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便宜という名の対価

 食堂で水谷葵の姿を見てから、数日が経っていた。


 講義の合間、蓮は一人で歩きながら、彼女のことを考えていた。濃い青髪と、冷めた瞳。手に入れるべき「コレクション」の候補として、ターゲットに定めた女。


 彼女を自分のものにしてみたい。その欲望が、胸の奥で静かに燻っている。


 だが、焦ってはいけない。


 (水谷葵を完全に俺のものにするには、まだ段階を踏む必要がある。焦って失敗するわけにはいかない)


 履修登録相談会での会話で、彼女の本質の一端を垣間見た。賢く、警戒心も強い。簡単に落ちるタイプではない。時間をかけて、じっくりと懐柔していくしかない。


 (だが、それまで禁欲的に待つ必要もない)


 蓮は廊下の窓から中庭を見下ろした。そこには、談笑する女子学生たちの姿がある。



 蓮は、日頃からクラスメイトの情報を収集していた。


 誰がどんな性格で、どんな家庭環境で、何に悩んでいるのか。何気ない会話の中から、使える情報を拾い集める。それは習慣になっていた。


 その中で、一人の女子学生に目をつけていた。


 早瀬由香。


 黒髪のセミロングを後ろで一つに束ねた、地味だが整った顔立ちの女子学生だ。華奢で小柄な体型、優しげだが少し不安そうな目。控えめで目立たない雰囲気を纏っている。


 彼女は真面目で大人しく、目立たないタイプだ。だが、蓮は彼女の「使える要素」を既に把握していた。


 まず、母子家庭で実家に経済的余裕がない。防大は学費・寮費無料という破格の待遇だ。もしトラブルで退学にでもなれば、母親に大きな負担をかけることになる。つまり、彼女は問題を大きくすることを極度に恐れるはずだ。


 次に、性格が気が弱く従順。争いを避けたがる傾向が、日常の会話から見て取れる。


 そして、身体能力に不安を抱えている。基礎体育の成績が芳しくなく、密かに焦っている様子だった。


 (この女は、丸め込める。退学のリスクを恐れ、大事にすることは絶対にない。加えて、身体能力の不安という接近の口実もある)


 蓮は満足げに頷いた。


 (条件は全て揃った)



 講義の合間、蓮は意図的に早瀬に話しかけた。


「早瀬、最近の基礎体育、どう?」


 早瀬は少し驚いた様子で振り返った。束ねた黒髪が揺れ、優しげな目が蓮を見上げる。


「あ、神谷君……」


 彼女は少し考えてから、小さく息を吐いた。


「正直、ちょっときつくて。私、昔から運動が苦手で……でも、母がすごく喜んでくれたから、ここに入れて良かったと思ってたんです」


 早瀬は小さく笑ったが、その目には不安が浮かんでいた。


「だから、体力面で落ちこぼれたら、って思うと……」


 不安そうな表情だ。思った通り、彼女は悩んでいる。そして、蓮が想定した通り、家族への責任感が彼女を追い詰めている。


 早瀬由香は、真面目な女だ。講義にも遅刻せず、ノートもきちんと取る。グループワークでも、自分の役割を黙々とこなすタイプ。地味だが、誠実な性格だ。


 (だからこそ、使いやすい)


 蓮は内心で冷たく結論づけた。真面目で誠実な人間ほど、責任感という枷に縛られる。母親への負い目、防大への感謝、周囲への配慮——それらが全て、彼女を雁字搦めにしている。


「そうなんだ」


 蓮は共感を示すように頷いた。


「もしよかったら、一緒にトレーニングしない? 俺も体力維持したいし、二人でやった方が効率いいと思う」


「えっ、本当?」


 早瀬の目が少し輝いた。


「でも、神谷君に迷惑じゃ……」


「全然。今日の夕方、第三体育館の個室トレーニング室でどう? 人が少なくて集中できるから」


「ありがとうございます! お願いします」


 早瀬は嬉しそうに頷いた。


 (読み通りだ)


 蓮は内心で微笑んだ。


* * *


 夕方、第三体育館の個室トレーニング室。


 人気はなく、二人きりだった。室内にはトレーニングマットと簡単な器具が置かれている。防音設計のため、外の音はほとんど聞こえない。


 早瀬はスポーツブラとショートパンツという、肌の露出が多い服装だった。この大学のトレーニングウェアは、機能性を重視した結果、女子学生でもこうした格好になる。


 黒いスポーツブラが、彼女の白い肌に映えている。華奢な肩、細い腰、すらりと伸びた脚。普段の控えめな服装からは想像もつかないほど、整った身体のラインが露わになっていた。


「じゃあ、まずはスクワットから始めようか」


「はい」


 早瀬は真面目に取り組み始めた。蓮は彼女のフォームを確認しながら、腰や腹部に軽く触れて修正を加える。


「ここの位置を意識して」


「はい……」


 これは完全に正当な指導の範囲内だ。早瀬も、蓮の手を疑っている様子はない。


 (まずは、警戒を解く)


 蓮は何度か正当な指導を続けた後、徐々に触れる場所を変えていった。


 腰から、太ももへ。太ももの外側から、内側へ。


 早瀬の身体が、ほんの少し強張る。


 (気づいたか)


 蓮は表情を変えず、さらに手を移動させた。スポーツブラの下縁、肋骨のあたり。指導としては不自然な位置だ。


 早瀬の顔が、徐々に赤くなっていく。呼吸が浅くなり、身体が小刻みに震えている。白い肌が、運動の火照りと羞恥で薄く紅潮している。それでも、彼女は何も言わない。


 (まだ我慢している)


 蓮は、彼女の反応を冷静に観察しながら、さらに踏み込んだ。


「あの……神谷君」


 ついに、早瀬が口を開いた。声が震えている。


「ちょっと申し訳ないんだけど……触ってるところが、少し気になるかな……」


 彼女は顔を真っ赤にして、視線を床に落としている。「申し訳ない」という言葉を先に置く時点で、彼女の弱さが露呈している。拒否の言葉を口にすることすら、彼女には大きな勇気が必要だったようだ。


「あ、ごめん」


 蓮はさっと手を離し、謝罪した。一見、紳士的な対応だ。


 蓮は冷静に状況を分析する。


 (以前、学内で女子学生によるいわゆるセクハラ事案の訴えがあったそうだが、結局うやむやになったと聞いた。女子学生が「気にしすぎ」と批判され、逆に孤立したらしい)


 (この程度の接触は、全く問題にならない。そもそも防大では専用の窓口すら設けられていない)


 もっとも、ラインを超えれば話は別だ。性交を伴う性犯罪には、この国は異様なほど厳しい。適性者であろうと容赦なく重い刑罰が科される。


 (だが、そのラインさえ弁えていれば問題ない)


 蓮は内心で結論づけた。ましてや早瀬の状況——母子家庭、経済的不安、退学への恐怖——を考えれば、彼女が騒ぎ立てることは絶対にない。


 蓮は確信していた。


「ごめんなさい、気を使わせちゃって……」


 早瀬が申し訳なさそうに言う。


 この反応も、想定の範囲内だ。彼女は「拒否した自分」を責めている。


「いや、こっちこそ」


 蓮は穏やかに微笑んだ。


「……そういえば、話題変わるけど」


「何でしょう?」


「早瀬さん、召喚師がこの大学の同級生にいるって知ってる?」


「はい、噂になってますよね」


 早瀬は少し目を輝かせた。


「すごく希少なジョブだって」


「実は……それ、俺なんだ」


「え……?」


 早瀬の目が見開かれる。


 蓮はステータスカードを取り出し、彼女に見せた。


 早瀬は驚愕の表情で、カードを見つめている。


 早瀬の手が、小刻みに震えている。


 その目は、ステータスカードの一点に釘付けになっていた。


「召喚師……日本で、8人目……」


 呟くような声。


(理解したな)


 蓮は内心で満足した。


 召喚師。全国で8人しかいない希少ジョブ。


 希少ジョブ保持者は、引く手あまただ。大手企業からのスカウト、政府機関からの推薦。特に、実力を証明した希少ジョブの制圧士は、その多くがトップランカーとして社会的地位を築いている。そんな事実は、防大生なら誰でも知っている。


 早瀬も、それを理解している。


 今、自分と彼女の間には、決定的な格差が生まれた。


 早瀬は唇を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。その目に浮かんでいるのは、驚愕と——恐れだった。


「……すごい、です」


 声のトーンが、明らかに変わっていた。親しげだったさっきまでとは違う、どこか距離を置いた、恐れを含んだ声。


 蓮はカードをしまい、早瀬の腰に手を置いた。そして、彼女の目を真っ直ぐに見る。


「早瀬、君は賢いから分かってると思う」


 早瀬の身体が、ほんの少し強張る。


「……はい」


 小さく、震える声。


「俺は、この力を使って、とりあえずはこの大学で頂点を目指すつもりだ」


 早瀬の喉が動いた。唾を飲み込んだのだろう。


 蓮の手が、腰の曲線をゆっくりとなぞる。早瀬の呼吸が、ほんの少し乱れた。


(ここからが勝負だ)


 蓮は内心で思考を巡らせる。


 実際のところ、今の自分に何ができるわけでもない。ただの1年生だ。「便宜を図る」と言ったところで、それは遠い将来の、不確かな約束に過ぎない。


 冷静に考えれば、早瀬もそれに気づくはずだ。


 だが——身体に触れられた動揺と、召喚師という衝撃。この狭い個室という閉鎖空間。そして、母親への責任感と経済的不安。


 それらが重なれば、判断力が鈍る可能性はある。


(いける、か?)


 蓮は静かに言葉を続けた。


「君がたまに俺のお願いを聞いてくれるなら、今後いろいろと便宜をはかってやる」


 早瀬の呼吸が浅くなった。


 蓮の手が、腰から脇腹へと移動する。スポーツブラの下縁に、指先が軽く触れた。


「将来、俺はトップランカーになる。その時、君が困っていたら、助けてやれる」


「……っ」


 早瀬の表情が歪んだ。視線が泳ぎ、床に落ちる。


(追い詰められている)


 蓮は冷静に観察する。


 早瀬の頭の中では、今、様々な思考が渦巻いているはずだ。母親のこと。パートの仕事のこと。経済的な不安。そして、召喚師である蓮を怒らせたらどうなるか、という恐怖。


 何より——男性である蓮の「お願い」を、女性である自分が露骨に拒否していいものか。


 早瀬は唇を噛み、肩を震わせている。


 (もう少しだ)


 蓮の手が、脇腹から太ももの外側へと滑り降りる。


「どうする?」


 声は、意図的に優しく響かせた。


 早瀬の身体が、一瞬強張る。


 彼女の喉が、何度も小刻みに動いている。言葉を飲み込んでいるのだろう。「嫌です」「やめてください」——そんな拒否の言葉が喉元まで出かかっているのに、それを口にすることができない。


 それは、この社会で女性として生きてきた彼女が、無意識のうちに身につけてしまった習性だった。男性の機嫌を損ねないこと。波風を立てないこと。笑顔で受け入れること。そうした「女性らしさ」という名の枷が、今、彼女の声を奪っている。


 (この女は、もう冷静じゃない)


 数秒の沈黙の後、早瀬がゆっくりと顔を上げた。その目には、諦めと混乱が入り混じった光が浮かんでいる。


 早瀬は何も答えなかった。ただ、小さく息を吐き、視線を逸らすだけ。


(……いけた)


 蓮は内心で確信した。


 もし拒否されたとしても、問題はない。さっきの身体接触も、この程度の誘導も、大したトラブルにはならない。しかも早瀬の立場を考えれば、騒ぎ立てることもないだろう。


 だが——拒否されなかった。


 蓮の手が、ゆっくりと移動していく。


 早瀬の身体が一瞬強張る。


 だが、今度は何も言わなかった。


 蓮の手が、ゆっくりと移動していく。腰の曲線をなぞるように。くびれから、太ももへ。そのまま太ももの内側へと、ねっとりと這わせていく。


 早瀬の呼吸が、明らかに乱れた。


「……っ」


 小さく喉が鳴る。唇を噛み締めているが、運動後の火照った白い肌は、触れられる度に敏感に反応している。


 蓮はさらに手を移動させた。腰から、脇腹を撫で上げるように。そして、スポーツブラの下縁に指先が触れる。


「あ……」


 早瀬の身体が、びくりと跳ねた。


 蓮は躊躇わず、スポーツブラの下から手を滑り込ませた。布地の下、何も遮るものがない。温かく柔らかな感触が、掌に広がる。


「ん……っ」


 早瀬の口から、押し殺したような声が漏れた。


 蓮の手が、ゆっくりと動く。その柔らかさを確かめるように。運動で汗ばんだ肌は、しっとりと湿っていて、触れる度に早瀬の身体が小刻みに震える。


「あ……っ」


 早瀬の声が、さらに漏れる。顔は真っ赤に染まり、視線は床に落ちたまま。身体は強張っているのに、どこか力が抜けていく。


 蓮は冷静に、彼女の反応を観察する。拒否したいはずなのに、身体は逆らえない。震える肩、上気した頬、乱れる呼吸。


 そして、拒否の言葉は、もう出てこない。


 蓮は手の動きを止めず、たっぷりと時間をかけて、その感触を堪能した。


 蓮の胸の奥で、何かが満たされていく感覚があった。それは単なる肉体的な快感ではない——自分の計略が成功し、一人の人間を思い通りに動かしている、という支配欲の充足だった。


 召喚師という希少ジョブ。それは、戦闘での力だけでなく、社会的な力をも与えてくれる。この力を使えば、早瀬のような女を、いくらでも手に入れられる。


 蓮は内心で、冷たく微笑んだ。


「……っ、あ……」


 早瀬の声が、小さく漏れ続ける。


 時間をたっぷりかけて十分に堪能した後、蓮は手を離した。


「ありがとう、早瀬。また誘うから」


「……はい」


 早瀬は小さく頷いた。


* * *


 トレーニング室を出た後、蓮は一人で廊下を歩いていた。


(召喚師というカードは、予想以上に効いた)


 満足げに微笑む。


(この女は、また使える。次はもっと踏み込んでも問題ないだろう)


 そして、蓮は葵のことを思い出した。濃い青髪と、冷めた瞳。あの女だけは、こんな手軽な方法では落ちない。


(水谷葵を完全に手に入れるまで、こうして適当に楽しめばいい。これが許される素晴らしき世界なのだから)


 夕焼けが、廊下の窓を染めていた。


(俺の大学生活は、これから本当に面白くなる)



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