⑤
階段を一段、また一段。上がっていく。
「ご両親は娘を立ち直らせようと、苦心したそうだ」
「へ、へぇ……」
横の壁に、夢で見たものと同じ手すりがあってぞわっとした。
『私』が掴めなかった、あの手すりだ。
まさか、まさか。
夢で見ていることは現実と関係があるのか。
あまりにも非現実的だ。
手すりから目線を逸らして、漆喰さんの広い背中を見つめる。
漆喰さんは先に階段を上がり切り、壁にある電気のスイッチをパチリと入れた。二階に明かりがつく。
「でも、娘さんはますます引き籠もった。宗教にのめり込み、ペットを殺したりして荒んだ生活を続けたそうだ」
「……民生委員の人を呼んだりしていましたか?」
「その通り。でも最後は発狂して、この階段から落ちて死んだそうだよ」
「!」
死んだ。
その言葉を聞いたとき、ちょうど階段を上がり切ったところでゾワッとした。
この二階は、夢で見た場所と同じだ!
足元にマロンケーキが落ちていないか。
階段の下に人が倒れていないか。
キョロキョロと不審な動きをしてしまう。
どうしよう。
私が見た夢の内容を、漆喰さんにちゃんと説明すべきか悩む。私の勘違いだったら嫌だし、とにかく今は私自身が混乱しそうだった。
反対に漆喰さんは落ち着いていて、二階のある部屋の前に立ち、扉を見つめていた。
「ここが死んだ娘さんの部屋。彼女が亡くなったあと、この部屋から死んだはずの娘の声が聞こえる。誰もいないはずの二階から足音がする。この部屋の窓から外を睨む女の霊が見える……」
「それって、外から見えていた二階の窓ですか?」
「そうだ。極め付けは二階から、頭から血を流した娘が降りて来る」
「──!?」
「その他、数々の不気味な現象が続いた。両親は何度もお祓いをしたそうだが無駄。そういった怪奇現象はずっと続いた」
流石に気持ち悪くなって、漆喰さんのそばに近寄る。
「も、もう、十分ですっ!」
実はとんでもない夢を見たのだと、ちゃんと言おうとするよりも早く、漆喰さんの指がコツンと扉を叩いた。
その小さな音に、私は思わず言葉を飲み込んだ。
「両親は家を手放したがっていたけれど、手放そうとすると、ことごとく良くないことが続いた。だから、維持をするしかなかった。そうして何年も経って、俺にこの事故物件の話が回ってきた。階さん。覚えてる? 俺は見えるけど祓えないって」
首を傾げて、俯き加減でこちらを見る漆喰さん。その白い首筋がとても嫋やかだ。
なんとなく、見てはいけないモノを見ているような気がして、首筋から視線を逸らす。
「は、はい。一応」
「俺は霊は見えるし、声も聞こえる。中には霊自ら俺に訴えて来る奴もいるから、その希望を叶えることによって俺が祓うことも多少はできる」
「漆喰さんが霊のお願いを叶える……」
「そう。それができる場合は、俺が霊を祓う。できないことは知り合いの霊能者に頼んだり、様々だ」
しかしと、漆喰さんはトン、とまた扉を叩いた。
「ここの霊は、その霊能者も匙を投げるレベルだ。祓うには相当な時間も金も気力も掛かる。ここまで来たら放っておく方がいいと言われたそうだ。俺自身も調べて分かったのは、この家に住む人間を全員呪い殺すという、強い悪霊が住み着いているということだけ」
「呪い殺す……?」
「そう。昨日、窓から頭から血を流したその悪霊に睨まれた上に、激しく威嚇されていたから、直視することすらままならなかった」
「そ、そんな危ない物件に私を放り込んだんですか!?」
「それが、俺と階さんが交わした条件だ。君に憑いている白狐ならなんとかなるだろう、と見越した上のことだけどね」
「!」
「実際に今、二階を見たらどこにも霊はいなかった。素晴らしい。お見事だ。低コストで高パフォーマンスだ」
爽やかに笑わないでほしい。
でも、条件を飲んだ私も私だ。
はぁ、と大きく肩を落とす。
「白狐様が、ここの霊をやっつけたということなんですね?」
「君に害を成そうとしたから、返り討ちにあった。そんなところだろうね」
──夢の最後。
二階からこちらに向かって来たナニか。
嫌だと思うと白い光が現れて、その直後、ナニかの断末魔が聞こえた。
それは……悪霊となった『ユカリ』さんが、白狐様によって祓われた瞬間だったのだろう。
心の中で白狐様に感謝する。
「そういうわけで階さん。この部屋の中、見てみる? 実はこの部屋だけ、ほぼ当時の状態のままになっているんだ」
ドアノブに手を掛けた漆喰さんを、私は慌てて止めた。
「嫌ですよ!! そんな話を聞いたあとに、霊が祓われたとしても見たいとは思いませんっ! それよりも漆喰さん、私の話を聞いてください。今の話を聞いて確信したんです。実は夢で──」
必死で夢の中で見た出来事を話した。
最後、『ユカリ』さんが背中を押されたことも含めて漆喰さんにすべて伝えると、彼はオリーブグリーンの瞳を強張らせた。
漆喰さんはたっぷりと考え込んだあと。
「それは……」
と口を開いた瞬間。
インターホンの「ピンポーン」という単調な音に、私達は体をびくりと震わせた。
「えっ、だ、誰が来たの?」
階段の下、玄関を見つめたあと漆喰さんに視線を戻すと、彼はふうっと息を吐いた。
「多分、この家の持ち主だ。今日のことはすべて事前に話していて、祓うことに成功したらすぐに連絡が欲しいと言われていたから、さっき電話をしていたから」
「じゃあ、その人達がさっそく様子を見に来たのかな」
「この近くに住んでいるから、そうだと思う」




