蹂躙の五分間
実習二日目。
朝食を終えた学生たちが、戦闘訓練の準備を進めていた。
「本日の訓練内容を説明する」
教官が、集まった学生たちの前に立った。
「各パーティは、指定されたエリアでモンスター討伐を行う。効率と安全性を評価し、成績に反映する。制限時間は30分だ」
学生たちが緊張した面持ちで頷く。
「パーティごとに出発しろ。神谷・水谷パーティ、お前たちは最後だ」
「了解しました」
蓮は淡々と答えた。
他のパーティが次々と訓練エリアに向かっていく。6人編成のパーティが、それぞれの役割を確認しながら出発する。
蓮と葵は、ベースキャンプで待機していた。
「......緊張してる?」
葵が小声で聞いた。
「いや。お前は?」
「......別に」
葵は短く答えた。だが、その目には、いつもの冷静さが戻っている。
戦闘前の葵は、こうだ。余計なことを考えず、目の前の課題に集中する。それが彼女のスタイルだ。
やがて、他のパーティが戻ってきた。
息を切らせ、汗を拭いながら、疲労の色を見せている。
「くそ、ギリギリだった......」
「連携が乱れたな。もっと練習が必要だ」
学生たちが反省を口にしている。30分という制限時間は、彼らにとって厳しいものだったようだ。
「神谷・水谷パーティ、出発しろ」
教官の声がかかった。
蓮と葵が、訓練エリアに向かって歩き出す。
周囲の学生たちが、その姿を見つめていた。
「......やっぱり2人だけか」
「神谷たちなら余裕だろうな。俺たち、30分ギリギリだったのに」
「見せつけられるのか、また」
小さなざわめきが広がる。だが、蓮は気にしなかった。
* * *
訓練エリアに入る。
岩場と低木が点在する、第1階層特有の地形だ。視界は開けているが、モンスターが潜む死角も多い。
「始めるぞ」
蓮が短く告げた。
葵が頷く。
蓮は〈召喚〉のスキルを発動した。魔法陣が足元に次々と展開し、光が収束する。
現れたのは、スモールウルフ4体、ピクシー2体、シャドウキャット1体、ミストリザード1体、そしてウィンドホーク1体。
銀灰色の小型狼たちが低く唸り、妖精たちが淡い光を放ちながら宙を舞う。影に溶け込む黒猫、霧を纏う蜥蜴、そして上空を旋回する鷹——合計9体の召喚獣が、一斉に展開された。
「......え、あれ全部?」
訓練エリアの入口付近で、様子を見ていた教官補佐が小さく呟いた。第1階層の訓練課題に、これほどの戦力を投入するとは。明らかに過剰だ。
蓮は〈共鳴の鎖〉を葵に接続する。意識を集中させると、視界の端に葵の気配が鮮明に浮かび上がった。距離感、緊張度、魔力の残量。全てが手に取るように理解できる。
「まず、エリア全体を索敵する」
蓮の思考が、召喚獣たちに伝わる。
ウィンドホークが上空へ飛翔し、広域偵察を開始。ピクシーたちが前方と左右に散り、《魔力感知》で隠れた敵を探る。シャドウキャットが《影潜り》で音もなく茂みの奥へと消えた。
30秒後。
蓮の脳内に、訓練エリア全体のマップが完成していた。召喚獣たちの視界と感覚が統合され、敵の配置が手に取るように分かる。
「ゴブリンの群れが3箇所。フロアウルフが2体、ジャイアントラットが5体。配置を確認した」
蓮がセンスリンクを通じて葵に伝える。言葉以上の情報——敵の正確な位置、地形の特徴、最適な攻撃順序——が一瞬で共有された。
「......全部把握したの?」
「ああ。これなら3分で片付く」
葵の魔法杖を構える手に、力がこもる。〈共鳴の鎖〉が彼女の全能力値を底上げしている。魔力の流れが、いつもより滑らかだ。
「第一群、北西。ゴブリン4体。接近する」
蓮の指示と同時に、スモールウルフ4体が《高速移動》で岩場を駆ける。
隠れていたゴブリンたちが、突然現れた狼の群れに驚愕する。棍棒を構える暇もなく、4方向から同時に襲いかかる《噛みつき》が、それぞれの喉笛を食い破った。
5秒で、4体のゴブリンが沈黙した。
「第二群、東。ゴブリン3体」
今度はウィンドホークが急降下する。《急降下》からの《ウィンドカッター》が、上空から一方的に敵を切り裂いた。風の刃が3体を同時に薙ぎ払い、ゴブリンたちは反撃の機会すら与えられずに倒れた。
「第三群、南東。ジャイアントラット5体。密集している」
「了解」
葵の〈アクアストリーム〉が発動する。高圧水流が薙ぎ払うように放たれ、密集していた巨大鼠たちを纏めて押し流した。水の奔流に巻き込まれたジャイアントラットたちが、岩に叩きつけられて動かなくなる。
「フロアウルフ2体、中央エリア。少し厄介だ」
蓮はミストリザードに指示を出した。《霧発生》——濃密な霧が戦場を覆い、フロアウルフたちの視界を完全に奪う。
霧の中、シャドウキャットが《不意打ち》で一体の足腱を切り裂く。バランスを崩したフロアウルフに、スモールウルフ2体が同時に飛びかかった。
もう一体は、霧の中で葵の〈アクア・ショット〉を眉間に受けて崩れ落ちた。センスリンクを通じて蓮が提供した正確な位置情報により、視界ゼロでも完璧な狙撃が可能だった。
「残り、ゴブリン2体のみ。北東の茂み」
最後の敵は、ピクシーの《閃光》で目を眩まされ、スモールウルフの追撃で終わった。
戦闘開始から3分。
訓練エリア内の全モンスターが殲滅された。
蓮と葵は、ほとんど動いていない。召喚獣たちが一方的に敵を狩り、葵の魔法は最小限の消費で最大限の効果を発揮した。
「......終わった」
葵が小さく呟く。魔力の消費は、普段の半分以下だ。
蓮は召喚獣たちを次々と消滅させた。もはや敵はいない。無駄にキャパシティを維持する必要はなかった。
(第1階層か。正直、楽すぎる)
蓮は内心でそう評価していた。普段は第5階層で戦っている。ここは、彼らにとって格下すぎた。
「戻るぞ」
二人は、何事もなかったかのように訓練エリアを後にした。
* * *
5分後。
蓮と葵は、訓練エリアを抜けてベースキャンプに戻ってきた。
待機していた学生たちが、一斉に時計を見た。信じられない、という表情だ。
「......は? もう戻ってきた?」
「5分だぞ!? 俺たち30分ギリギリだったのに!」
「あの召喚獣の数、見た? 9体も出してたぞ。第1階層の訓練で、あんな物量作戦......」
「しかも全部が完璧に連携してた。まるで一つの生き物みたいに動いてた」
「あいつら、普段は第5階層で戦ってるんだろ? ここ、第1階層だぞ。格が違いすぎる」
「水谷さんの魔法、ほとんど撃ってないのにあの殲滅力......召喚獣だけで蹂躙したってことか?」
「化け物だよ。次元が違う」
ざわめきは、もはや羨望を通り越して、畏怖に近いものになっていた。
教官が、蓮たちの前に歩み寄ってきた。
「神谷、水谷。期待通りだ」
教官の声には、満足の色が滲んでいる。
「討伐数、全て達成。時間は......5分」
教官が、自分の時計を二度見した。
「信じられん。訓練エリア全域の敵を、5分で殲滅したのか」
「ありがとうございます」
蓮は淡々と答えた。
「補佐からの報告では、召喚獣9体を同時運用し、事前の索敵で敵配置を完全に把握した上で、各個撃破したと。神谷、お前のキャパシティ管理と戦術眼は、もはや学生レベルを超えている」
教官は葵にも視線を向けた。
「水谷も、その戦術に完璧に追従した。魔力消費を最小限に抑えながら、要所で決定的な一撃を放つ。二人の連携は......正直、一流の制圧士パーティと言っても過言ではない」
教官の評価に、周囲の学生たちが息を呑んだ。
「......一流の制圧士って......」
「俺たち、同じ1年生だよな?」
「差がありすぎて、もう何も言えない」
羨望と諦めの混じった視線が、蓮と葵に注がれる。
蓮は表情を変えずに、その視線を受け止めていた。
葵は蓮の隣で、わずかに表情を緩めていた。戦闘での成功は、彼女にとっても自信になっているようだ。
* * *
訓練終了後、ベースキャンプで休憩の時間が設けられた。
疲れた学生たちが、思い思いの場所で体を休めている。
そして、ここでもこの世界の構造が現れていた。
女子学生たちが、疲れた男子学生の世話をしている。
水を運び、タオルを渡し、マッサージをする。装備のメンテナンスを手伝い、軽食を準備する。
当然のように、その役割を引き受けている。
誰も疑問を持たない。女子学生たちは笑顔で、時には楽しそうにさえ見える。男子学生たちは感謝を口にしながらも、それを「当たり前の光景」として受け入れている。
戦闘で疲れているのは、男子も女子も同じはずだ。だが、休憩時に世話をされるのは常に男子だけだ。
「お疲れ様。水、どうぞ」
「ありがとう」
男子学生が、差し出された水筒を受け取る。感謝の言葉は口にするが、それが「当然のこと」として受け入れられている空気がある。
蓮は、少し離れた場所で座っていた。
葵が近づいてきた。
「はい」
水筒を差し出す。そして、タオルも。
「汗、拭いたら」
「ありがとう」
蓮は受け取った。葵はその場に座り、蓮の装備をチェックし始める。
他の女子学生と同じように、世話役を務めている。だが、その動きはどこか自然で、義務感よりも別の何かで動いているように見えた。
「神谷、水谷さんに世話してもらえていいな」
近くにいた犬井が、羨ましそうに言った。
「パーティメンバーだからな」
蓮は淡々と返した。
葵の手が、一瞬だけ止まった。
装備のベルトを調整していた指が、わずかに震える。視線は蓮の装備に向けられたままだが、焦点が合っていない。
その横顔に、痛みにも似た何かが浮かんだ。だが、一瞬で消えて、葵は作業を続けた。指先に、いつもより少し力がこもっている。
(「パーティメンバーだから」。その言葉に、何を感じたのか)
蓮は葵の様子を観察していた。
犬井の視線は羨望に満ちていた。「水谷さんに世話してもらえて」――それは、葵の行為を「役割」として見ている。この世界では当たり前の、女性の「義務」として。
だが、葵にとっては違うのだろう。少なくとも、そうであってほしいと願っているのかもしれない。
それを、蓮は「パーティメンバーだから」という一言で片付けた。
自分は何なのか。パーティメンバー? 共犯者? それとも......。
葵の中で、その問いが渦巻いているのかもしれない。昨夜の告白以降、彼女の中で何かが変わりつつある。だが、それを言葉にすることも、確信を持つこともできない。宙ぶらりんのまま、ただ蓮の隣にいる。
だが、蓮はあえて触れなかった。
今は、この距離感でいい。無理に言葉にする必要はない。
「......装備、問題ないわ」
葵が立ち上がった。
「ありがとう」
「......別に」
葵は視線を逸らして、その場を離れていった。
蓮はその背中を見送りながら、静かに水を飲んだ。
* * *
実習最終日。
朝食を済ませた学生たちが、ベースキャンプの撤収作業を進めていた。
女子学生たちが、テントを畳み、荷物をまとめ、調理器具を片付けていく。重い物資は男子学生に引き渡し、分担して作業が進められた。
葵も、その作業に加わっていた。
蓮の荷物は、自然と葵がまとめている。他の女子学生が手を伸ばしかけても、葵は素早くそれを遮った。
「水谷さん、神谷くんの荷物、私がやろうか?」
「いい。私がやる」
短い返事。だが、その声には、譲れないものがあった。
蓮の装備を丁寧に畳み、荷物袋に詰めていく葵の手つきは、慣れたものだ。まるで、この作業を誰にも渡したくないかのように、集中して作業を進めている。
蓮はその様子を見ながら、何も言わなかった。
撤収作業が終わり、学生たちがダンジョンを出る。
地上の光が、目に眩しい。
2泊3日。ダンジョンの中で過ごした時間は、思ったより短く感じた。
教官が、学生たちの前に立った。
「諸君、2泊3日の実習、お疲れ様だった。今回の実習で、諸君はダンジョン内での生活と戦闘を経験した。この経験を、今後の活動に活かしてほしい」
学生たちが真剣な表情で聞いている。
「総合評価の詳細は、後日発表する。各自、反省点を洗い出し、次回に備えること。以上、解散」
学生たちが、それぞれの方向へ散っていく。
蓮と葵も、大学へ向かって歩き出した。
葵は、蓮の隣を黙って歩いている。その表情は、実習開始時より少し柔らかい。
感情の整理は、まだできていないのかもしれない。だが、一緒に活動する中で、ぎこちなさが薄れてきた。
戦闘では、いつも通りの連携ができた。それが、二人の関係を支えている。
どんな感情を抱えていても、葵は蓮から離れるつもりはない。それだけは、確かなようだった。
蓮はその様子を観察しながら、静かに前を向いた。
次の目標は、第6階層。そして、その先には、まだ見ぬ深層が待っている。




