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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
12/28

陰・追い求め

 02 - 07:陰・追い求め



 世の中うまくいかねえなあ。

 そんな事を考えながら、龍夜は教会のリビングのソファに深く体をうずめて横になっていた。

 昨晩もいつものように大量の<天使級>レギオンとの戦いだった。数にしておおよそ五十体超。市街地で発生する量としてはやはり破格であり、周囲への影響を考慮して大型破壊術式が使えないため一気に撃破することもできない。

 いつも通りの地道な戦いだった。

 しかし、いつも通りでは終わらなかった。

 戦闘を終えた龍夜は、それでもなお自分に視線が注がれている事に気がついた。

 そちらを振り返るも、周囲のビルには誰もいない。

 試しに、視力強化の術式で視線を感じる方角をよくよく見てみると――。

「見られてたよなぁ、絶対」

『確かなのか? 夜闇に加えてあの距離だぜ? まともにこっちの姿を捉えられたとも思えねえけど』

「けど視線があった『感』は確かにあったんだよ。それに、その瞬間にあっちも逃げ出したし」

『顔は見てねえのか?』

「さすがに、そこまでは。ただまあ、なんとなく予想はつくというかなんというか」

 昨晩雪杜に問い詰められた時も言葉を濁してしまった。

 雪杜はその人物がこのレギオン大量発生の原因である可能性を指摘したが、龍夜としてはそれはないという考えを伝えた。何しろ動きが素人過ぎた。また、あの場には二人いたにも関わらず龍夜のみに注目していたのも不自然。

 が、その不自然さは龍夜にとってよくない予感をもたらすものだった。

「俺のことを知ってる人間である可能性がある、な」

 ほぼ行動を共にしていた二人(距離からすれば影くらいの認識しかできなかったはずだが)のうち、片方に注目する理由はそんなところだろう。

 狙ったものか偶然かは別にしても、選択肢がある時、自分の知識や経験などが活かせる場面であればそれを優先するのは当然の事。

 目撃者は、影を龍夜だと認識したからこそ、龍夜に注目した可能性が高い。

 まあ、一目惚れをしたとかそれこそなんとなくの可能性もあるが、あの場面でそれを可能性として考慮に入れるのは遊びが過ぎるだろう。

 その前提の場合、考えられる人物は複数出てくる。例えば、騎士団の連絡員や街の情報屋、警察関係者等、龍夜の任務に関しての情報を提供してくれるような人間だ。

 しかし彼らであれば、少なくとも龍夜に視線を向けられて急いで姿を隠す理由がない。

 それ以外で龍夜のことを知っているのは。

 ひとりは、葛籠雪杜。

 そして。

「湊智晴……か。そういえば、アレックス・キングを探しているって話だったな」

 意図してか偶然か、彼女は情報の断片に手をかけてしまったことになる。

 龍夜としては気が重い話だ。

『どうする? 記憶封印するか?』

「どうやって。封印対象がわからんだろう。遡及封印にしても項目消去にしても、このパターンは難しいぞ」

 相手がいつから、どの程度こちらのことを把握しているかがわからない。

 半端な記憶操作は余計な混乱や、さらなる不信、好奇心を招く結果になる。

『じゃ、素直に全部話すか、それともしらを切るか?』

 龍夜は口を閉ざした。

 はっきり言って難しい。

 これが何も知らない一般人や、敵対しているような人間であれば最悪項目消去という方法もあり得る。

 しかし今回見つかった相手は一応とはいえ顔見知り。さらに、こちらの思惑とは別で、アレックス・キングの捜索をしている。さらにはその情報収集能力も高い。

 慎重に、判断を下す。

「術式による記憶の操作は、ナシだ。かと言って素直に全部を話すわけにもいかない」

 だから。

「核心以外を話す。話の焦点を逸らす。

 逃げの一手だ」

『なるほど、下策だな』

「わかってる。わかっているさ。

 だからってそれ以外の手段はどうにも乱暴なものしかなくなってしまう。

 それは俺の趣味には合わん」

『へ。趣味がどうこうってレベルの話でもないと思うがな。

 ま、お前がそうしたいってんなら構いやしねえよ。

 それにあの娘がここに来るとも限らねえしな』

 龍夜は少し考えて、同意する。

「そうだな。

 情報収集能力が高いってことは警戒心や危機察知能力も高いって事になるだろうし。

 昨晩の事で混乱していれば、今日いきなりやって来る、なんとことはないだろう。早くとも数日時間を開けるか――」

 あるいはもう会うこともないか。

 それは希望的観測が過ぎるか、と考えて。


 ぴんぽーん。


 呼び鈴が鳴った。

 龍夜ソファから体を起こし、固まる。

 サマエルも何も言わない。

 時刻をみれば学校の終わる時間は過ぎている。

 過ぎているが、この時間だと終わってすぐ、教会まで来たのではないか。

 いや、まだこれが湊智晴の来訪を告げる物だと決まったわけでは――。


 ぴんぽーん?


「いやどういった芸当だよ」

 なぜか呼び鈴の音が微妙に疑問形の音に変わった。いつまでも出てこない龍夜を訝しんだのだろうが、まずそんな機能は付いていないし付ける意味自体がない。

 しかし龍夜の硬直を解く効果はあった。

 そしてついでに確信した。湊智晴の来訪を。

 龍夜はわずかに緊張を顔に浮かべながら、玄関へと向かう。

 そして扉の前に立つ頃にはその表情をいつもどおりのものに戻して。

「はいはい、どちらさま――」


 扉を開いて。


 氷結した。


「や。どーも、東雲さん。この節はどうも、湊智晴です。

 んで、こちらがあちしの嫁兼親友の――あたっ?!」

「初対面の人の前で変なコト言わないで。

 はじめまして、東雲龍夜さん。わたしは――」



 言葉を切って。

 その澄んだ瞳でまっすぐに龍夜を射抜いて。



「四条灯駈です」



 くそったれ。

 龍夜は心のなかで運命を罵った。





 衝撃から立ち直ったのは早かった。

 しかし持ち直すのには時間がかかりそうだと内心で現状を評価する。

(しかし予想し得た事態ではあるわけだ。俺がそれを怠っただけで。湊智晴と四条式が友人関係にあることは分かっていたんだから)

 己の迂闊を呪うが、それにしても湊智晴の行動の速さはどういう事だ。恐怖心がない、というわけではないだろう。その証拠に、リビングのテーブルで向い合ってからというもの、落ち着かない様子だ。

 以前ひとりで来た時はもう少し落ち着いた様子だったので、気にかかることがあるのは明白。

 対象的に隣に座る灯駈は落ち着いた様子である。ただ、時折探るような視線を向けられるのは正直あまりいい気がしない。それは後ろめたさからくる感情だ。

(よくよく考えたら、記憶処理を施した相手とまともに向かい合うのはこれが初めてだな)

 普通は記憶の封印を行った相手とは大事をとって接触をしないように心がけているのに。

 つくづく、この街に来てから何ひとつ思い通りになっていないことを実感する。


 そんなマイナス思考を脇におく。

 目の前のことに集中しなければ、余計なボロを出しかねない。

「それで、二人は今日は何の用事で? アレックス・キングの情報なら、相変わらず手詰まりの状態で手がかり無しなんだが」

 それとなく、話題の道筋を作る。

「いやいや。今日の話はそれとはまた別の話なんですけどねー。なんと言いますか、あー」

 歯切れが悪い。

 やはり昨晩見ていたのは彼女かとあたりをつけるが、無論表情には出さない。

 怪訝な表情を浮かべて見せながら、智晴の言葉を待つ。

「うーん、なんと言いますか、聞きにくいといいますか。あー、言ったら変人扱いうけそうっていうか」

「難しい問題なのか?」

 あと内心で既に変人認定は済ませてあるのだがこの気持はどこへ持っていけばいいのかと、脳みその隅っこでそんな事を考える。

 考えてたら。

「智晴、あんたは十分に変人だからそこは気にしないでスパッと行きなさい」

「親友すげえな」

 反射的に言葉が出た。思ってても言うか、普通。

「何か?」

「いえ」

 やたらと冷たい視線に睨まれて顔をそらす。もはや後ろめたさとか関係ない、ただの反射的な行動だった。

「うわあい、あっちゃん初対面の人にもすんごい容赦無いね。

 まあいいや。んじゃ東雲さんに質問! 昨日の夜の十一時頃どこにいたか覚えてる?」

 ストレートな質問に、龍夜は一旦間を空ける。昨晩のその時間は、レギオンの群れに遭遇する少し前。

 考える。

 もし智晴がその時既にこちらの姿を目撃していたとしたら、ここで嘘を吐く事は余計な疑いを招きかねない。なら素直に答えるべきか? それはそれで、自分の存在を肯定するだけだ。

 ティーカップに視線を落とす。

 琥珀色の液体から立ち上る湯気を三秒間眺めて。

「その時間なら、確か繁華街からここにもどってきている最中くらいだと思うが」

 虚実混ぜた回答をする。

 その時間はむしろ繁華街の影から影を領地調査していた時間だ。

「ふむ、なるほど。

 それとちょいと質問なんだけど、東雲さんとうちの師匠って、同じ……ええと、会社? 組織? そういった関係の人、なんですよね」

「いや、若干違うな。業種が同じってだけで俺はフリーでうろうろしてる」

「うろうろ……」

 なぜか灯駈が胡散くさげに見ているが龍夜には理由がよくわからない。なので話を続ける。

「アレックス・キングは業界最大手の管理職ってところか。で、俺は外注みたいな感じで、時折仕事を受けるような関係だな。

 もっとも、アレックス・キング本人との面識はないけどな」

「ふむふむ、なるほど。んー、まあ、大体わかったかなぁ。んじゃあまあ、無理でもないのか」

 なにやらひとり納得している様子の智晴に若干拍子抜けする。

 彼女は一体何を確信したのか。

「その質問がいったい何になるんだ?」

「や。あくまであちしが納得したかっただけだから、もう大丈夫。うん、納得した納得した」

「……いや、俺が納得できないんだが」

「いやまあ」

 しかし智晴はそれ以上語るつもりはないらしく、紅茶を口にして、

「あ、やっぱりおいし」

 と、前回と同じようなことを呟いた。

 その様子を見て、龍夜は追求を諦めた。

 すっかり落ち着いてしまっている。腹を決めたとも言える。

 つまるところ、今回の彼女の中の問題は、彼女自身の手で決着がついてしまった。終わってしまった。

 そうなった以上、あちらにその気がない限りはこちらからは手出しができない。果たして彼女はどのような結論を出したのか。それを調べることもできない。

 取るつもりはないが、強引な手段を取ろうとしても、隣にいる灯駈が黙ってはいないだろう。

(……どのくらい強いんだろうな)

 ふと、考える。

 強靭な精神を持っていることは間違いない。常人ならば発狂しておかしくないレベルの負の精霊の影響を受けたはずなのに、日常生活を普通に贈っている様子が見て取れる。類稀な資質はあるだろう。

 武芸者としてもそれなりの腕はある。龍夜の実力が素人に簡単に投げられる程度のものならば、とうの昔に死んでいる。それは逆説的に彼女の実力を証明するものでもある。

 が。

(まあ、真面目にやれば負けはない……か?)

 四条式と一伎型では、特性においての優劣はないはず。というよりも、互いに苦手とする種類の相手である。

 そうであれば単純に地力と経験がものを言う。それらにおいて自身が負けているとは思わない。

 自惚れではなく、単に現実として龍夜は『そうでなくてはならない』状況にあるのだ。

 他の騎士と、無数多系統の術者と、そしてレギオンと相対するためには、能力的に不全を抱えている以上他の部分で挽回するしかないのだから。

 そんな事を考えて見つめてしまっていたせいだろうか。

 灯駈と目があった。

「……何か?」

「え、ああいやなんでも」

 というかこいつは何でここにいるんだといういまさらの疑問がふってわいた。

 まあ口にだした瞬間なぜか怒られる気がしてならないので黙っているが。

 単純に考えて、不安だったから付き添いが欲しかったというのと、護衛の役割、といったところか。

 とはいえいくらなんでも今の灯駈は警戒心むき出しにも程がある。

 何かしただろうか。いや、何かしたかといえば記憶を封じるという人権侵害甚だしい所業をしているわけだが、今の灯駈はそれを覚えているわけではない。つまりは初対面なのだ。

 それなのにこれだけ警戒心を向けられるのは、龍夜としては納得がいかないと同時に、不穏な空気を感じさせた。





 はっきり言えば。

 これまでに出会ったどんな人間よりも、目の前の男が胡散臭くて仕方がない。

 出会った瞬間に、なぜか警戒心のゲージが一気に振り切れたのだ。灯駈自身にも根拠のない確信だったが、ひとまず彼女は自分の直感を信じることにした。

 目の前の東雲龍夜という、黒ずくめの目付きの悪い男は信用に値しない、と。

 智晴の意見ではお人好し、という話だったが、それも怪しいものだと内心思う。

 龍夜が自分の警戒心に不審をいだいているのは表情からも察せられたが、灯駈は態度を改めるつもりはなかった。

 紅茶に口をつけながら(悔しいことに、龍夜のいれた紅茶はこれまで口にしたどんなものよりも味わい深かった)、こっそり目の前に座る龍夜を観察する。正確には、その体格を計測する。

 灯駈が考えているのは、腕が発見されたあの夜、北泉公園にいたベンチに腰掛ける男の事だ。

 黒ずくめの上夜だった為にしっかりと姿を記憶できているわけではないが、服装、体格共に一致している――ように思う。

 勘だが。

 こんなことになるのならばあの夜しっかり見ておけばよかったと思うものの、夜中にベンチに座る男もそれをガン見する少女も等しく変質者でしかないという事に気付いてその考えを捨てる。第一今言っても仕方のないことでしかないわけで。

「あー、その、し……じょう、灯駈、さん?」

 ためらいがちに龍夜が灯駈に声をかける。そこでようやく灯駈は自分が龍夜を半ば睨むように見ていたことに気が付いた。

 さっきとは真逆の形だ。

「なんですか?」

 ぶっきらぼうに答える灯駈。普段内心はともかく表面上は誰を相手にしても穏やかな対応をする灯駈を知っている智晴は、その様子を見て少なくない驚きを覚えた。

 そんな智晴の様子には(これも珍しいことに)気付かず、灯駈は龍夜を見据える。

 その表情に気圧されたのか、龍夜はためらいがちに口を開いた。

「いや……なんていうかな、俺が何かしたのかと思ってな。気のせいでなければさっきから睨みつけられている気がして」

「いえ気のせいではないので気にしないで下さい」

「あっちゃん今なんか無茶な注文が飛び出したよ?」

 そうだろうか。

 そうだろうな。

「ええと、別にあなたが何かをしたというわけではないですから。単純に第一印象がちょっとアレなだけで」

「またえらくどストレートな意見が来たなおい」

 フォローをするつもりがつい本音で追い討ちをかけた灯駈に、さすがの龍夜も後ろめたさが吹っ飛んだのか地が顔を出す。

 その龍夜の反応をみてさらにピクリと眉毛を動かしてじっとりと睨みつける灯駈。

 智晴は我関せずといわんばかりに紅茶を飲みながら視線を逸らす。

 三者三様の反応が互いにすれ違い、微妙な空気がリビングに満ちる。


 しばしの沈黙。

 時計の音が冷たく響く。


 それを打ち破ったのは灯駈だった。

 ふう、と息を一つはいて、彼女はすっと綺麗な動作で頭を下げた。

「ごめんなさい。なんだか、気が立っているみたいです。

 あなたと争いに来たわけではないですけど。なぜかあなたを見てると、頭の裏側がざわざわしてしまって」

「ああ……うん、そう……」

 なぜか龍夜の表情が引きつったが理由はわからないので放置。

 現状の灯駈の態度に一番不満をいだいているのは、灯駈自身だった。



 敵意と悪意と害意には、歴とした差があり意があり、なによりも発揮されるべき場というものがある。


 敵意とは対抗勢力に対して向けるべき意志であり。

 悪意とは否定存在に対して生じるべき感情であり。

 害意とは相対関係に対して発生しうる指向である。


 殺意はまた別の分類になるから置いておくとして、感情の動きにより発生するこれらの情動は武芸者から切り離すことはできない。

 武を奮うものとして感情はなくてはならないものだ。むしろ人よりもそれを滾らせ、迸らせ、燃え上がらせ、そして抑え御さなくてはならない。

 そして四条灯駈は武芸者だ。それを自覚し、己に課しており、何よりも自分の誇りとしている。

 己の未熟も幼さも理解している。感情の暴走を抑えられないのは人として当然だとも思う。

 けれど、その根源さえ見失うのはいくらなんでも許容の範囲を超えていた。


 敵意を抱くのならばその理由を。

 悪意を抱くのならばその原因を。

 害意を抱くのならばその対象を。


 明確にしなくてはならない。

 彼女が暴力を用いるその先を。

 そう。

 彼女はしっかりと自覚している。

 自身の暴力の衝動が龍夜に向かっていることも、それがどこから生まれたのかが理解できないことも。

 だから。

(どうころんでも、この人とは一度、ちゃんと戦うことになるんだろうな)

 彼女が彼女を知った時、それが実現することを、無意識の向こうで予感した。





 結局微妙な空気のまま、時刻が六時を過ぎたあたりで解散となった。

 二人を見送るために玄関へ出る龍夜。

「……結局、今日の用事はもういいのか?」

「それはもう平気なんで、まあ気にしないで下さいな」

「色々納得がいかねぇ……」

「付き合わされた私も納得がいかないですけどね。まあ智晴のこういう気まぐれ暴走体質はいつものことなので、あまり気にしない方が精神衛生上正しいですよ」

「本当、容赦無いよな……」

「なにか問題でも?」

「いや」

 もうこいつ記憶もどってるんじゃないのかとさえ感じる態度に龍夜も辟易する。

 その上灯駈はそれを意識し自覚し反省しているというのだから、これ以上何かを言うわけにもいかず。腹の底から湧き出すため息の誘惑を抑えこむ。

「それじゃあまあ、そろそろ日の落ちる時間も早くなってきているし、気をつけて帰れよ」

「あいあい。東雲さんも、何があるかわからんので気をつけてくださいね」

「はいはい」

 元気よく歩き出す智晴と、軽く頭を下げてそれに続く灯駈。

 そして。

「あ」

 くるりと、智晴が振り返った。

「そいえば東雲さん、歳いくつ? 勝手に同い年か少し上かなーって思ってたんだけど」

「? 何だ急に。まあいいけどさ。俺の歳は十七だよ。お前らのいっこ上」

 その回答に。

「え」

 と驚きを音に出したのは灯駈だった。

「てっきり年下か、せいぜい同い年位だと思ってた」

 対外的態度が崩れ、素の表情が顔を出していた。

 それだけに発言内容が心底のものだとわかった。

「……童顔に見られたことは、さすがにないが」

「ですよねえ。むしろ東雲さん割と年上に見えますよね、眼つきのヤバさ……いえなんでも」

「おいこら言いかけたことを途中でやめるんじゃない」

「まあ表情とかがオトナっぽいって感じで」

 どう考えてもごまかしでしかない言葉に納得したわけではなかったが、追求はやめた。それを明らかにしたところで気分がよくなるわけでもなし。

「……で、俺ってそんな年齢低そうに見えるか?」

「言われれば確かに納得いくし不思議でもなんでもないんだけど……なんでだろう?」

 彼女自身納得が行かないのか首をしきりにかしげる。

 その視線は当然のように龍夜へと向かい、きょとん、と上から下に下から上にとじいっと見つめられ、だんだんと居心地が悪くなってきた。というか灯駈の背後ですごい形相をしている智晴が怖すぎた。

 それに気付くことのない灯駈はしばらく龍夜を見つめて。

「……ねえ」

「あん?」

「あなた人間?」

 凄まじいことを尋ねた。

 生まれた空白は先程までのものとはまた別種。口にした灯駈も、自分が何を言ったのか、数秒たってようやく気づいたようで。

「あ、あれ?」

 自分のブッ飛んだ発言に灯駈がうろたえ始めたその矢先。

「……ぷっ」

 龍夜が、小さく吹き出して。

「だっはははははは! こいつは傑作だ!」

 大笑いしながら、ばんばん、と玄関の扉を叩く。

「な……なにもそんなに大笑いすることもないでしょう?!」

「い……いや……ぷっくくく! ま、まさかそんな直球な質問をされるとは……くくく」

 しばらく大笑いした龍夜は、散々笑い倒してから、顔をまっかにした灯駈に向き直った。しかし顔は微妙ににやけている。

「ずいぶん愉快な友達を持ってるな、湊さん」

「あちしもあっちゃんのコレほどまでにブッ飛んだセリフは初体験だよ……初体験を東雲さんに奪われた!!」

「智晴、変なこと言わないで!」

「ま、まあまあ、落ち着けよ……いいじゃないか。で、俺は何に見える?」

「知りません!」

「あっははは! ま、なんだっていいか。第一印象を口で説明しろってのが無理な話なんだし」

「それは、まあ」

 赤い顔に憤懣やる方ないといった灯駈がやたら可愛らしく、それがまた笑いを誘った。

 が、笑うとさらに機嫌が悪くなることも分かっているので、とりあえずそれは押し殺す。

「……くくくっ」

 失敗していたが。

「〜〜っ! もういいです、帰りますから」

 くるりと踵を返しのしのしという効果音が似合いそうな勢いで歩き出す灯駈と、それを追いかける智晴。

 ともに小さくなってゆく背中をずっと見て、やがてそれが見えなくなって。

「……疲れた」

 ずるずると、玄関にだらしなくへたり込む。

『はっはっは。大変だな、龍夜』

「ああ。この苦労、てめぇにも分けてやりたいくらいだ」

『わりぃがノーサンキューってな。

 しっかし、結局何の用事だったんだろうなあ、ありゃ』

「さあな。何かを確信したのか、そうでないのか。頭の中でも覗けなきゃわかり用がない」

 つまりはお手上げという事だ。

「ひとまず、しばらくは周囲に気を使ったほうがいいだろうな……問題は戦闘中にはその余裕がないって事だが」

『葛籠に結界でも張らせてみるか? あいつなら外界遮断の結界くらい使えるだろ』

「っても場合によってはあっちからこっちに走りまわるんだぞ。それで結界の範囲からでたら無意味だろ」

 雪杜が使う術式を思い浮かべながら反論する。

 雪杜は複数の流派を自己流に改造し複合した術式を扱うが、元の流派のどれにも移動式の結界というものはなかったはず。そもそも日本でそういった術式は龍夜の知る限り存在していない。

『んー、まあ、なあ。

 それにしても、随分面白いことを言ってやがったな、四条式』

「ああ。そうだな。さすがってところか」

 先程の灯駈の言葉とその後の様子を思い出し、疲れた表情に笑みを浮かべる。

 丘の上の教会には、この時間、いい風が吹く。

 穏やかな風が、前髪を揺らした。


『さて、浸るのは結構だがそろそろいい時間になってきたんじゃねーのか?』


「そうだな。もうそろそろ出ようか」

 レギオンの活動が活発になる時間が近付いている。

 もはや日課となっている大量のレギオンの群れとの戦いに備え、そろそろ用意をする時間だった。

 気分を切り替え、部屋に戻る。

 奥に隠しておいた刀袋を手に取り天穿牙を出す。少しだけ鞘から抜き、夕日に刃をかざした。

 特に問題のない事を確認してから刀を納め、壁にかけたコートを羽織る。

 布に仕込んだ術式が正常に動作することを確認して、最後に部屋をぐるりと見回す。

「…………、ふん」

 何かが気に入らない。

 けれどそれがなんなのかがわからない。

 そんな違和感をずっと感じている。

 それが分かるまでは、この教会から離れることはできないだろう。


 目を閉じ、息をつき、集中。

 ゆっくりと、全身の気を高めてゆく。

 数秒の間、呼吸が止まり。

 目を開く。


 この場に灯駈がいれば反射的に構えをとっていただろう。

 たったそれだけで、龍夜の纏う空気が一変した。

 極限まで高まった戦闘の意志を体内に抑えこみ、精神と肉体が臨戦態勢をつくっていた。

「さて」

 呟く声は、濃くなる夜闇よりもなお昏く。

「殲滅戦だ」

 感情のない瞳の奥に激しい闘志を宿らせて。

 篠中龍夜が夜に歩み出す。





 ゾッとする気配を一瞬覚えた気がした。

 しかし僅か一瞬。何の気配なのかまではわからなかった。

 ただ、あの化物ではないようだった。あれは冷たいが、今感じたものは触れれば燃えるほどに熱い気配だ。

 なんとなく、後にした教会の方を振り返る。無論、十分以上歩いたここからでは既に何も見えないが。

「そういえば、智晴」

「ん、なんだねあっちゃん」

「あなた結局、何がしたかったの? 何がわかったの?

 まさか付き合った私にまで教えない、なんて事、言わないでしょうね」

「そだねー。あっちゃんにはやっぱり言わないといけないよね。ホントは、気がすすまないんだけどさ」

 困ったようなそうでもないような、微妙な表情の智晴。

「いいから、教えなさいよ。わからない事だらけで釈然としないわ」

「うん。じゃあまあ。

 そもそも、なんであちしが東雲さんに会いに行ったかっていうと、昨日の夜見たものがなんだったのか、わからないから。

 わからない物は怖いから。だから知りたかった。

 正直ね、あっちゃん。あちしは東雲さんが何者で、どんな風な人間なのか、とかはどうでもいいんだ。

 ただわからないことが嫌だった。それを確かめたかった。ただそれだけなんだよね」

 だから。

「あっちゃんの最後の質問、割とあちしにとっては大事な話だったんだよ。

 あの人が人間でもそうでなくても、あの人が昨日そこにいたんだって事が分かればいいだけだから」

 灯駈は。

 言葉を失った。

「ビルからビルに飛び移って、身長の何倍もの高さを跳んで、目で追いつかない速さで動きまわる。

 むしろ人間じゃないって方が、説得力が出るからね」

 事実さえ分かれば、自分の常識など必要がないと言わんばかりの親友に。

 今までも何度も片鱗は見てきたが、まともにその姿を見るのはコレが初めてだ。

 噂喰い、湊智晴。

「……それで、結局確信したの?」

「うん、したよ。昨日見たのは東雲さんだった。

 可能性がとても高い。少なくともそれを否定出来ない。

 だったら後は、追いかけるだけ。追いつくだけだよ」

 にやりと、夕日の沈んだ薄暗い世界で、智晴の気配が一段と深くなった気がした。

「どうしてそれが確信できたの? 正直私には何一つわからないんだけれど」

「そうかな。わかるよ。

 東雲さん、昨日繁華街にいた事を否定しなかったよね? あれは無理に否定してこちらの嫌疑が深まることを嫌がったからだよ。

 だからそこは否定しなかった。何をしていたのか、どこに行っていたのかさえ誤魔化せば、嫌疑は晴らせなくとも確信させずに済むと考えたから」

「そうね。でもそれだけじゃ、あの人がそこにいた事しかわからないじゃない」

「うん。だから聞いたよね。

 東雲さんは師匠と同じ仕事の人。同じ仕事をしているということは、同じことが出来るだけの能力があるって言うこと」

 それは灯駈にも理解できた。けれどそれが一体何になるというのか。

 アレックス・キングは牧師である。牧師ないしそれに準ずる仕事をしているから超常的な身体能力が得られるわけではないだろうに。

 そう思っていた灯駈に。

「東雲さんも、トラックに引かれても平気なだけの身体能力があって当然だってこと」

「それネタじゃなかったの?!」

 衝撃の事実。

 アレックス・キングにまつわるエピソードは幾つか聞かされていたが、そのなかでも特に突拍子も無いものだった。てっきり冗談だと思っていたら、どうやらマジ話だったらしい。

「やだなあっちゃん、本当に決まってるじゃない。

 師匠はトラックに引かれても傷一つなく、当然のように動きまわる人だったよ。

 ね、あっちゃん。あっちゃんならそれができる?」

「……さすがに、それはちょっと」

 迫り来るトラックを想像する。壁のように迫るトラック相手では、威力を横に逸らす事もできない。例えば四条式『散葉柳』を使い衝撃を殺せば吹き飛ばされても死ぬことはないだろうが、負傷は免れないだろう。

「だから東雲さんもそれに準ずる能力が――ま、陳腐な言い方になるけど、人間離れした力を持ってるってこと。

 師匠も牧師だけど、どうにもそれ以外にもなにかあるっていう感じはあったし、東雲さんはきっとそっち関係のひとなんだろうね」

 つまりは。

 常識はずれな連中の。

 灯駈はかぶりを振った。

「智晴。あなた自分が何言ってるか理解してるの? あなた、そんなとんでもないモノを追いかけようとしているのよ?

 今すぐ手を引きなさい。そんなものに関わったら、命が幾つあっても足りないわよ」

「にははー。そおだねー。そうなんだけど。

 ……あっちゃん、割と普通に受け入れるね。何かあったの?」

「っ、それは」

 そうだ。

 智晴の話は突拍子もなくて、普通に考えれば頭ごなしに否定されて当然のものだ。

 それでも、それを否定出来ないのは。

「…………、とにかく」

 内心を抑えこむ。重要なのはそちらではない。

「やめてよ、智晴。私はいやよ、あなたに何かあったら」

「にははは。大丈夫大丈夫、これでも引き際は弁えてるんだから。

 ……心配しないで、灯駈ちゃん。あたしが灯駈ちゃんの前から居なくなるなんてこと、ないんだから」

 普段のキャラを崩し、優しげな笑みを浮かべる智晴に。

 なぜか灯駈は胸が締め付けられるようで。

「絶対、だからね」

「うん、絶対だよ」

 ぎゅっと、強く差し出された手のひらを握りしめた。





 二日後。

 湊智晴は行方不明となる。



遅くなりました。

こいつら早く仲良くなってくれないと話が進みづらくて困ります。

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