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新しい物語を行き当たりばったりで書き始めました。

正直オチもなにも決めず書き始めたのでどうなるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。



 わたしは飛んだ。



 書いて字の通りに飛んだ。

 どこから飛んだかは、このさい関係ないので説明はしない。いや本当は説明できないだけだ。そんなわたしの体は数秒後、地面に叩きつけられ、落ちて割れた生卵のように飛び散って、すべてを汚す。わたしには、お似合いの最後だ。

 死ぬときに走馬灯が流れるなんてよく聞く話だが、そんなの嘘だ。わたしの頭の中にはこれぽっちも流れてきやしない。それだけ思い出のない人生という証明なのか、それとも窮地を脱するヒントも浮かばないぐらい平和な人生だったのか。はは、そんなことはない。

 ――だって、わたしはいま生まれたばかりのはずだったからだ。

恐ろしいほどの速度で落ちているはずなのに、ごちゃごちゃ考えるほどに時間がある。不思議だ。不思議だった。一番不思議だったのは、後悔するほど生きていないのに、なにもないはずなのに――――――まだ死にたくない。なんて願ってる。

 落ちていく体は上手く動かすことができない。受け身の体制なんて素人には無理な話だ。……もう、生に縋るように考えるのは止そう。


 すべてを受け入れたその時だった。


「どりゃあああああああああっ!!!!!」


 そんなおかしな叫び声とともに、わたしの体は柔らかくも硬いなにか全身が包まれた。それが何か理解する前に、わたしと何かは――バリンッ! なんて、ガラスが割れる音ともに固い床へと放り投げられた。現状を把握する前に、胸倉をつかまれた。絞まる気道に「グエッ!」なんて蛙のような鳴き声を上げる。

「……てンめェ」

 地を這うような低い声は、どうしてか怒りを含んでいた。

「死ぬのはかってだがな、俺がいるところですんじゃねぇよ」

 ああ、このとき、わたしは初めて月を見た。

 真っ黒な空にぽっかりと開いた黄色い穴は、どこまでも高く、遠かった。月明かりに照らされたあなたの精悍な顔は近くて、あなたの瞳は遠かった。

 なにも言わないわたしに、なにか言いたそうにしていたが疲れたような顔をしながら胸倉から手を放す。

「あ~~~、ったく、金にもならねぇことさせやがって」

 文句を垂れながら立ち上がった男を、じっと見つめる。それなりに大きい男は態度からも「めんどうくさい」という思いを滲みだしていた。なにも言わないわたしを怪しみつつも、床に座ったままのわたしの視線を合わせるようにしゃがんだ。それから、わざとらしくため息を吐き出して、わたしを小脇に抱えて立ち上がった。抑えられたお腹が苦しい。

「おいガキ、家どこだ? しょうがねぇから送っていってやるよ」

「……すんでるばしょ」

 舌足らずはわたしの言葉に男の腕に力が入る。指先だって腹に食い込み、より苦しい。

「おいおいおいおいおい、まさか自分が住んでる家を知らねぇとか言わねぇよな?」

 ああ、男には申しわけないが、まさにその通りだった。わたしはどこに住んでいたのだろう。どこで、なにから生まれたかもわからない。素直に頷けば、男は余っている片手で顔を覆い、天を仰いだ。

「とんでもねぇガキを拾っちまったよぉ」

 おいおいと泣き真似をしだした男を、静かに脇の下から見上げる。ひとしきりやって満足したのか、それとも諦めがついたのか真面目腐った顔をして歩き出した。運んでもらっている手前文句は言えないのだが、苦しいものは苦しい。いっそのこと気を失いたいぐらい苦しい。今からでもいいから、おんぶにしてほしい。

「とりあえず、俺が世話になってる人のところへ行くからな」

「はい」

 わたしの意識は知らない間になくなっていた。




 パチリ。

 目が覚めた。むくりと起き上がり、辺りを確認する。どうやらわたしは、ソファで寝ていたらしい。殺風景の部屋には誰もいない。いや部屋なのだろうか。広さはあるが、人が住むような場所ではない。物置のような、屋根裏のような、そんな部屋にわたしひとりだけだ。わたしをここまで運んだのであろう、あの男の姿がない。運ぶとは嘘で、どこかに置いていったのだろうか。それとも夢だったのだろうか。どうしたらいいのかわからないわたしは、その場でただ瞬きを繰り返す。そうしていれば、こつ、こつ、こつ、と規則正しい音が響く。音の方へ顔を向ければ、昨日の男が顔を出した。

「あ、起きたか?」

 軽い挨拶ともに近づいてくる男は、明るいところでみると随分と印象が変わる。なんというか昨夜は暗くて見えていなかったが、夜を閉じ込めたような黒髪が胸あたりまで伸び、男が動くたびにさらさらと揺れる。後頭部を掻きながら「ほら食えよ」とパンを差し出してきた。ありがたく受け取り、食べる。自覚はなかったが、かなりお腹がすいていたらしいわたしはパンにがっついた。

「そんな急いで食わなくても、誰もとりゃしねーよ」

「ほら、水だ」とテーブルにコップを置いた。わたしがパンを食べ終わるまで、男は静かにわたしを見つめていた。その視線に居心地の悪さを感じながらも、かまっている余裕はないのでパンを齧る。

 食べ終えたわたしは水を一気に飲み干した。その飲みっぷりに男は、感嘆の声を上げた。いや、もしかしたら呆れていただけなのかもしれない。

「それじゃあ、お嬢さん。質問しても?」

「答えられることなら」

 わたしの返答が気に入らないのか、男は片眉を寄せた。今からこんな調子だと先が思いやられる。

「あー…。まず、お嬢さんの名前は?」

「個人を示す記号はありません」

「えぇーと? もう一回、お兄さんに教えてくれるかな?」

「個人を示す記号はありません」

 一言一句同じ言葉に、死んだ魚のような目をした。据わっている、目が据わっている。確かに目が合っているはずなのに、やっぱりどこか合っていない。時間が止まったような、それともわたしだけ止まったのか、はたまた男だけが止まったのかわからないまま、わたしは男が動き出すのを待った。

 おもむろに立ち上がった男は、スタスタと足早に歩きだし、階段から身を出し、顔を下に向け、大きく息を吸い、そして――――――。

「ババァっ!!!!」

 叫んだ。

 腹の底から出した声は、びりびりと空気を震わせた。間を置かず、ドン! ドン!と階段を踏みを鳴らしながら誰かが近づいてくる。どんどん近づいてくる音には、明確な怒りが含まれていた。

「誰がババァだっ! こんのクソガキがァッ!!」

 下から現れたのは高齢の女だった。年の割には元気なのか、男に右ストレートを決める。「ケバブッ!」なんて妙な悲鳴を上げながら吹き飛んだ男なぞ見えていないのか、わたしに気がついた女は花が咲いたように顔を明るくし、近づいてきた。

「お前さん、起きたんだね。気分はどうだい?」

「問題ありません」

「そうかい、そいつはよかったよ。わたしはそこの馬鹿に部屋を貸してやってる、末摘(すえつむ)(はな)っていうもんさ。気軽に花とでも呼んどくれ」

 高齢の女改め花さんは、わたしに「よろしくね」と笑った。

「お前さんの名前は?」

「個人を示す記号はありません」

 男と同じように素っ頓狂な顔をした。それから、床で伸びている男に近寄り、蹴とばした。

「なにすんだババァ」

「なにすんだ、じゃないよ。この子の名前は? 聞いたんだろ?」

「個人を示す記号は無いってよ」

 四つの瞳がわたしを見つめる。

 どうすればいいのかわからないわたしは、どうすることもできないので男の左目をじっと見た。深い深い落とし穴のような瞳は、見れば見るほど見えなくなっていく。

「なに、それなら簡単な話じゃないかい」

「は? なに言ってんだババア。ついにボケちまったか? あ、ごめーん! ボケてたのは出会ったころから、ゴフッ!」

 躊躇いなく殴る花さんと殴られることを受け入れる男は、ずいぶんと長い付き合いらしい。

「アンタがこの子に名前をつけてやんな」

「なんで俺がこのちんちくりんの名前決めなきゃなんねーんだよ!」

「拾ってきたのはアンタだ。どうせ帰る家もない子なんだろ? だったら、アンタが最後までしっかり面倒見るのが筋ってもんだろ」

「最後までって、いつまでだよ」

「そんなのあたしは知らないよ」

「とにかく、名前は大切なもんだから、ちゃんとした名前をつけてやんな」と右手をひらひら振りながら階下へ戻っていた。花さんを見送った男は、嫌な顔を隠すことなく立ち上がった。

「はぁーー。なんで俺が、……めんどくせぇな、………ったく」

 ぶつぶつと呟く男に近づけば、男の大きな手がわたしの頭に―――乗ることはなかった。わたしの頭上で拳を握りしめた男は、諦めたように肩をすくめた。

「ここでうだうだ考えてもしかたねぇ。ほら、行くぞ」

 歩き出した男の後に、わたしはついていった。




 花さんの「気をつけて行っといで」の言葉に、男は片手を上げた。わたしもそれを真似て、片手を上げて出ていった。

 外は明るかった。青い空には太陽が燦然と輝き、道行く人の顔は生きることへの希望に溢れているようだった。どこか目的地があるのか迷いなく歩き出した男の背を三歩後ろから追う。ときおりわたしの存在を確認するように振り返るあなたは、乱暴な言葉遣いに比例して、真面目というか、なんというか……。今のわたしには言葉が見つけられなかった。

 個人を示す記号がないわたしとあなたの二人で町を巡り巡った。甘味処、お花屋さん、雑貨屋さん、本屋さん、いろんなお店は、目新しく、わたしはとても楽しかった。そんなわたしとは反対に、あなたは少し居心地が悪そうな顔をしていた。不思議とあなたの素直な横顔はずっと見ていられた。

 休憩を兼ねて入店した喫茶店。わたしの前にはココア、あなたの前にはメロンクリームソーダ。あなたは死んだ魚のような目を輝かせ、バニラアイスの上に鎮座していたサクランボを一口で食べた。

「それで何か気に入ったもんはあるか?」

「気に入ったものですか?」

 質問を質問で返したわたしに怒ることなく「そーう、気に入ったもん、好きになったもんはありましたか、お嬢さん」と首を傾げた。

「なんか気に入ったもんがあれば、そこからつけようと思ってだな」

「つける? なにを?」

「―――お嬢さんの〝名前〟をだよ」

 意外だった。

 いや、意外というほど男のことを知らない。知らないのだから〝意外〟という言葉は失礼だ。だとしても、この数時間一緒にいた相手だ。花さんの言葉通りに、わたしを示す記号を考えてくれていたなんて。

「もしかして、気に入ったもんなかったか? 一応、年頃の女が好きそうな場所は行ったと思うんだけどな」

 男の癖なのか、困りごとがあると自身の後頭部をガシガシと掻く。

「どうっすかなぁ」なんて、上の空のあなたをわたしは指さした。指をさされたあなたは、肩眉を寄せた。

「人を指さすんじゃありません」

「わたしはあなたが気に入りました」

「はあ?」

 どうも素直なあなたを、なにも知らないあなたのことを、足並みを揃えて歩いてくれないあなたのことを、わたしは気に入ってしまったらしい。

「あなたの名前を教えてください」

「つーか、俺ェ……。名乗ってなかったな」

 座りなおしたあんたの瞳は、あの時の月明かりのように薄く、それでもしっかり煌々と輝いている。

「俺は松鉦(まつがね)(あおい)ってんだ」

「まつがね、あおい」

 大切に、大事に、忘れないようにあなたの名前を呼ぶ。

「俺からとれるもんなんてないからなァ。……名字は松鉦でいいとして、名前かァ、名前なァ、名前ねェ」

 腕を組み、うんうんと頭を左右に揺らす。その規則正しい動きを真似て、わたしも左右に揺れてみる。あまり楽しくも、おもしろくもなかった。動きをとめ、ココアを飲む。ココアは温かくて、おいしい。

「よし、決めた」

「いいか、よく聞けよ」もったいぶる葵さんは、決めたと言うわりには、まだ迷っているような、いますぐ逃げたいと顔に書いてあった。どうしてそんな顔をするのか、わたしにはちっともわからなかった。

「俺が葵で三文字だから、お前も三文字に合わせて(かすみ)って名前にした。これからお前の名前は―――松鉦霞だ」

 ああ、なんて素敵な響きなんだろう。

 わたしだけを示す記号。わたしだけの、わたしのためだけの記号。

「あ、あの!」

「あ? 気に食わなくても、その名前で我慢しろよ。クーリングオフ対象外ですぅ~~~」

「返せと言われても返すつもりはありません」

「ア、ソウナノネ」

「あの、どうしてわたしは霞って名前なのでしょうか?」

「やっぱり、気に食わないのかよ!!!」

「くそがっ!!」と机に突っ伏した葵さんは、おいおいおいと泣き出した。あまりにもみっともない姿であったが、そこまで悔しがってくれるのは、それほどまでに真剣に考えてくれたからなのだろう。

「違います。どうして霞という名にしたのか知りたいのです。わたしという個人を示す記号の由来を聞きたいのです」

 伺うようにわたしを見上げる葵さんは、口を尖らしながら「言ったら絶対に怒るもん。そうなったら葵さん、立ち直れないよ」とブツブツと呟きだした。この人はいったい何度言えばわかってくれるのでしょうか。信じてくれるまで伝えるしかないのでしょうね。

「もう一度いいます。わたしは葵さんからいただいた名を返すつもりはありません。数多の言葉の中から、どうして〝霞〟という言葉を選んだのか知りたいだけなのです」

 ゆったりとした動作で起き上がった葵さんは、頬杖をついて窓の外を見る。わたしから顔を逸らすあなたの顔を見ることができない。重たい沈黙がわたしと葵さんの間に流れるが、わたしはこれ以上言葉を重ねることができなかった。

「―――なんとなくだよ」

 そう嘯いたあなたに、わたしは「そうですか」としか返すことができなかった。


 わたしに松鉦霞という記号がついて、ひと段落したからか葵さんは「ところで、お前ってどこから来たわけ?」とつまらなそうに聞いてきた。口に出した割には、あまりにも興味がなさそうだ。

「わかりません。わたしの最初の記憶は――落ちたところからです」

「なに、じゃあお前、飛び降り自殺する前の記憶がねぇのかよ」

「わたしの中の確かな記憶ではありません」

 きっぱりとした肯定に苦虫を食い潰したよう顔をする。

「わたしは生まれたばかりのはずなのです」

「えーっと、お嬢さん? 生まれたてのガキは、こんな大きくもなければ、言葉も話しませんケド」

「知っています。朧げな記憶ですが、わたしの古い記憶は浴槽の中です」

「実は魚だって? 冗談はよせよ」

「お前の冗談に付き合ってると日が暮れる。ほら、店出るぞ」

 聞き耳を持たない葵さんの背を、わたしは追いかけた。

 目的地があるのか、葵さんは迷いなく歩いていく。どこに向かっているのかわからないわたしは静かに後ろをついていった。目的地は大きな建物だった。住居というより、研究所のほうが近いだろう。とても大きな施設のようだが、もう使われていないのか壁には蔓科の植物が絡み合いながら上へ上へと伸び、どこか冷たい印象を受ける。どこを見たらいいのかわからないわたしは、蔓科の植物のようにただただ上を見上げた。

「お前、この屋上から落ちてきたんだよ。なんか思い出すもんはねェのか?」

「そう言われても……」

 落ちた、というよりは飛んだときは何も考えていなかった。ただ飛んだという事実を受け入れ、その結末も受け入れた。

「わたしは――」

 ――死ぬはずだった。

 でも、わたしはいま死んでいない。わたしはどうして生きているのか、葵さんに助けられたからだ。どうして葵さんは、わたしを助けたのだろう。きっと聞いても教えてくれないんだろうな。

「わたしは、なんだよ?」

 暗い二つの瞳がわたしを見下ろしている。なにを考えているのか、まったくわからない。それが、ちょっとだけ怖いかもしれない。

「なんでもないです」

「ふ~~ん。ま、いいけど」

 踵を返した葵さんは「腹もへったし、帰るぞ~」と歩き出す。わたしはその背の後ろを歩くことができなかった。

 だって、帰るってどこに?

 わたしはどうすればいいのかわからない。足が地面と縫いついたみたいに離れない。その場から動けないわたしの喉は、葵さんを呼び止める言葉も絞り出せやしない。縋るようにその背を見つめることしかできなかった。

「なにしてんだよ」

「な、なにって、なんですか?」

 わたしの疑問に、葵さんは「あ“ァ------っ!」なんて汚い声を上げながら、自分で自分の髪の毛をわしゃわしゃと激しく、混ぜるように掻いた。ひとしきり騒いだ葵さんは足早に近づいてきて、わたしの目の前で止まった。それから、3、4、5秒見つめあえば、葵さんはわたしを小脇に抱えた。

「グエッ!」汚い悲鳴なんて聞こえなかったのか、聞こえたうえで無視したのか、葵さんは大股で歩き出す。

「お前も一緒に帰んだよ!!」

 やけくその叫びを理解するのに数秒を要した。

 ああ、小脇に抱えられてお腹は苦しいし、大股で歩くからすごく揺れるし、今もなお「ったく、こんな、くそ!」なんて言葉を漏らす男はうるさくてたまらないのに、どうしようもないほど胸が溢れて、口からなにか出そうなのに、出るものなんて何一つもないのかが不思議だ。



「はあ、なんで俺はお前を拾っちまったのかね」



 そう言ったあなたの柔らかな横顔を、わたしはきっとずっと覚えているのだろうな、と漠然と思った。






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