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クラスの懇親会


 11月中旬の金曜日、蓮のクラスの懇親会が開催された。


 午後7時。個室に、男子学生約35名、女子学生約15名が集まった。


 男子学生たちが中央の大きなテーブルを囲んで座り、女子学生たちはその周囲や端に座る。自然と形成された配置だった。誰も疑問に思わない。


 ある男子学生が立ち上がり、グラスを掲げた。


「みんな、今日はクラスの親睦を深めるために、楽しく飲もう! 乾杯!」


「「「乾杯!」」」


 一斉にグラスが掲げられ、宴が始まった。


 乾杯の直後、女子学生たちが立ち上がり、男子学生の周りを回り始めた。手には瓶ビールを持ち、男子学生のグラスを満たしていく。


「注ぎますね」


「ありがとう」


「いえいえ」


 笑顔でのやり取りが、部屋のあちこちで繰り返される。


 蓮は端の席に座り、その光景を静かに観察していた。


 女子学生たちは、実に自然な動きでお酌をして回っている。それが当然のマナーであるかのように。男子学生たちも、それを当然のこととして受け取っている。感謝の言葉を述べる者もいれば、無言で受け取る者もいる。


 異様な光景だ、と蓮は思う。だが、この部屋にいる誰も、それを異様だとは思っていない。


 蓮の隣に、夏目椿が座った。


「神谷さん、お飲みになりますか?」


 椿が笑顔で尋ねる。蓮が頷くと、椿は丁寧にビールを注いだ。


「ありがとう」


「いえいえ」


 椿は心からの笑顔で微笑み、次の男子学生のところへ移動していった。


 その笑顔には、何の曇りもなかった。彼女は、この役割を心から受け入れている。いや、受け入れているという意識すらないのかもしれない。それが「当たり前」だから。


 蓮の視線が、部屋の反対側に移る。


 そこには、葵がいた。


 葵も他の女子学生と同じように、男子学生にお酌をして回っている。笑顔で、丁寧に。他の女子学生と何も変わらない完璧な振る舞いだ。


 葵がお酌をしている男子学生——犬井健人——が、グラスを受け取りながら言った。


「水谷さん、ありがとう」


「いえいえ」


 葵は柔らかく笑って返した。その笑顔は、椿のそれと見分けがつかないほど自然だった。


 だが、蓮は気づいていた。


 葵の笑顔は、椿の笑顔とは違う。


 ほんのわずかに、ほんの一瞬だけ、笑顔が硬くなる瞬間がある。それは0.1秒にも満たない、表情の微細な変化だ。おそらく、本人すら自覚していないだろう。


 蓮は内心で呟く。


 (葵は、この場に何かを感じている。だが、それが何なのか、彼女自身もわかっていない。ただ、漠然とした違和感。それだけだ)


* * *


 部屋には笑い声が満ちていた。


 ダンジョン実習の失敗談、教官の癖、講義での珍事件。男子学生たちの会話が弾み、女子学生たちもそれに笑顔で相槌を打っている。


「いや、あの時の田村の顔、マジで面白かったって!」


「やめろよ、恥ずかしいから!」


 テーブルを囲む学生たちは、心から楽しんでいるように見えた。表面的には、ごく普通の、健全な大学生の懇親会だ。


 蓮は、その光景を眺めながら思う。


 (この場にいる全員が、自分の役割を演じている。男子学生は盛り上げ役を、女子学生は支える役を。誰も疑問に思わない。それが、この世界の「正しい」懇親会の形だから)


 宴が進むにつれ、男子学生たちの声が大きくなっていった。


 アルコールが入り、場の空気が緩んでいく。笑い声が少しずつ粗くなり、会話の音量が上がっていく。女子学生たちのお酌の頻度も増え、部屋の温度がわずかに上昇したように感じられる。


 そして、男子学生たちの振る舞いが、少しずつ変わり始めた。


 男子学生の一人——田村——が、お酌に来た園田麻衣の横に立ち上がった。麻衣がビールを注ごうと腰を折った瞬間、田村の手が、麻衣のスカートの上、腰のくびれた部分に回された。


「麻衣ちゃん、いつもありがとな〜」


 田村の手のひらが、麻衣の腰に密着する。指が、わずかに腰の曲線に沿って動いた。麻衣は一瞬、身体を硬直させた。グラスを持つ手が、微かに震えた。


 だが、その硬直は一瞬だけだった。麻衣はすぐに笑顔を作り直し、身体をわずかに後ろに引いた。だが、田村の手は離れない。むしろ、その動きに合わせるように、手のひらが腰に密着したまま、わずかに力を込めた。


「いえ、こちらこそ」


 その声は、明るく、穏やかだった。だが、麻衣の肩は、わずかに上がっている。呼吸が、ほんの少しだけ浅くなっている。


 田村の手は、そのまま麻衣の腰に置かれたままだった。麻衣は特に何も言わず、笑顔を維持している。周囲の男子学生たちは、その光景を見て、くすくすと笑っている。


「田村、お前いい加減にしろよ〜」


 冗談めかした声が飛ぶが、誰も本気で止めようとはしない。むしろ、その光景を楽しんでいるように見える。女子学生たちも、笑っている。


 蓮は、その光景を冷静に観察していた。


 少し離れたテーブルで、男子学生2人と女子学生2人が向かい合って座っていた。


「先週の実習、マジ大変だったよな」


「わかる。あのゴブリンの群れ、想定外だし」


「私たちも焦りました」


 ショートカットの女子学生が笑う。


「でも、なんとかなったよね」


 髪を結んだ女子学生が控えめに笑った。


 男子学生の一人が、ショートカットの女子学生の肩に手を回した。


「お前らも頑張ってるよな」


「ありがとうございます」


 もう一人の男子学生が、髪を結んだ女子学生の隣に座り直した。そして、何気ない様子で、彼女のお尻に手を置いた。


 髪を結んだ女子学生の笑顔が、わずかに硬くなった。視線が泳ぐ。


 ショートカットの女子学生が、それに気づいて笑った。


「ちょっと、お尻触ってるじゃん~」


「え、マジで?」


 もう一人の男子学生も笑う。


「ダメですよ~」


 ショートカットの女子学生は笑いながら言った。その声は明るく、軽い。


「えー、これくらいいいじゃん」


 男子学生は笑って、手を離さない。


「じゃあさ、お前の今日の下着の色教えてよ~」


 そう言いながら、男子学生がショートカットの女子学生のスカートの裾に手をかけた。


「ちょ、ちょっと!」


 ショートカットの女子学生が声を上げる。


「お~」


 彼女は笑いながら、スカートを押さえた。その笑い声は、場を盛り上げるように明るい。


 男子学生たちも笑っている。髪を結んだ女子学生も、つられたように笑顔を浮かべている。


 蓮は、そのやり取りを観察していた。


 (この部屋にいる全員が、国家試験を突破したエリートだ。高校3年次の適性検査で選ばれ、厳しい試験を通過し、第四防大に入学した。女子学生たちも、能力では男子学生と変わらない。実習での判断力、戦闘能力、スキルの習得速度。どれも優秀だ)


 (だが、その優秀な女子学生たちが、今、男子学生に身体を触られ、笑顔で受け流している。拒否すれば「冗談が通じない」と評価を下げる。だから彼女たちは、笑顔を維持する)


 (能力は関係ない。ただ、女性であるという事実だけで、この立場に置かれる)


 そのとき、蓮の近くで男子学生たちの会話が聞こえてきた。


「水谷、マジで可愛いよな」


「わかる。あの雰囲気、ヤバいって」


「神谷、パーティ組んでて羨ましいわ」


 笑い声が上がる。


 蓮は表情を変えず、グラスを傾けながら、視線を葵に向けた。


 部屋の反対側で、葵が別の男子学生にお酌をしている。


 腰を軽く折り、丁寧にグラスを満たす。その動作一つ一つが、無駄なく洗練されている。上着の下から、腰の曲線が浮かび上がる。スカートの裾が揺れ、細い脚が覗く。


 葵が微笑みながら男子学生に何かを話しかける。その笑顔は柔らかく、距離感は完璧だ。唇の形、目元の優しさ。それらは全て、「理想の女性」として機能するための演技だ。


 だが、蓮は知っている。


 (あの唇は、数日前、俺の耳元で喘ぎ声を漏らしていた)


 (あの身体は、俺の手の中で震えていた。衣服の下に隠された白い肌、乱れた呼吸、理性を失った表情。この部屋にいる誰も、その姿を知らない)


 蓮は、グラスを口に運びながら、静かな快感を味わっていた。


 (あいつらが「綺麗だ」と称賛している女は、すでに俺のものだ)


 しばらくして、別のテーブルからも声が聞こえてくる。


「水谷さん、先月のダンジョン実習でもすごかったよな」


「能力も見た目も完璧。神谷とずっとパーティ組んでるとか、あいつ勝ち組すぎだろ」


「俺も水谷さんみたいな子と組みてえよ」


 男子学生たちの会話は、そこで途切れた。


 蓮は、内心で呟く。


 (水谷葵は、この場で「理想の女性」として機能している。容姿、能力、立ち居振る舞い。全てが、この世界の求める「正しい女性」の形だ)


 (だから、あいつらは彼女に好意を抱く。手の届かない存在として、羨望する)


 (だが——)


 蓮の視線が、再び葵を捉える。


 葵が次の男子学生のところへ移動する。笑顔で、丁寧に。その背中、腰のライン、歩く姿。全てが、完璧に計算された演技だ。


 (この中の誰も知らない。あの女が、どんな声で喘ぐのか。どんな表情で乱れるのか。あの完璧な演技の裏側に、何があるのか)


 (俺だけが知っている)


 計画通りだ。


 水谷葵という駒を、誰にも気づかれずに獲得した。クラスメイトたちは、彼女を「理想の女性」として羨望している。だが、現実には、彼女はすでに蓮の戦略の中にある。


 (あいつらが必死に好意を向けている女は、俺の手の中にある。あの身体も、あの声も、あの表情も。全て、俺だけのものだ)


 蓮は、静かにグラスを置いた。


 誰にも気づかれない、圧倒的な優位。


 葵が他の男に笑顔を向けるたび、蓮の優越感は増していく。あいつらは、自分たちが「すでに敗北している」ことに気づいていない。


 (面白い)


 蓮の視線が、再び葵に移る。


 葵も今、別の男子学生——二木涼介——にお酌をしていた。笑顔で、丁寧に。他の女子学生と全く同じように見える。


 だが、蓮は見逃さなかった。


 涼介がグラスを受け取る際、葵の肩に軽く触れた。その瞬間、葵の笑顔が、ほんの一瞬だけ硬くなった。眉がわずかに動き、目の奥の光がわずかに変わった。


 それは、おそらく涼介には気づかれていない。周囲の誰にも気づかれていない。だが、蓮には見えた。


 葵はすぐに笑顔を取り戻し、何事もなかったかのように次の男子学生のところへ移動していった。


 (葵は、完璧に演じている。他の女子学生と全く同じように。だが、彼女の中には、何かがある。ほんのわずかな、言葉にならない違和感が)


 蓮は内心で確認する。


 (葵は、この社会の異常性を外側から観察しているわけではない。彼女はこの世界で生まれ育った。だから、この光景を「狂っている」とは認識できない。ただ、何となく、居心地が悪い。触れられることへの生理的な拒否感。笑顔を維持することへの、名前のつけられない疲労。周囲の女子学生と自分の間にある、わずかな温度差)


 (だからこそ、彼女は完璧に演じる。そうすることでしか、この場に適応できない。そして、その違和感を、彼女は言葉にすることができない。言葉にすれば、それは「社会への反逆」になってしまうから)


* * *


 午後9時を過ぎ、宴はお開きとなった。


 学生たちが三々五々、個室を出て、寮へと戻っていく。


 蓮が廊下を歩いていると、後ろから足音が聞こえた。


「蓮」


 葵の声だった。


 蓮が振り返ると、葵は少しだけ疲れた表情で立っていた。いつもの皮肉な笑みではない。


「今日、お疲れ様」


 その声には、いつもとは違う重さがあった。


「お前も」


 蓮が短く返すと、葵は一瞬、何か言いたそうな表情を見せた。口を開きかけて、躊躇する。


 数秒の沈黙。


 二人の間には、あの夜以来の微妙な空気が流れている。肉体を重ねた後の、言葉にならない距離感。


 葵の表情が、いつもの皮肉な笑みに戻ろうとする。だが、完全には戻りきらない。


 そして、葵が小さな声で言った。


「今日も……部屋、行っていい?」


 その声は、いつもの自信に満ちた口調とは違う。少しだけ、不安げに。


 蓮は、葵の顔を見た。


 さっきまで、懇親会の場で完璧に「理想の女性」を演じていた葵。男子学生たちから羨望の眼差しを向けられ、誰もが手の届かない存在として見ていた葵。


 その葵が、今、蓮に対してだけ、別の顔を見せている。


 蓮の視線が、葵の全身を捉える。


 濃い青の髪が廊下の照明を受けて揺れている。白い首筋、華奢な肩のライン。上着の下から浮かび上がる胸の膨らみ、くびれた腰、細い脚。


 懇親会で、他の男子学生たちが視線を向けていた身体。「綺麗だ」「羨ましい」と口にしていた身体。


 その身体が、今、蓮の隣にある。


 蓮は、内心で静かな快感を味わった。


 (あの女は、さっきまで他の男たちに笑顔を向けていた。あの身体を晒しながら、完璧な演技で、誰もが欲しがる「理想の女性」として振る舞っていた)


 (あいつらは、あの腰の曲線を見ていた。あの脚を見ていた。あの唇を見ていた。そして、羨望していた)


 (だが、結局、あの女が求めるのは俺だ)


 (あの身体も、あの唇も、あの声も。全て、俺だけのものだ)


 計画通りだ。


 蓮は短く答えた。


「ああ」


 葵の表情が、わずかに緩んだ。安堵と、何か別の感情が混ざった表情だった。


「ありがと」


 葵は小さく笑って、蓮の隣に並んだ。


 二人は並んで、寮の廊下を歩き始めた。


 蓮は、隣を歩く葵を見る。


 夜の廊下、二人きり。葵の身体が、わずかに蓮に近い。歩くたびに揺れる髪、肩のライン、腰の動き。


 (この女は、さっきの懇親会で何を感じていたのか。他の男たちに触れられて、視線を向けられて、笑顔を維持して。そして今、俺の部屋に行きたいと言う)


 (あの身体が、これから俺の部屋に来る。あいつらが羨望していた女が、俺を求めている)


 (理由はわからない。だが、それでいい)


 葵が、自分から蓮を求めている。それが、蓮にとっては何よりも価値がある。


 (あいつらが必死に好意を向けていた女は、今、俺の隣を歩いている。この事実を、誰も知らない)


 蓮は、静かな優越感を味わいながら、自室へと向かった。


 今夜の懇親会で見た光景——女子学生たちが笑顔でお酌をし、男子学生たちが当然のようにそれを受け取る。過度な身体接触を、笑顔で受け流す。


 それが、この世界の「当たり前」だ。


 そして、葵は、その「当たり前」の中で、ほんのわずかな違和感を抱きながら、完璧に演じ続けている。


 だが、その演技の後、彼女が向かう先は、蓮の部屋だ。


 (面白い。葵は、俺とは違う。だが、だからこそ、面白い)


 蓮は部屋のドアを開け、葵を中に招き入れた。



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