⑤
ガラス戸から見える中は都会のコワーキングスペースのようでおしゃれだ。
やや重厚なレトロフォントで『漆喰不動産』と書かれたガラス戸をガラリと引いて、中にいる漆喰さんに挨拶をする。
「おはようございます」
「おはよ」
漆喰さんはちらりと私を見て軽く挨拶をしたが、すぐにオリーブグリーンの視線はモニタへと戻った。
今日もパリッとしたブラックスーツに高そうな時計。漆喰さんの周りにだけ、洗練された都会の空気が漂っている。
私はその空気を壊さないように、そっと中に入った。
ガラス戸の手前にはカフェのような椅子と机。その向こうに漆喰さんが作業する大きなメインデスクがある。
奥行きのある作りで、まるで「うなぎの寝床」のような部屋だ。
私は作業スペースがある奥へと足を進める。ラックに私物を置いて、さっと身支度を整えた。周囲は棚に入った資料だらけだが、古書店のような狭さは不思議と気にならなかった。
「では、お仕事頑張りますか」
スマホでシフトアプリの出勤ボタンを押し、スーツの襟を整えて漆喰さんの後ろの席に座る。ミニノートパソコンを立ち上げる間、漆喰さんの背中を見つめながら話しかけた。
「漆喰さん、今日は昨日の続きのデータ入力でいいですよね?」
「あぁ、お願いするよ。それは午前中に終わりそう?」
漆喰さんがリズミカルにキーを叩く音は止まらない。
「はい、大丈夫だと思います」
「分かった。午後からは事故物件に出向いてもらうから、よろしく」
「はい。午後から事故物件に出向く……えっ?」
「近いうちにあると言っただろう?」
そこでやっとこちらを見て、綺麗に微笑む漆喰さんは――なかなかに悪い上司だ。
「い、いきなり過ぎませんか!?」
「物件を持っている向こうの都合に合わせたら、こうなった。大丈夫だ、今回も俺がついていくから」
それだけ言うと、漆喰さんはまた作業に戻ってしまった。私の視界には、シワひとつない綺麗なスーツの背中だけが残される。
「はぁぁ、分かりました。頑張ります。あ、お昼にお弁当を持ってきたんですけど、それを食べてからでもいいですか?」
「もちろん」
おにぎりは二個買おう。気合を入れて午後に臨もうと、私はパソコンの画面に向き合った。
※
「今日はどんな恐ろし物件ですか? 詳細は後回しですかっ」
昼食を食べて元気満タン。宿泊セットの準備もバッチリだ。前回の事故物件では陰鬱な気分になったけれど、これも仕事のうち。自分で選んだ道だ。やるしかない。
車の中、私は握り拳を作って運転席の漆喰さんに質問した。
「そうだね……今回はそのあたりも含めて、説明しておこうかな」
今回はちゃんと説明してくれるんだ、と安堵して耳を傾ける。
「場所は泉北にある団地だ。一棟そのものが事故物件と化している」
「一棟そのものが!? ……殺人鬼が全室に押し入って皆殺しにしたとか、デスゲームでも行われたんですか?」
「想像力が豊かすぎる。もう少し抑えてほしいな」
先生が生徒をたしなめるような言い方をされてしまった。ならばと、握りしめた拳を顎に当てて考えるが、先に漆喰さんが小さく笑った。
「まあ、考えても正解は出ないだろう。先に答えを言おう。発端はある一人の主婦だ。子供が難病にかかってしまい、それを治療したくて手を出したのが──とある宗教団体だった」
「! また宗教団体……」
私の言葉に、漆喰さんがオリーブグリーンの眼差しをちらりと向けたが、すぐに前を向いた。昼下がりの車道は空いており、車は快適に進んでゆく。
「……宗教団体のことは気になるだろうけれど、話を先に進めるよ」
「わかりました」
前の物件の「ユカリ」さんも宗教に関わりがあった。やはり何か繋がりがあるのだろうか。
「宗教というのは、ごく普通の主婦がハマるケースも少なくない。重要なのはここからだ。その主婦はね、とても人望のある人だったんだよ。気立てが良くて、団地の自治会長を務めるような真面目な人だ。子供の難病のこともあって、住民は皆、彼女に同情した」
「……もう、嫌な予感しかしませんけど」
「安全地帯から俯瞰していればそう思えるだろう。けれど、渦中にいたら分からないものだよ。団地の住民たちは皆、彼女を通じてその宗教団体と関わりを持ち……気がつけば集団でズブズブにハマり、各々が悩みを団体にさらけ出した」
「それって、宗教団体に弱みを握られたようなものですよね。鴨川から鴨の集団が、京ネギを背負ってやってきたみたいな……」
「階さんは面白いね。クラウス・ノミを見ている気分になるよ」
「え、それ誰ですか? 海外のモデルさんか何かですか?」
私の問いに、漆喰さんはただ微笑するだけだった。
周りの景色は前回と同様に高い建物が減っていき、代わりに大きな看板が目立ち始めていた。




