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夜の刃、月の牙  作者: 蟹井公太
2章 傷痕・刻むみち
10/28

道・未だ見えず


 02 - 05:道・未だ見えず




 誤魔化せと言われたため誤魔化した。

 何をといえば、雪杜の符を使い龍夜が翌日には回復していたことである。

 雪杜は破門を受けた身。

 それでいて、騎士団の記録にうかつに残るような真似をすれば、破門どころでは済まされない可能性があるというのだ。

 それを聞いた龍夜は。

「一体何をやらかしたんだ、あいつは……」

 そんな風に思ったりもしたが、逆らう理由も特になかったので騎士団への報告には彼の驚異的な効力を持つ符――というより、彼の実力についての説明は記載しなかった。

 単に、現地に住む術者に助けられ、助力を得た、とだけ記載した。当然三奈にはやたらと突っ込まれたが。

 そのかわり、記録上一週間ほどまともに動けない怪我を負った。いや、事実それだけで済めば幸運というレベルの深い傷を負ったのだ。龍夜が三日と経たずに完全に回復できたのはあくまで雪杜という強力なイレギュラーの存在があったからこそだ。

 そんなわけでこの一週間と少し、龍夜は騎士団の報告書上は穏やかに。実際のところは毎夜毎夜わらわらと湧き出す<天使級>レギオンを狩るという風に過ごしている。

 実はこれはかなりの無茶である。

 なにしろこれだけの数のレギオン、もし見逃して<大天使級>やそれ以上の位階に昇ってしまえば大事になる。そうなれば結局龍夜の傷もそれを治した雪杜の力も露見する。

 綱渡りという言葉すら生やさしい、そんな話だった。

 そのはずなのだが。

「なんつーか、危なげがなさ過ぎてなんとも言いがたいな」

『だからこそ破門なんだろうけどな。ははは、異端故の爪弾きか、お前と同類だな、龍夜』

「それもなんかな……」

 素直に喜べない同類項である。

 しかし現状は、確かに雪杜という存在があってこそ成立していた。

 興味がある。

 その言葉のとおりと言うべきか、雪杜は龍夜の夜の巡回についてまわり、レギオン討伐においてその力をいかんなく発揮した。龍夜の傷を癒した符からもわかるように雪との術者としてのその実力は確かなもので、現状主戦力はむしろ雪杜の方である。

 これは単純に向き不向きがあるの問題ではあるのだが、だからと言って龍夜が悔しくないのかといえばそれはまた別の話だ。

『変に意地張ってるからだろう? どうあがいたところでお前の得意分野は万象の術式なわけだし、たまにゃスタイル変えればいいんだよ』

「レギオン相手に術者として立つ事に対しての違和感があるんだからしょうがないだろ」

『それが変な意地だってんだろうに。

 ま、お前がそうしたいってんなら俺ぁ何もいわねえよ。

 つうか龍夜、お前いつまでここに居座るつもりだ?』

「…………金がかからないって素晴らしいことだと思うんだよ」

 両手で顔を覆う龍夜。

 現在龍夜はアレックス・キングが住んでいた教会に『勝手に』住み着いていた。

 当然勝手に住んでいるため、電気ガス水道諸々の代金はアレックス・キングの口座から勝手に引き落とされる。

 空き巣と変わらない。

 一応、騎士団側には了解はとっているが所有権はあくまでアレックス・キングが持っている。

 訴えられたら負けは確実だ。

『まあ確かに、怪我をするたびにバカにならない金が飛んでいくからなぁ』

「あの野郎にもきっちりもってかれたしな……いや、確かにあの効力であの金額は安いぞ。命には変えられないしな。でもなー?」

 ソファに深く身を沈める。そこらの安ホテルよりもよっぽどいい物であるらしく、しっとりと体を包む感覚が嫌味なくらいに心地良い。

 別に龍夜とて金欠状態であるわけではない。むしろ貯蓄には余裕がある。

 余裕はあるが贅沢ができる身ではない。

 刃牙は鎧としては非常に頑健な部類に入るが、広範囲の攻撃力が低いため多数の相手をするとどうしても戦闘時間が長引いてしまう。そうなると着装限界を意識せねばならず、自然と鎧の召喚を控えなくてはならない。つまり生身での戦闘がどうしても発生することになる。

 生身で戦える、限界ギリギリ。

 それを超えない限りは龍夜が刃牙を召喚することは基本的に、ない。

 そのため鎧の強度に反して龍夜の全身には大小様々な傷がある。さらに、先日のようにギリギリを踏み越えてしまうこともある。

 そういった事情がある以上、龍夜としては治療費をある程度蓄えておかなくてはならないという事情があるのだ。

 さらに『天穿牙』という特殊な刀。この手入れにもまた、独自の術式を用意せねばならず、数カ月に一度とはいえなかなかバカにならない出費を抱え込むハメになる。

 これらの事情から、龍夜の台所事情は金額の割にあまり余裕が無いのであった。

 仕事をせねば金は稼げず生活もできないが、仕事をすれば金が飛んでいく。これは龍夜が刃牙という鎧を形成した以上仕方のないことだった。

 齢十七にして自転車操業を味わう男。それが龍夜だ。

「昼は家に引きこもってごろごろして、夜は朝まで街を徘徊……学生なら補導まちがいなしだな」

『だらしねぇなあ。あの野郎を見習えよ。たしかあいつ、生徒会長になろうとかしてんだろう?

 お前が仮に学生やってたら間違いなく問題児側だよなぁ』

「つうか中学校に関してはほとんど顔出してないのに卒業させてもらった立場だしな。問題児以前だろ」

 最終学歴、中卒(お情け)。

 なかなかに涙を誘う経歴である。

 もっとも、それさえ保護者の言いつけがなければ一度も顔を出すこともなかっただろうが。その上ひきこもりでもないので家にいないのだから連絡がつかない。

 担任泣かせもいいところである。

「あ? 俺はもしかして、すごく嫌な生徒だったんじゃなかろうか」

『今更気づいたのかよ。お前ずっとレギオンとばっか付き合ってるから結構頭の中乱暴っつーか乱雑っつーか、判断基準が暴力の有無だったり結構適当っていうか。割と酷いぞ、思想とか思考の軸が』

「……なぜ今さら言う」

『だって昔のお前に言っても聞く耳もってねーじゃん。お前俺の忠告無視して何度バカやらかしたか思い出せ?

 我が身を振り返ってみろよ、なあ?』

 さすがに付き合いが長いだけあって龍夜の弱点を知り尽くしているサマエル。反論の糸口すら見いだせず口をつぐむ。

『お前今はいいとして、戦えなくなったら飯食えなくなるよな。どーすんだ、女見つけてヒモでもすんのか?』

「ええええ……そんな真面目な話、いらねえよ……」

『いやいや真面目な話、将来の話。大事だろう? なぁ』

「声が笑ってやがんだよてめぇ……」

 騎士という一般的には日陰の存在であるものの、その多くは一般社会に普通に溶け込んでいる。

 姫やアリカ、三奈は学生として。

 龍夜と同じ歳であり術者でもある雪杜も、普通に学校に行き、生徒会長にまで立候補している。

 工や遊乃は騎士団に正式に隊員として所属しているため、そこから給金を得ている。

 学校もまともにいかず子供の頃から世界中をふらふら回っている龍夜は変わり種であった。

 龍夜の場合、社会性の欠如、対人能力の未熟さはどちらかと言えば環境よりも本人の資質の部分が大きいが。

『今からでも学校に通ってみたらどうだ?

 どうせ、この先ずっと騎士をやって行くんだ。少し寄り道したっていいだろうに。

 一人でやっていくにしても、社会性ってやつもこの先必要になるぜ?』

「…………やたらと絡むな、お前」

『そりゃあな、これでも一応、お前の保護者だしよ。

 千年超える知恵袋が行っとけっつってんだから、行っとけよ、学校。

 いやいや、正直な話俺も反省しているんだぜ? お前の自由にさせすぎたせいでそんなふうに頑なになるわコミュ不全に陥るわ』

「もういじめんのやめにしてくんねえかなぁっ?!」

 さすがにキレた。

 正論だが完全に声が馬鹿にしている。いや、馬鹿にしていると見せかけて本心なのか。

 何を言っても勝ちの目が見当たらない龍夜はおもむろに立ち上がる。壁にかけてあるコートを羽織り、立てかけてあった刀を袋に収める。

『おいおい、こんな時間にどこ行く気だ?』

「出歩くには健全な時間だよちくしょうめ!」

 現在昼の十一時過ぎ。

 街の見回りをしながら歩いていけば、神葉学園へは十二時前には着く。

 忍びこむことは難しく無いだろう。

「葛籠のやつと今日の相談だ。いい加減、やってることもかわりないしな」

『はいはい、またレギオンね。まったく真面目なヤツだよ、本当』

 微塵もそんな事を思っていない声に辟易としながら、龍夜は教会を後にした。





 一日平均、八十体。

 これだけの数のレギオンが自然発生しているとするのならば、この街の人間たちは相当病んでいるとしか言えない。

 無論そんな事はありえない。無論完全にゼロ、などと言い切るつもりはないが、ほぼゼロパーセントの可能性をいちいち考慮していては身動きが取れなくなる。その程度の、捨ておくべき、可能性というよりは空想の類でしかない。

 二週間近い間それだけのレギオンが発生し続けるなど滅多にない事態である。

 しかし、それがまた事態をややこしくしていた。

 滅多にない、ということは、完全になかったわけではないのだ。龍夜が可能性を完全に捨て去らなかったのも、それが理由である。

 疫病や災害、あるいは強大なレギオンの出現による瘴気による影響により、あるいはこれ以上のレギオン大量発生ということは歴史上幾度もある。

 幾度もあるからこそ、よくよく調査をして原因を特定し、効果的な布陣をしかなくてはならない。

 そう。

 その調査が、今の龍夜の任務になってしまっているのだ。

 本来の任務が滞ってしまうほどには重要な。

「ふむ。まるで足止めだな。誰かに恨みでも買っているのか?」

「正直その辺りを考え出したらキリがないってのが悲しいな。

 第一この際理由はどうでもいいだろ。目的と、相手の姿が一向に見えないのが問題だ。

 いや、そもそも相手ってのはなんだ。人間か? レギオンか? それともそれ以外の何かか?」

「レギオンだと断定しない理由は?」

「レギオンに集中的に狙われるような体質になったなんて思いたくねえ、以上」

「馬鹿か君は。まあ確かにレギオンが集団で個人を襲うというのはいまいち考えにくいな。統率する上位個体でもいるのなら別だが。

 これまでに何か狩り残しがいた可能性は?」

「否定はできんが……逆に聞くが、お前は自分の生活圏内に<権天使級>以上のレギオンがいて気づかないほど鈍感でいられるか?

 期間から考えて、最低一週間俺たちはそいつの存在に気づけていないわけだが」

「なるほど、的確な意見だ。とはいえ隠行に秀でた個体という可能性もある。可能性としては残しておくべきだろうな」

「あまり考えたくない可能性だけどな……つうかまずいなこの弁当」

 龍夜がげんなりと箸をおいた。コンビニで買った弁当なのだが、その半分も減っていない。

 最近は随分と食費を削る日々が続いていたが、ここらでひとついいものを、と思って半端に高いものを買ったのだが、安っぽい味でも満足のいく味でもない味付けが半端すぎて逆に舌が受付なかった。

「……お前、食べない?」

「いらん。僕は僕できちんと用意している」

「だよな」

 雪杜の弁当は手作りだ。どうやら家にいる家政婦がつくってくれているらしい。

 家政婦って。

 理不尽な怒りを覚えたもののそれを表に出すほど恥知らずでもない龍夜はひとまずそれは飲み込んだが。

 雪杜の弁当を見る。

 特にこれといって派手な印象はない。

 が、ひとつの料理として非常にまとまりのある色彩とバリエーションを備えていた。理想的な弁当であるといえよう。

 それぞれのおかずが、冷えても美味しく食べられるよう工夫が施されているあたりの心遣いがニクイ。

 食材も良いものを使っているのだろう。葉の青さ、みずみずしさからして龍夜の普段食べているものとは違う輝きがある。

 端的に言って。

 龍夜はとても嫉妬していた。

「これが今流行の格差社会ってヤツか……」

「何を馬鹿な事を言っている。食事は体を作る基本だ。そこに金をかけるのは前線に立つ術者としては重要な事だろう」

「そりゃあな、わかるんだけどよ。一番削りやすいのもまたそこなんだよな」

 溜息をつく龍夜。同じようなことは師匠も言っていた。

 ちなみにそのジジイは頻繁にそんな事を言っていた割に実勢している姿はとんと見たことがない。

「とにかく食べられるときに食べるべきだ」

「……ここ、学校ってことはなんかうってるんじゃないのか」

「部外者に販売できるわけがないだろう」

 さすがの雪杜も呆れ顔だ。

「別にいいだろ、売上がふえるわけだし」

「まず校内に部外者が入り込んでいる事自体が問題なんだ。つまり、今の君は他人に見つかれば悪くすれば警察に突き出される立場なんだぞ。

 我慢しろ」

 龍夜はしぶしぶ、コンビニ弁当の続きを口に運ぶ。

 雪杜はそんな龍夜を変なモノを見るような目で見ていた。

 彼の立場から見ていて龍夜という人間は、優秀な人間だった。

 戦士としては。

 それ以外の部分に関しては、はっきり言って破綻しているとしか言えない。

 まず騎士として。

 これは噂通り落ちこぼれだ。騎士の優位性の大部分を占める攻撃系の精霊術式が扱えないのだから。

 ただ盾役としては非常に優秀である。もっとも、二人が組んでからは龍夜は騎士鎧をまとってはいないが。逆に言えば、生身でそれだけ戦えるという事になる。これも騎士としてどうなのかという話だ。

 次に術者として。

 これは、優秀だった。

 騎士であり術式研究者であるというのは、珍しいことではない。

 しかしそれでも龍夜の知識は多岐にわたるもので、雪杜としても興味深い話がいくつもあった。

 そして最後に、一般人として。

 コレが酷かった。

 まずコミュニケーションが下手。作戦会議や任務中は理路整然とした物言いをするくせに、今のように日常的な会話の中でたまに常識が欠落した発言がまざる。

 非常識というよりは無常識。知らぬがゆえの軽挙が目立つ。

 会話をしていればわかる。

 この男の日常会話とはレギオンに関することであり、非日常会話とは普通の生活のことなのだ。



 どういう生き方をすればこういう人間が出来上がるんだ?

 奇妙な話だった。

 ずっと戦い漬けの日々だったのか、と思わなくもないが、それにしては常識的に過ぎる。日本という文化に馴染んでいる。ただ、ルールや規則という物が抜け落ちているだけで。

 経験。経験が圧倒的に足りていないのだ。

 共通認識と言ってもいい。

『こう』あれば『そう』でなくてはならない。

 その無言の共有。暗黙の了解。

 それが出来ていない。

 龍夜の経歴について調べることはさほど難しくはなかった。

 特定の組織に属しているわけではないが、特に隠しているわけでもなく、普通に調べれば普通にわかった。どこか組織――例えば騎士団――に属している場合往々にして個人情報は厳重に秘されるパターンが多いためこれは助かったと言える。

 が。

 その足跡を追うことは容易ではなかった。

 じっとしていないのだ。

 まず中学時代の出席率が異様に悪い。義務教育でなければ留年、退学レベルだ。軽く見た限り学校行事にも積極的に参加した様子もない。いくつか参加した記録があるのは、単に登校したタイミングと行事が重なった偶然によるものだろう。

 卒業式にも出ていないのだから徹底している。

 ならば小学生のころは学校にきちんと行っていたのかというと、あくまで中学時代に比べたらマシ、という程度でしかなかった。

 その間どこで何をしていたのかというと、これがわからない。

 これは組織に属していないことが逆に悪かった。

 組織であればだれがどこへ何しに向かった、などの記録は残るが、個人であればそんなもの本人たちがその気にならなければ残さない。

 入出国記録を総当りにでもすればわかるかもしれないが、いくつかの事例を見てそれもやめた。明らかに密入国、密出国のケースが出てきたからだ。

 こうなるともう痕跡をたどることも難しい。そもそも十年以上前の記録まで調べなくてはならないとなると量が膨大だ。雪杜の手に余る。

 もっとも、今の龍夜を形作ったのがそういった事柄に由来するのであろう、ということはなんとなく想像がついた。

 しかし。

 子供にできる事柄ではない。

 龍夜は少なくとも記録上は縁戚関係はすでに全滅している。

 母はなく。姉も父も、十年前の大戦で行方不明。

 そんな子供がどうやってはるばる欧州から帰国し、また誰にも知られず出国しているのか。そんな生活を、生き方を見つけたのか。

 そもそも後見人となっている人物が何者なのか。本当にそんな人間がいるのか。

 不審な点は山積みだった。

 わからない。

 わからないが、知らなくてはならない。

 せねばならぬのだ。

 葛籠雪杜は。

 東雲龍夜を。

 理解し。

 納得。

 それが得られなければ。

 その時は。



「さて、そろそろ昼も終わりだ。僕は行く」

「わかった。とりあえず今日もやることは同じってことで」

「進歩がないな、腹立たしいことだ」

「変化があっても、それはそれで怖いがな」

 違いない。と苦笑を浮かべる雪杜はそのまま保健室の扉を開き。

「ああそうだ。別に校内に潜むのに文句は言わんが、人に見つかることだけは避けるように。君のような厄介ごと、僕は抱え込みたくないのでな」

「わかってるよ」

 そのまま部屋をでた雪杜を見送り。

 龍夜は天井を見上げる。

 保険医の女は昼休みの最初に出ていったきり、帰ってくる気配はない。

 少し話を聞きたい気もしたが、こちらから探すのも手間だし誰かに見つかるような真似はするなと釘を刺された。

「ひとまず人の流れが落ち着くのを待って、外に出るか」

『ああ。それがいいだろうな』

 今まで無言を貫いていたサマエルの同意の声。

 サマエルは色々と特殊な存在なので、あまり人前で存在を明らかにしないようにしていた。

 脳内で会話できるような便利設定もないため他人がいるときは一切コミュニケーションが取れなくなる。

 龍夜が人気を避ける理由の一つである。

「それにしてもあいつ、何なんだろうな」

『なにって、何がだ? 別にホモにや見えないが』

「誰もんなこた言ってねえよ怖いこと言うなよ!」

『ああ、悪い悪い。

 嫌な記憶を刺激しちまったか』

「思い出させるなああああっ!!」

 だんっ。

 机を叩いて浮かび上がりそうになった記憶を奥底に押し戻す。

 強烈すぎて消えてくれないのが悲しかった。

『かはははっ。ま、お前に好んで近づくようなやつがまともなわけねーだろ。

 考えたって無駄の極みだぜ?』

「色々と言いたいことはあるが、まあ納得しておこうか」

 はぐれものの自分にわざわざ連絡をよこす相手など、せいぜいが三奈か……あとはごくまれに、姉くらいなものか。師匠でさえ連絡をよこす事はない。あのジジイの場合はこちらから願い下げだが。

 そんな事を考えていたせいだろうか。

 人の近づく気配に気づくのが遅れた。

 いや、二人のうちの片方が、もう片方の気配まで誤魔化したせいか。

 ともかく。


 がらり。


 という音とともに扉が開き。

 反射的に椅子から立ち上がり、滑りこむようにしてベッドの下に飛び込んだ。

「せんせーい、いますかーい。おやま、おりませぬな」

「……智晴あのさ、うざい」

「この女親友にむかって死ぬほどぞんざいな言葉吐き捨てましたよまったく!!」

 その声に。

 龍夜は。

「なんでだ……」

 頭を抱えた。

 よりにもよって。

 知り合い二人。

 この学園で。

 いや、この街で四人しかいない、顔と名前を直接知っている人物。

 そのうちの二人だった。

 四条灯駈。

 湊智晴。

「……いやまてやばいぞ、この状況は限り無くやばい」

 智晴だけならともかく、灯駈がいる。

 下手な動きをすれば、動きを察知されかねない。

 故に身じろぎ一つできず。

 龍夜はじっと、ベッドの下で息を潜める。

『……なんかこんな感じの都市伝説ってあったよなぁ』

 黙れ。

 茶化すサマエルを黙殺し、じっと耳をすます。

 と。

「ほらほら、あっちゃん、無理しないで横になって」

「うー」

 え。

 ちょ。

 そうして、おぼつかない足音が向かうのは、三つあるベッドのうちの。

 なぜか。

「う……ありがと、智晴」

「ううん。いいの! あっちゃんの寝顔を間近でペロペロできるのなら、それで!」

「今すぐ教室帰れ」

 ぎしり。

 と、歪んだ音を立てたのは。

 龍夜の真上のベッド。

「……………………なんでやねん」

「……智晴? 今なにか言った?」

「え? 鼻息荒くしてるのに忙しくて口開いてる暇なかったけど」

 ベッドがさらにきしむ。音で、体を横にしたのだということが分る。

「智晴。あたし、あんたと一緒にいるとたまに身の危険を感じるんだけど」

「あー。じゃああっちゃんの危機察知能力は正常に働いてるってことだねー」

「あんたね……はあ、もういいわ。ひとまず、ありがと」

「うんうん」

 そう言って。智晴は椅子を引き寄せてきた。

 おい。

 授業。

 ぷらぷらと揺れる足と、それに釣られてひらひら揺れるスカートの裾から視線を逸らし。

 頭の中で様々な策を立てては却下立てては却下を繰り返し。


 だめだー。


 という結論だけが残った。

 龍夜、敗北の瞬間である。割と珍しくない。

「にしてもあっちゃんが寝不足で体調崩すなんて、珍しいよね。頑丈さには自信があるって言ってるのに」

「あったんだけどね……最近ちょっと、心が折れかけたことがあって。夢見が、悪いのよ」

 それがなんなのか。

 なんとなく、理解できた。

 居心地の悪さが広がる。他人の日記を意図せず読んでしまったときのような後味の悪さ。

 今自分は、聞いてはならないことを。聞くべきではないことを聞いてしまったのだ。

 そして。


「うーん、落ち込むあっちゃんもかわいいなぁ」


 迫り来る未知の恐怖。


 智晴の発する異様な気配は正直龍夜をしてもどん引きさせるに申し分ない威力だった。

「智晴……あんた」

「うん。あっちゃんはいつもどおり。いつもどおりカワイイんだから、何も心配しないでいいんだよ。

 怖いことも、辛いことも。

 あっちゃんなら、きっと大丈夫」

「なにそれ。根拠ないじゃない。

 でも。

 うん。

 ありがとね」

 すう、と。

 呼吸が穏やかになる。

 たったそれだけ。

 その言葉だけで。魔法のように。

 龍夜の胸に去来するのは、衝撃と、安堵。

 灯駈の恐怖は自分の不手際が招いたことだ。

 レギオンに対して恐怖を抱くのは人間として当然のこと。

 それを正しく処置できなかったのは、龍夜の責任だ。

 だから。

 智晴の存在に、感謝した。

 四条灯駈という少女のそばに、湊智晴という少女がいてくれたことを。

 そして。



 龍夜はその場に完全に釘付けにされたということに戦慄した。





 結局。

 智晴がさっても灯駈を刺激するわけにもいかず、龍夜はそれから放課後まで、ベッドの下から出てこられなかった。

 ベッドで眠る少女の下に潜む男。

 変態である。


そろそろ、主人公のメッキが剥がれてくる頃。

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