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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
17/28

執念・群がる(前)



 02 - 11a:執念・群がる(前)





 夕食は多めに、いつもより贅沢にしておいた。

 最後の晩餐にするつもりなど当然ない。モチベーションを上げるためだ。食事と活力は切っても切り離せない関係にある。

 もっとも、今夜も<天使級>の群れに襲われることを考えて腹八分で収めておいたが。

 食事が終わってからはファミレスで時間が経つのを待つ。時間が過ぎるのを待つだけなら教会でもいいはずなのだが、あそこは術式が癇に障る。

 龍夜は人よりも術式や精霊の動きに対して感覚が鋭敏であるため、精神の休養という意味ではあまりふさわしくないのだ。

 そうして時間を潰してからファミレスを後にした。

 陽は沈んでいるがレギオンが活性化する時間まではまだ時間がある。一度教会に戻り、術式などの準備をしていればいい時間になるだろう。

 今夜と明日への備えもそうだが、雪杜にどう伝えるかも問題だ。

 戦況としては既に詰み。明日討伐にかかるにしても敗色濃厚。そんな戦いに、その場限りの協力者を巻き込むのはさすがに良心が痛む。

 とはいえうまく討伐できるにせよそうでないにせよ雪杜の手を借りずにいることはできない以上、どこかで関わってもらう必要はあるだろう。

「とはいえ、難しい状況だな。

 完全に巻き込んだほうが俺としては助かるが、あいつにそこまで付き合う義理はないからな。俺が負けた場合はあいつ一人でやるのかそれともさっさと逃げるか……普通に考えれば後者なんだけどな」

 なんとなく。

 彼の様子を観察していると、前者の行動を取る気がしなくもない。

 そうなると、龍夜の負債をすべて回すことになる。

 それはどうにも、後味が悪い。

「結局、勝たなきゃ何かしらしこりは残るってわけか。当然だが」

 敗北から得るものなど何も無い。少なくとも龍夜は実践において『敗北』したことはかつて一度もない。故に知らない、と言うべきだろうか。

 もっとも負けたことがない訳ではない。この場合の『敗北』とは、決定的徹底的に、立ち上がる意志も力も砕かれることを言う。そしてそうなった場合龍夜は間違い無く死ぬ。騎士団や各組織ならばフォロー役の仲間がいるだろうが、そんなものがいた事のない龍夜はひとりで勝手に死ぬより他はない。


 そう思っていた。


 今回はそうは行かない。

 龍夜の死は同時に雪杜の死の可能性を跳ね上げ、それはこの街全体の危険度も一気に上昇することを意味する。

 これまで、独りか、あるいは集団の中の一人として、後ろから付いていくか。そんな戦いばかりだった。

 独りの戦いの時はそうせざるを得ない理由があったし、集団の中の一人であれば自分ひとりが戦況に大きく係わるつもりもなかった。

 今度の戦いは、龍夜がすぐにでも対処せねばならない問題であり、同時に独りではない。

 そして、依頼で動いて入るものの協力者自体は龍夜自身の状況から生まれたものであり、そして龍夜が前に立つべき状況。

 すべてが、これまでにない立場を龍夜に要求していた。


「面倒……は、面倒だけど、それ以上に、怖いな、コレは」

『くくく……。覚えておけよ、龍夜。それが他人を背負う本来の責任って奴だ。

 自分ひとりの時には感じられない恐怖ってヤツだ。

 テメェの父母姉全員縁のない感情だったが……まあ、お前はそうでもねーみたいだな。いやいや、安心したぜ?』

「責任、ね」

『そーだよ。まあ、一族全員ぶっ壊れだから仕方ねーにしても、それでもそれぞれにある種の責任を持って個体として戦ってたんだぜ?

 けどその辺、お前は最初から覚悟だけが決まってたせいでなおざりになってたんだよな。

 ようく、知っておけ龍夜。例え明日死ぬとしても今のお前よりせめてひとつくらい成長して死んどけ。でねーと俺の寝覚めが悪いからな』

「まあ確かに、順番としては逆か」


 死の覚悟が常にあるから、その先にあるものを感じ取れない。

 本当は原因となる事象が存在してから、死の覚悟を固めるべきなのに。

 自分ひとりでは終わらない恐怖。

 本来なら最初から知っておくべき現実。

 ある意味、現実を、事実を見過ぎていたがために見過ごしていた真実。


 自分が、死ぬことで。

 自分以外の誰かが死に。

 その誰かが救うはずだった人々まで殺してしまう。


 ただそれだけのことを、ほんの少しながら、龍夜は理解しはじめていた。





 灯駈にその電話がかかってきたのは、夜も更けてきてから。二十時を周り、明日の休日をどう過ごすかを考えていた頃だった。

 相手は、智晴の母親。

 要件は、智晴の行方。

 ふたりきりの家族の湊母娘はまるで姉妹のような仲の良さで、智晴はそんな母親に心配をかけることを特に嫌う。だったら趣味をどうにかしろとは思うもののそれはそれ、これはこれ、らしい。

 話によると、いつも遅くなるときは事前に連絡をよこすのにそれがないのだという。

 携帯に幾度もかけているが、電波が届かないか電源が入っていないというお決まりの声が帰ってくるだけ。

 こんな事は初めてで、何かあったのではないか、と。

 そして、灯駈なら何か知っているのではないか、と。

「だから気を付けろってあれほど言ったのに……!」

 服装をパジャマからハーフパンツとシャツにに着替えパーカーを羽織って家を出たのはその連絡を受けてすぐだ。

 ひとまず智晴の母には、心当たりを当たってみることを伝えた。

 心当たりとは当然、あの教会だ。

 昼休みにアレックス・キング氏についての話を聞いた。そのあとで、念のため顔を出してみると言っていた。

「あああもう、付いていけばよかったかなぁ……っ!!」

 完全に油断していた灯駈だが、さすがにここで彼女に保護責任を求めるのは無理があるだろう。だが、常々智晴の身辺に気を配っていた――というか配らざるを得なかった彼女は、自分の油断がこの状態を招いたと責任を感じていた。

 智晴がそうそう危険の一線を踏み越えるような事はないとは知っているものの、油断する必要のない場所で襲ってくる災難だって当然ある。

「お願いだから教会にいてよ、智晴……」

 奥歯を噛み締める。

「マザコンのくせに、母親に心配かけてんじゃないわよ」

 場合によっては、あのいけ好かない男に助力を求めることも視野に入れながら。 



 最悪。

 それが灯駈の龍夜への第一印象だった。

 何が悪いのか、自分でもわからない。

 顔はまあ、悪くない。

 服装も黒ずくめという不審者も裸足で逃げ出すような格好であることを除けば、清潔だったし印象は悪くない。

 体つきや、足の運びにブレがないことから、相当鍛え抜いているであろうことも見て取れた。

 鋭すぎる眼光は泣いている子どもも謝り倒すレベルだろうが、態度は乱雑だが横暴という訳でもないので会話していての全体の印象はイーブンといったところか。

 で、あるにもかかわらず。

 これでもかと言わんばかりに、龍夜への拒否感が次から次へと沸き上がってきた。

 どうやら龍夜がこちらへ抱いた印象も似たようなものであることも感じ取れた。

 故に、最悪。

 互いの存在が互いを拒絶しストレスの元になるのだから、そうとしか言い表しようがない。


 けれど同時に。


 あの男の手を借りなければならない。そんな予感――あるいは確信をいだいて。

 灯駈はひたすら、教会へと走った。



 途中で力尽きてタクシーを拾って、少なくない金額を払って教会前で降りる。

「あとで絶対に払ってもらうからね、智晴……!!」

 灯駈の前にはそびえるように建つ教会。夜闇に浮かぶシルエットは、どことなく不吉を感じさせる。

 周囲に建物も存在しないため、余計に暗く感じる。

 嫌な予感を振り払うように、走る。

 教会の扉を叩くが、反応はない。

「……いないのかしら」

 無駄足だったか。

 せめて智晴がここへ来たことだけでも確認が取れればよかったのだが。

 そんな事を考えながら、今度は裏へと回る。

 そちらにも出入口があることは、智晴に聞かされて把握していた。世の中何が役に立つかわからないと苦笑を浮かべる。

「さて。誰かいませんか、と」

 数度、扉を叩く。

 返事はない。

 そもそも明かりも、人の気配もない。龍夜もいないのか、いても気配を隠しているのか。

「いえ……何でも疑ってちゃキリがないわ。ああもう、でもこれで手がかりなくなっちゃったじゃない……!」

 焦りに急き立てられる自分を必死で抑えながら、次はどうするべきか考える。

 しかし考えても手は浮かばない。そもそも彼女はどこにでもいる普通の女子高生に過ぎないのだ。智晴のように失せ物探しを片手間に片付けられる方が珍しいのだ。

「……ああもう、しょうがないわね」

 携帯電話を取り出し、家に電話して皆の助力を求めようと考えた。

 が。

 なぜかふと、思った。

 もしかしたら今、智晴の携帯にかけたら繋がるのではないか、と。

 なぜそんなことを思ったのか、自分でもわからないけれど。


 指は疑問を無視して。


 あまりにも慣れた操作で。


 もう何度呼び出したのかわからない番号をアドレス帳から呼び出し。


――呼び出し音。


 そして。





 なぜにこれほどまでに居心地が悪い空間が生まれてしまったのか。

 龍夜は、きりきりと胃を締め上げるプレッシャーに叫んで暴れたいという訳の分からない衝動をどうにか押さえ込んでいた。

 ちなみに、同じプレッシャーを受けているはずの雪杜はなぜか涼しい顔。こいつ脳みそちゃんと入ってんだろうかと本気で疑う。

 そして二人の少し後ろには、プレッシャーの根源がついてきていた。

 芳鈴である。

 凄まじく不機嫌である。不満を隠す様子などさらさらなく、むしろ『はいはいあんたらあたしもう腹立しいことこの上ねーんですけど理解してますかー?』という内心をこれでもかとアピールしている。

 話の流れは単純である。


 龍夜が事情を馬鹿正直に雪杜に話す。

 雪杜、さすがにそいつはヤバいと自分の目で見て調査することを申し出る。

 装備を整えるために一度家に戻る。

 もどってきたらおまけ付き。

 そしておまけが超キレてる。


 龍夜としてはワケがわからない。雪杜を睨むがそちらも困った顔を返すのみ。

 それも当然。雪杜自身もまさか芳鈴が付いてくるなど思っていなかったのだから。彼女の役目はあくまで監視であり保護ではない。彼女が守らなくてはならないのは雪杜自身ではなく、雪杜の生み出した研究結果のみだ。

 雪杜が龍夜とレギオンの討伐をしていることは既に伝えていたし、状況も報告していた。その能力を駆使して二人にそれとわからないように常に監視もしていただろう。

 だから、今回も監視するのみだと、そう考えていた。

 まさか装備を整えるために戻った際に、一応と事情を伝えたとたん凄まじい勢いで怒りを爆発させるとは思っていなかったのだ。

 こうして、男ふたりは互いに意味不明のプレッシャーに身を晒されながら山道を歩いていた。



 三人がその場所に着いたのは、すっかり日も落ちた時間。

 時刻は既に八時を大きく回っていた。

 結界を見た雪杜は、なるほどと呟いてしげしげとそれを観察する。

「確かに悪質だね。いや、いっそ偏執的といった方がいいのかな」

「偏執って……何に対してだ?」

「さあ? でもこの結界からはある種の意志が見える。強烈なまでの『他者の排除』という意志がね。よほど周りが嫌いなのか憎いのか……僕もまあ人のことをとやかく言える立場ではないけれど、この結界を作った人とは仲良くなれそうにないね」

 その声に呆れの成分が多く含まれていたのは、おそらく気のせいではないだろう。

 しかし。

「そうか? お前は割と普通に日常に溶け込んでるように見えるが」

「君から見たら誰だってそうだろうに」

 よりにもよって術式症候群相手に言われた龍夜がこっそり心理的ダメージを負う。

「というかまあ、僕はマシになった口だからね。以前の僕はきっと君以上に日常に溶け込んでいなかったし、たぶん、そういうのが嫌いだったよ」

「はぁん」

 なんと返事をしたものか悩み、結局よくわからない音を返した。

 そんな二人をみて。

 芳鈴は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「で、実際に要望に応えて現場に連れてきたわけだが。どうするんだ、お前」

「さて、どうしようか。僕にも一応事情がある以上、この街から離れるわけにもいかないし。となると、こんな結界があるのは非常に心の健康によろしくない。

 ま、君に協力するよ」

「そーかい」

 軽く視線をかわす。

 雪杜の言葉に嘘はない。しかし全てではない。

 そもそも同行中に幾度と無く殺気を飛ばすような相手が、そんなまともな理由だけでつきまとうはずもないだろう。

 龍夜にはその目的は見えないが。

 おそらく最初から、口にだすものとは別の目的を持って、雪杜は自分と行動を共にしている。

(面倒ではあるが、まあ、いつもの事か)

 おそらく気にしても無駄。追求したところで素直に話すとは思えないし、逆に素直に話されたらそれは薮蛇だ。基本的に、こちらに事情を明かすのは相手がいろいろな意味で覚悟を決めている場合なのだから。

 だから、その時までは放置する。

 あるいはそれがその場しのぎに過ぎず、いずれ取り返しのつかない結果を招くことになろうとも。


 今死ななければ、それでいい。


 投げやりでも捨て鉢でもなく、状況が許さないから火種を抱え続ける。その果ての、余りにも退廃した思考回路。

 サマエルがどこで教育を間違えたか、と頭を悩ませる龍夜の性質である。



 さてこれからどうするか。

 三人で顔を付き合わせて考える。

 龍夜が主張する明日の日の高い時間からの襲撃だが、これに待ったをかけたのは雪杜。

 今回レギオンが巣食うのがまるで日の届かない地下であるなら、明日の昼だろうが夜だろうが条件は変わらない。レギオンの動きを鈍らせるのは時間ではなくあくまで陽光であるからだ。

 続いて主張したのは、これまで黙りこくっていた芳鈴。

 無数の罵倒の言葉に埋め尽くされていたが、要約するとお前ひとりで勝手に突っ込んで勝手に死ね、ということだった。雪杜まで命をかける理由はない、さっさと安全な場所まで逃げて騎士団なりどこかの組織集団なりに連絡を入れるのが筋だ、と。

 それには残る二人も同意した。したのだが。


「「時間がなさすぎる」」


 その一言で却下。

 あれだけの数の<天使級>を一晩でも放置しようものなら、どれだけの数の<大天使級>素体が出来上がるのか想像もつかない。

 体内に巣食ったレギオンが全て<大天使級>へと至るわけではないが、母数が大きくなれば発生の可能性は当然上がる。そしてごく最近の例外を除いてレギオンの成長速度は似通っている。つまり、最悪の場合複数の<大天使級>が局所的に同時に発生することになる。そうなれば、この街はあっという間に地獄と化すだろう。

 結局今出るか、明日出るかの違いでしかない。

 そうなると、様子見程度の装備の今挑むのは得策ではないだろう。その上時間的にはそろそろレギオンが最も活性化する時間。装備を整えに戻る時間もない。

 一度退いて、明日出直す。

 その方向で全員の意見が――約一名不満いっぱいの人間がいるにはいたが、ようやくまとまろうとしていた頃。


「……ねえ、なに、あれ?」


 結界の向こうに視線を向けていた芳鈴がそれに気づいた。その視線の先を追うと、確かに、草むらの奥で何かがチカチカと光っている。

 月明かりも届かない上に草に覆われているためその正体は判然としないが、規則的な点滅は人工物である証拠だろう。

 と。


「っ!!」

「ちょっ、」

「何を?!」


 驚愕を背後に、刀を竹刀袋から取り出し腰に差す龍夜。集中を高め、体内の気の循環を爆発的に増幅させる。

 空気の流れさえも眼球で捉えんと、瞬きひとつせず光点を見つめ――――。


 腰が僅かに落ち、風を斬り裂く鋭さで。

 鋭い呼吸と共に、白刃が煌く。

 一筋の光が刹那走り抜け。


 結界を、斬り裂いた。


 雪杜も、芳鈴も、その光景をしっかりと見ていた(・・・・)。

 術師である彼らは一般人よりもはるかに精霊や術式を捉える霊的視力に優れている。故に、物理的な要因ではない変化も、少し目を凝らせば見ることが可能なのだ。


 その視界において。


 龍夜は、一切の術式も気の発揮もなく、攻撃結界のみ(・・)を斬り裂いてみせたのだ。


「――――は、ははは」

「ぇー…………」


 あまりの非常識に二人揃って顔をひきつらせる。

 一方の龍夜は、さっさと光源に向かっていた。座り込み、それを手に取る。

 それを見た芳鈴が声を漏らす。

「携帯電話……え?」

 芳鈴も気づいた。その矛盾に。

 携帯電話が落ちていたのは攻撃結界の向こう側。

 触れた物全てを砕く結界の内側だ。

 人間が入れない場所に、なぜ人間が持ち込まなければ存在しないはずのものが落ちているのか。

「え……ちょっと、これって、一体――うひゃぁっ?!」

 龍夜の手の中で携帯電話が震え、音を立てる。着信だ。着信音は場にそぐわない可愛らしい曲調だった。

 三人、顔を見合わせる。

 出るべきか、無視するべきか。

「出てみよう。もしかしたら、僕らの知らない間に被害者が出ているかもしれない」

 レギオン相手に想定通りに進むと考えるほうが間違っている。この場は、何者かが結界内に侵入したと考えるのが妥当。

 そうなったとき、その人物が被害者なのか、あるいは目的を持った第三者なのか。いずれにせよ、電話にでることで情報を手に入れられる可能性は、高い。

 雪杜の提案に、乗る。

 折りたたみ式のそれを開き、耳に当てながら通話ボタンを押す。


――不覚にも、送信者名を確認もせずに。


 否。あるいはそれが、東雲龍夜の名を聞いた彼女の運命が引き寄せた必然だったのかもしれない。


 故に。

「「もしもし」」

 声が重なり。


「「………………」」

 沈黙が連なり。


「「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ?!」」

 驚愕が連続したのも、当然の結末といえた。


 なんでだ。

 なんで。

「お前……四条式かっ?!」

『そういうあんたその声は東雲龍夜っ!!』

 互いに大音量を出したせいで、その会話は残る二人にも全て聞こえていた。双方、やっちまったという表情だ。

 いくらなんでもここでこの人選は、ババを引いたに等しい。

「何でお前がこの電話に……」

『それはこっちのセリフよ! あなた、智晴を何処へやったの?!』

 その言葉に。

 龍夜の顔から感情が抜け落ちる。頭が冷え、思考が加速する。

「この電話は、湊のものなのか?」

『はあ? そんなの、当たり前じゃないの!』

 以前会ったときよりも敵意が剥き出しなのには気づいたが、気にかけるほどのことでもない。

「いや、待て。俺も今この電話を拾ったばかりなんだ。事情がよくわからない」

『拾ったって……だって、ずっと繋がらなかったはずなのよ。それが急に繋がるようになったなんておかしいわ』

 ずっと繋がらなかった。

 それは結界の効力によるものだろう。その結界を断ち切ったことで、携帯が外界と繋がるようになったのか。

 なんというタイミングの良さ。いや、悪さか。

 しかし。

「湊は今日、どこで、何をしていたのかわからないか?」

『……本当に、何も知らないの?』

「ああ」

 龍夜の答えに返ってきたのは沈黙。

 電話の向こうで考えている彼女の姿が思い浮かぶ。

『智晴は、教会に行ったはずよ。学校が終わって、一緒に少し話した後だから――たぶん、夕方の五時にはなってないと思うけれど』

 その時間は――龍夜は、食事をとりに外に出ていた時間だ。

 戻ったのは六時過ぎ。それから雪杜と会って話をし、雪杜はそのまま装備を整えに一旦戻った。そうして、山の麓で待ち合わせをして現在に至る。

 その間、当然ながら智晴は見ていない。つまりおよそ四時間、彼女の消息は不明ということになる。

 普通ならば多少慌て過ぎかと思うが、こんな場所に携帯電話が落ちていたことはそれが杞憂ではないことを証明する。

 しかし。

「……一体、何がどうなっていやがる」

 智晴がどうやって結界を通過したのか。

 教会に行っているはずの彼女がなぜ山へ来たのか。

 現状では何一つ判断できない。できないが、良くない方向へ事態が進んでいることだけは確かだった。


 ひとつ年下の、快活な少女の笑顔を思い出す。

 一筋縄では行かない、なかなかに食えないところはあるが、それもひとえに自分の師を――アレックス・キングを思ってのことだろう。

 彼女が巻き込まれる謂われはないはずであったし。


 なによりもそれは、ルール違反だ。


 眉間に皺を寄せ奥歯を噛み締める。


 生ぬるい風が吹き抜け、木々を揺らした。


『ちょっと、黙っていないでなにか言ってよ。ていうか今何処にいるの? 今からいくから、とにかく場所を教えて!』

「……今いるのは、繁華街の脇道に入ったところだ。二丁目のバス停の前にパチンコ屋があるな? その右手の小さな路地を入って、二つ目の角を右に入ったところ。とりあえず、パチンコ屋の前にいるからそこに来い」

『――――分かったわ。とにかく、あなたは智晴を知らないのね?』

「ああ。俺も驚いているところだ」

『そう。じゃあ、すぐに行くから、待っていなさい』


 その言葉を最後に、通話が切れた。

 龍夜は大きく息を吐く。

「……繁華街の、パチンコ屋」

「路地を入って二つ目の角」

 じとっと。

 薄汚い物を観るような視線が二つ、突き刺さる。

「いや……まさか本当のこと言うわけにもいかんだろ」

「そりゃあそうかも知れないけどさ、よくもまあそんな嘘をペラペラと言えるもんだなって思って。にしても、二丁目のバス停の近くにパチンコ屋なんてあったっけ。あのへん、飲み屋ばかりだったような気がするけど」

「あん? なんだ、二丁目なんてバス停、ほんとうにあるのか」

「は?」

「いや、だから、全部出任せだから」

 徹頭徹尾。

 嘘だった。





 さて、と息をつく暇もなく。

「世の中、便利になったものよね」

 素早く携帯を操作する。

 相手より早く通話を切ったのはそのためなのだから。

 夜の暗闇の中、携帯電話のモニターの光を顔にうけながらアプリを起動、検索。


 世の中には、電話番号を入力することで相手の位置をGPSから検索するサービスが存在する。


 ただし悪用を避けるために相手がこちらに許可を出している必要があるが、灯駈と智晴は互いにこれを利用している。

 お互いによっぽどのことがなければ使わない事は約束するまでもない(だいいち智晴にはこんな機能自体必要になることが稀である)し、事実この機能で灯駈は何度か智晴の危ない場面に駆けつけたこともある。

 当然、相手の電話が通じなければこの機能の使い道はない。ということ今日は活躍の場が与えられなかったのだが。

 相手の電話が生きていることがわかれば話は別だ。

 当たり前の話だが。

 灯駈は龍夜の言葉を信じなかった。

 というか、葉擦れや虫の声が聞こえる繁華街って何処だという話である。


 そうして。


「やっぱり……」


 位置情報を見た灯駈は吐き棄てる。そこに表示された場所は、指定された場所とはまるで真逆の場所だった。

「山の中、ね……いかにもって感じがして、逆に安心出来るのはなんなのかしら」

 こちらを煙にまこうとしたことは腹立たしいが、同時に龍夜が智晴を手にかけた可能性は既に彼女の中にはない。もしそうだとしたら、この時点で灯駈を遠ざけるのは悪手としか言えないだろう。何をしているにせよ、それが法的倫理的に外れた行為ならば隠し通さなくてはならない。そしてそれは灯駈との電話によって既に瓦解している。

 ならば次に打つべきは、灯駈の口封じであるべきだ。

 まあ、智晴が龍夜から逃げている最中で、そちらを追っているという可能性も一瞬思い浮かんだが。

「『あれ』から逃げ切れるとは、さすがに思わないしね」

 あえて龍夜を『あれ』と表する。それだけ、龍夜という存在は得体のしれないものだった。

 龍夜に狙われて五分と逃げ切れる人間は、少なくともこの国の学生でそうはいないだろう。灯駈でさえ難しいかもしれない。

「きっと、本当に偶然、このタイミングで携帯を見つけたってところかしら。なんで山の中に智晴やあいつがいるのかはわからないけど」

 そして。

 きっと。

「……怖い、かな」

 手の震えを自覚し、胸に抱く。

 自分の予想のつかないことが続いている。

 そして予感がある。


 此処から先は、本当に、引き返す道さえ失う道程になる。


 あるいは。

 あの、黒い化物たちが関わっていることを、既に確信している。


 だから。

「嫌だよ……怖いよ……」


 声が震える。

 視界が歪む。


 月明かりの下。

 星明かりの中。



 ゆっくりと。

 足を踏み出す。

 向かう先は、悩むまでもない。


「怖いよ、智晴。あんたを失うのが」



――その恐れは力になる。



 絶望的なまでに話が進まない。

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