連携は完璧——けれど
午後の講義が終わり、蓮は教科書を鞄にしまった。
「ダンジョン学原論」。今日の内容は、階層ごとの生態系の違いについてだった。教授の淡々とした講義を聞きながら、蓮は手元のノートに次の攻略計画を書き出していた。講義内容の大半は、既にダンジョンで実践的に学んだことだ。
隣の席で、葵が伸びをする。
「退屈だったわね」
「ああ」
短いやり取りだけを交わして、二人は講義室を出た。午後からはダンジョンだ。
* * *
雅との関係が進展してから数日が経った。
蓮は今日も、いつも通りダンジョンへ向かう準備を整えていた。レベルは14に到達し、キャパシティも22まで増加している。召喚できる戦力は着実に増え、戦術の幅も広がった。最近は第4階層を主戦場としており、二人の連携も一層研ぎ澄まされている。
だが、葵の様子が少し変わっていた。
ゲートタワーの転移ゲート前で待ち合わせると、葵はいつもより明るい声で「おはよう!」と告げた。
「今日も第4階層よね。今日も頑張りましょ!」
その明るさに、蓮は違和感を覚えた。
声のトーンは確かに明るい。だが、葵の視線は蓮の顔ではなく、少しだけずれた場所——肩のあたりを見ている。笑顔も、いつもの皮肉めいた笑みとは違う。口元だけが笑っていて、目の奥には、何かを押し殺すような翳りがあった。
「ああ。戦術は前回と同じ基本方針で」
蓮が確認すると、葵は素早く頷いた。少し、早すぎるくらいに。
「了解! 任せて」
返事の後、葵は転移ゲートの方を向いた。まるで、蓮と目を合わせる時間を減らしたがっているように。
蓮はそれを敏感に感じ取ったが、あえて今は何も言わなかった。
二人は転移ゲートをくぐり、第4階層へと降り立った。
* * *
第4階層の通路は、湿った空気と土の匂いが漂っている。壁面には微かに光る苔が生え、薄暗い空間を淡く照らしていた。
蓮は召喚獣を展開する。クレイゴーレム2体を防御壁として配置し、ピクシー数体を周囲に飛ばして索敵に当たらせる。
そして、今日はもう一体。
蓮は新たな召喚を実行した。魔力がキャパシティから引かれ、蓮の前に炎を纏った蜥蜴が姿を現す。体長は2メートルほど、赤い鱗が炎のように輝いている。全身から立ち上る陽炎が、周囲の空気を揺らしていた。
Dランク召喚獣、フレイムリザード。
レベル14に到達したことで解放された、より高位の召喚獣だ。今日が初陣となる。
キャパシティは現在22。Dランクの召喚獣はコスト12と少しが高いが、それに見合うだけの戦力を持っている。蓮は召喚獣たちとの共鳴を確認しながら、バランスの取れた布陣を整えた。
「新しい召喚獣? すごいじゃない!」
葵が、明るい声で言う。だが、その声にはさっきと同じ、作り物めいた響きがあった。
「ああ。フレイムリザード。範囲攻撃ができる」
「へえ、楽しみね。群れ戦なら活躍しそう」
葵は明るく返すが、蓮はその言葉が上辺だけのものだと感じ取っていた。いつもなら、もっと具体的に戦術について聞いてくるはずなのだ。
蓮は内心で確認する。
(空元気か。隠そうとしているが、隠しきれていない。やはり、雅のことが影響しているな)
だが、今は戦闘に集中すべきだ。蓮は前方の通路に意識を向けた。
* * *
通路を進んで数分後、ピクシーが警告の光を放った。
前方から、複数の足音が聞こえてくる。それも、かなりの数だ。
蓮は即座に戦闘態勢を取る。クレイゴーレムを前に出し、フレイムリザードを中央に配置。ピクシーたちは上空で待機させる。
そして、敵が姿を現した。
ジャイアントアント——巨大な蟻のモンスター。体長1メートル超、硬い外骨格と鋭い顎を持つ。それが5体。
さらに、ワイルドドッグ——野生化した犬型のモンスター。素早い動きと鋭い牙が特徴だ。それが7、8体。
混成の群れ。しかも数が多い。
蓮は冷静に状況を分析する。
(脅威度は第4階層相当。カテゴリは1——基礎的なモンスターだが、数が多い。群れ戦だ)
第4階層までは、ダンジョンの「維持階層」と呼ばれる範囲。定期的な駆除活動によって脅威度が管理されているため、極端に強力なモンスターは出現しない。だが、数が多ければ話は別だ。
蓮は瞬時に戦術を組み立てる。
(群れ戦には範囲攻撃が有効。フレイムリザードの出番だ)
「葵、後方支援を頼む。俺が前線を抑える」
蓮は共鳴の鎖を通じて、葵に意図を送る。言葉を介さず、直接戦術イメージを共有する。
葵は即座に反応した。
「了解」
その声には、戦闘への集中が宿っていた。さっきまでのぎこちなさが嘘のように消え、いつもの鋭い葵に戻っている。
敵が突撃してくる。ワイルドドッグの群れが、牙を剥いて駆け寄ってきた。
蓮は冷静にフレイムリザードに指示を送る。
(前方扇状、範囲攻撃)
フレイムリザードが大きく息を吸い込み、そして——。
「《フレイムブレス》」
口から炎が噴き出した。
前方扇状に広がる炎の奔流が、ワイルドドッグの群れを飲み込む。犬型モンスターたちは悲鳴を上げ、炎に包まれて倒れていく。一撃で5体を焼き払った。
同時に、ピクシーたちが《閃光》を放つ。残ったワイルドドッグとジャイアントアントが目を眩まされ、動きが鈍る。
そこへ、葵の《アクア・ショット》が飛ぶ。
水の弾丸が、ジャイアントアントの外骨格を貫いた。一体、また一体と、的確に撃ち抜いていく。
葵の攻撃は冷静で、無駄がない。炎で弱った敵を確実に仕留める。蓮は共鳴の鎖を通じて、彼女の戦闘への集中を感じ取っていた。
蓮とフレイムリザードが群れを焼き、葵が単体を狙撃する。クレイゴーレムは葵の前に立ちはだかり、敵の接近を完全に防いでいる。
無言の連携。二人の息はぴたりと合っている。
蓮は共鳴の鎖を通じて、葵に次の指示を送る。言葉を発さずとも、葵は即座に理解し、動く。
センスリンクを通じて、葵の意識が流れ込んでくる。研ぎ澄まされた集中。敵の動きを見極める鋭敏な感覚。そこには、さっきまでのぎこちなさは微塵もなかった。
(戦闘中だけは、完全に『葵』だ)
ダンジョンという戦場が、彼女を取り戻している。ここでは雅のことも、関係性のことも、全て消え去る。ただ敵を倒すことだけに意識を向ける。
この感覚の鮮明さは、以前よりも増していた。共鳴の深度が、少しずつ深まっている証拠だ。
残った敵も次々と殲滅され、やがて静寂が戻った。
* * *
戦闘後、蓮と葵は安全地帯で休憩を取った。
葵は水筒を取り出し、一口飲む。その手がわずかに震えている。
「……フレイムリザード、すごかったわね。あの範囲攻撃、圧巻だった」
葵が話し始める。
「群れ戦なら、これからも活躍しそうよね。レベルが上がるたびに、どんどん新しい召喚獣が使えるようになるのね。ねえ、次はどんな召喚獣を覚えるの? もっと強いのが出てくるの?」
いつもより饒舌だった。
だが、蓮はその言葉が沈黙を埋めるためのものだと理解していた。葵は何か別のことを考えないように、必死に言葉を紡いでいる。
「そうだな。レベルが上がれば、さらに強力な召喚獣を扱えるようになる」
「そっか。楽しみね」
短い沈黙。
葵は、その沈黙に耐えられないとでもいうように、再び話し始めた。
「そういえば昨日、大学の購買で新しいお菓子が入荷してて……あ、そうそう、二木君が小テストの過去問集めてたわよ。犬井君も一緒に。神谷君も参加する? って聞かれたけど、『いい』って断っておいた」
蓮は軽く頷く。
「そうか」
「あと、今週の『パーティ戦術論』、課題出たらしいわよ。グループワークだって。誰と組むか、みんな騒いでた。私たちは当然ペアよね? あ、でも4人組だったかな。誰か誘わないと……」
天気のこと、大学のこと、クラスメイトのこと。どうでもいい話題が止まらない。葵の声は明るいが、どこか必死だった。言葉と言葉の間に隙間を作らないように、息継ぎさえ惜しむように話し続けている。
蓮は黙って聞いていた。
(沈黙を恐れている)
沈黙になれば、考えてしまうからだ。雅のことを。自分の立場を。
やがて葵の言葉が途切れる。話題が尽きたのか、それとも、言葉を紡ぐ気力が切れたのか。
沈黙が流れた。
戦闘後の安全地帯は静かだった。ダンジョン特有の湿った空気と、遠くで水が滴る音だけが響いている。
沈黙が続く。
蓮は、葵が沈黙を恐れていることに気づいていた。言葉を紡ぎ続けることで、何かを考えないようにしている。その「何か」が何であるかも、見当はついている。
だから、試してみることにした。
「そういえば、先週の休日、雅と美術館に行ったんだ」
意図的に、さりげない口調で。
その瞬間、葵の手が止まった。
水筒を持つ手が、わずかに震える。水面が小さく揺れた。
「……そう」
葵の声が、一気にトーンを落とした。先ほどまでの饒舌さが嘘のように消え、短い返事だけが返ってくる。視線は水筒の蓋に向けられたまま、蓮を見ようとしない。
「二人で日本画の展覧会を見て、その後カフェで話をした」
蓮はあえて、雅との時間を具体的に語る。観察するだけではない。意図的に、葵の反応を確かめている。
「雅は芸術に造詣が深くてな。横山大観の朦朧体や、日本画の遠近法について詳しく解説してくれた。知的な会話ができる相手というのは、やはり貴重だ」
葵の手が、水筒の蓋をきつく締める。必要以上の力が込められているのが、蓮にも見て取れた。視線は依然として蓮から逸れたまま、壁の苔を見つめている。
「どうした?」
蓮が尋ねると、葵は短く返した。声だけは平静を装おうとしているが、その平静さがかえって不自然だった。
「別に。何もないわよ。九条院さんと楽しく過ごせて、良かったじゃない」
その言葉には、わずかに棘があった。いや、棘というよりは、刃のように鋭い何かだ。
それ以上、会話を続けようとしない。葵は水筒をしまい、立ち上がった。
「休憩終わり。次、行きましょ」
「ああ」
蓮は葵の様子を観察する。
(雅の話題を出した瞬間、饒舌さが消えた。予想通りだ。彼女は沈黙を恐れている。沈黙になると、雅のことを考えてしまうから)
二人は再びダンジョンを進む。戦闘では相変わらず淀みない連携を見せる。蓮の召喚獣と葵の水魔法が滑らかに連動し、敵を次々と撃破していく。
だが、戦闘と戦闘の間の時間。その沈黙は、以前より重かった。
* * *
帰路、ゲートタワーを出る際、葵が小さく聞いた。
「……また明日も来る?」
「ああ、当然だ」
蓮の返事に、葵はわずかに表情を緩めた。
だが、すぐに「じゃあね」と短く言って、先に歩き出す。
蓮は葵の背中を見送りながら、内心で確認する。
(葵は雅の話題に強く反応している。饒舌さで誤魔化そうとしているが、隠しきれていない。だが、戦闘では完全に集中できている。ダンジョンが彼女にとっての居場所になっているな)
(このまま距離感を保ちつつ、雅との関係も進めていく。両方を手に入れるための、最適なバランスを見極める必要がある)
夕暮れの空を背に、葵の背中が遠ざかっていく。
蓮は静かにその姿を見つめていた。




