表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

46/63

逃げ場所


 数日後の朝。


 蓮が寮を出ると、廊下で二木とすれ違った。


「よう、神谷。今日の『ダンジョン経済学』、出る?」


「ああ」


「じゃあ後でな」


 二木は軽く手を振って、食堂の方へ向かっていった。


 何気ない朝の風景。寮の廊下では、学生たちがそれぞれの日常を過ごしている。課題の話、週末の予定、恋愛の噂話。そんな会話が、あちこちから聞こえてくる。


 午前の講義は、淡々と過ぎた。


 隣の席に座る葵は、ノートを開いているが、ペンはほとんど動いていなかった。窓の外を見ている時間の方が長い。


 講義が終わると、葵は無言で立ち上がった。


「行くわよ」


 短い一言だけを残して、先に歩き出す。


* * *


 ゲートタワーへ向かう道中も、葵の会話は少なかった。


 レベルは14のまま。最近は第4階層での活動を続けている。着実に経験を積み、連携の精度も日に日に高まっていた。


 だが、葵の様子は明らかに変わっていた。


 挨拶は「おはよ」の一言だけ。蓮が話しかけても短い返事しか返ってこない。


 第4階層へと降り立ち、通路を進む。いつものように召喚獣を展開し、索敵を開始する。


 そんな中、蓮は口を開いた。


「最近、会話が減ったな」


 その言葉に、葵は一瞬だけ視線を向けた。だが、すぐに前を向く。


「……気のせいよ」


 目を合わせようとしない。


 蓮はそれ以上追及しなかった。葵が話したくないのなら、無理に聞き出すつもりはない。今は、彼女の変化を観察し、理解するだけでいい。


 (雅のことが、葵の中で大きくなっている。だが、それを認めたくないのだろう)


 二人は無言で通路を進んだ。


* * *


 通路の奥から、重い足音が響いてきた。


 ピクシーが警告の光を放つ。蓮は即座に戦闘態勢を取る。


 そして、敵が姿を現した。


 ジャイアントビートル——巨大な甲虫型モンスター。体長は2メートルを超え、漆黒の外骨格が鈍く光っている。硬い甲羅は、並みの攻撃では傷一つつかない。


 それが1体。


 さらに、ジャイアントセンチピード——巨大な百足型モンスター。体長3メートル、無数の脚が不気味に蠢いている。素早い動きと毒を持つ危険な敵だ。


 それが2体。


 蓮は冷静に状況を分析する。


 (硬い外骨格を持つ敵。しかもビートルは大型だ。範囲攻撃より、単体への高火力攻撃が必要になる)


 前回のような群れ戦ではない。少数だが、一体一体が強力な敵だ。


 蓮は戦術を組み立てる。


 (フレイムリザードの炎も有効だが、今回は物理攻撃を主軸にする。アーマーベアの出番だ)


 前回の群れ戦では、フレイムリザードの範囲攻撃が有効だった。だが、今回は違う。硬い外骨格を持つ単体の強敵には、強力な物理攻撃で一点を砕く方が効率的だ。


 蓮は召喚獣の特性を理解し、状況に応じて使い分ける。それが召喚師としての戦術眼だ。


「葵、拘束と支援を頼む。俺が前線で叩く」


 共鳴の鎖を通じて、戦術イメージを送る。葵は即座に反応した。


「了解」


 その声には、いつもの冷静さが戻っている。戦闘になれば、葵は完全に集中する。


 蓮は新たな召喚を実行する。


 魔力がキャパシティから引かれ、蓮の前に巨大な熊が姿を現した。体長3メートル、灰色の厚い毛皮に覆われた巨体。その姿は、まるで鋼鉄の壁のように頼もしい。


 Dランク召喚獣、アーマーベア。


 硬い外骨格を持つ敵に対抗するため、高火力の物理アタッカーを投入する。今日が初陣だ。


 そして、もう一体。ヴェノムスパイダー——毒と拘束を得意とするDランク召喚獣も召喚する。黒光りする体長2メートルの蜘蛛が、蓮の側に現れた。


 布陣は、クレイゴーレム(防御)、アーマーベア(物理アタッカー)、ヴェノムスパイダー(拘束+毒)、ピクシー(支援)。


 敵が突進してくる。ジャイアントビートルが重い体を揺らしながら迫り、センチピードが素早く這い寄ってきた。


 蓮は冷静に指示を送る。


 (ヴェノムスパイダー、セン チピードを拘束。アーマーベア、ビートルを叩け)


 ヴェノムスパイダーが口から粘着質の糸を吐き出す。《ウェブバインド》。


 糸がセンチピードに絡みつき、その動きを封じる。百足型モンスターは暴れるが、糸は強靱で簡単には切れない。


 同時に、アーマーベアがビートルに突進する。


「《ベアチャージ》」


 巨体が加速し、ビートルに体当たりを叩き込む。強烈な衝撃が響き、ビートルの体が大きく揺れた。


 だが、外骨格は硬い。一撃では破れない。


 アーマーベアは怯まず、さらに攻撃を続ける。鋭い爪を振りかざし、《クローストライク》。


 爪がビートルの外骨格を削り、ついに亀裂が入る。


 そこへ、葵の《アクア・ショット》が飛ぶ。


 水の弾丸が、亀裂の入った外骨格を貫いた。ビートルが悲鳴を上げ、体を傾ける。


「葵、左!」


 蓮が指示を送るが、葵はすでに動いていた。


「分かってる」


 センスリンクで既に意図は伝わっている。無言の連携。二人の息はぴたりと合っている。


 葵の《ハイドロバインド》が、ヴェノムスパイダーの糸と連携する。水の鎖がセンチピードをさらに拘束し、動きを完全に封じた。


 蓮は共鳴の鎖を通じて、複数の召喚獣に複雑な指示を送る。アーマーベアにはビートルへの攻撃を、ヴェノムスパイダーには拘束の維持を、ピクシーには支援攻撃を。


 (共鳴の鎖の精度が上がっている。以前より、召喚獣への指示が鮮明に伝わる)


 戦術が滑らかに展開される。アーマーベアがビートルに止めの一撃を叩き込み、巨大な甲虫が倒れた。


 残ったセンチピードも、拘束されたまま葵の魔法で撃破される。


 激戦の末、全てのモンスターを倒した。


 葵は肩で息をしながら、倒れたジャイアントビートルの残骸を見つめていた。


 硬い外骨格に刻まれた、深い亀裂。アーマーベアの爪が、確実にその弱点を突いた証拠だ。


 葵は視線を蓮に移した。息一つ乱さず、戦場全体を見渡している。複数の召喚獣を同時に操りながら、葵の動きまで把握していた。あの戦闘中、蓮の指示は常に一手先を読んでいた。


 蓮は、葵の視線を感じ取った。驚きと、認めたくないという複雑な感情が混ざった視線。彼女は、蓮の戦術眼を評価している。でも、それを口にすることはないだろう。


 葵は視線を逸らし、荒い呼吸を整えようとした。魔力を使い果たし、疲労困憊だ。


* * *


 安全地帯で休憩を取る。葵は地面に座り込み、深く息を吐いた。


 蓮が葵の隣に座る。


「無理しすぎだ」


 その言葉に、葵は一瞬だけ視線を向ける。


「……大丈夫よ」


 葵が強がるように返す。だが、その声には疲労が滲んでいた。


 蓮は水筒を取り出し、葵に差し出す。


「飲め。魔力を使い果たした後は、水分補給が必要だ」


 葵は一瞬ためらったが、水筒を受け取る。その手が、わずかに震えていた。


 一口飲んで、葵は水筒を返す。


「……ありがと」


 小さく呟く。


 蓮は、ふと視線を葵に向けた。


 疲労で肩を落とし、荒い呼吸を整えようとしている葵の横顔。戦闘中の鋭さはそこにはなく、どこか脆く見える。


 蓮は無言で葵の肩に手を置いた。


 葵の体が、びくりと震えた。驚いたように蓮を見上げる。


 蓮は葵の目を見つめたまま、静かに口を開いた。


「お前がいないと困る。無理はするな」


 葵の瞳が、わずかに揺れた。


 何か言おうとして、言葉が出ない。口を開きかけて、閉じる。


 数秒の沈黙。


 やがて葵は視線を逸らし、小さく呟いた。


「……そう」


 頬がほのかに色づいている。それを隠すように、わざとらしく鼻を鳴らす。


「調子いいこと言って」


 強がりの言葉。でも、その声は、いつもの刺々しさを欠いていた。


 蓮の手の温もりが、肩越しに葵の中へ染み込んでいく。


 それは、今の葵にとって、たった一つの確かなものだった。


 蓮の手が、肩から離れた。


 その温もりが消えた瞬間、葵は無意識に手を伸ばしかけた。


 伸ばしかけて、止めた。


 葵は自分の行動に戸惑うように、手を見つめた。何をしようとしていたのか、自分でも分からない。


 唇を噛み、視線を足元に落とした。蓮の隣に座りながら、その距離が遠く感じる。


 葵の表情が、わずかに曇る。雅という名前が、彼女の頭の中をよぎったのだろう。


 あの人が、蓮の隣にいる。正式な婚約者として。


 葵は自分が何なのか、答えを探すように視線を泳がせた。


 パートナー。共犯者。そう呼んでいたはずなのに、その言葉が今はどこか空虚に響いている。


 葵は小さく息を吐いた。蓮の横顔を盗み見る。


 穏やかな表情。何を考えているのか、相変わらず読めない。


 休憩が終わり、再びダンジョンを進む。


 帰路、葵が小さく呟いた。


「……ここだと、落ち着く」


「ダンジョンが?」


「戦ってる時は、余計なこと考えなくて済むから」


 本音が漏れた。


 蓮はその言葉の意味を理解する。


 (ダンジョンが彼女の逃避場所になっている。雅のこと、俺との関係のこと、そういった複雑な感情から逃れられる場所)


 だが、それでいい。葵がこのダンジョンでの時間を必要としているなら、蓮はそれを提供し続ける。彼女がこの場所に依存すればするほど、蓮から離れられなくなる。


 蓮は葵の横顔を見る。彼女の表情には、複雑な感情が浮かんでいた。安心と不安、依存と抵抗、様々なものが混ざり合っている。


 まだ完全には落ちていない。だが、確実に蓮の支配下に入りつつある。


 二人は無言で通路を歩いていく。


 ゲートタワーへ戻る転移ゲートが見えてきた。葵の足取りが、わずかに重くなる。


 ダンジョンを出れば、また現実に戻る。雅のこと、蓮との関係のこと、全てと向き合わなければならない。


 葵はそれが怖かった。でも、認めたくなかった。


 転移ゲートをくぐる。光が二人を包み、地上へと戻っていく。


 大学に戻ると、寮の廊下で他の学生たちとすれ違った。「お疲れ」「また明日ね」——何気ない挨拶が交わされる。


 葵は軽く会釈だけを返して、足早に自室へ向かった。


 さっきまでダンジョンにいた。戦っていた。蓮と二人で。——その時間だけは、確かに落ち着いていられた。


 でも、ここに戻ってくると、また始まる。考えたくないことが、頭の中に戻ってくる。


 戦闘では完璧な連携を見せながらも、それ以外の時間は沈黙が続く。


 葵の心の中で、何かが静かに膨れ上がっている。


 蓮はそれを冷静に観察し続けていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ