最後の子守唄
その悪女の罪は数えきれない。
権力に囚われた女だ。
『元々は乞食だったと聞く』
公式には否定されているこの噂は事実だ。
彼女は元々貧民街に捨てられていた乞食に過ぎない。
『それが王の目に留まり、泥を落として現れた魔性に王は魅入られた。遊び女として放置できぬほどに』
故に彼女の出自は亡国の王女ということになった。
それに相応しい教育を受け、それに相応しい知識を授けられ、そして質の悪いことに『それ』に相応しい野心を彼女は抱いた。
『恐ろしき闖入者だ。魔性の女に政を乱されたことは歴史にもあるが――国そのものを奪われた例など聞いたこともない』
彼女の野心は王から与えられた豪奢な生活だけでは満ち足りなかった。
積み上げられていく知識は貴族というだけで本来の能力から見れば分不相応の地位につく者達の歪さに気づき、そんな輩が跋扈する国の脆さを見抜き、そして彼女にはそれを崩壊させるだけの美貌もあった。
『始まりは諫言だった。それがいつの間にか虚言に変わった。その頃には彼女の地位は誰も脅かせなくなっていた。全てはあの女から産まれた汚らわしき血の故に』
王は病死した。
少なくとも悪女はそう放言した。
この頃には彼女を脅かすことが出来る者など最早存在しなかった。
生まれた子供さえ用いて彼女は権力を極めた。
極めつくした。
『彼女は強かった。賢かった。しかし、権力は人を愚かにする』
そう。
彼女は極めた先で唯一の過ちを犯した。
更なる権力を求め、我が子を殺したのだ。
挙句、自身の力を過信したが故に誇示するような形で。
『自らに逆らえばどうなるか。我が子でさえあっさりと処断する。その残虐さを見せつけたかったのだろう。しかし、それが彼女の運命を決定づけた』
王殺し。
それは燻っていた反乱分子の恰好の口実であった。
『捕らえられた悪女は毒の盃を受けて、死んだ』
悪女に相応しい末路だ。
*
悪女に相応しい末路。
少なくとも。
私はそう思う。
「ごめんなさい」
王宮の塔の一室。
誰にも知られていない場所に勤める兵士に金を渡す。
「少しだけ離れてくれる?」
「聖女様。このようなお金は受け取れません」
兵士の言葉に私は微笑み、人差し指を自らの唇に当てる。
「私は聖女じゃありませんよ。ただの市民。そうでしょ?」
「しかし……」
「秘密の共有のために。あなたもこれを受け取ってください」
兵士は息を飲み金を受け取った。
そう。
これでいい。
信頼なんて不確かなものより、間に金を挟んだ方がよっぽど安心できる。
救国の聖女。
それが国における私の扱いだった。
悪女に乱された国を救った神に選ばれた聖女。
その出自は誰も知らず、最近では神がこの地上に遣わしたなんて言われてるけれど――。
「馬鹿らしい」
私はただの人間だ。
皆と同じように人間の女性から生まれた人間。
ただ、その女性が――。
「失礼します」
皆から悪女と呼ばれていただけ。
そう。
私は悪女である母に殺されかけながらも、どうにか生き延びた悪女の娘。
幽閉されている母は。
かつて悪女と呼ばれた私の母は赤子の人形を抱えながら朧げな月を見つめていた。
「また来たの?」
「はい」
「娘がようやく寝たところなの。早く帰ってくれる?」
彼女は自らが悪女と呼ばれていることを知らない。
彼女は自らの野望が既に失敗に終わったことを知らない。
――いや、覚えていないのだ。
母は私に捕らえられた後、私から贈られた毒を飲んで死ぬはずだった。
しかし、母はこの状況に備えていたのか、密かに解毒剤を隠し持っていたのだ。
だが、毒は母の想定より遥かに強く、そして解毒剤は私の想定より遥かに強かった。
母は死んだ。
少なくとも母の心は確実に死んだ。
記憶の多くをなくし、自身の老いに気づかず、そして自らが生きた時間さえを忘れてしまった。
「ねえ」
「はい」
「聞かせてほしいのだけれど」
母は私が来るたびにこの問をする。
「私はこの世界から逃げることは出来るのかしら」
偶然か。
必然か。
今の母は野心のため進む決意をした最後の夜を繰り返している。
「逃げようと思うならば手配いたします。あなたと娘様はきっと幸せに生きることが出来るでしょう」
そして、母を殺せなかった罰故か。
「そう。ありがとう」
あるいは今も母を殺せない罰故か。
「もう帰って――覚悟は出来たから」
私もまたこの夜を繰り返している。
母が私を捨ててまで野心を優先した日を。
「かしこまりました」
踵を返して歩き出す。
母は確かに悪女だった。
娘の私さえ利用して生きたのだから。
果ては娘の私さえ殺そうとしたのだから。
それでも。
私にとって母は母だった。
そして――。
扉を閉める間際、ちらりと振り返り母を見る。
彼女は。
悪女は。
――母は。
「ごめんなさい」
人形を抱きしめて、最後の子守唄を懺悔のように歌う。
あまりにも優しく、温かく。
扉を閉める。
きっと、これが私に与えられた罰なのだろうと確信しながら歩き出す。
子守唄は夜の闇の中、小風のように凪いで消えた。




