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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
15/28

悪意・覗く(前)

分けてみた。


『ありがとう』

 通話の切断はあっけなく味気なく、心と言葉がその場に取り残されたかのようで。

 だから。

「なにが。ありがとうじゃねーってんですよ」

 湿っぽくなった声で、それでも笑って悪態をこぼす。

「まったく、人の気も知らないで何をしてくれてるんですかね、あの人は」

 三奈がいるのは楽園騎士団日本支部ビル。その最上階の展望室だ。

 日本にいる騎士ほぼ全てを管理する組織の総本山であるので高さも必然的に高くなる。街を見下ろすロケーションはなかなか良いはずなのだがどうにも人気が少ないというか人気がないのは、ここにいる人間たちの性質故だろう。地下の訓練場で暴れている方が性に合う人間の多いこと。



 朝。

 姫に龍夜が虚偽報告をしている可能性を告げた後、本来ならば大学へ行くべきところを休んで、とにかくこれまでの報告書を洗いなおした。

 龍夜の提出する定期報告書は基本的にそつがない。フォーマットにそって必要な項目を淡々と埋めている印象だ。

 これが例えばアリカだと、無駄に情報を詰め込みすぎて訳が分からなくなるし、遊乃は最低限すら記入しないスカスカの状態で提出する。大輔は的外れな説明がつらつらと書きこまれているし、工の報告書は大雑把な部分が多い。


 しかしそれはどうしても出てくる『ズレ』であると三奈は考えていた。

 あるいは個性と言い換えてもいい。


 そういった部分を修正し補正するために、彼女たち事務の人間がいるのだ。

 戦う意志と能力を持っている人間はそちらに力を使わせ、机の前に座る時間を可能な限り削る。人員不足の騎士団で効率用隊員を回すためには、どうしてもどこかにシワを寄せなくてはならない。彼女たちはそれを理解しているし、積極的に応援している。

 無論、そういった部分を意識的に少なく作成する者もいる。が、そこには慣れや積み重ねといったものが存在するのが普通だ。姫も、ずいぶんとそつのない報告書を提出するが、それでも『あの年齢にしては』という前提がついての事だ。


 しかし龍夜の報告書にはそれがない。


 徹底的に省かれた無駄。

 簡潔にまとめられた文章。

 時系列の整った経緯。


 はっきり言って、領主たる騎士としての能力が不足している龍夜に、それだけの情報を整理する時間があるわけがないのだ。

 けれど現実に三奈に出てきた報告書は手直しが必要ないほど整ったものだった。

 この不可能を可能にするには?

 最初から答えがあれば良い。

 想定した『結末』に向かって無理のない『設定』を作り上げれば――作り上げたい報告書に必要な事実だけをピックアップしてそれ以外を切り捨てれば、短時間で体裁を整えることができる。

 やり方はコツさえ掴めば誰にでもできる。事実をベースにして、都合の悪い部分を改変すればいい。


 無論問題行動である。


 騎士団に敵対の意志あり、と疑われても仕方のない行動だ。もし敵性存在として認識されようものなら、今後騎士団から積極的に命を狙われることになる。

 龍夜もそれは認識しているだろうし、特定組織に所属することをよしとしない彼にとってそれがどれほど致命的な問題なのか、他ならぬ彼自身が一番よくわかっているだろう。

 そして最後まで隠し通せると思っていたとも思わない。

 自画自賛にもなるが、三奈は自身のある種の能力には自信を持っている。

 情報処理――というより、情報支配と呼ぶべきか。

 電子端末を用いた情報制御において、彼女は異質と呼べる才能を有していた。

「まー、それでこれまでまったく気づけなかったというのも問題といえば問題なんでしょうけど。

 龍夜さんでなければ気づけたんですよ。ええ」

 誰にともなく言い訳をする。


「まったく……本当に、何をするつもりなんでしょうかね、あの人は」


 まさか、まっとうに領主としての責務を代替するだけ、などということはもはやあるまい。

 ましてや行方不明のアレックス・キングの捜索をしてはい終わり、などという結末もあるわけがない。


「おそらく、こちらに報告しようものなら即座に行動を制限せざるを得ない何か、といったところでしょうけど。

 あの人のことだから直接的に被害を振りまくようなことではないでしょう、なんて言っても、まあ大抵の人は信じませんよねー。特に今はタイミングが悪いですし」


 龍夜の問題行動を握りつぶす判断を下したのは、他でもない、姫だ。

 先日の、龍夜に対する根拠のない言いがかりが生まれるような環境でそのような事実をが明るみになれば、下手をすれば私刑に走るような輩がでないとも限らない。

 何が起こるにしても騎士団内部に生まれる動揺は少なくないだろう。それは好ましい事態ではない。

 姫はそう告げた。

 それに。

 龍夜は、その実績故に騎士から特に嫌悪されている。


「忌刈りの黒、だなんて名前、似合う人でもないんですけれど」


 あまりにも扱いづらく、同時に駒としての汎用性の高さ故に重宝される。そして、『棄てた所で誰からも文句はでない』と来た。

 その上仕事もより好みが少ない。

 だからこそ人に疎まれるような仕事を任されてきた、という流れもある。

 結局のところ。

「わたしがどれだけ悩んでも、彼が自分でどうにかなろうって思ってくれないと、どうしようもないんですよね」

 出てきたのは、そんなありきたりな結論だった。





 たまに、昔のことを思い出す。

 そこに周期もきっかけもない以上、本当に何気なく、何の理由もなしに浮かんでくるものなのだろう、と龍夜は考える。

 どうしても血の匂いのつきまとう記憶が多いことには辟易とするが、それでも楽しい記憶はいくらでもある。そういったものが浮かび上がるたびに『ああそろそろ俺死ぬのかな』といった乾いた思考がぷかりと浮かび上がる。

 不治の病に犯されているわけでも致命の傷を負ったわけでもない。

 ただ死というものの存在を、自分の中で当然の流れとして受け入れてしまっているせいだろう。

 なにか特別な経験をしたわけでもない。強いて言うならばその人生を戦いに傾倒させていると言えるが、そのような人間は少なくない。そして、そんな人間が例外なく死への忌避感を忘れて生きている訳ではない。

 己の死という生命であれば忌避すべき空想に、嫌悪も甘美もなく単純な可能性を見出す。

 サマエルが『お前は長生きできない』とする理由であった。

 しかし同時に。


『お前は本当、しぶといよな』


 その声に込められた感情は何だったのか。

 年齢も性別も判然としない不可思議な声だから、その感情も容易には汲み取れない。

 褒めていないことだけは直感的に理解できたが。

 龍夜はその言葉に応えることなく、目の前の虚空を虚ろな目で見ている。その右手の指先は皮膚が裂け、血が滴っている。ちろりと指先を舐めると、若干の熱を持っていた。

 現在龍夜は山の中にあるという廃村を目指して歩いていた。やはりレギオンの気配は感じ無いものの、漫然と探すのと明確な目的意識をもって探すのでは、そこに向けられる意識にも差が生じる。


 漫然と探すのならば、一点に割く注意力は自然低くなる代わりに、広い範囲をカバーすることができる。

 明確な目的を持って探すのであれば、広い範囲はカバーできないが僅かな違和感を察知することができる。

 そして、その違和感に気付くことができたのはまさに後者の意識で探索を行った結果によるものだ。


 探査術式を走らせた際に生じた、僅かな違和感。


 それを追ってやってきた先にあったものは。

「『また』結界……か」

『ああ。それも、迂闊に踏み込めば全身を分子レベルで分解するタイプの、性質の悪いヤツだ。

 人払いの結界も同時に張ってある当たり一般人に対して親切と言えないこともないが……そのせいでこちらの結界に気付くことが困難になっているのは、まあ、狙ってるんだろうな』

「消極的攻撃と積極的殲滅か」

 龍夜の指先を切り裂いた結界は、サマエルの言葉のとおり、物騒な性質を持っていた。

 結界といえば防御のためのものというイメージが強いが、これはもう『一定範囲を囲んで停滞する接触対象を破壊する攻撃術式』とするべき代物に仕上がっている。

「こんな術式、知ってるか?」

『似たヤツは知識としちゃあ知っているが、ここまでの完成度のモンは初見だな。作れと言われれば作れるが、まあ作る意義はとにかく低い。実用性って意味じゃあ最低と言って問題はねーだろ』

『頑丈さ』ではなく『攻撃力』に主眼をおいて作られた結界であるため、ざっと見ただけでもその構成の脆さが判る。正面から精霊術式を撃ちこめば、確実に破壊できるだろう。

 このような結界を使うとすれば近接戦闘だろうが、結界というのは展開に時間がかかり取り回しも悪いため定点設置という用途が基本。使い道としてはせいぜい突進してくる相手に対しての迎撃手段だろうが、攻守が激しく入れ替わるような戦闘でこんなものを展開していたら、下手をすれば自分が消し飛ぶハメになる。

 誰が使うというのだ、こんな危険な術式。

「だよな。けど、そんな術式を作ったヤツがいて、そいつはこの中に何かを隠している。三奈の情報の通りなら、レギオンを囲っている。

 ……気に入らないな。目的は何だ? どんな人間がレギオンを庇うような真似をする?」

 結界の作成者がこの場所を隠したいのは確実だ。

 先述したように結界が二重起動してあるため、攻撃結界の察知が困難になっている。一般人は人払いで遠ざけ、なお近づいてくる――つまり術者などといった種類の人間は攻撃結界で始末する。

 えげつなささえ感じさせる底意地の悪さ。

 見知らぬ何者かに対して容赦なしの殺意を発揮できる、そんな人種のやることだ。


『そういやあお前、手の傷はいいのかよ』

「ああ、このくらいなら別に平気だろ」

 龍夜も、攻撃結界にはギリギリまで気付くことができなかった。すんでのところで違和感に気づいたが、迂闊に右手の指先で結果に触れてしまったために浅くない傷を負った。

 自己治癒力促進の札を指先に巻きつけるが、完治には時間がかかるだろう。

『いや、そっちもそうなんだけどよ。俺が言ってるのは手のひらの方。さっき電話中に爪が食い込んでたろ』

「……ああ」

 左の手のひらには、確かに薄く赤い筋が入っていた。

「まあ、仕方なかろうよ、こいつは」

『はん、仕方ない、ね。そこんとこ、てめえがあいつに弱いのは貸し借りの問題だけじゃねーよな』

「言いたいことがあるなら言えばいいだろう」

『アホくせえ。察しろって言ってやるよ。いい加減もう少し相手の感情を尊重することを覚えるべきだぜ。

 今回のことにしたって、三奈に事前にある程度話を通しとけば済んだことじゃねーか。それとも、何時までも俺におんぶに抱っこするつもりか?』

「こんな場所で説教か。時と場合を少しは選べ」

 ため息を付いて。


 右手が掻き消え飛び出してきた黒い影を捕まえる。

 レギオン。

 悲鳴が上がる前に首を抑え地面に顔面を叩きつける叩きつける叩きつける叩きつける何度も何度も繰り返し繰り返し繰り返し。

 抵抗が僅かに弱まった隙に右の踵で頚椎を踏み抜きこしゃりと柔らかな感触が足首まで突き抜け貫通、硬直と痙攣で動きた止まったのを見計らい、左足を踏み出して右足を大きく振り抜いた。

 引きずられ飛ばされ足首からスッポ抜けた黒い影はぶらりとぼろ雑巾のように力なく、そのまま攻撃結界に衝突し。


「ぜひっ?!」


 それは悲鳴だったのかそれとも単に音が漏れただけだったのか。

 僅かな光と共に砕け散り跡形もなく消え去った。

 その一連。

 半ば以上無意識の反応を終えて、龍夜の眉間にシワが寄る。

「……サマエル。時刻は?」

『午後三時二十九分、だな』

「同時間帯でのレギオンとの交戦記録は?」

『それなりに。ただし今日みたいな秋晴れの天気の下だと、記憶では四つほど該当するか。

 騎士団に二例、その他二例ってとこだな。

 ちなみにその時は<座天使級>、<主天使級>が存在していたらしいが、さて今回はどうだろうな』

 頷き、あたりを見回す。

 山の中、と言っても日差しはそれなりに入ってきている。昔は存在したであろう道は完全に草木に覆われているもののかつては人が通った道だ。それなりにひらけているのはある意味当然の話だろう。

 だから。

「可能性は?」

 何とは尋ねない。

『ないとは言い切れんだろう』

 帰ってきた答えは想定の範囲内の物。

 つまり。

「中級以上――下手をすれば上級のレギオン。普通ならば年単位の期間をかけて出現するものが、なんでこんな所にいる」

 前任者は。

 アレックス・キングは。

 はたしてコレを知っていたのか。

 知らず、舌打ちをする。

「騎士団への援軍要請は、やっぱり取り消すべきじゃなかったかな」

『今更だな。そもそも<権天使級>を討ち取った時点であちらとしてもこれ以上の討ち漏らしは想定していないはずだ。とっくに援護体制なんざ解体してるよ。

 ハッハァッ! それにしても、奴らに聞かせてやったらひっくり返るに違いないぜ。何しろ優秀な領主の領地でこれだけの不手際が出てくるんだ。よその組織からその能力に疑いを持たれてもおかしくねえな』

「そういう事もあり得るか。ったく、面倒な」

『組織だから面倒なこともあれば、組織だからこなせることもある。そういう面倒を抱え込んで余りあるメリットがあるから、組織なんてものが出来るのさ。

 で、龍夜、これからどうする?』


 一瞬、何を返すべきか、言葉に詰まった。

 無論見逃すという選択肢はありえない。今の<天使級>レギオンの襲撃からして、この先に今回のレギオン大量発生の原因がある事は確実。

 日光の下に出た<天使級>は、ただそれだけで存在を消費し、すぐに消滅してしまうのだ。

 それでも出てきた。それはこの先に何かがあることの確かな証左となる。

 が。

 果たして、この先にいるものがなんなのか。

 もしも中級以上のレギオンが出てこようものならば、相手の特性がよほど相性が良くない限り今の龍夜では太刀打ち出来ない。

 結界を壊し、突入することは簡単だろう。

 しかしそれをして、もし中にいるものがこれ幸いと飛び出してきたら?

 それを止めるすべはないかもしれない。

 この結界は、近づくものを容赦なく死に至らしめるものだが。

 同時に、中にいるものを完全にとは言わないまでも抑える効果も見られる。

 可能性が浮かんで消える。

 ただ。


「……明日の一番日が高い時間。その時間に勝負をかける」


 時間がない。見逃せない。

 進むしかない。

 たとえ僅かな勝機しかないのだとしても。


『まあ、妥当な線か。とはいえ、そのためには今日の夜、襲ってくるだろう群れを撃退し、万全の状態で臨む必要があるわけだが。いけるか?』

「どうかな。そもそも現状で、すでに万全とは程遠い状態だからな」

 連日の戦闘は龍夜の体力と体内の気力、精霊を消耗させている。

 毎日夜に備えて回復をはかり、どうにかもたせているというのが実情だ。

 しかし明日の日の高い時間に戦端を開くというのならば、それができない。

 たとえば今日の夜、昨晩と同じような攻勢に遭えば、明日の昼まで回復に全てを費やしたとしても、全力の三割から四割程度の気力、精霊での戦闘を強いられることになるだろう。

「笑えないな」

『ああ。けどま、いつもそうだろ、俺達は』

 己の全霊を尽くす。そんな戦いは幾つもあった。

 だが全力を尽くせた戦いは少ない。

 放浪者の宿命か、戦場に恵まれることは少なかった。

 今回も、そんな戦いのひとつになる。

 それだけの話だ。

 そして。


「死ぬかね」

『かもな』


 それもまた、一つの可能性。



『彼女』がそれを見ていたなら、きっと腹を抱えて笑ったに違いない。

「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ。あなたは、ねえ、まだ信じるのね。そうやって、そうやって。昨日と同じ、今日だって、そう、信じるのね」

 愉快に。愉悦とともに。


 ほかのなにかにそうされるまえに。


「あなたは、何も信じなくていいのに」


 刃をふりあげて。

 蹂躙するに違いない。



 故に龍夜は思い知る。

 己の浅はかさと、世界の気まぐれを。



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