妄執・溢れる
02 - 12:妄執・溢れる
騎士団日本支部の地下訓練場は広い。
階層は三つに分けられており、一階層の高さは約十メートル、総床面積はドームをおよそ二つ分を誇る広さを誇っている。
そのほぼ全てが訓練場として機能する。
いくつかの局面を想定されたフィールドがあり、それぞれの場所でそれぞれの戦い方を学ぶことができる。
これだけ大規模な訓練施設が必要になったのは、ひとえに頻発する世界各地への騎士の派遣が背景にある。日本国内では想定できないシチュエーションでの戦闘を強いられた騎士たちが、想定以上の打撃を受けて帰って来る、といったことが多かったのだ。
そんなわけで作られた多様な訓練施設ではあるが、そのなかでもやはり人気不人気というものは出てくる。
ここは、そのなかでもとりわけ人気の無い訓練スペースだった。
部屋を支配するのは、耳の痛くなるような静寂。
部屋に満ちるのは、全てを塗りつぶし覆う暗黒。
想定訓練暗室。自身の指先さえ見えない完全な闇。
騎士団の近最下層のさらに隅の小部屋。
その中にぽつりと、光があった。
ゆらゆらとゆらめき、輝き、火の粉を放つ炎の騎士鎧。
烈華騎士・錫禅。
日本国内でも有数の実力を持つ彼は、暗闇の中、腰を落とし、両腕をだらりと下げ、肩の力を抜き、それでも暗闇の奥の奥を射抜くように見つめて。
「発」
言葉と同時、火花が散る。
空間に焦げ臭いにおいが漂う。何かを焼いたのだ。
その後も数度、同じことを繰り返す。闇の奥から手を伸ばす何かに向けて、術式を繰り返し、正確に、最小限最大効率の威力で放つ。
錫禅は優秀な騎士だが、その鎧の性能は実を言うと平凡なものに過ぎない。
全身を覆うスタンダードな形の鎧。
能力は炎を操る能力で、それ以上も以下も隠し玉もない。
身体能力の強化も突出しているとは言えない。
そんな彼が実力者と呼ばれるのは、磨き上げられた精霊の制御能力がゆえである。
騎士鎧の召喚に多大な精霊を費やし、さらに術式をばらまく。鎧の効果で燃費は良いがそれでも多大な肉体的精神的疲労を伴う騎士。
その中にあって、より少ない労力で事を成そうとする風潮は実は強くない。
多少の粗さ拙さはさておいて、最大火力による戦闘が騎士の戦闘の常だ。普通の術者がそんな事をすればあっという間にガス欠を起こすが、少なくとも騎士鎧を展開している間の騎士にはその心配はない。故にとりうる限り最大の破壊を用いる。
錫禅――工はそれでは駄目だと考えた。それでは、結局のところ火力で撃ち負けるような相手には手出しができない。
戦闘とは――さらに突き詰めるならば殺し合いとは破壊力だけで決まるものではない。
なまじ騎士の戦闘はそれが通じてしまうために、その当然の事実が軽く見られがちだ。特に、大戦以後の若い騎士にはその風潮が顕著に見られる。
力を凝縮し、引き絞る。
これだけで術式だけでなく単純な武器攻撃力は瞬間的に格段に跳ね上がる。
錫禅はこの暗闇の中、ただそれだけを繰り返し続けている。暗闇の奥から不定期に打ち出される精霊の弾丸を、己の炎で撃ち落としているのだ。
火花が空間を焼くごとにその身を覆う炎は小さく細くなり、同時に部屋の気温はぐんぐんと上昇していく。
というか既にコンクリートが溶け出していて結構ヤバイ事態になっている。
「錫禅さんストップ、ストップです!!」
部屋に光の亀裂が入り、そこから小さな影が飛び込んできた。
光をそのまま切り取ったみたいな白い少女。姫である。
「よお、姫さん」
「『よお、姫さん』じゃないですよ! また部屋をダメにするつもりですか?!」
「ん……ああ、またやっちまったか」
ようやく部屋の惨状に気づいた錫禅が、部屋の明かりの精霊符を起動させる。
そうしてようやく部屋の全容が明らかになった。
部屋はコンクリート打ちっぱなしの一片十メートルの正方形をしていた。壁には多種多様な術符が張られている。そのなかのいくつかが照明用の符のなっているのだ。
その部屋は所々コンクリートが溶けかかっている。錫禅の熱気にやられたのだ。一応術式で保護しているはずなのだが、錫禅の術式には抗することができなかったと見える。
「まったく……医務室を抜けだして何をしているのかと思えば。それもこんな時間に」
「いやな、寝っぱなしってのも結構きついぜ? もう穴もふさがったんだし、立ってるだけなら問題ねーって言う話だしよ」
「それで部屋をダメにされてはたまったものではありませんよ」
「違いない」
錫禅は苦笑とともに鎧の着装を解く。
炎が弾け、同時に部屋の空気が一気に冷えた。気圧差で僅かに風が吹くが、それも錫禅――工がほとんど抑えたらしくそよ風程度のものだった。
「……相変わらず、見事なものですね」
「俺ぐらいの歳になるともう伸びシロも期待できないからな。こうやって小手先の技術でどうにか凌ぐしかないんだよ」
「その言い草だと、相変わらず隊長への昇進は断り続けているようですね」
「そういうのは本当に実力のあるヤツに任せておけばいい、てのが俺の意見なんでね」
工は肩をすくめる。
姫としては工の部隊をまとめ上げる指揮能力や調整能力についても大きく期待しているのだが、言っても聞き入れてはくれないだろう。それにそれを姫が望んでいることは工自身がよく理解している。理解して、それでも聞き入れるつもりはないのだ。
「わかりました。そもそもわたしには人事への口出しの権利もありませんから何も言いません。とはいえ、この部屋の惨状については小言のひとつふたつ言わせていただきますけれど」
「はっはっは。いやあ、久しぶりでちょいと熱が入りすぎちまったようだな」
「ようだな、ではありません! まったく、これで何度目ですか。それも毎度毎度暗室ばかり。利用者が少ないから大した問題にはなっていませんが……」
「ああ、それそれ」
「?」
言葉を遮って工が疑問を挟む。
「この暗室、何で人気がないんだ? 正直、在り得ない指数は高いけど同時に同じ状態になった場合の厄介具合も同じく高いだろ、完全な暗闇は」
「簡単ですよ。そもそも完全な暗闇かつ限られた空間の中でのまともな戦闘をするような風潮がない、というだけです」
騎士の力が十全に発揮されるのは、障害物の有無ではなく力を振るうその場所の広さだ。
空間、行動を制約されることは、騎士にとってその力を大きく削られる事を意味する。
そういった状態になった騎士は。
ぶっ飛ばす。
広い空間がないのなら、自分で作ればいい。乱暴かつ単純明快だが、それを可能にする力とそしてそれだけの利がある。
「まあ、最近の騎士はなんつーか、派手だもんな」
ふたりとも遠い目をしながら部屋をでる。扉を閉めようとしたが歪んで閉まらなかった。来月給料減るかな。そんな事を考えながら歩き出す。
「わたしも少々困っているんですけれど、ね」
ちなみに事後処理は姫の領分だ。そうそう施設を吹っ飛ばされることはないが、それでも年に数度ある。その度に、胃がキリキリと痛む思いをしている。
「しかしそれだと対応出来ない場面もいくつかあると思うがね。例えばこんな、地下深くや、後は洞窟の中とかか。下手に吹っ飛ばせば自分が無事では済まない状況ってのは結構あり得るだろ」
「そういう場面があるから、あなたのような熟練者があちこち駆けずり回るはめになってるのが、現状の騎士団なんですよ」
「……なるほど」
大戦で多くの戦力を失った騎士団は、熟練した技術を持つものの絶対数が少ない。
正直、工が自分を隊長と認めないのも、大戦前の騎士たちを基準として見ているところが大きいのだ。彼らからすれば工は己を小隊長にもなれない程度と見ていた。
優秀な騎士の指導を受け大戦を経験した、二十代後半の騎士。
その数は少ない。そして、それ以上の年齢の騎士になると、もっと少ない。
あーそういやこの国も伝統技能の後継がいなくて結構大変だよなー、などと人ごとのように考える工だが、実際問題切羽詰った問題ではある。
「まあ、轟鴎もまともに使えるようになるにはまだ掛かりそうだし、閃は二年前から随分伸びたとはいえ、まだムラがある。確かに、単独で任務を任せるには難しいな」
「ええ。最低でも三人組での任務でしょうね。出来れば、早いところひとり立ちして欲しいところではありますが」
その言葉に工は破顔した。
「ははははっ! 姫さんが言っても説得力はないな」
「う」
騎士団の中で誰が一番一人で戦わせられないかといえば、満場一致でこの小さな姫君であることは違いない。
「そ、それはそうと、関谷さんはこの部屋を良く使いますね。まあ、これでしばらく使用禁止ですが」
「攻めるな姫さん! まあ、集中できるからな。一人でできる訓練なんて限られているし――ああけど、この部屋で組み手やったときは面白かったな」
「え?」
「あ」
つい思わず口をついて出た言葉に、姫が反応する。口止めされていたのだが。
「暗室で組み手なんて聞いたことありませんよ? 誰とやったんですか、そんな無茶苦茶」
呆れと興味が半々の姫を見ながらしかし、工は次の瞬間にはそれが不満いっぱいになっていることが容易に想像できた。
上手くはぐらかしてやりたいところではあるが、既に彼女もなにか気づいているのか機嫌が下方修正されているまっ最中だ。さっさと爆弾を落として気分を蹴散らすほうがお互いのためだろう。
そうして、工はその名を口にする。
憎悪は刃を鈍らせる。
絶望は刃筋を狂わせる。
静謐に。誠実に。
己の身に刻まれた動きを正確に再現する。何百、何千と繰り返した動作を、愚直といえる素直さで、無感動に。
しかし感情はなくてはならない。
怒りは静かに深く。
恐怖は苛烈に鋭く。
己という存在を定義してゆく。
自分自身という器を満たしてゆく。
それは龍夜をひとつの刃として昇華させるための儀式。
神浄四相流・一伎型 皆伝 東雲龍夜。
推参。
轟、と荒れ狂う風のただ中を龍の顎が食いちぎるように、黒い陰をより黒い影が次々に葬る。
携えるのは暗い洞窟の闇の中にあってさえ白く輝く一筋の刃。
ただでさえ光のない洞窟の中での全力疾走及び三次元空間を生かした立体的な機動を当然のようにこなすその姿は、後ろから付いていっているふたりに驚きを通り越して呆れをもたらした。
「なんていうか、まあ、爽快な光景ではあるね」
「非常識って言うんじゃないの、こういうのは」
三人がレギオンの気配を追って踏み入ったのは、洞窟をそのまま防空壕として改造したものだった。入り口は隠され、腐食した木の扉が申し訳程度に残っていた。
幅と高さは人間二人がなんとか並んで通ることが出来る程度の広さしかなく、全力疾走ができるようなものでもない。
しかしそれはすぐに終わった。
いや、終わらなかったというべきか。
洞窟は、奥に十メートルほど進んだところで、その姿を大きく変えた。
幅は三人が並んで歩くには充分な余裕があり、また、高さも五メートル近くある。
道は急な下り坂が続いており、ひたすらに地の底へと三人を誘う。
その奥底から、無限を思わせる数で溢れ出てくる、レギオン。
それらを例外なくなぎ払いながら三人は進んできたのだ。
龍夜は変幻自在かつ追従不可能の剣技をもって、レギオンの中央を貫き、食い荒らす。
芳鈴が鈴を振ると、音の代わりに光の粒子が広がり、レギオンを貫く。
そして勢いをなくしたレギオンを雪杜が維持する風の術式が捻じ切り、壁に叩きつける。
洞窟に入って十数分で、既に百を超えるレギオンを葬った。
にもかかわらず、黒の波濤はとどまることを知らない。
終わりさえ見えない。
果たして三人はどこまで地下深くを行けばよいのか――誰も何もわからない。
「体力、精霊、どちらも温存したいところでは、あるんだけどね……!!」
その余裕がない。
討ち漏らしが街に出て人間に憑いてしまえば、また別の脅威が生まれる。
一体ならまだしも、十二十ともなれば今後何が起こるかわからない。
「まったく、難儀な状況だよ、これは」
「うっさいわねそんなのあたしだって一緒なんだから愚痴こぼさないでよ! 気が散る!!」
芳鈴の表情には余裕がない。
龍夜はともかくとして芳鈴と雪杜の命を守っているのは彼女の術式なのだ。プレッシャーに押しつぶされることはない。責任感の強さはそのまま力になる。が、同時に精神力を鑢のように削ってゆく。
――長くは持たない。
後衛二人は、既にそのことを悟っている。
無論、龍夜もそれは同じ意見だ。
戦場によって運用できなくなるような軟弱な剣術でも惰弱な鍛え方でもない。けれど、疲労のたまり方は違ってくる。
平面方向だけでなく立体的な機動はむしろ龍夜の得意とするところではあるが、当然限界は近くなる。
さらにここしばらくの戦いで体に蓄積された疲労は確実にその身を蝕んでいる。
つまりは。
「くっそやっべえ限界だってのおい!!」
『落ち着けバカ』
天井を足場に横へ飛ぶ。すれ違いざまに三体のレギオンを連続で切り裂いた。その反動を利用して背中から壁に着地、そのまま床に下りる。
待ち構えるレギオンが首を伸ばすが、額を軽く切りつけて軌道を逸らす。がら空きになった首を柄頭で粉砕し、そのままの勢いで刀を返し、奥にいるレギオンを両断した。
「<天使級>、<天使級>、<天使級>――って事は、いるのは最高でも<能天使級>か?」
「いや、それにしちゃあ数が多すぎる。とはいえ、それ以上の階級のレギオンがいるなら<大天使級>以上が出てこないのは、おかしいんだがな……」
ある程度以上のレギオンは自身の核を劣化コピーして下級のレギオンを生み出すことが出来る。というか勝手に生まれてくる。生まれてくるレギオンの数と階級は親レギオンの階級に比例し<能天使級>以下ならば<大天使級>が発生することはない。
という事はある奥に座して待つであろうレギオンの階級が限られてくる、のだが。
それにしては数が多すぎる。これだけの数のレギオンを配下として持つならどれだけ低く見ても<主天使級>がいるはず。
「まあ、たどり着いてから考えればいいだろ。今はひとまず」
『ここを切り抜けること、だな――っと、俺はそろそろ黙るぜ』
その言葉通り、サマエルの声と気配がすうっと消える。龍夜の中奥深くに。
雪杜たちとの距離が詰まったためだ。どうやら足を緩めすぎたらしい。
サマエルの存在を知っているのはこの世でも数名。しかも、それは龍夜が教えたのではなく、最初から知っていたものばかりだ。
一伎型の存在を隠すのは好奇の目で見られるからであり、それを疎ましく思うからだが、サマエルの存在を知られることは命の危険さえ伴う。
それぐらい、その存在は秘されてなくてはならないものなのだ。
「やあ、東雲。そろそろ限界かい?」
「とっくに。まあやりくりが出来ないわけでもない。最悪、鎧を出せばいいしな」
「それで安全なのは君だけなんだけどね。まあいい。それで、どうする?」
辺りを見回すと、ひとまず見当たる範囲に敵はない。
見回す、とはいうが、光源は雪杜が維持している小さな光の術式のみ。その光も弱々しい。エコである。
そのため、基本的には自分の感覚で探ることになる。術式で探そうにも、洞窟内にレギオンの存在がうっすらと充満しているため使い物にならない。
「方針を変えよう。一気に奥まで行く」
「途中に出てくる連中に討ち漏らしが出ると思うけど?」
「ここに内向きに結界を張る。外からは入れて中からは出られないようにしていれば問題はない。持続時間も短めに設定すれば力もそれほど使わなくて済むだろ」
「ふむ、なるほど」
顎に拳をあてながら首肯する雪杜。
持続時間が必要ないのは長時間戦う力が残っていないからだ。それが必要即ち、自分達が死んでいる、という事を意味する。
むしろその時のために結界を強く張るべきでは、という意見はこの場では通らない。ここでそれだけの力を使おうものなら奥にたどりつくことさえ出来なくなるかもしれないのだから。
「先頭は俺が走る。葛籠は俺に風の術式を付けてくれ。で、お前らは自分のペースでついて来い。通り道は開けておく」
「それで、奥についた途端にあんたの死体が出迎える、なんてことにはならないでしょうね?」
「安心しろ。奥に着いたらすぐに鎧を着装する。とはいえ、相手の位階によっては瞬きするまもなく殺される事もあるだろうからなるべく早く来いよ」
その、龍夜の言葉に。
雪杜は僅かも顔色を変えず。だからその場で正常な反応を持ちえたたった一人は、奥歯をぎり、とかみ締めるだけだった。
バカにはバカの論法があり、正論が通じない。
決して低くはない己の死の可能性を提示しておきながら『安心しろ』とのたまうバカは薬をつけようが殺して生き返らせようが意味がない。
それでいて、本気で龍夜は後衛二人を生かすつもりなのだ。
「ま、いいわ。出来うる限り急いであげるから、死ぬんじゃないわよ」
「ああ――じゃあ葛籠、頼む」
「わかった。術式の組み合わせは――そうだね、これで。
精霊符――爛華・白虎咆哮融合――白華爛哮」
二枚の術符を同時に起動――効果を融合させる。
雪杜の符に込められた術式は、単体でも発動可能かつ充分な威力を持つが、同時に特異な性質を持っていた。
発動させる符の術式を、つなげることが出来るのだ。まるでパズルのピースのようにかみ合う部分があり、それをつなげることで新たな術式とする。
非常に珍しい上に難易度の高い技術である術式の融合。それを、手軽に行うことが出来る技術だった。
問題点としては使うことができるのが雪杜しかいない、というところか。もっとも、応用はいくらでも利く技術である。
発動した術式はそれぞれ乱舞と狂風。
それらが融合し、龍夜の周囲で轟々とうねりを上げて風が荒れ狂う。その風圧に、雪杜と芳鈴は距離を取る。
それらを見やり。
「じゃ」
と、僅かな声を残して駆け出した。
纏う風さえ置き去りにするような勢いで、あっという間に光の届く範囲から出る。
黒く塗りつぶされる視界が闇に慣れるのを待たず駆け抜ける。
足を止めないまま刀を抜き、右手を引いて突きの形を取り、気を引き絞る。風が咆哮を上げて狂い、精霊が巻き込まれて光の粒子が弾丸のような速度でばらまかれる。
「神浄四相流・一伎型――獅子爪躯」
獅子爪躯。
気を受けた刃を大地に打ち付け駆け抜け、抉り削った礫を壁にする突進技。
刃に込めた気が連続して爆発を起こし、その勢いで砂礫を巻き上げるため、込める気の量、瞬間の爆発力、及び脚力で威力が大きく変化する。
さらに巻き上げた砂礫は白華爛哮により縦横に駆け巡り、加速し続ける。
猛風と礫の牙が、レギオンの軍団と正面から衝突――吹き飛ばした。
レギオン達の黒い壁の中央を凄まじい勢いで喰い荒らす。
荒れ狂う暴風がレギオンに直立を許さず、飲み込み、壁に叩きつける。
風をくぐり抜けても、その先には亜音速にまで加速した礫が蛇のようにのたうち回っている。
その砂礫の壁を乗り越えても、龍夜の周りは気の爆発の余波で間断なく空間が斬り裂かれ続けているのだ。
突進する姿そのものが触れれば切れる獅子の爪。
限られた空間であればこそ、その真価が最大限にまで発揮される剣技である。
風が嬲り、ぐちゃぐちゃに全身をねじ曲げ。
砂礫が突き刺さり、衝撃が無数の穴を明け。
爆発の衝撃が微塵に切り裂き、灰燼に帰す。
「跳弾に気を使わなくていいから楽だな。今度からは風の術式も併用するか」
そんな地獄絵図の中心を全力疾走している本人は、のんきな感想を述べていた。
『半端な風じゃあ意味ないと思うがな。しかしまあ、見事な術式だ。
威力、持続力、運用するために必要な精霊、どれをとっても申し分ない。しかも他の術式との融合を前提としているから構成にいくらかの遊びがある。それが柔軟性を持たせているんだな。
ふむ。なるほど、こいつは一級品だ』
相棒は、なにやら感心していた。
「やりあうとすれば、勝てるか?」
あまつさえ、本気で殺し合いの事を考え始めていた。
『お前が剣士、やつが術者であると考えたとき、その状況で変わってくるだろうな。ただ、お前がそうであるようにあいつも隠し玉をまだ何か持っているはずだし、まあ五分五分って所だろ』
そして冷静かつ正確に分析していた。
「五分か。やりたくねえな……」
二度に一度死ぬ勝負は特攻と変わらない。
そう遠くない未来を思い、溜息が漏れた。
当然その間も彼の周囲では地獄絵図が変わらず秒刻みで更新され続けているわけだが、まあわざわざ表現するほどのことでもない。
そうして一キロ弱走り続け、いくつかの群れを続けて突き抜けたその先。
「マズっ!!」
刀を突き立てて両足を前に突き出し、勢いを無理矢理殺す。
ガリガリと足元の岩盤を削りながらようやく静止したその場所は、ギリギリの場所だった。
つまさきほんの数センチの場所に、黒いものが張り付いていた。
びくん、びくんと脈動するそれの表面には葉の表面のように細い管が浮き出ていた。
その先は、明るかった。
少なくとも、これまで直進してきた道よりは、遥かに。
「月光……か。山の斜面に穴が開いているのか? 危ないな……」
顔をしかめ、刀を納める。
言葉のとおり、その先の空間には白い光が差していた。
頭上の空間にいくつか亀裂が入っており、どうやらそこから月光が差し込んでいるようだ。
これまで通ってきた道よりもなお広い半球状の空間。小さな体育館程度の広さはあるだろう。
空間の高さは約二十メートル。龍夜のたつ横穴は床から高さ二メートル程度の位置にあった。
軽く壁面に触れてみる。
先程までとはうって変わり、きれいに均されている。明らかに何者かの手が加わった形跡があった。まずもって防空壕を作った人間によるものではないだろうし、初めからあった空間でもないだろう。
さて一体これはどういう事か、と考えたところで、視界の端で何かがうごめいた。
身を屈めて壁に背を寄せる。
意識を半分沈め、空間に解き放つ。知覚を網の目のように広げ、空間に何があるのかを把握しようとして。
「……いや、おい、待て」
己の知覚に触れる物の全体像を、ゆっくりと把握してゆく。
それは。
想像もしていなかったものだった。
「網の目のように広がった<大天使級>レギオンだと……?!」
地下の空間を埋め尽くしていたのは、網のように広がった<大天使級>のレギオンだった。そして、その網の目から次々に<天使級>が生まれてきているのだ。
「馬鹿な……<大天使級>から<天使級>が沸いてくるなんざ聞いたことねえぞ」
『はあん、なるほど。どうもこの空間を作ったヤツは、この大天使級を運用するために、地上であんなことをしていたワケか。
意味不明だな。何がやりてぇんだ、アレックス・キング』
「正直死ぬ覚悟だったんだがなー……つうかやり辛いな。<大天使級>のくせに人型保っていないってのは。どれだけぶった斬れば討伐できると思う?」
『さてな。素直に核を探したほうが無難って気もするが、この範囲から探すのは中々骨が折れるぞ』
「だよなあ」
<大天使級>にも一応核は存在するのだが、<権天使級>のそれとは比べ物にならないくらい小さい。さすがの龍夜も、分子サイズのものを正確に斬るのは骨が折れる。
ともあれ。
「やるか」
露払いをすると宣言した以上、やるしかないだろう。
それに、相手が何かしら隠し玉を用意していないとも限らない。
気を引き締めて、刀に手を添える。
一度、己の踏み入る世界を睥睨し。ゆっくりと目を閉じ、深く息を吸う。
「東雲龍夜――いや、篠中龍夜、参る」
誰に名乗ったわけでもない。
故に、その名は効果を表さないが。
己の心に楔を打ち込む事はできる。
ざり、と地を強く踏みしめ。
――――飛び出した。
灯駈は軽いランニングで、洞窟を進んでいた。
その顔色は悪い。
「……ああ、駄目だ。思い出しちゃったよ」
それでも、足は止めない。
廃村に広がっていた、無残な元・人間の姿。
正視に耐えないその光景を、無理に意識の外に追いやってどうにかレギオンの気配を追ってきたものの、気分はすこぶる悪かった。
あの森の光景といい、今日のこれといい、最近の自分はグロに縁があるらしい。厄介な話だと呼吸を深くする。
洞窟の中の空気は冷えており、多少の息苦しさはあるものの難があるという程でもない。
暗闇にどうにか視界は慣れてきてはいたが視界が悪いことに変わりはなく。故に、逸る気持ちを押さえての進行となっていた。
正直最初は本当にこの奥に何かがあるのか、自分の感覚を疑ったりはしたものの、その疑いはすぐに晴れた。
再び現れたそれを前に、彼女は足を止めた。
「また、戦闘の跡ね」
進んでいる途中で、ごまかしようのない戦闘の跡が残っているのだ。
その破壊はやりすぎ、の言葉で十分に説明ができるものばかりだった。
破壊は床のみならず壁、天井にまで及んでおり、その種類も様々だ。殴打、斬撃、炎、冷気等々。一体何をどうすればこんな痕跡の残る戦いになるのか、彼女の常識の中ではちょっと思い至らない。
とはいえ、既に非常式な存在は目にした上になぜか当然のように撃破しているので、まあそんなこともあるのかも、位の受け入れ方はしていた。投げやりともいう。
「……本格的に何者なのかしら、あの東雲って男は」
さらに言えば、足跡を見るに仲間が二人いるらしい。
進行速度がひとりだけ突出しているのが謎だが、まあそういう布陣なのだろう。
前で彼らが戦ってくれているおかげで自分がこうして安全に奥に進んでいるのだと思うと若干の後暗さはあるが。
「まあ、全部は追いついてから、よね」
気をとりなおして歩みを再開する。
彼女は気づいていない。
暗闇に目が慣れた程度でどうにかなる暗さではないことも、それを超越した暗視能力を己が発揮していることも。
足元の覚束無い、足場の不安定な急な坂道を、当たり前のように進めている自分の歩行能力も。
レギオンの存在がないことを、当然のように認識している自分の知覚能力も。
神浄四相流・四条式。
彼女はまだその意味を、知らない。
状況は単純ですが敵が厄介です。
厄介すぎてどうやって倒したもんかと。