⑦
車の中。
助手席に乗り込み、私は無言だった。
漆喰さんも無言。
それでいいと思った。
言葉を重ねてもどうしようもない。
私たちにあれ以上できることもないし、あんな夫婦に関わりたくもない。
事故物件は閉ざされた空間で起こる悲劇だ。それを身をもって知った。
漆喰さんが「祓えない」と言う事故物件は、あまりにも大きな『事故』すぎたのだろう。
これからこんなことが続くと、流石に私、ちょっと辛いかも……。
そう思いながら車内のデジタル時計の数字だけを、ぼうっと見つめていた。
外の風景を見る気にもならなかった。
考えがまとまらないまま、九時十五分のデジタルな数字を見ていると、「階さん」と漆喰さんに名を呼ばれた。
のろりと返事を返す。
「……はい。なんですか」
「今から、スーパー銭湯に行かないか」
「今から、スーパー銭湯……!?」
いきなりのワードになにごとだと、運転する漆喰さんを見る。
その横顔は整いすぎていたけれど、私の様子を伺う瞳は瞬きを繰り返して、どこか人間味があった。
「昨日、ネカフェに泊まって軽くシャワーを浴びた
が、なんだか風呂に入った気がしなくて。今回の事故物件の除霊は上手くいったが──このまま、あの家の空気を家に持ち帰りたくないと思ってね」
「確かに」
私も、すべてを洗い流してサッパリしたいと思った。
「じゃあ、行こうか。風呂から上がったあと、そこで早速、次の事故物件についてだな」
「せめて日を置いてくれませんか!? さっきあんなことがあったばかりなのに!」
「階さんのメンタルなら大丈夫だ。問題ない。白狐が守ってくれるし、階さんが見た夢は次も見るとは限らない」
「そりゃ、そうですけど……」
また見る可能性だってある。
乗り出した体を再び座席に預ける。
「それに、事故物件はああいうのだけじゃない。バリエーションはたくさんある」
「絶対に嫌なタイプのバリエーションですよねっ」
「前向きな理由の事故物件なんてないから、そこは仕方ないな」
ふっと笑う漆喰さん。
少し空気が軽くなったとき、気になっていたことを呟いた。
「ところで、私が見た夢に出てきた宗教団体って……何だったんでしょう。漆喰さんは何か分かりますか?」
「……突然だね」
「だって、お札がどうとか。カルマがどうとか、気になりますよ」
「気になるのは共感できるけれど、さあ。俺にはわからない。知っていてもノーコメントかな。逆に階さんには何か思い当たることがある?」
「それは……」
パッと出てきたのは『健照教』
「家を大事に」というフレーズ。
私の周りにずっと、ぺったりとくっついているような……。
でも、確証なんてない。
言い淀んで下を向く。
「それを調べたいなら、俺は何も協力はしない。階さんが好きにしたらいいと思うけれど……ちょっと『変な人』として、俺の中の好感度が下がるかな」
「ハッキリと好感度が下がるとか言わないでください。割と心にグサッときました」
別に漆喰さんを恋愛対象として見ているわけではないけれど、イケメンに「好感度が下がる」と言われるのは、なかなかにシンドイ。
うーんと唸ると、「他にも気になることがある?」と漆喰さんに尋ねられた。
「じゃあ気になること、もう一つ。夢で見た『オリーブグリーンの瞳』というのが、なんだか気になって。漆喰さんの瞳と同じ色……なんというか、上手く言えないんですけど、気になります」
漆喰さんと何らかの関連性があるのではないか、と思ってしまう。
車が赤信号になり、ゆっくりと止まる。
漆喰さんは赤信号をたっぷり見つめたあと、さらりと喋った。
「俺の瞳の色は血筋だ。家系に海外の血がある。それ以上は俺のプライベートだから、黙秘したい」
「血筋だったんですね。プライベートなことに触れてすみません。困らせたいとかじゃないんです」
手をパタパタ振りながら、「銭湯、もうすぐ着くかな」と自ら話題を切り上げて外を見る。
外の景色にやっと目を向けると、来た道とは違って、広い道沿いに飲食店やチェーン店が多く並んでいた。大型トラックもそこそこ走っている。いかにも郊外、という感じだ。
さっきまで事故物件にいたのが嘘みたいに、窓の向こうの景色はのんびりしている。その落差に肩の力が抜けた。
窓にコツンとおでこをつけて、ひんやりとした感触を感じながら考えをまとめてみる。
夢で見た『ユカリ』さんが体験したオリーブグリーンの瞳と、漆喰さんの瞳。
夢と現実。オリーブグリーンの瞳という共通点。
だけれど、今どきカラコンなんて珍しくない。誰だって簡単に付けられる。
でも漆喰さんの瞳は生来のものだ。
だとしたら、これは……。
「同じ瞳の色……カラコンじゃなかったら、同じ血筋。あ。え。親族なら、あり得る……?」
私の脳内にある名前が浮かんだ。
『漆喰輝夜』
漆喰さんと同じ苗字で、響きがよく似た名前。
漆喰輝夜と漆喰神楽。
前々から聞いてみたいと思っていたけれど、今プライベートな質問を「黙秘」と言われたばかりで、迂闊には聞けない。
イケメンに「好感度が下がる」なんて二度と言われたくないし。なんだか上手く考えがまとまらない。
「何か繋がりが……じゃなくて、実は同一人物? 名前を変えたとか……そうだ、あの『証言』って結局なんだったの……あー、もうわかんないっ!」
頭がモヤモヤする!
「か、階さん? 大丈夫か? 銭湯に着いたらコーヒー牛乳くらい奢ってあげるから」
「いえ、お気遣いなく。突然失礼しました……」
ふう、と息を吐いて姿勢を正す。
情報が手元に揃っているのに、上手くまとめられなかった。
謎の核心まで来ているのに、あと一歩踏み込めない。近づけない。そんな感じで──ちょっと怖い。
もしくは、なんとなく。
踏み込んではいけないような気がして、頭がパンクしそうで思考を手放した。
こういうのは、分かるときにはすべてスッキリ分かるものだろう、と自分を納得させる。
その後。
スーパー銭湯で思いのほか、漆喰さんとロウリュで意気投合してしまった。
隣で頬を上気させ、低い声と吐息を漏らしながら汗を流す漆喰さんは、実に目の毒だった。
サウナの熱気のせいか、それとも彼のせいか、心臓まで蒸されてしまう勢いだったけれど、楽しかった。
モヤモヤした気持ちも、あの家で見た夢も、汗と一緒にデトックスできた。
あの夢は、家に持って帰るには重すぎる。銭湯に来て正解。
あとはちょっとずつ、漆喰さんのことを知っていけばいいと心も体も整った。
そうしてのんびりと、スーパー銭湯でリラックスするのだった。




