエル?」


 ふわり、と刃牙の中から黒い球体が浮かび上がった。


「そいつだ。そいつには何も……一切の精霊を感じない。なるほど害はないが、レギオンがうかつに触れたりすれば、コイツの中に取り込まれるだろうな」

「つまり湊が無事だったのは」

「こいつが原因だろう。低位のレギオンならば、こいつを取り込もうとした瞬間に逆に腕輪に取り込まれるだろうしな。確かに珍品ではあるが危険なものではない。持っておいて害はないだろうが、むしろ今回は幸運だったってところか。ふむ、やっぱこれもテメェの呪いの効果か」

「だろうな。そうほいほい転がってるシロモノでもないだろうし」


 どこでこんな珍しいものを手に入れたのか気になりはしたが、それは後回しだ。

 ブレスレットを肌から離したおかげで、周囲のレギオンが活性化し始めている。

 再び智晴のポケットにブレスレットを戻すと、その体を抱え上げた。


「さて、面倒になる前に一旦退く」

「それがいいだろ。目的の七割はこれで達成だ。あとは、この大樹をどうやって片付けるか、だな」

「それが一番面倒なんだけどな」


 刃牙は息をついて、空洞から外に飛び出した。

 瞬間。


「ぜ、げげげきぞぺらやぅあごけびびびびびだらぜぐごごごご!!!!」


 大樹が唐突に活性化し始めた。

 着地し、全速力で雪杜たちのもとへと戻る。

 ものの数秒で三人の元へとたどり着いた。


「智晴!」


 最初に駆け寄ってきたのは灯駈だった。


「智晴! 大丈夫なの?!」

「問題ない。意識は失っているが、外傷も、内蔵も怪我はない。精霊の流れにも乱れはないし、むしろここにいる誰よりも健康体だ」

 龍夜が下ろした智晴の体を抱きしめて、うっすらと涙を浮かべる灯駈。

「そう、よかった……ありがとう。本当に」


 灯駈のまっすぐな視線に刃牙はたじろいだ。


「……別に、そういうのが俺たちの役割だからな。気にするな」

 そう言って、着装を解く。

「それよりお前はコイツをつれて下がってろ。何か嫌な感じがする」

 言い放ち、龍夜はレギオン大樹を見上げた。

 そのうちに、大樹の表面の脈動が激しくなり、周囲のレギオン樹もにわかにざわめき始めた。

「たしかに、よくない感じだ――けどそれだと、彼女たちを離すのは逆に危険なんじゃないかな?」

「……どうだかな。それでこっちが身動きを取れなくなってジリ貧になれば、結局は同じだと思うが。

 けどまあ見えないところに行かれるよりは安全、か……。

 悪い、さっきのは撤回だ。なるべく傍を離れるな。何が起こるかはわからんが、何にでも対処しなきゃならん。こっから先は黙って従ってくれ」

 灯駈は神妙な顔で頷いた。状況を冷静に受け止めているのだろう。

「わかったわ。でも、約束して。智晴は何がなんでも守るって」

 強い光。その瞳を真正面から受け止めて、龍夜も頷き返した。

「わかってるよ。お前らは守る。何に代えてもな」

 刀を抜く。

 周囲の精霊がざわめく。

「俺は騎士だ。例え鎧が半端でもな。俺がそう決めた。なら、俺がそうである理由を為すだけだ」

 威嚇するように、龍夜の気が高まる。

 雪杜と芳鈴も術式を練り上げる。

 灯駈はわずかに息を吐き、龍夜から託された智晴を背負う。

 その重み、命の重さに心臓が縛り付けられるような痛みを覚えたが、歯を食いしばった。

 極限まで意識を尖らせる。せめて己の守れるものを守るために。


 きっと。

 目の前の三人は、それよりもずっと重いものを抱えているから。それを、なんとなく悟っていたから。

 だからせめて、この手にあるものだけは、と。


 故に。

 その一撃に反応できたのは、奇跡ではなかった。


 全身を刺すような悪寒が走り、ただ反射的にとっさに灯駈はその場から退いた。

 次の瞬間、地面から無数の触手が飛び出していた。先程まで灯駈のいた位置――正確には、背負う智晴を狙っていた。


「まさか――湊を取り返すつもりか?!」


 現れた触手を斬り捨てながら龍夜が驚愕を声に出す。

 智晴のポケットには相変わらずブレスレッドを忍ばせている。例え捕まえたところで下手に手出しはできない。それでもなお捕らえようとするのは?

 いや、それを言うのならばそもそもレギオンが人を拘束し監禁する、という事自体がおかしな話だ。それも気まぐれや衝動ではない。明確な目的を持っている。


「なんの為だかしらねえが――」


 刃を寝かせた刀を突きの型で構える。 


「飛べ、四条式!!」

「え、えええ?! ちょ、まっ!」


 待たない。

 そんな暇はない。

 龍夜はそれを行動で語る。


「龍咆」


 刃先が大地に触れた瞬間、刀を通して大量の気を放出する。

 地中で膨張した気が、灯駈の足元の地面を砕いた。慌てて飛び跳ねた灯駈だが、ひとりを抱えて普通通りに飛べるはずもなく、爆風に煽られバランスを崩す。

 その彼女たちを、黒衣が包んだ。術式の影響を遮断し、飛び散る礫を弾き返す、龍夜のコート。

 包まれたまま、灯駈は地面に着地した。バランスを崩さなかったのは日頃の訓練の賜物だろう。


「い、いきなりなにするのよ!」

「足元の掃除だよ。見てみろ。レギオン共の残りカスが、こんなに溢れていやがる」


 龍夜の言葉のとおり、割れた地面からは黒い霧が昇っていた。さっと顔色を変え息を飲む。


「とにかく、そいつにくるまってポケットの札を定期的に新しいのに変えながら握ってろ。ひとまずは、それで安全な筈だ」

「……どうするつもりなの?」

「あの樹をぶった切る。それしかないだろうな」

「まあ、根っこを張り巡らされているとしたら何処へ逃げても無駄だろうね。背中を見せたと思ったら足元からグサリなんて、笑い話にもならないよ」

 男ふたりで暗い笑みを浮かべあう。

「あんたらね……笑ってる場合じゃないでしょ。レギオンも、この娘たちも、あたしたちの力じゃ手に余ってるでしょ」


 その言葉に、龍夜は雪杜に、雪杜は龍夜に、冷たい視線を向ける。


「だ、そうだが。お前はどうなんだ?」

「……そうだねえ。僕らの身の安全を保証しなくていいのなら殲滅可能だよ。断言してもいい。間違いなくこの中の何人かは死ぬけどね。

 で、君は?」

「全力が出せれば、まあ不可能ではないかも知れない、ってところか。その全力を出す事ができないから問題なんだが」

「へえ、なんで?」

「体質的な問題でな」


 互いに探るような、挑発的な視線をぶつけあう。

 ある意味レギオンよりも心臓に悪い空間がみるみるうちに広がっていく。


「……なんか、一気に空気が重くなった気がしますけど」

「うん、ごめん。あたしも思い切り間違った気がする」

「あの……みんな仲間とかじゃ……ないんですか?」

「仲間……じゃ、ないわねえ、困ったことに」


 しかも誰ひとりとして、である。

 各々が各々の思想と目的に基づいてたまたま同じ方向へ足を進めているだけであって、互いに手を取り合い庇い合うような間柄ではない。

 それどころか、自分の命を守るために相手を平気で盾にするような関係だ。

 今すぐ殺し合いを始めるほど殺伐とはしていないが、お互いに肩を組むような和やかでもない。芳鈴は思う。なにこれ滅茶苦茶面倒なんだけど。

 今更だった。

 そもそも、自分と雪杜の関係からして面倒この上ないのに、そこのふたり――今は三人も増えたのだから、それが面倒でなくてなんなのだ、という話だ。


「先輩、なんか喉の奥に棒でも詰まってるみたいな顔になってますけど」

「や、それどんな顔よ」

「いえなんとなく棒が喉に詰まってたらそんな表情しそうだなあと思いまして。

 というか素人が言うのも何ですけどいいんですかあれ放っておいて。なんかあの樹放ってここで戦争始めそうなんですが」

 そんな灯駈の不安を、芳鈴は苦笑と共に一蹴した。

「……平気よ」

 しかし横目に見たその瞳には、名状しがたい感情が見え隠れしている。

「雪杜はともかく、あの漆黒騎士の事なんてよく知らないけど……あのふたり、なんだかんだで似てるから」

「似て……ますかね?」

 灯駈の印象では、雪杜は理性に重きを置き、龍夜は感情を燃料に動いているように見えた。

「似てるわよ……忌々しいくらいに」

「え?」

 後半の言葉は聞き取れず……しかし返した疑問に答えはなかった。


 そんな暇はなかった。


「四条式!」

「え?」


 眼前。

 何も無いところ。

 そこから、黒い靄が形を取り、節くれだった鋭い枝のようなそれが、なんの前触れもなく伸びる。

 そして。


 ぱっ。

 と、赤いものが散り。

 鉄の匂いが広がる。


 熱いものを感じた。身を守るために反射的に差し出した、右の手のひら。

 べっとりと。

 熱く。重く。


「く……はっ……」


 声が漏れる。自分の目の前、庇うように立った背中から、苦しげな声が。

 ずるりと、指先に触れる程度だったレギオン樹の枝が、背中の向こう側に引きぬかれた。

 ぐらり、と体が傾ぐ。それを支えようと、伸ばした手をそのまま、足を踏み出し。


 倒れてきた、龍夜の背中を受け止め。


「あ……」


 その手を、後ろに回された手が掴んだ。

 しっかりとした、力強い手。


「東雲!」


 雪杜の術式が、二人の周りに現れた黒い靄をなぎ払う。龍夜は刀をたて、膝を付いて、灯駈をかばい貫かれた脇腹を手のひらで抑える。

 その上から、赤黒い液体が溢れて零れた。


「あ、ごめ、その」


 何かを言わなければ。そう思うものの、思考は空白で言葉は滑り意志が拡散し心が軋む。言葉が出ない。

 そんな灯駈に、龍夜は強いて笑ってみせた。とはいえ、かなり苦しげな、歪んだ笑みだったが。

「問題ねえよ。このくらい、いつものことだ」

「で、でもこのコートがあれば、そんな傷……」

「いやいや、コート着てたって普段は前開けてるし。意味ねえし……」

 けほ、と軽く咳をする。

「今のはまあ、自業自得だしな」

「自業自得って……それを言うなら私の方が……」

「アホ言ってろ素人。プロの俺たちが守るのも、それで馬鹿みるのも、俺達の責任だ。勝手に人の仕事取ってんじゃねえ」

 手早くズボンのポケットから取り出した符を傷口に貼りつける動きによどみはない。事bのとおり、いつものことなのだろう。

 灯駈にとってはそうでないのだとしても、そういう日々を生きてきたことは、用意に想像できた。


 ああ、こいつは。

 生きるルールが違うんだと、そう感じた。


「しかし厄介だな。この空間に充満した負の精霊そのものが、ヤツの武器になるってのか」

「それでも収束には時間がかかっていたから、気をつけていれば同じ手は食わずに済むと思うよ。とはいえ、厄介な相手であることに代わりはないか。

 どうも搦め手で小出しにしてきている印象がある。これ以上手札を切られる前に手を打たないと」


 龍夜はしばし考え。


「……葛籠、お前が感じたって言う、もうひとつの気配。そっちに何かがある可能性は?」

「そうだねえ。正直、罠じゃなかったらバカバカしいくらいにあからさまなんだけど」

 考え込む雪杜。

 一つ一つの情報を、状況を精査し、この状況を整理しているのだ。

「なんというか、この『仕立て上げられた』状況からして、そこに<権天使級>等と同等に『核』がある、というのは、物語としてはありじゃないかと思う」

「同感だ。この状況を仕組んだヤツは相当性格が歪んでるんだろうな」


 吐き出されたため息は深く。

 無理に押し隠した苦痛が見え隠れして、灯駈の胸を絞めつけた。


「もう一度、俺が突っ込む。お前らは後から周りに注意しながら追ってきてくれ。

 何があるのかを確かめて――それが『ご都合主義』なものであるのなら、一点集中で火力を叩き込む。それでこの空洞が崩れる可能性は?」

「そこは僕らの――というか、僕の調整次第だろうけど。まあ、気をつけるよ」

「いや、気を付けなくていい。これ以上面倒な手を打たれるよりは、さっさと片付けて脱出に神経を使った方がましだ。

 このやり方なら最悪、いきなり全体が崩落するってこともないだろうし、多少は生き埋めになるにせよ調整は聞くだろ。

 生き埋めになったとして問題なく脱出できるな?」

「結界でみを守ってれば、あとは術式で上に乗っかってきた土砂をどけるだけでしょ?

 きついけど、それに最初から集中できるならやってみせるわ」


「つうことだ。四条式、お前はそいつを守ることに全神経を使え。俺達じゃあ最低限の防御しかしてやれない。

 このふたりと一緒に結界の中に入れば滅多なことはないだろうが、それでもどんな変則手が出てくるか分かったもんじゃないからな。

 最悪、このふたりと俺を盾に使ってでも生き残れ」

「そんな事できるわけ……!!」

「やるんだよ。お前がやらなけりゃ、誰も湊を守れない。だから、お前がやるんだ。覚悟を決めろ。生きて帰る覚悟を」

「覚悟……」


 意地汚く、往生際悪く。

 何でもやってみせろと。そう言っている。

 それはきっと必要な覚悟。ここから智晴と生きて帰り、またいつもの日常に戻るための必須条件。

 しかし。


「嫌だ」

「……お前」

「誰かに覚悟を強要されたくない。誰かに生き方を定められたくない。覚悟は決める。でもそれは、あなたの言うような覚悟じゃない。それじゃあだめ!

 あたしは、湊智晴の親友なんだから。

 湊智晴の親友に必要な覚悟は、そんな覚悟じゃないわ」


 必死だった。

 絶対イヤだと思った。

 ただ守られるだけの女であることは我慢ならなかった。

 戦えないのは仕方ない。

 しかし。

 抗うことまで奪われるいわれはない。


「智晴は絶対に守るわ。あたしも自分を守る。だけど、そのためにあなた達を差し出すようなマネは絶対にイヤ。

 自分にできないことを、あたしに強要しないで」


 明確な拒絶の言葉に龍夜は何か反論しようと口を開きかけたが、雪杜がそれを遮った。


「はいはい。言い合いはここまでだよ。またさっきみたいに不意を突かれたら怖いからね。

 東雲、君の負けだ。いや、時間をかければ説得はできないとは思わないけれど、そうしているうちに僕らの生存率は下がっていく可能性があるんだ。

 今、僕らは動かなければならない。

 彼女が自分の命に責任を持つと自分から言ったんだ。ここは、僕らも妥協しよう」

「それでこいつに何かあったらどうするんだ」

「それこそ『覚悟を決めろ』ってことさ」


 自分の言葉を返され、口ごもる龍夜。

 結局何も言い返せなかった。

 それに、灯駈はほっと息をついた。





 そうして、運命のその時がやってくる。





 龍夜はゆっくりと、月影に照らされてできた己の影に刀を突き立てた。

 こっそり、後ろを振り返る。

 心配そうに、灯駈が見ていた。


「……やり辛え」

「あきらめろ。そういうヤツなんだろうさ。ははは、いやぁ、素直なイイコじゃねえか。出会った頃のてめぇを思い出させるぜ。

 ……あん? ってことは、あの嬢ちゃんもこんなふうになるのか?

 おいおい時間ってのは残酷だなぁ」

「超絶うるせえよ」


 サマエルの軽口に軽口で答え。


「神浄四相流・一伎型――髑髏堕し」


 刀を深く突き入れた、次の瞬間。

 その姿は大きく空中へと飛んでいた。

 髑髏堕し。術式を使うことを前提とした、一伎型の中でも異色の技。

 術式を併用することで破壊力を増す籠轍とは違い、そもそも術式がなければ技として成立しないのだ。使用する術式はふたつで、共に補助術式。

 まず、今使用した短距離転移術式。

 そして。


「髑髏堕し――皮」


 きし、と錆びた音を立てて、龍夜の姿がブレる。

 踏み出した先の空中が黒く蜘蛛の巣のようなひび割れを生む。

 まるで壊れたビデオテープを再生するように出現と消失を繰り返しながら、空を渡り、レギオン大樹の頂点、その付近に一瞬で迫る。

 髑髏堕しに必要なもうひとつの術式、空間歪曲術式。


 転移術式により、障害物のない短距離を瞬時に移動し。

 空間歪曲術式により、障害物を無視した中距離を渡る。


 強襲暗殺不意打ち騙し。兎にも角にも一も二もなく四の五の言わせず、相手の裏をかき、こちらの動きを悟らせず、一方的に対象を効率的に抹殺するためだけに作られた技。

 故に。


「おおおおおおおっ!!」


 裂帛の気合。刀には最低限の気しか載せず、精霊の一切は纏わない。

 純然たる斬撃。咆哮と共に繰り出される刃は滑るように鮮やかに、天井に繋がるレギオン大樹の幹を断ち切った。


「ぎ、し。せれざ――――!!」


 大樹がざわめく。

 その時には既に、龍夜の姿は今度は根本にあった。


「髑髏堕し――臓」


 連続で転移を繰り返しながら無数に刀を突き入れる。

「ぎぜべがれげげげがぜ!!」

 無数の枝が、根が、大地から、空間から湧き出る。黒い壁となって迫り来るそれを、龍夜は正面から回避せずにただ通り過ぎる。

 その体に無数の傷が走り赤い筋が走るも、ひとつとして致命となるようなものはない。

 歪曲術式で相手の進行をねじ曲げたのだ。


「髑髏堕し――骨」


 刀を鞘に収める。

 拳を幹に触れるか触れないかの距離にぴたりと止めた。そして一瞬の静寂の後――バチン、とゴムが切れるような音と共に、弾けるようにその拳が引かれる。

 ごん、とトラック同士が衝突したかのような音が破裂し、大樹が震えた。

 無数の突きにより細かく断ち切られていた側とはちょうど反対側から加えられた圧力に、断面が広がり、ぶちぶちと繊維が千切れ、大樹が傾ぐ。それで倒れるほどではないが、確かにバランスを崩した。

 そして。



 短距離転移。

 雪杜の示した凝縮された悪意。大樹の中央のその場所へ飛ぶ。

 ふわり、と重力が消え、一瞬の後に体がその重さを取り戻す。

 眼前には激しく脈動する黒い幹。明らかに他の箇所とは違う冷たい熱量が凝縮されたその場所に向けて。


「髑髏堕し――頚」


 鞘に収めた刀を腰に添え、安定しないはずの自由落下であるにも関わらず、神速の居合。

 体のひねりと腕の力。それだけで放たれた完成形には程遠い、荒い斬撃。故に。

「ぎひ、ぇぃしぜ!!」

 無駄な破壊の余波が広がり、幹に大穴を開ける。

 短距離転移で、開いた穴へと降り立った。

 ざわりと、全身を悪意が舐める。


「けほ、けほ…………ここ、か?」

 髑髏堕しの発動中は最低限の強化術式しか使えない。そのため、他のどの技よりも使用した反作用が肉体に強く返ってくる。

 龍夜の肉体は限界以上の酷使で全身が悲鳴を上げていた。

「だろぉな。は、なるほど、こいつは驚きだよ。

 このレギオンは確かに、実体化している部分で言えば大天使級がいいところだ。

 だが支配している負の精霊の量で言えば、立派な<権天使級>。くくく、まったく、悪趣味なトリックを生み出したもんだぜ」

「なるほど。この息苦しさはそのせいか。

 ……レギオン内部に空洞を作り、他のレギオンが発生しない状況を作り、それを自らの力として取り込まず、失った力の補填として使用する。

 理屈はわかるが、判るだけに意味がわからん。なぜそんな事をする。なぜそんなモノを作った。

 本当に、アレックス・キングの仕業なのかこいつは。これが人間にできることなのか?」

 ごほ、ごほ、と咳を繰り返しながら、広がる空洞の奥へ進む。

 とはいえ、さすがにそれほどの広さがあるわけではない。

 すぐに、それは見えてきた。


 それは。

 醜悪なオブジェだった。


 腐れ切った枝が絡み合い、血管のような管を浮かべ、脈打つ。

 たまに噴き出す粘りのつよい液体が、ゆっくりと床の上に滑り落ちてゆく。

 薄ぼんやりと発光する膜には、嫌悪を誘う突起がうごめいていた。

 形は、地面から生えた無花果の実。その表面は先にも示したとおり、薄い光を透かす膜になっている。


 その中には、おそらく、この奇妙なレギオンが大量の精霊をを統括するための、核が存在した。

 やはりただの<大天使級>などではなかったのだ。核が存在するなど、それほどの精霊の密度など、理論上ありえないのだから。

 それを可能にしたのは、その核の特殊性だろう。

 つまるところ。

 レギオンの保有する精霊の密度は低く保ったまま、高密度の精霊を集積しなくては存在し得ない核を持つ方法。


 それは。


「…………クソが」

 龍夜が吐き捨て。

「生きた人間を、そのまま核に転用したわけか。はあん、おいおい、考えたヤツ、人間やってねぇな」

 サマエルが冷たく揶揄する。


 皮膜の中、黒く濁った羊水に浮かぶ、龍夜の半分程の大きさの、人間。

 子どもではない。成人した男性だ。顔つきを見ればよくわかる。おそらく、三十から四十といったところだろう。

 四肢が欠損している。具体的には右足と左手。

 溶けていた。

 どろりと。骨まで溶けている。

 今この瞬間も、肉体が先端から、ゆっくりと融けている。

 頭蓋は半分ほど割れ、中身が見えていた。

 そんな状態にあってなお、呼吸はある。ぎょろりと落ち窪んだ目がこちらを見ていた。

 恐怖に染まった瞳。

 絶望に眩んだ目。

 羊水が、わずかに黒ずむ。彼の感情に反応して、精霊が活性化する。

 そして、萎む。

 男の輪郭が、僅かに萎む。

 そして絶望はより深くなる。


「これが……核か」

「ああ。これが核だ。お前の斬るべきものだ」


 倒すべきは。

 救われるべき、哀れな犠牲者だった。


「あ……あ、ああ……」


 羊水の中の男が口を開き、ごぼり、と、泡が立つ。

 不思議と声が聞こえたが、そういうものなのだろう。

 かすれた声に力はない。今にも消えてしまいそうな声。もはや最後の輝きを放つ力もないろうそくの炎。


「た、す…………け…………」


 龍夜は眼を閉じる。

 男は完全にレギオンとどうかはしていない。むしろ、完全に分離している。

 しかし。

 既に男を生かしているのも、このレギオン大樹になってしまっている。

 おそらく、この実から引きずり出せば、その瞬間に男の運命は決する。いや、おそらくではない。間違いなく。


「……助けることは、できない」


 だから告げた。事実をありのまま。

 男の瞳が見開かれる。諦めに濁る。

 羊水がうごめき、深く黒ずんでゆく。男の絶望を。感情を。喰らい、貪りつくそうと。


「だが終わらせることはできる」


 腰を落とし、刀を構える。


「そして、そこにあなたの希望も願いも感情も関係はない。俺はただ、それをしに来ただけだから」


 龍夜の目的はただひとつ。

 このレギオン大樹の討伐。

 そして、外にいる灯駈と智晴を守ること。

 そのために。

 己の目的のために。


「同情はする。容赦はしない。――存分に怨み、存分に呪ってくれ」

「……あ、あ…………ああ…………」


 刀を抜き、くるりと手の中で遊ぶように回して。


「神浄四相流・一伎型――髑髏堕し」


 ぴたりと止まった刃を皮膜に当てる。

 わずかに沈む感触に、腐肉を突くようなおぞましい感触に顔色ひとつ変えず。


「――魂」


 するりと、刃が黒い実に潜り込んだ。

 まるで鍵穴に鍵を差し込むように。

 パズルのピースをはめ込むように。

 そうあるのが当然、というように。


 抵抗なく突き入れられた刃が、男の心臓を貫いた。


「――――ああ」


 恐怖が。

 絶望が。

 揺らぎ。

 消える。

 決定的で確定的な死に。


「ありがとう」


 それが幻聴だったのか、確かに聞こえたものだったのか。

 音もなく刀を引き、僅かの水滴さえ付いていない刀を鞘に収めた龍夜。その目の前の実の中には、人がいたという痕跡は何一つ残っていなかった。

 やがて中からドロリとした液体を吐き出し、萎んでゆく。

 それを静かに見下して。


「…………、……うぜえ」


 俯いて、何かに耐えるように呟いた。

 沈黙が場を埋める。

 そして。


「――――浸ってるトコ悪いんだがな龍夜。どうも、良くない状況だぜ」

「なに?」

「核を潰せばレギオンは倒せる。まあそりゃあそうなんだが、こいつは所謂イレギュラーってやつだ。

 核を持った<大天使級>――すなわち、大量の精霊を制御する術をこの核に頼っていたってことになる。

 で、今そいつが失われたわけだが……」

「っ!!」


 走り出す。

「サマエル、ぶち抜け」

「任せなぁっ!」

 応答と同時、集結した精霊が槍のような鋭さで壁に巨大な穴をあける。

 衝撃も収まらなないまま、龍夜はその穴から外に出た。

 着地し、ちらりとレギオン大樹を見上げると、その輪郭がわずかに揺らいでいた。

 揺らいで、傾いでいた。

 輪郭が今にも形を失おうとしているのが判る。

 ざっと、レギオン樹の森に視線を走らせる。

 こちらも、揺らぎが始まっている。

 そこかしこの空間から、黒いものが滲み出すように溢れ出すように、ぐずり、と音を立てて這い出してきた。


「……<天使級>でさえない、レギオンの成り損ないか」

「所謂<細胞>状態だな。はははぁ、レア度としちゃあ<熾天使級>と同レベルじゃねえか。

 よかったなぁ龍夜、最悪じゃん」

「まったくもってその通りだよなっ!」


 身体強化の符を起動。一気に四人の元へと走る。

 途中、半分溶けたような、人から外れたというより外れた上で崩れた造形をしたレギオンを数体斬り捨てる。

 手応えの無さに顔をしかめた。まるで、泥を斬っているような手応え。

 やはり、組成が荒い。

 視界に映る範囲にはもはや四肢を形として持っているものさえなく、アメーバ状のものに突起が無数に生えた物や蛭に口と鋭い牙が備わっただけのものなど、造形の荒いレギオンの成り損ないが発生している。


 四人の元へ戻る頃には、すでにその場の全員が、状況の変容を認識していた。せざるを得ない状況だった。


「東雲! この状況は一体?」

「核は潰した。こいつらはもはや統制の取れていない負の精霊と同じだ。ある程度ダメージを与えて放っておけば勝手に消えて行く。

 ひとまず全力で逃げ――」


 ぞくり、と。

 全身をナメクジが這い回るような悪寒が走る。


「四条式! 動くな!!」


 智晴と共に龍夜のコートにくるまったまま、反射的に守りの構えに入ろうとした灯駈を言葉で止め。

 滑るような動きで灯駈と智晴、ふたりの前に飛び出す。

 ぷちぷち、と気泡が弾けるような音が四人を囲んで溢れ出し、天井から緞帳 を下ろすように、分厚い黒い帯状のものが降り注ぐ。

 もはや余裕はない。猶予もない。

 龍夜は。

 偽ることを、隠すことを放棄する。選択する。決断する。


「神浄四相流・一伎型――」

「え?」


 己の正面から聞こえた言葉に、灯駈が疑問の声を漏らした。


「蛮王禍!」


 ずん、と足を開いて腰を落とし、地に足を縫いつけるように立つ。全身の気を右腕一本に集約し、荒々しく渦を巻くそれを刀に巻きつけ。

 ぶうん、と。

 洗練されていない、ただ大きく振りかぶり、振り抜く。それだけ。

 それだけで。

 落下してきた黒い緞帳を正面から、叩き潰した。

 ひしゃげ、歪み、砕け、割れ、千切れ、弾ける。

 凶悪。凶暴。乱暴。乱雑。粗雑。粗野。

 そう言った言葉をひとまとめにして放ったかのようなただ力任せの一撃。それは野蛮ながら絶対の王者。その制裁さながらに全てをなぎ払う。

 王者はさらに、二度、三度と刃を振るう。

 それと共に、天井の、そして、空間からにじみだしていたレギオンたちを尽く消し去った。


「……う、わ、あ」


 灯駈の口から感心とも呆れとも取れる声が漏れる。

 怪獣映画さながらの光景に開いた口がふさがらないといった様子だ。

「て、いうか今、四相流って……」

 覚えの有り過ぎる単語がなぜ龍夜の口から聞こえたのか。その疑問を投げかける間もなく、灯駈はその場を大きく飛び、龍夜の傍に着地した。

 同時に龍夜が振るった刀から放たれた気弾が虚空から滲み出していた<細胞>を撃ち落とす。

「な、なんかさっきまでとは全然気配が違うわよ?!」

「敵の状態が特殊すぎるんだ……! 葛籠、佐々森、さっさと逃げるぞ!!」

「了……解っと! 佐々森、下を」

「わかってるわよ!」

 形を崩し、アメーバのようになって迫り来るレギオン樹を片付け、駆け寄ってくるふたり。

 それを確認した龍夜は、灯駈が背負う智晴に視線を向けた。

「……まだ目が覚めない、か。呪いの効果だけじゃないのか? この段になっても目が覚めないのは逆に命の危険になるはずだが……いや、それとも」

「どうしたの? 何かあるの?」

「……いや、わからん。とにかく、今はこの状況を脱するのが最優先だ」

 やりとりをしながらも、灯駈は龍夜が戦いやすい位置取りを選んで細かく場所を入れ替え、龍夜は灯駈に降りかかる火の粉を払うように<細胞>を斬り捨てる。

 駆け寄るふたりに視線を投げつつ、手近な敵を次々に斬る。斬る斬る斬る。

 斬っても斬っても溢れる<細胞>に終わりは見えない。

「……っ、こいつら!」

 灯駈が荒い呼吸で吐き捨てた。さすがに人ひとりを背負って逃げ続けるのは酷い負担になっている。

 しかし龍夜も、それ以上のフォローは出来ない。無造作無作為無尽無蔵に出てくる<細胞>は、本能のまま襲ってくる<天使級>とは違った手強さがある。

 ただこちらに向かってきているだけの黒の群れは、その大半が無意味な攻撃なのだ。しかし、だからと言って無視していては、周囲にどんどん<細胞>が溜まっていく。広域殲滅の手段を持たない龍夜と、守りに徹しなくてはならない灯駈。効率よく素早く、先の手を読み続けて敵を倒していかねばならない。でなくては、逃げ場さえなくなってしまう。

 ガリガリと音を立てて神経が削られていくのを自覚しながら表情には微塵も出さず、機械的かつ有機的に跳びかかるアメーバのような塊を片付ける。

 その時。


「……う、うん……?」


 幽かな呻き声。

 しかしそれは四人の耳にしっかりと聞き取れた。



 鈴の音に合わせて舞い踊る精霊の中心で、芳鈴はその声を聞いた。


 迫り来る<細胞>群を炎の壁で焼き払いながら、雪杜はその声を聞いた。


 無数の斬撃で跳びかかる<細胞群>を蹴散らしながら、龍夜はその声を聞いた。


 得体の知れない男の背を見つめながら、親友を背負いながら、灯駈はその声を聞いた。


 薄っすら意識が浮かび上がるのを感じ、小さな背中のぬくもりの中、智晴は己の声を聞いた。



 まるで運命のように、全員の意識がその一点に集中する。



「しま……っ!!」

 己の未熟迂闊を内心で罵る。すぐさま周囲の警戒に意識を戻すが、まるでその隙を始めから待っていたかのように知っていたかのように灯駈と智晴に殺到する<細胞>群。


「四じょ――ちっ!!」


 眼前の敵を一振りで薙ぎ、勢いのままに反転。

 敵は八ヶ所から同時にふたりを狙っている。問題はその距離と速度。バラつきが激しい。

 雪杜たちもこの距離、タイミングでは間に合わない上、迂闊な術式ではふたりを巻き込むことになる。コートの防御術式に全幅の信頼を置くことはできない。

 戦況予測。パターンの算出。

 距離、速度、手順、反応。


(――――間に合わない)


 一伎型の全技、補助術式のストックを加味する。全ての敵を排除するには、タイミングが合わない。最善でも一方向の敵が攻撃の合間に灯駈を狙う。

「ならば」

 灯駈に跳びかかる<細胞>を斬り捨て、凄惨に哂う。

「呑み込まれるなよ四条式ィ!」

 一気呵成。思考と躊躇を吐き捨てて斬撃が乱舞する。

 灯駈はその姿にぞくりと背筋を震わせた。

 呑み込まれるな。

 ああ、確かに。この光景には呑み込まれる。

 迂闊にみていいものではない。

 純粋な狂気の暴風に冷や汗を流しながら、灯駈は自分を落ち着かせた。

 もはや剣速は灯駈の知覚を超えていたが、僅かな仕草や予備動作からその動きを予測し、龍夜の動きを阻害しない位置を――


(――あれ?)


 違和感。

 己を囲む悪意の群れ。龍夜の位置。可能な動き。そして灯駈の動ける場所。

 そこに。


「――あ」


 間に合わない。

 このままでは回避も迎撃も間に合わない。

 それに気づいたとき。

「智晴、ごめん!」

「え、あっちゃ……ってあいたっ?!」

 智晴をコートに包んだまま、安全域に投げ出した。


「――っ?!」


 龍夜が目を剥く。

 気づかれたことに対しての衝撃、驚愕。灯駈はちろりと、舌を出してやった。


 ざまあ見ろ。

 誰がお前の思い通りになんてなってやるもんか。


 そして。


 それは五分の一秒以下の光景。


 天穿牙が銀色の光を残し、黒い蛭のような物を無数に斬り裂く。

 横手から飛び掛ってきたアメーバ状のものに右足で蹴りを入れながら、宙へ飛び足元の芋虫になった<細胞>を斬り捨てた。

 着地する事なく大地に突き立てた刀を足場に、後方の<細胞>群に気を込めた右拳をたたき入れ、反動のまま退き左の肘で後方の敵をぶち撒ける。

 ここで、どうしても間に合わない。右手は突き出し、左は下がったまま。この状態では、さらに右後方から迫っている攻撃には対処できない。最初からわかっていた。

 だから。


「神浄四相流・四条式――散葉柳!」


 灯駈は、飛び込む。

 その一撃が必殺であるなら、この一撃もまた必殺。飛び込んできた相手のエネルギーを殺し、弾き返す。

 そして。


「おおおおおお!」


 灯駈の背後から迫っていた<細胞>。その牙が彼女に届く前に、龍夜は己の右腕を生贄に差し出した。

 その、予定調和の末に。


「――、智晴を助けてよ。絶対。お願いだから」


 こちらを見る黒い瞳には一切の曇もなく。

 まるで幼い子供のような、純粋な信頼があった。

 嫌味なくらいに澄んだ笑顔は、夜空に浮かぶ月のようで。


 次の瞬間。その脇腹に<細胞>の鋭い牙が突き立つ事を知っているなんて、とても思えなくて。





 ぶしゃあ、と。

 赤黒い液体がぶち撒かれ、大地を濡らした。

 少し遅れてぶにぶにしたものが赤い水たまりの上にいくつも落ちて、それからもまた、同じ赤黒い液体が吹き出していた。

 黒いコートに付着した液体から、独特の臭気が感じられる。


 そして。

 その池の真ん中に。


 音を立てて小さな体が倒れて。

 綺麗な、憧れていた、あの長い流れるような髪が広がり。

 その汚らしい液体に沈んでしまうのを見て。


「あ、ああ、ああああああ――」


 嫌だと。

 信じたくない。

 認めたくないと。そう思っても。

 情報。状況。五感。直感。推測。推論。現実。仮説。過程。憶測。類推。推理。

 自分の能力をよく知っている。それがいついかなる時も止められないことを。

 だから。


「あっちゃ…………ん…………?」


 知った。

 理解した。この場の誰よりも早く。



 四条灯駈は、今日、今、死ぬ。


「い、や、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」



やっと状況が動きました。

やっと投稿できました。

本当、好き放題書いていたら収集が付かなくなってしまいました。

読み返す気力もないので誤字脱字は後ほど修正します……。

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