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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
20/28

術刃・乱れる


 02 - 13:術刃・乱れる




 何の前触れもなく、それは始まった。

 氷がいきなり沸騰したかのような唐突さ。

 うっすらとした気配はずっと感じていたが、それが唐突に弾け膨れ上がり、爆発した。


 ふたりは視線を交わし、先を目指す。


 周りのレギオン(瀕死)のとどめを中断して疾走。どうせ放っておいてもすぐに消える。

 それよりも、この異様な気配の相手が先だと判断した。


「結構深いね、この洞窟」

「明らかに人の手が入っている割に、目的が不明だもの。防空壕なら最初の十メートルで終わっているわ」

「ああ。何者かは分からないが、結界を張った本人だと考えるのが妥当だろうね。

 こんなところでレギオンを繁殖させて、一体何がしたいんだか。僕が言うのも何だけれど、はっきり言ってまともな神経の持ち主じゃあないね」

 雪杜が吐き棄てる。

 ああまったくもってまともじゃない。人を閉じ込めて互いを食らわせ、憎悪と後悔と絶望で染め上げ、あまつさえレギオンの温床にしてしまうなど。まったくもって人間の所業ではない。

 そして。

 その行為に対して純粋に好奇心を抱いている自分自身もまた、まったくもって異端異質の鬼子といえる。

 ああ、やはり自分は何一つ変わっていない。彼女のようになりたいと、せめて彼女に報いたいと、そう思って生きてみても、結局本質は変えられないのか。

 けれど。


「……違うわよ」

「うん?」

「あんたって頭いいくせに単純っていうか素直って言うか……まあ、見てるこっちとしてはわかりやすくていいんだけどさ。あんたはちゃんと変わってるわよ。ああ、ちょっと違うか。

 成長してるのよ。別にさ、全部が全部変わんなきゃならないワケでもないでしょ? 正直あたしだって、いち術者として、この儀式に何の意味があるのか、この先に何があるのか、知的好奇心がないわけじゃない。それはもう術者としての業みたいなもんなんだから気にしたって仕方ないわよ。

 大事なのは、あんたがちゃんとその自分が異質で、異端で、あんたがなりたいあんたとは相容れないってことを自覚して、認める事じゃない。少なくとも今のあんたは昔よりずっとまともよ。術のために生きていた頃よりも、ずっとね」

 それは、怒っているような、それでもどこか優しげな、そんな声だった。

 雪杜は自分が何を言われたのかしばらく理解できずにぼうっとして。

「あいたっ?!」

 ずっこけた。

 術の補助つきで走っていたためさながら交通事故みたいな音を立てて壁にぶつかって止まった。

「……あんた何してんの」

「いや、まあ」

 天地ひっくり返って照れたように笑う雪杜に、芳鈴は心底呆れた様子。

 立ち上がり砂を払って。

「……あー……」

 天を仰いでなにやら奇妙な声を発し。

「何してんの? 早くいかないと」

「うん。まあ」

 確かに、今は一刻が惜しい。だから色々な思いを明確に形にする時間もなくて、結局単純な言葉しか出てこない。

「ありがとう、佐々森。本当に」


 それは、芳鈴がこれまでに見た中で、一番きれいな笑顔だった。


「――――ばっ……! さ、さっさと行くわよ!!」

 思わず顔をそらす芳鈴だが耳まで真っ赤に染めていてはあまり意味はない。

「ま、そうだね。じゃあ急ごうか」

 なぜ怒られてるんだろうかなー、なんて落ち込んでいることはおくびにも出さず、術式を再起動。


 意識を切り替える。

 この先にあるものが、自分にとって何かしらの意味を持つ。

 そんな予感を感じながら。

 雪杜は駆け出した。



 そして。

 数分もしないうちに、たどり着いた、その場所は。


「お――――」


 地下空洞に月明かりの差し込む幻想的な空間で。


「るううううああああああああああああっっっ!!!!!!!!」


 獣が咆哮を上げる地獄の入り口だった。





 白。

     黒。



 月明かりの当たる部分と、そうでない部分。

 圧倒的に後者の方が多くを占めているが、光の存在感がそれを狂わせる。距離感も、物量も。



 一対多。それも圧倒的多数。

 きらきらと月光を反射して光るのは鮮血の赤。

 腕と足、側頭から血を流し、紅の筋を引きながら空をかける龍夜。

 眼下のレギオンの群れを睨みつけ、刀を振り上げた。

 咆哮を上げて刀に術式を巻きつけ、雷撃と共に振り下ろす。

 破壊が吹き荒れ音が遅れて響く。刃の先端が音速を超えているのだ。

 ソニックブームが吹き荒れ雷撃が縦横に走り、黒い影をまとめて蹂躙する。

 ぐるりと空間を見渡してみれば、壁床天井あちこちが焼け、凍り、溶け、割れ、砕けている。


「ぺぐぜ「き! ゅごら「!! じじまご」ぎゃぎょ! ぎぇ」ぎょらぬぎ!!」


 四方八方から響く耳障りな哂い声が悪寒を誘う。

 ああそうだろう可笑しいだろう。

 何しろ、これだけ破壊を振りまいてなお、目の前のレギオンの数は増え続けている!


 龍夜の全力の攻撃で減る数よりも、次々に地面の黒い網目からわき出してくるレギオンの数のほうが多いのだ。


 それを見て、自分が何を見ているのかがわからなかったが、理解した瞬間に驚愕する間もなく肉体は反応した。

「佐々森、弓を!」

「う、うん、わかった!!」

 芳鈴が鈴を一振りすると空間が歪む。そこに鈴をしまいこんで、今度は弓を取り出した。

 赤い色の弓は所々金の装飾が施されており、優雅な佇まいを秘めている。

 弦をかけ、構える。しかしつがえる弓はない。

 弓を構える。その姿勢に乱れはなく、凛とした視線には一欠の動揺も見当たらない。


「祓い給え。清め給え。守り給え。幸え給え」


 言葉に合わせて弦を四度弾く。

 りぃん、りぃん、と澄んだ音が空間に響き渡る。



 それに。

 ぐるり、と。

 千を越える光が反応した。


 レギオンの眼球の光。

 視界に映る範囲で優に五百以上。

 圧倒的数と密度。


 めまいを覚えるほどのそれを前に、意識を張り詰め、水鏡のように意識を沈め。


 弦を僅かに引き――放つ。


響け天鈴穿て胡蜂(わたしにみちをあけておくれ)――蜂星流禍」


 精霊術大系奏術系統放出式空間術『蜂星流禍』。

 先に鳴らした音と視覚で道を定め体内に大量の精霊を取り込み、最後の爪弾きで道に向かって溜め込んだ精霊を瀑布のように放つ。

 弓に宛てた指先に沿って真っ直ぐに放たれた精霊は道に沿って押し合うように流れ、超高密度の結晶を形成しながら鋭い光の矢と化す。

 ごう、と一直線に龍夜を囲むレギオンをまとめて飲み込み、向こうの壁に当たって砕け散る様はさながら津波のようだ。

「東雲、こっちに!」

「分かってる!!」

 雪杜の呼びかけに怒鳴り返すように返事をする龍夜。その声に余裕はない。

 それはそうだ。なにしろ。

「嘘……まだ出てくるの?!」

 床に張り付いた網の目のようなレギオン諸共に消し飛ばしたにもかかわらず、切れ目を塞ぐようにレギオンが広がり、埋まった網目からまたレギオンが生まれてくるのだ。

「なによこれ……!」

「佐々森、落ち着いて。とりあえず手を動かすんだ」

 術式を放ち龍夜を援護しながら芳鈴を落ち着けようとする雪杜にも、さすがに焦りの色がにじむ。

 龍夜、雪杜、芳鈴。

 この三人ならば、楽観はできなくともある程度の事態なら対処できると踏んでいた。

 油断しているつもりはなかったが、あくまでつもりでしかなかった現実にほぞを噛む。

 駆け寄ってきた龍夜は、疲労の色も濃く、深手は負っていないもののいくつもの傷をその身に刻んでいる。

「鎧は着けないのかい?」

「あれなー。攻撃力と防御力はガッツリ上がるんだがいかんせん攻撃範囲が死ぬんでな」

「なるほど確かに漆黒騎士にとってはこう言うのは最悪の手合いなわけだ。

 というか一体これは何なんだ? この<天使級>を生み出すためだけのようなレギオンは」

 雪杜の言葉に、龍夜が片側のまゆをぴくりと動かす。

「ふん、もうヤツの特性を掴んだか。ああ、その通り。こいつは地上の地獄を餌場として<天使級>を無尽蔵に生み出す、そういう<大天使級>レギオンだ。<大天使級>だから名前もなければ核を狙うのも一苦労。倒すためにはその存在に見合った損傷を与え続け、構成する負の精霊を散らすしかないわけだ」

「<大天使級>――って、コレが?! 人の形をしていないじゃない?!」

「……そう判断した根拠は?」

 ふたりの反応を予想していた龍夜は、用意していた答えをそのまま返す。

「レギオンの位階を決めるのは本来その姿ではなくその体を構成する精霊の量と密度だ。こいつの場合、確かに量は大したものだが密度はスポンジ程度のもんだ」

 ざくざくと足元の黒い網を斬りつけながら『ほらな』と視線で理解を促す。

「だから位階を定めるならばこいつは<大天使級>ってことだ。普通の刃物でも切断できる程度の密度では<権天使級>と比べるのもおこがましいレベルだよ」

 無表情に平坦な声を載せているが、足元の網に刀を突き刺す作業は続いていた。というかだんだんと往復速度及び上下幅がいい具合に上昇している。まあつまりそういう事なのだろう。


 ざくり、とひときわ大きく刀を突き立てた後それを引きぬき、肩に載せる。


「もっとも、存在を散らそうにも負の精霊がわっさわっさと上から降りてきてるから、それもままならないんだがな」


 忌々しそうに天井に空いた穴を見上げる龍夜。なるほど、あの穴を通してあの地上から負の感情に染まった精霊が落ちてきているらしい。

 まあなんとも、この<大天使級>にあつらえたような空間だ。

 おそらくこの分だと昼に注ぐ日光の量もさほど多くはならないのだろう。この<大天使級>は、昼夜を問わずここで好きなだけレギオンを生み出すことができるわけだ。

 ざっと空間を見渡す。

 広くはなっているがやはり洞窟。それなりに障害物も多い。足元は相変わらずでこぼこしているし、身長よりも高い岩がいくつも生えている。視界の確保という意味では、通ってきた道のほうがましだったといえる。


「でも、それじゃあこのレギオンの素体になった人間はどうなったの? すでに人としての形は、ないってこと?」

「さてな。俺もそこがわからん。

 そもそも<大天使級>となるには人間が必要で、人間が<大天使級>になったのならその時点でその姿は完成している。あとは徐々に体組織を精霊に置き換えていくだけだ。

 その点から言うなら、この<大天使級>は最初からこの形であるはず……なんだが……」


 こんなアメーバみたいな人間がいたら大騒ぎというか、それは人間じゃない。


「<権天使級>と同等の能力を持つ<大天使級>って事になるのかな、この場合? 僕はそんなの聞いたことはないけれど」

「俺だって同じだよ。おそらく、世界初ってやつだろうな」


 皮肉げに口を歪める龍夜。どうせ世界初ならば、もっと華々しかったり有益だったりといった事で味わいたいといったところだろう。雪杜も同意見だ。

「じゃあ、それこそここを埋めてしまうとか、そういう事でもしなきゃならないの?」

「それで潰し損ねたらそれこそ最悪だぞ。温泉みたいに地下からボコボコレギオンが出てくる所が見たいのか、お前」

「う……」

 龍夜の反論に口をつぐむ芳鈴。

「じゃあ、どうするんだい?」

「……、引っかかるといえば引っかかる点はある。たしかにコイツが人間の姿形を完全になくしているのは奇妙な話だ。

 そして、今葛籠の言った事。もしそれらの要素が答えに結びついているとしたら?」

「雪杜の……? えっと、あんたさっきなんて言ってたっけ?」

「<権天使級>と同等の能力を持つ<大天使級>だね。それがこれの答えだと? もしそうなら、僕らに何か打つ手はあるの?」

 戸惑う芳鈴の代わりに雪杜が答え、問う。

 龍夜はわずかに瞳を閉じ、頷いた。

「この際、あり得るあり得ないを論じている場合でない事は確かで、事実として目の前に積み重なったピースを合わせて見える真実の輪郭はどうやったってその形に落ち着く。そして情けない話、そんな予断を抱かない限り、俺達はここでこのまま死ぬしかない。

 言っておくが、これは賭けだ。もしこれが外れていた場合、俺達は無駄に踊るだけだ。馬鹿みたいにな。

 どうだ?」

 不恰好に唇を釣り上げる龍夜を、二人はじっと見る。

 芳鈴は不安な色で。


 雪杜は――まるで何かを測るかのように。


 視線を行ったり来たりさせる芳鈴にため息を一つついて、雪杜は答えを出した。

 逃げるつもりがない以上、どうせ道は一つきりなのだから。





 作戦は――作戦というほどのものでもない。

 物量に対して物量で当たるという、単純にして愚の骨頂。

 しかも確実に敗北は見えている。

 彼ら三人の要点はただひとつ。いかに死なずに殺すか、ただそれだけ。


「神浄四相流・一伎型――座継朧(ざつぎろう)


 刀を鞘に収め、腰から抜く。右の膝をその場につき、左足のつま先に全体重を預ける。

 左足に添えるように刀を立て、石のようにじっと動きを止める。

 頭を垂れ、飛び掛ってくるレギオンを前髪の隙間から覗く。

 先頭のレギオンの体が大きくしなり、腕が繰り出される。

 風を切って迫るそれを、じっと、じっと、じっと。


 ちり、と。


 前髪に爪の先端が触れた、瞬間。


「べ、ぜぎ、ごじぇ?」


 龍夜の姿が掻き消えた。

 確実に獲物を捉えたとハズのレギオンはその場でたたらを踏んで、首を傾げる。

 そこに。


「――っ」


 いつの間にか体を入れ替えて後ろに回った龍夜。

 しゃりん、と涼やかな音が響きレギオンの胴体が上下に分かれる。さらに音が連続。レギオンが綺麗に一辺五センチメートルに寸断され、消滅。

 その龍夜に向けて、三対のレギオンが襲いかかる。龍夜はしかし、姿勢はそのまま。


「「「えげれっ?!」」」


 消える。

 顔を見合わせ首を傾げる三体のレギオンの首が。


「失せろ」


 同時に細切れに消し飛び、その中央に姿勢を変えぬまま着地した龍夜がさらに音を響かせ、無数の斬撃で容赦なく斬り刻む。

 相手の呼吸と意識の切れ間を縫う超高速移動。及び抜刀と納刀の音がひとつに重なって聞こえるほどの斬撃。

 完全に相手に動きを合わせなくてはならないため自分が身動きが取れなくなるのが難点ではあるが、その回避性能と攻撃精度は一伎型の中でも群を抜いている。

 ただしこれ動けない。回避の一瞬以外は本当に動けない。加えて他の技との連携も難しい上に体勢を戻すのにも一瞬とはいえ間が開く。

 要は。


「――まあ、こういう場面で使う技でもないんだよな」


 苦笑する龍夜の周りには。

 レギオンが。


 レギオンがレギオンがレギオンがレギオンレギオンレギオンレギオンレギオンレギオンレギオンレギオンレギオレギオレギオレギレギレギレギレギレレレレレレレレレレ。


 百を超えるレギオンが床に、壁に、天井に。

 本能しかないからこそ、本能的に最も効果のある攻略法がわかるのだろう。正しい。この技に――というよりも、龍夜に対して数で圧倒するというのはこの上なく正しい。


 ただし。


「精霊喚起――砕剛・疾孔・重濫芽音(じゅうらんがのん)


 この場にいるのは龍夜ひとりではない。


 足元に突き立てた短剣を踏みつける雪杜。

 術式が床を伝い、壁、天井にまで響き、世界が一斉に牙を向く。

 精霊術大系伝心術系統伝達式結合術『重濫芽音・亜式』。

 突き立てた短剣に精霊を叩き込み、接触する同質の物質の結合を操作する術式。

 本来であれば対象を粉砕する術式だが、この場所でそんなことをすれば天井が崩落する。


「あっはっはっはっはははははは!! 削れろ潰れろ砕けろ消えろ!」


 そこで若干のアレンジを加え、対象――この場合は大地をわずかに砕き相手を引きずり込み圧潰する術式へと姿を変えている。常識的に考えて凶悪さが増していた。

 即興の術式であるため龍夜を対象から除外するような器用な真似はできなかったが、危険を察して素早く空中へ飛んでいた。

 逃げ遅れたレギオンたちは足や腕を接触する大地に飲み込まれ、ゆっくりと飲み込まれて押しつぶされているが無論この程度で倒すことはできない。


 そして幕を下ろすのは彼の役目ではない。


「ひふみよいむなやこと ふるべ ゆらゆらと ふるべ」


 白い光を体か溢れさせて、天に向かって弓を引く芳鈴。

 つがえるのは一筋の光。結晶化するほどに超高密度に圧縮された精霊の矢。

 強く、大きく弦を引く。瞳を閉じ、祈るように頭を垂れ、矢を解き放つ。


注げ聖歌広がれ氷雨(かがやくいのちのあめとなれ)――刳霊樂韻月奏(くたまがくいんつきかなで)


 精霊術大系奏術系統射出式精神術『刳霊樂韻奏月』。

 放たれた矢は光の尾を螺旋に放出しながら天井に向かい、接触寸前でくるりと反転。そのまま倍以上の速度で急降下し、無数に分裂した。

 百を超える矢が大地とレギオンたちに突き刺さる。

 そして。

 りん、と、懐から取り出した鈴を芳鈴が一振り。

 突き刺さった矢が伸び、空間が白い線で覆いつくされる。天井や壁のレギオンたちは突然の変化に対応できず多くが串刺しにされる。

 そして、最後にもう一度、鈴を一振り。

 りん、という響きが、光の矢を震わせ、やまびこのようにりん、という音が帰る。それは他の矢に伝播し、共鳴し、増幅され。


 ガラスの砕けるような音とともに、精霊が爆発。矢に貫かれていたレギオンは内側から膨れ上がるように爆散し、逃れていたレギオンも周囲を囲む破壊の檻から逃れられずに巻き込まれて消滅する。

 その中央に着地した龍夜が、素早く呪文を唱える。


「ひとつはふたつ、ふたつはよっつ、よっつはやっつ、面は連なり線は重なる、正負を一つに聖邪を一義に、理性と感情の機織りよ、意思と意志とを汲み上げて、我が祈りを聞き届けろ――攻撃結界『獣牙陣』!」


 ぎしり、と音を立てて空間が陽炎のように歪む。

 攻撃結界『獣牙陣』。まさしく山に張られていた結界、その簡易版である。

 効果は指定領域に外部からの接触に対して攻撃を返す結界を張るという物。指定領域は正八角形となり、空洞内にはこれで四つ目の展開となる。

 壁際から、面と面を合わせるように展開して、これで四つ目。



 つまりはこれが作戦である。

 相手が一面に広がっているというのなら、その面自体を小さく制限してしまえば良い。この<大天使級>を相手にする上で厄介なのは、その巨大さだ。一面にびっしりと広がった網目のそこかしこから<天使級>が出てくる上に、疎密がこうもはっきりしていては直接攻撃も効果が薄い。

 相手の密度を高めつつ、存在範囲を削る。

 敵を徹底的に殲滅し、その範囲を結界で囲む。その繰り返しにより、相手の存在範囲を制限しするのだ。しかしながら当然そんな事をすれば面積あたりのレギオンの層は厚くなる。

 敵の密度を高める代わりにこちらの攻撃の効果も上がる。肉を切らせて骨を断つ、どころか、腕くれてやるから心臓よこせと言わんばかりの乱暴な戦法である。

 相手の戦力が底なしであるため賭けに出るにも状況を整える必要がある。相手を一箇所に集中させ、全力の攻撃で一気に消滅させる。失敗すれば待つのは死。あるいは結界を貼り終える前に。

 広範囲の攻撃ができない龍夜が囮となり敵を集め、雪杜が芳鈴で地面の<大天使級>ごと結界を張る範囲を殲滅する。最後に結界の術式の詠唱をしていた龍夜がそれを展開する。



 しかし。

「たいしたもんだな、まったく。即席で精霊術式を――それも詠唱術系統を構築するとは。まったく恐れ入る」

 六つ目の結界を張りながら龍夜はひとりごちる。


 精霊術大系詠唱術系統固定式空間術『略式・獣牙陣』。

 詠唱術系統はその名のとおり、詠じるだけで術式を発動できるのが特徴だ。所謂魔法使いのイメージそのままではあるが、普及率及び使用者、研究者は少ない。実際に使うとなるとあまりにも使い勝手が悪いのだ。何しろ、言葉だけでなくイントネーションや息継ぎのタイミング、長さ、声の高さや大きさまで考慮に入れなくてはならず、個人間での効果の差が大きいからだ。

 ヘタをすると、結界術式を展開しようとして自爆術式が発動、なんて笑えない事さえありうる。

 他の精霊術式とは違い何一つ事前準備、道具がいらない代わりに、不自由危険極まりない系統である。


 雪杜はそれを十分そこらで即席で作り上げた。

「モデルがあるからゼロから作るより遥かに楽だよ」

 とはいうが、同じことをやれといわれても龍夜にはできない。

 それも、三人が同じように使えるように、術式にある程度のゆらぎと遊びを持たせてある。それは雪杜の個人的研究のほんの余録であるのだが、それを知らない龍夜としては革新的なアイデアであった。

 術式に予定調和のムダを仕込む事で、逆に厳密な操作を必要とさせない仕様。詠唱が長くなりムダに力を消費するという事はあるが、この場においてはそれを補って余りある。

 通常の結界であれば<天使級>が数十と集まり圧力をかければ破ることは可能だが、攻撃結界であれば圧力をかける間も与えない。総合的に見て、通常の強力な結界よりもムダのある攻撃結界の方が精霊を節約できる。


 七つ目の結界を展開しながら、龍夜はひとつ息をつく。

 焼けつくほどののどの渇きを覚えていたが、解消する手段はここにはない。

 深く息を吐いて乱れた呼吸を整える。

 既に空洞の三分の一は結界で支配した。すなわちそれは、単位面積当たりの敵の量も三倍近くになったことを示す。実際、結界の外には無数の<天使級>がこちらをうかがっている。

<大天使級>の方も、網の目は随分と細かくなってきていた。

「体力はまだ持つが――体が持たないか?」

 深い傷は簡単な応急手当をしただけ。浅い傷の数はもはや数えきれない。

「やっぱり浅はかな作戦だったか」

「けどこうでもしないと戦いにさえならなかっただろうね」

 雪杜の言葉も一理ある。が、勝てなければ何も意味はない。


 勝たなくては。生きなくては。


 何しろ、ここへ来た本来の目的は何一つ達成出来ていない。

 予定を繰り上げた大元の理由。湊智晴の手がかりは未だ手にできていなかった。


 ここにいるのか。こことは別のどこかにいるのか。

 安全なのか。そうでないのか。あるいは。


 いずれにせよ、時間との勝負。


 三人は揃って駆け出した。




 七つ目。八つ目。

 結界を展開する。

 龍夜の刃は鈍ることなく、邪魔な岩ごと敵を斬り裂く。

 縦横に走る術式を放つふたりは見事な連携で敵を寄せ付けない。


 しかし疲労は隠せなかった。




「神浄四相流・一伎型――網剛狒々」


 刀を大きく振りかぶり、僅かな停滞の後に振り下ろす。

 網に目に広げた気が、巨大な拳を叩きつけたかのような破壊跡を岩盤に残し、まとめて二十近いレギオンがひしゃげ潰れた。

 素早くその場を飛び退き襲いかかるレギオンをかわす。

 明らかにレギオンの数が増えている。足を止めている隙がない。


「うざ……ったいんだよ!!」


 追ってくるレギオンを一刀のもとに切り伏せる。素早くその場で身を屈め、背後から襲ってきた牙をやり過ごし、両手を地面について蹴り上げる。ごしゃりと頭蓋の砕ける感触と共に黒い霧が散った。

 それでも猛然と迫り来るレギオンたちを、雷の雨がなぎ払う。一瞬の閃光とともに全身が沸騰するような熱量が吹き荒れ、レギオンたちを跡形もなく焼き尽くした。

 そして。

「――っ! 馬鹿、逃げろ!!」

 芳鈴。

 そちらを見て目を見開く。

 男ふたりと比べて体力の劣る以上、限界が来るのもまた早いはずだった。それを考慮に入れるべきだった。

 精霊に乱れが生じ、術式の発動が僅かに遅れていた。

 その彼女を見逃すまいと襲いかかる大量のレギオン。


 龍夜が構える。遠い。届かない。

 雪杜が符を放つ。遅い。間に合わない。


 黒い波が華奢な少女に襲いかかる。

 その瞳は諦めていない。それでも間に合わない事は分かりきっている。



――駄目だ。



 その思考を斬り裂いた。

 たったひとつの黒い風。

 それはあまりにも鮮烈で。

 あまりにも流麗で。


 深く美しく闇の中でも輝くような、艶やかな長い黒髪。

 芳鈴の前に躍り出て。

 くるりと舞いの様に回り。


「神浄四相流・四条式――」


 腕脚牙爪全てをいなし、ねじ曲げ、退ける。

 爪先ひとつとして不浄が触れることを許さず。

 己の手を血に染めることはない。


 刹那の嵐が吹き荒れた。


楓韻瑶歌(ふういんようか)


 はらり、と。

 黒い髪が重力に従って落ちる。

 芳鈴よりも小柄な少女の顔が、月明かりに晒されて白く輝く。


「まったく――」


 ふたりを囲むレギオンたちは身動きも取れず、ただその場で固まっていた。 


「わたしは智晴を探しに来ただけだっていうのに」


 少女の顔色は決して良くはない。声もわずかに震えている。

 それでも。


「まさか人助けをすることになるなんて、思いもしなかったわ」


 ほほ笑む。


 少女の名前は。


「さあて、事情を説明してもらうわよ、東雲龍夜。それからそちらは葛籠先輩?

 不思議な組み合わせに疑問は尽きないけれど、わたしが知りたいことはただひとつ。当然、分かってるでしょ?」


 言って、邪魔なレギオンの腕を僅かにずらした。


「――な」


 雪杜が息を飲む。

 ただそれだけの動きでレギオンが霧となって消えたのだ。

 龍夜としても舌を巻く思いだった。

 よもや、迫るレギオンの攻撃を全て逸らし、別のレギオンに向けるとは。しかもその際、力僅かに加えて威力を何倍にも高めている。

 今のはとどめでもなんでもない、ただのひと押し。


「智晴がどこにいるのか。知ってるなら教えてもらうわよ」


 四条灯駈、参戦。


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