新エリア到達と葵の限界
さらに数日が経った。
蓮と葵のレベルは15に到達していた。着実に経験を積み、成長を続けている。
だが、葵の様子は以前よりさらに変わっていた。会話は最小限。視線も合わせようとしない。ただダンジョンに向かい、戦闘に没頭し、そして帰る。それだけを繰り返していた。
今日、蓮は転移ゲート前で葵に告げた。
「レベルも上がったし、そろそろ第5階層に移ろう。準備はいいか?」
その言葉に、葵はわずかに表情を引き締めた。
「もちろん」
いつもの調子が戻っている。戦闘への集中。それが葵にとっての唯一の安定だった。
二人は転移ゲートをくぐり、第5階層へと降り立った。
* * *
第5階層。
ここは、第4階層までとは明らかに空気が違っていた。通路は広く、天井も高い。壁面には青白い光を放つ結晶が埋め込まれ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
だが、その美しさとは裏腹に、この階層は危険だ。より強力なモンスターが徘徊し、油断すれば命を落とす。
レベル15。安全マージンに従えば、第5階層での活動が適切だ。蓮はこの原則を守りながら、着実に実力を積み上げていく。
葵は周囲を見回し、新しい階層の空気を感じ取っている。緊張と、わずかな期待。戦闘への集中が、彼女を少しだけ落ち着かせていた。
蓮は召喚獣を展開する。クレイゴーレム2体を防御壁として配置し、ピクシー数体を索敵に当たらせる。
そして、今日は新たな布陣を組む。
ウィンドホーク——Eランクの飛行型召喚獣。灰色の羽を持つ鷹が、蓮の周りを旋回する。
そして、ヴェノムスパイダー——Dランクの拘束型召喚獣も召喚する。
空中と地上、両方に対応できる布陣だ。
葵も魔法の準備を整える。いつもの冷静な表情で、前方を見据えている。
二人は通路を進んでいく。
* * *
通路の奥から、奇妙な羽音が聞こえてきた。
ピクシーが警告の光を放つ。蓮は即座に戦闘態勢を取る。
そして、敵が姿を現した。
インプ——小型の悪魔型モンスター。体長は1メートルほど、蝙蝠のような翼で空を飛ぶ。鋭い爪と牙を持ち、空中からの奇襲を得意とする。
それが5体。
さらに、ポイズンフロッグ——毒蛙型のモンスター。体長50センチ、緑色の皮膚から毒液を分泌する。地上を跳躍しながら接近してくる。
それが6体。
飛行型と地上型の混成。しかも、これまでで最も強力な敵だ。
蓮は冷静に状況を分析する。
(空中のインプをまず処理する。ウィンドホークで迎撃だ。地上のポイズンフロッグはヴェノムスパイダーで拘束し、葵が撃破する)
戦術を瞬時に組み立て、共鳴の鎖を通じて葵に意図を送る。
葵は即座に反応する。
「了解」
インプが急降下してくる。鋭い爪を振りかざし、蓮を狙う。
だが、ウィンドホークが迎撃に入る。
「《ウィンドブレード》」
翼から風の刃が放たれ、インプを切り裂く。空中での機動戦。ウィンドホークの得意分野だ。
インプは空中で素早く動き、回避しようとする。だが、ウィンドホークはさらに速い。風を操り、インプの動きを先読みする。
一体、また一体と、インプが撃墜されていく。
同時に、地上ではポイズンフロッグが跳躍してくる。緑色の体から毒液を滴らせながら、蓮と葵に向かってくる。
ヴェノムスパイダーが《ウェブバインド》を放つ。粘着質の糸が蛙を拘束し、動きを封じる。
だが、ポイズンフロッグは力で糸を引きちぎろうとする。第4階層の敵より明らかに強い。
そこへ、葵の《アクア・ショット》が飛ぶ。
水の弾丸が、拘束された蛙を次々と貫いていく。
葵は蓮の指示を的確に理解し、無駄のない動きで敵を撃破していく。空中のインプへは《アクアベール》で防御しつつ、的確なタイミングで攻撃に転じる。
蓮は戦闘の中で、葵との共鳴深度が以前より深まっていることを実感する。
(センスリンクの精度が上がっている。彼女の意図が、より鮮明に伝わってくる)
共鳴の鎖を通じて、葵の感覚が流れ込んでくる。彼女の視界、彼女の判断、彼女の感情。それらが蓮の中に響く。
連携がより滑らかになっている。無言の指示で、二人は寸分の狂いなく動く。
激戦が続く。
インプの群れは執拗だった。一体を落としても、別の個体がすぐに急降下してくる。ポイズンフロッグも、拘束を振り切ろうと暴れ続ける。第4階層までの敵とは、明らかに粘り強さが違う。
だが、蓮と葵の連携は、それを上回っていた。
蓮の指示が共鳴の鎖を通じて葵に伝わる。葵はそれに応え、的確なタイミングで魔法を放つ。召喚獣たちも蓮の意図を汲み、無駄のない動きで敵を追い詰める。
やがて、最後のインプがウィンドホークの風刃に切り裂かれ、地面に落ちた。
全ての敵を撃破。第5階層での初戦闘に成功した。
二人は顔を見合わせ、小さく息をついた。緊張が解け、達成感が広がる。
* * *
安全地帯で休憩を取る。葵が小さく呟いた。
「……私たち、やっぱりすごいわね」
「ああ。お前と組めて良かった」
蓮の言葉に、葵はわずかに表情を緩める。
だが、すぐに複雑な表情に戻る。視線が蓮から逸れ、どこか遠くを見つめている。
蓮はその変化を見逃さなかった。
(俺の言葉に一瞬だけ反応した。だが、すぐに何かを考え込んでいる。雅のことだろうな)
葵の表情には、喜びと困惑が入り混じっていた。戦闘での達成感よりも、別の何かが彼女の心を占めているのは明らかだった。
第5階層に到達した。新たなエリアでの成功。普通なら、素直に喜べる場面のはずだ。
だが、葵の目には、そうした高揚感が見えない。むしろ、何かを抱え込んでいるような、重たい影が差している。
葵は視線を逸らし、水筒を取り出した。
蓮はその仕草を静かに観察する。水筒を握る指先が、かすかに震えていた。戦闘の疲労ではない。それは、別の何かに起因する震えだった。
(焦燥感が身体に出始めている。限界が近いな)
* * *
帰路、葵が小さく聞いた。
「……次はいつ来る?」
「明後日でいいか?」
蓮は特に理由を言わなかった。
葵は「……そう。分かった」と短く返す。
その声には、かすかな棘が混じっていた。明日ではなく明後日。その空白の一日に何があるのか、葵は察しているのだろう。
口には出さないが、彼女の表情がわずかに強張った。
ゲートタワーを出て、夕暮れの街を歩く二人。
葵が先に歩き出そうとした時、蓮が呼び止めた。
「葵」
「……何?」
葵が振り返る。
「お前との連携、やはり息が合うな。第5階層にも到達できた」
その言葉に、葵はわずかに表情を緩めた。
だが、すぐに複雑な表情に戻る。
「……そうね」
それだけ言うと、葵は再び歩き出そうとする。
だが、数歩進んだところで、葵の足が止まった。
振り返ることなく、小さく呟く。
「……私、このままでいいのかな」
その言葉は、独り言のように小さかった。
蓮は聞こえたが、あえて何も言わなかった。
葵は答えを待つことなく、先に歩き出す。
蓮は葵の背中を見ながら、内心で確認する。
(葵の焦燥感は限界に近い。「このままでいいのか」という言葉が、それを証明している)
(雅との関係がさらに進展すれば、葵は必ず何かを起こす。そろそろ、動き出す時だ)
葵の心の中で、何かが静かに、そして確実に膨れ上がっている。
それが爆発する日も、そう遠くはないだろう。
夕暮れの街を、葵の背中が遠ざかっていく。
蓮は静かにその姿を見つめ、次の展開を予測していた。




