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聖アレイアと噂の召喚師

 第四国立ダンジョン防衛大学校は全寮制であり、学生は全員が敷地内の寮で生活することを義務付けられている。その学生寮は、近代的で機能的なマンション群だった。大学の広大な敷地の一角に、20階建ての建物がずらりと林立する様は、さながら一つの街区のようである。全学生、約4000人を収容するだけの個室が、そこには用意されている。


 神谷蓮の住居も、その一室だ。与えられたのは、コンパクトながら考え抜かれた1LDK。バス・トイレ別の独立洗面台まで完備された清潔感のある空間は、一般的な大学寮のイメージとはかけ離れている。


 蓮はスライド式のドアで仕切られた寝室を純粋な休息の場と定め、リビングに備え付けられたデスクを研究と思考の拠点としていた。冷暖房完備のこの快適な個室が、信じられないことに寮費無料で提供されるのだ。管理人や警備員が常駐し、万全のセキュリティ体制が敷かれたこの破格の待遇は、学生たちが国家にとってどれほど重要な「投資対象」であるかを、雄弁に物語っていた。


 蓮は特に予定のない日の夕食は、決まって寮1階の食堂で摂る。無料の食事も魅力だが、何より他の学生との情報交換に都合が良かった。こういう場所で人当たりの良い好青年を演じ、有益な情報を引き出すのは、彼の得意とするところだ。


 白を基調とした清潔な食堂には、数百人分のテーブルが整然と並んでいる。今日のメニューは鶏胸肉のグリルと五穀米、温野菜サラダ。栄養バランスは申し分ないが、毎日こうした健康志向の食事が続くと、時折ジャンクフードが恋しくなる。


「よお、神谷。こっち空いてるぜ」


 盆を持って席を探していると、聞き慣れた声に呼び止められた。声の主は、犬井(いぬい)健人けんと。同じクラスで、入学後のオリエンテーションで隣の席になった縁で、時々こうして言葉を交わすようになった、数少ない友人と言える男だった。


「ああ、助かる」


 蓮が笑顔で応じ、健人のテーブルに向かう。そこにはすでに同じグループの男女が数人集まっていた。


 席に着く途中、蓮はふと、食堂のあちこちで目につく、ある種の光景に目を留めた。


 防大生は皆、思い思いの私服を着ているというのに、男子学生の隣に座る女子学生たちの中に、揃いの制服を身に着けた1団が混じっている。清楚な白いブラウスに、落ち着いた紺色のスカート。あるテーブルでは、制服姿の女子学生が男子学生のグラスにお茶を注ぎ、別のテーブルでは、男子学生が立ち上がろうとすると制服姿の女子学生が「私が取ってきます」と微笑んでカウンターへ向かっていく。それぞれが、まるで専属の世話係のように、特定の男子学生に付き従っているようだった。それは、この自由な雰囲気の中では少し異質に見えたが、周囲の誰もそれを不自然とは思っていないようだった。


「なあ、犬井」と、蓮はトレーを置きながら、顎でその一団を示した。「あの子たちのあの制服、見慣れないんだが」


 健人は蓮の視線を追い、ああ、という顔をした。


「あれは、聖アレイア女子学院の学生だよ。俺たち防大のキャンパスに併設されてる女子大のな。なんでも、俺たち男子学生の世話役(・・・)とかで、こっちの寮に入り浸ってる上級生も多いらしいぜ」


 健人は悪びれもなくそう言って、自分の唐揚げを1つ、蓮の皿に乗せた。「まあ、俺らにはまだ関係ねえけどな!」


 蓮が礼を言ってそれを受け取ると、健人は「おう!」と快活に笑った。


(聖アレイア女子学院。入学前に第四防大の関連施設は調べ尽くしたから、もちろんその存在は知っている。防大と密接に連携し、一部の講義や実習を合同で行うという公式情報までは掴んでいたが、学生がこちらの寮に入り浸るほどの関係性だとはな。公にはされていない、より深い繋がりがあるということか)


 その時、蓮の近くを、カウンターから戻ってくる制服姿の聖アレイア女子学院生2人が通りかかった。片方がグラスを持っている。彼女たちは蓮に気づく様子もなく、小声で会話を続けていた。


「……もう慣れた?」


「うん、まあ……こういうものだしね」


 淡々とした、感情の読めない声だった。


 しかし2人がテーブルに戻ると、先ほどの女子学生はもう柔らかな笑顔を浮かべ、世話をしている男子学生と談笑しながらお茶を注いでいた。まるで別人のような、自然な切り替えだった。


 蓮の思考は、健人の快活な声によって中断された。


「来週からいよいよダンジョン実習だな。正直、めちゃくちゃ緊張してる」


 健人はそう言って、少し大げさに肩をすくめてみせる。彼のジョブは「剣士」。前線で戦うことに、純粋な誇りと責任を感じているタイプだ。


「まあ、しばらくは教官も同行してくれるし、気負いすぎるなよ」


 蓮がそう言って宥めると、健人は「分かってるけどさ」と口を尖らせた後、ふと思い出したように声を潜めた。


「そういや、神谷。お前、すごい噂になってるの、知ってるか?」


「噂?」


「ああ。なんでも、今年の入学者の中に、とんでもなく珍しいジョブの奴がいるって話で持ちきりなんだ。確か……日本でまだ数人しか確認されてない、『召喚師』だってさ。一部じゃ、もう特定されてるとかされてないとか」


 健人の言葉に、同席していた情報通らしい男子学生が、興奮したように割って入った。


「召喚師って、マジかよ。過去に確認されたそのジョブの奴らは、例外なくトップランカーになってるって話だぜ」


 健人は、まるで伝説のモンスターの話でもするように、目を輝かせている。蓮は表情を変えず、ただ「へえ、すごい奴もいたもんだな」と他人事のように相槌を打つ。


(噂の出所は、入学者リストか、あるいは能力登録時の情報漏洩か。どちらにせよ、まだ俺個人とは結びついていない。来週から始まるダンジョン実習で召喚獣を使えば、遅かれ早かれ知られることだ。だが、あえて自分から名乗り出ることもないだろう)


 蓮が冷静に状況を分析していると、ふと、食堂の入り口がわずかに華やいだ。その視線の先には、友人たちと談笑しながら入ってくる、水谷葵の姿があった。


「うおっ、見てみろよ、水谷さんだ……」


 健人が、憧れのアイドルでも見るような目つきで、ぽつりと呟く。


「入学してから、人気すごいよな。まあ、あんだけ美人で髪色も目立ってるし、なんかオーラまで感じるわ」


 健人は葵の姿を目で追いながら、少し照れたように続けた。


「大学で会うとさ、清楚っていうか、落ち着いた雰囲気なんだよ。実際に話しても丁寧だし礼儀正しい。なのに、水谷さんのSNS見たことあるか? 私服の写真とか結構……攻めてるっていうか。露出多めのかわいい服装。最近流行ってるよな、ああいうの」


 健人は少し声を潜めて続けた。


「うちの講義の女子たちの間でも『かわいい』『おしゃれ』って人気らしいんだけどさ、一方で『防大生としては珍しいよね』『ちょっと派手すぎない?』って意見もあるみたいで。まあ、防大生って保守的な奴多いからな。俺は好きだけどな。清楚系もいいんだけど、ああいう自由な感じ、かっこいいと思う」


 健人は、まるで憧れのアイドルについて語るように、熱っぽく言葉を続ける。


「それでいて成績優秀で、実技もすごいって評判だろ? まさに才色兼備だよな。そのギャップがまたいいって、みんな言ってるぜ」


 蓮は相槌を打ちながら、入学前に興味本位で覗いた葵のSNSアカウントを思い出していた。肩が大きく開いたオフショルダーのトップスに、太ももの半ばまで露わになったショートパンツ。健人の言う通り、確かに攻めた服装だった。大学での清楚な佇まいとは対照的な、少し挑発的ですらある私服姿。あのギャップは、彼女が意図的に使い分けているものなのか、それとも――。


(面白い女だな)


 SNSでの挑発的な私服姿と、大学での清楚な佇まい。あのギャップは計算されたものなのか、それとも――。どちらにせよ、この退屈な価値観に染まりきっていないように見える。それが、蓮の興味を引いた。


「ま、俺らもここにいる時点で、世間から見りゃエリートなんだろうけどさ。……それでも、なんつーか、届かないって感じちゃうんだよな……」


 健人はそう言って、少し照れくさそうに笑った。その屈託のない声に、同席していた女子学生が、同意するように小さく頷いた。彼女は健人の空になったグラスに手際よくお茶を注ぎながら、憧れの眼差しで葵の姿を追い、溜め息交じりに言葉を添える。


「ええ、本当に……! すごく綺麗ですし、入学試験の時の実技もすごかったって聞いて……。私たちも、見習うところは見習わないとですよね」


 彼女は少し背筋を伸ばすと、前を向いて続けた。


「来週からの実習、正直少し緊張してますけど、でも私たちは戦力として皆さんと共にダンジョンに挑むために、ここにいるんです。それぞれのジョブで、安全かつ効率的にモンスターを駆除する。それが私たちの専門性なんですから」


 その声には、確かな誇りと決意が込められていた。


 もう1人の女子学生も頷いたが、その視線は少しだけグラスの中のお茶に落ちた。わずかな間を置いてから、彼女は続ける。


「……実習、正直不安もありますけど、みんな同じですし。やるしかないですから」


 その言葉には、先ほどの女子学生ほどの熱量はなかった。ただ、彼女の口調には諦めだけではなく、防大生としての自覚も滲んでいる。


「防大に入った以上、中途半端なことはできません。私も、将来的には第一種国家専属補佐官を目指そうと思ってます。せっかくここまで来ましたし、実績を積んで、しっかりとしたキャリアを築かないといけませんから」


 彼女の言葉は落ち着いていた。強い野心や情熱というよりも、現実を受け入れた上での、静かな決意。流れに乗ってここまで来たのかもしれない。でも、こうなった以上は、この道で結果を出すしかない。そんな割り切りが感じられた。


 蓮は差し出されたお茶を受け取り、礼を言いながら、再び食堂の奥で友人たちと笑う葵の方へ視線を向けた。


 彼女の本当の顔を、もっと知りたいと思った。



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