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泊りがけ実習


 ダンジョン実習を終え、学生たちが控室に戻ってきた。


 来週に迫った泊りがけ実習について、教官から最終確認があるためだ。


 蓮は椅子に腰を下ろした。隣には葵が座っている。


 葵は蓮の横顔を一瞬見たが、すぐに視線を逸らした。二人の間には、まだ微妙な空気が残っている。


 教官が学生たちの前に立ち、全員を見渡した。


「諸君、来週の泊りがけ実習について、改めて確認しておく」


 控室が静まる。教官の声が響いた。


「後期のダンジョン実習IIの中で実施する、2泊3日の泊りがけ実習だ。諸君は入学以来、日帰りでのダンジョン活動を経験してきた。だが、実際の制圧士の任務では、数日間をダンジョン内で過ごすことも珍しくない」


 学生たちが真剣な表情で聞いている。


「深層攻略では、ベースキャンプを設営し、そこを拠点に活動することが基本となる。撤退が容易ではない環境で、いかにチームワークを維持し、生存能力を発揮できるか。それがこの実習の主眼だ」


 教官は一呼吸置いた。


「日帰りと泊りがけでは、求められる能力が異なる。戦闘能力だけでなく、生活能力、精神的な持久力、そしてパーティメンバーとの協調性。全てが試される」


 学生たちの間に、緊張感が漂い始めた。


「実習は、ホームルームクラス単位で実施する。第1階層の大学管理区画にベースキャンプを設営し、そこを拠点に活動する」


 第1階層という言葉に、少しだけ安堵の空気が流れた。最も安全な階層だ。


「パーティ編成は原則6人だが、既にパーティを組んでいる者は、申請すれば維持を認める。詳細は配布済みの資料を確認しろ」


 教官がそう締めくくり、控室を出ていった。


* * *


 教官が去った後、控室は一気に騒がしくなった。


「泊りがけか......正直、緊張するな」


 犬井健人が、蓮の方を振り返って言った。クラスメイトの中でも特に人懐っこい男だ。


「第1階層なら安全だろうけど、ダンジョンの中で寝るってのは初めてだし」


「確かにな」


 蓮は適度に相槌を打った。


「神谷は余裕そうだな。お前と水谷さん、普段から第5階層まで行ってるんだろ? 第1階層なんて楽勝じゃないか」


「場所は第1階層でも、泊りがけは別の話だ。環境が変われば、対応も変わる」


 蓮は冷静に答えた。実際、戦闘能力と生活能力は別物だ。油断する理由はない。


「さすが神谷、冷静だな」


 犬井が感心したように言った。


 その隣では、二木涼介が興奮気味に話していた。


「俺、ちょっと楽しみだな。実戦に近い環境での訓練とか、燃えるじゃん」


「お前は相変わらず前向きだな」


「だって、これが制圧士としての第一歩だろ? 泊りがけで任務をこなせるようになれば、深層攻略にも参加できるようになる」


 二木の目が輝いている。野心家の彼にとって、この実習は成長の機会なのだろう。


「でも、不安もあるんだよな」


 別の男子学生が口を挟んだ。


「俺、寝つきが悪いからさ。ダンジョンの中で寝れるか心配」


「まあ、なんとかなるだろ」


 男子学生たちが気楽に話している。


 その傍らで、夏目椿が資料を配って回っていた。黒髪のポニーテールを揺らしながら、一人一人に丁寧に手渡していく。実習の持ち物リストだ。各自の装備や共用物資の分担が、細かく書かれている。


「ありがと」


 男子学生が受け取る。目を通しもせずに、机の上に置いた。椿は小さく会釈して、次の席へ向かう。こうした準備や雑務を率先して引き受けるのは、いつものことだ。普段から「今日の実習、頑張りましょうね」と声をかけてくるタイプで、以前カフェテリアでも「生活デザイン論」について熱心に語っていた。


 誰も、それを不思議に思っていない。蓮は黙ってその光景を眺めていた。


 女子学生たちも、別のグループで集まっていた。手元にはメモ帳とペン。


「持ち物リスト、確認した?」


 声をかけたのは園田麻衣だ。茶髪のミディアムヘアに、いつも通りの人懐っこい笑顔。廊下ですれ違えば軽く手を振ってくるし、以前の実習で同じパーティを組んだ時には「我らがエースの神谷くんにサービスです」とドリンクを差し出してきた。あの時、笑顔の裏に疲れた表情が一瞬だけ見えたのを覚えている。


「した。調味料は私が持っていくね」


「ありがと。じゃあ私、救急キットの補充しとく」


 麻衣を中心に、てきぱきと役割を決めていく。その手際の良さは、こうした準備を何度も繰り返してきた者の動きだった。


 蓮は二つのグループを見比べた。片方は手ぶらで雑談し、片方はメモを取りながら準備を進めている。


 葵は、その会話には加わっていなかった。静かに席に座ったまま、窓の外を見ている。


 蓮は小声で声をかけた。


「パーティ、2人で申請するか」


「ええ」


 葵は短く答えた。それだけで、十分だった。


 蓮は周囲を見渡した。男子学生たちは気楽に雑談し、女子学生たちはメモを取りながら準備を進めている。


「......楽しそうね、みんな」


 葵がぽつりと呟いた。その声には、どこか冷めたものがある。


「お前は楽しくないのか」


「......さあ。でも、あの子たちみたいには笑えないわ」


 葵の視線が、準備を進める女子学生たちに向けられる。


 蓮は何も言わなかった。葵の言葉の意味は、聞かなくてもわかる。


 二人の間には、まだ微妙な空気が残っている。だが、同じものを見ている。それだけは確かだった。


* * *


 実習当日。


 ホームルームクラスの学生たちが、光来ダンジョン第1階層の広いエリアに集合していた。


 ダンジョン内の空気は、地上とは違う。かすかに湿り気を帯び、土と岩の匂いが鼻をつく。天井は見えないほど高く、薄暗い闇が頭上に広がっている。壁際に設置された魔石灯が、青白い光で空間を照らしていた。


 第1階層は、ダンジョンの中でも最も安全な区画だ。モンスターの出現も限定的で、大学が管理する特別区画では、ベースキャンプの設営も許可されている。


 開けた空間の中央には、腰の高さほどの石柱が立っている。魔石式モンスター忌避装置だ。魔石の淡い光が脈動し、半径数十メートルの範囲にモンスターを近づけにくくする。


 完全に遮断するわけではないが、この装置のおかげで、ベースキャンプ内は比較的安全に過ごせる。ただし、密集ペナルティは無効化されないため、学生たちはテントを適度に分散配置する必要がある。


「よし、設営を始めろ。各自、指示に従って動け」


 教官の号令で、学生たちが動き出した。


 蓮はその光景を観察していた。


 テントの資材、食料、調理器具、寝具。大量の荷物が運び込まれる中、自然と役割分担が形成されていく。


 基本的にはパーティ単位で動いているが、共用スペース(調理場や物資置き場)は全体で協力して整備する。各パーティのテントはベースキャンプ内に分散配置され、密集ペナルティを避けつつ、必要に応じて協力できる距離を保っている。


 女子学生たちが、率先して動いていた。


 重い荷物を運ぶ。テントの設営を手伝う。調理場の準備を進める。物資を整理し、使いやすいように配置する。


 蓮は冷静に観察していた。


 荷物を運んでいる女子学生の一人に、蓮は見覚えがあった。先日のダンジョン実習で、的確な支援魔法と状況判断でパーティの動きを支えていたヒーラーだ。彼女の判断は冷静で、回復のタイミングも的確だった。


 その彼女が今、額に汗を浮かべながら大きな木箱を運んでいる。


 横を、手ぶらの男子学生が通り過ぎた。


「お疲れ」


 軽く手を挙げて、そのまま焚き火の準備をしている仲間の方へ歩いていく。女子学生は笑顔で「うん」と答え、また重い足取りで木箱を運び続けた。


 別の場所では、男子学生が椅子に座って休憩していた。


「おい、そっちの荷物、こっちに持ってきてくれ」


「わかりました」


 女子学生が素直に応じる。木箱を指定の場所に置くと、男子学生が軽く手を挙げた。


「ありがとう、助かるよ」


 その声に、特別な感謝はない。当然のサービスを受けた時の、形式的な礼だ。女子学生は笑顔で「どういたしまして」と答え、次の荷物を取りに戻っていった。


 蓮は周囲を見渡した。荷物を運ぶのは女子。指示を出すのは男子。休憩しているのも男子。そして、誰もその構図に疑問を持っていない。


 彼女たちは防大に入学したエリートだ。戦場では男子と肩を並べて戦い、時にはそれ以上の働きを見せることもある。だが、こうした場面では違う。「女性だから」という理由だけで、雑用を担うことが当然とされている。そして彼女たち自身も、それを疑問に思わない。


 葵も、他の女子と一緒に作業に加わっていた。


 荷物を運び、食材を整理し、調理場の準備を手伝う。その動きは手慣れていて、無駄がない。


「水谷さん、こっち手伝ってくれる?」


「ええ」


 他の女子学生に声をかけられ、葵が応じる。


 蓮はその様子を見ながら、自分も設営作業に参加した。テントの骨組みを組み立て、ロープを張る。効率的な配置を提案し、周囲から感心される。


「神谷、やっぱりお前、頭いいな」


 犬井が感心したように言った。


「この配置の方が、動線が効率的だからな」


「さすがだな。俺なんか、言われた通りにやるだけで精一杯だよ」


 犬井は笑いながら、蓮の指示に従って作業を続けた。


 数時間後、ベースキャンプの設営が完了した。


 テントが整然と並び、中央には焚き火用のスペースが設けられている。調理場も整備され、夕食の準備が始まっていた。


 女子学生たちが、調理を担当している。野菜を切り、鍋に材料を入れ、火加減を調整する。


 長期のダンジョン攻略では、温かい食事がパーティの士気を左右する。携帯食だけで済ませることもできるが、実際の攻略では温かい食事を作ることが多い。この実習も、それに倣っている。


 調理場に立つ彼女たちの中には、先日の実習で見事な分析能力を見せた者もいる。モンスターの動きを予測し、パーティ全体に的確な指示を出していた。その判断力は、男子学生の誰よりも優れていた。


 その彼女が今、鍋の火加減を調整している。少し離れたところでは、小野寺芽依が黙々と食材を刻んでいた。メガネの奥の目は、手元だけを見つめている。講義で隣の席になれば小さく会釈を返してくる程度の、控えめな関係だ。入学直後の実習で同じパーティを組んだこともあるが、あの時も目立たないところで自分の役割を淡々とこなしていた。


 傍らでは、男子学生たちが談笑しながら焚き火を囲んでいた。調理場に立つ男子学生は、どこにもいない。


 葵もその中にいた。


 蓮は少し離れた場所から、その様子を観察していた。


 葵が鍋をかき混ぜながら、ふと蓮の方を見る。視線が合った。一瞬だけ、葵の目が揺れる。だが、すぐに鍋に視線を戻した。


 やがて、夕食の時間になった。


 学生たちが焚き火の周りに集まり、食事を取る。


 葵が鍋から食事を器によそい、蓮の前に差し出した。少し多めによそってある。


「......はい」


「ありがとう」


 蓮は当然のように受け取った。葵は何も言わずに、自分の分を取りに戻る。


 蓮は葵の背中を見ながら、内心で静かに満足した。


(この世界では、女が男に尽くすのが「当然」だ。そして葵も、その「当然」から逃れられない)


 葵はつい蓮に特別扱いをしてしまう。多めによそい、先に渡す。それが「パートナーとしての気配り」なのか、それとも「女性としての役割」なのか。おそらく、葵自身もわかっていない。


 だが、俺にとってはどちらでもいい。結果として、葵は俺に尽くす。それだけで十分だ。


 その様子を、近くにいた女子学生が見ていた。


「水谷さん、神谷くんと仲いいよね」


「......パーティを組んでるから」


 葵は短く答えた。それ以上は何も言わない。


* * *


 夜が更けていく。


 焚き火を囲んで、学生たちがリラックスした雰囲気で会話を交わしていた。


「俺、将来はトップランカーになりたいんだよな」


 二木が熱っぽく語っていた。


「トップランカーか。いいな」


「でも、大変だろ? 競争も激しいし」


「だからこそ、やりがいがあるんだろ。制圧士として、国に貢献できる。それが俺たちの使命だ」


 二木の言葉に、周囲の男子学生たちが頷く。


「俺は、いい企業に入りたいな。安定した収入で、家族を養えるようになりたい」


「それもいいよな。制圧士の待遇は悪くないし」


 蓮は内心で観察しながらも、表面上は模範的な学生を演じていた。適度に会話に参加し、適度に笑顔を見せる。


 女子学生たちは、相槌を打っている。「すごいね」「頑張ってね」と、男子を立てる姿勢。彼女たち自身の夢や野心を語る者は、一人もいなかった。


(俺がこの世界のルールに従って動けば、女は勝手についてくる。便利な構造だ)


 蓮は内心でそう結論づけた。


 やがて、学生たちが一人、また一人とテントに戻っていく。


 焚き火の周りには、蓮と葵だけが残った。


 炎が爆ぜる音だけが、静かに響いている。


 ダンジョンの夜は、地上とは違う。天井も空もない閉じた空間に、焚き火の光だけが揺らめいている。その光が、葵の横顔を照らしていた。


 葵は火を見つめている。揺れる炎が瞳に映り、普段は見せない表情を浮かべている。何かを考え込んでいる様子だ。


 蓮は何も言わずに、同じように火を見つめていた。


 二人の間には、適度な距離がある。近すぎず、遠すぎず。いつも通りの距離だ。


 数分が経った。炎の熱が頬に心地よい。


「......みんな、純粋ね」


 葵がぽつりと呟いた。


 蓮は葵の言葉を聞いて、少し考えた。


 あの学生たちは、この世界が用意したレールの上を、疑いもなく走っている。国のために働き、家族を養い、そして消耗品として使い捨てられる。そんな未来が待っていることにも気づかずに。


 だが、葵は違う。


「そうだな。だからこそ、俺たちは彼らとは違う道を行く」


 葵は蓮を見た。その目に、何かが揺れる。


 そして、小さく頷いた。


(やはり、こいつは俺のパートナーとして適任だ)


 蓮は葵の頷きを見て、静かに満足した。この女は、俺と同じ視点を持っている。同じゲームを見ている。だからこそ、一緒にいる価値がある。


「......寒くないか」


 蓮が短く聞いた。


「......大丈夫」


 葵が答える。その声は、少しだけ柔らかい。


 二人の間に、言葉にならない空気が流れる。


 葵は何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わなかった。


 ぎこちなさは残っている。だが、一緒にいることへの迷いはない。


 それだけは、確かだった。


「......そろそろ寝るか」


 蓮が立ち上がる。葵も頷いて、立ち上がった。


「......おやすみ」


「ああ」


 二人は、それぞれのテントに戻っていった。


 焚き火だけが、静かに燃え続けていた。



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