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羞恥の着替え


 蓮は雅の部屋の前に立っていた。


 立派な木製のドア。その向こうで、雅が待っている。


 先ほど、蓮は雅に「街を歩きたい」と提案した。雅は「喜んで、お供させていただきます」と答えた。その後、父親との会話を終えた蓮は、雅の部屋へと戻ってきた。


 蓮は軽くノックをした。コツコツと、二回。


 だが、返事を待つことなく、そのままドアノブを回して中へと入る。


 今日、蓮は雅とキスを交わした。そして、父親との会話で確信を得た。順番さえ守れば、かなりの自由が許される。


 ならば、もう一歩踏み込んでも問題ないはずだ。


「雅、準備はできたかな」


 そして、部屋の中に足を踏み入れる。


 しかし、部屋の中に広がっていたのは、彼の予想を少しだけ上回る光景だった。


「――っ、蓮さん!?」


 雅の慌てた声が響いた。


 部屋の中央に立っていた雅は、着替えの途中だった。


 外出向けに、わざわざ着替えることにしたのだろう。


 繊細なレースの施されたキャミソールと、滑らかなシルクのタップパンツという姿。ほとんど下着に近い格好だ。普段の気品ある立ち居振る舞いからは想像もつかない、無防備な姿。白い肌が露わになっている。


 雅の白い肌が、驚きと羞恥で瞬く間に赤く染まっていく。


「も、申し訳ございません! 今、着替えている最中で……」


 その顔は、真っ赤に染まっていた。


 彼女は悲鳴のような声を上げると、咄嗟に近くにあったクッションを拾い上げ、それでかろうじて胸元を隠した。だが、その行為がかえって彼女のしなやかな体の線を強調していることに、本人は気づいていないようだった。


 だが、蓮は平然とした表情で、部屋の中に入ってくる。そして、ドアを閉めた。


「お待ちください、蓮さん……どうか、お部屋の外でお待ちいただけませんか。したくを終えましたら、お呼びいたしますので」


 雅が懇願するように言う。


 だが、蓮はそのまま部屋へと入り、ドアを閉めた。そして、雅から少し視線を外して、窓際のソファに腰を下ろした。


「すまない。着替えの途中だとは思わなかった」


 蓮は静かに謝罪した。


「それに……」


 蓮は少し言葉を選ぶように間を置いてから、視線を雅に戻した。


「今の雅の姿が、あまりにも魅力的で……つい、入ってしまった」


 その言葉には、どこか冗談めいた軽さがあった。だが、雅には分かった。その奥に潜む、蓮の本気の響きを。


「蓮さん……!」


 雅の頬が、羞恥でさらに赤く染まる。


「俺のことは気にせず、そのまま続けてくれないか?」


 蓮の声は穏やかだったが、その瞳は真剣だった。


「そんな……! それはあまりにも……」


 雅は必死に抵抗する。だが、その声は震えていた。


 蓮はソファに座ったまま、静かに雅を見つめ続けた。その視線には、強制ではなく、静かな期待が込められていた。


「……っ」


 雅は、蓮の瞳を見つめた。そこには、欲望と、それを隠そうともしない正直さがあった。


 雅は、心の中で葛藤していた。この状況は、彼女にとって予想外だった。


 蓮の言葉には、理屈はなかった。ただ、婚約者として自分を見たいという、率直な欲望だけがあった。それを、拒むことができるだろうか。


 クッションを握る指先が、微かに震えている。頬を染める熱が、首筋まで降りてくるのが分かる。


 蓮が自分に対して欲望を抱いていることは、雅も気づいていた。見合いの席で感じた視線、デートの際に触れてきた手の温度。殿方とはそういうものだと、教えられてきた。だが――ここまで、踏み込んでくるとは。


 心の奥底で、微かな違和感が鳴っている。だが、雅はそれを静かに押し込めた。


 婚約者が、自分を魅力的だと言い、見たいと望んでいる。その言葉に、応えるのが……将来の妻としての務めではないのか。


 ――この方が、わたくしの夫となる方なのだ。


 数秒の沈黙の後、やがて彼女は観念したように、小さく、そして長い溜息をついた。その溜息は、抵抗の終わりを告げる白旗のように彼の耳に届いた。


「……かしこまりました」


 その言葉と共に、雅はクッションをそっとベッドの上に置くと、すっと背筋を伸ばした。


 蓮は、ソファに座り、雅を見つめる。


 雅は、羞恥に顔を赤く染めながらも、着替えを続けた。


 それは、単なる衣服の着脱ではなかった。まるで、神聖な儀式か、あるいは熟練の舞踏家による舞踏を見ているかのようだった。指先の動き一つひとつが、寸分の無駄もなく洗練されている。


 まず、キャミソールを脱ぐ。白い肌が露わになる。その下には、上品なレースで縁取られた純白のブラジャーが見えた。普段の衣服に隠されていたが、脱ぐとそれなりの膨らみが感じられる。蓮の視線が、その白い肌とレースの境界線に釘付けになった。その肌は、まるで上質な磁器のように滑らかで、仄かな熱を帯びているようにさえ見える。


 華奢な肩から、細くくびれた腰へと続くライン。令嬢として大切に育てられてきた身体は、どこにも傷ひとつなく、蓮の視線を吸い込むように白い。


 雅は、羞恥に震えながらも、動きを止めない。次に、タップパンツを脱ぐ。その下の、レースのショーツが露わになる。腰から太腿へと流れる曲線が、午後の陽光に照らされて、淡い陰影を描いている。


 蓮は、静かにその光景を見つめていた。


 白い下着だけになった雅は、一瞬、両手で身体を隠そうとした。だが、蓮の視線を感じ、その手をそっと下ろす。羞恥に染まりながらも、逃げることを許されないかのように、彼女はそこに立っていた。


 雅は、クローゼットから服を取り出す。白い七分袖のブラウスと、淡いベージュのハイウエストスカート。秋の外出着だ。


 一つ一つの動作を丁寧に行っていく。ブラウスに袖を通し、ボタンを留める。スカートを履き、ウエストの位置を整える。その所作は流れるように自然で、幼い頃から身につけた令嬢としての立ち居振る舞いが、こんな状況でも失われていない。


 恥じらいを押し殺し、身なりを整えようとするその姿は、いじらしくも、そして抗いがたいほどに官能的だった。七分袖のブラウスから覗く白い手首と、襟元から伸びる首筋のラインが、ハイウエストのスカートが強調する腰のラインが、蓮の視線を惹きつける。蓮はその光景に目を奪われ、喉が渇くのを感じた。


 最後に、髪を整える。


 全ての作業が終わった時、雅は再び、九条院家の令嬢としての気品を取り戻していた。


 やがて、全ての着替えを終えた雅は、静かにこちらを振り返った。その瞳はまだ少し潤んでいるように見えたが、その口元には気品のある微笑みが浮かんでいた。


「お待たせいたしました、蓮さん」


 雅は、気品のある微笑みで告げる。その表情からは、先ほどまでの羞恥は消え、穏やかな笑顔が浮かんでいた。


 その声は、先程までの動揺が嘘のように落ち着いていた。彼女は、彼の理不尽な要求を呑み込み、そして気品ある「婚約者」として彼の前に立っている。


 そして、雅は少しだけ首を傾げて、静かに問いかけた。


「……わたくしの着替えを眺める心地は、いかがでしたか?」


 その言葉には、どこか冗談めいた軽さがあった。だが同時に、蓮の反応を試すような響きも含まれている。


 蓮は一瞬、意表を突かれた。


 (この女は……)


 先ほどまで羞恥に震えていた女性が、今や逆に自分を試すような余裕を見せている。その切り替えの鮮やかさに、蓮は改めて雅のしたたかさを感じた。


 彼女は恥じらいながらも、最終的には自分の立場を取り戻す。そのバランス感覚こそが、この女性の本質なのだろう。


「素晴らしかったよ」


 蓮は率直に答えた。


「君は、どんな状況でも美しい」


 雅の頬が、ほんのわずかに赤く染まった。だが、その微笑みは崩れない。


「ありがとうございます」


 蓮は立ち上がり、雅に近づく。そして、その手を取った。


「ありがとう、雅」


「いえ……」


 雅は、少し俯く。まだ熱を帯びた頬が、それを許すまいとするように微かに強張っている。


 蓮は雅の手を取り、部屋を出た。


「行こうか」


「はい」


 雅は静かに微笑んだ。


 廊下を歩きながら、蓮は内心で満足していた。


 (雅は、俺の要求を受け入れた。羞恥を感じながらも、最終的には従った)


 それは、蓮にとって大きな前進だった。


 (戦う力を持たず、完全に俺に依存する存在でありながら、社会的地位では俺を遥かに上回る――この倒錯した構図こそが、たまらない)


 あの気品ある女性が、俺の前でだけ肌を晒す。その姿を、俺だけが見られる。社会的には雲の上の存在である彼女が、俺の前では静かに身を委ねる。そのギャップが、蓮の胸の奥で、じわりと熱を帯びていく。



 二人は九条院邸の玄関を出た。


 夕暮れの空が、オレンジ色に染まっている。


 邸宅の立ち並ぶ静かな通りを抜け、二人は街へと歩き出した。


 雅の手が、蓮の手の中に自然と収まっている。


 (次は、どこまで行けるか……)


 蓮は静かに微笑みながら、雅と並んで歩いていった。


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