公示された縁談
週に一度の必修科目「パーティ戦術論」の講義は、学生たちの間でも評価が二分していた。データ分析を得意とするインテリ系の若手教官による授業は、常に最新の戦闘記録映像と緻密なデータに基づいており、実践的で役に立つという意見が多い。その一方で、一切の無駄口を許さない緊張感と、学生に求める思考レベルの高さから、苦手意識を持つ者も少なくなかった。
巨大なスクリーンに、あるパーティがオークの小隊と交戦している記録映像が映し出されている。重装備の剣士が前線で敵の攻撃を受け止め、その隙に魔法使いと弓兵が後方からダメージを重ねていく。典型的な、そして安定した戦術だ。
「――この状況で、後衛の魔法使いが選択したスキルは《ファイア・ボール》。威力、範囲ともに妥当な判断です。ですが」
教官が手元の端末を操作すると、映像の一部が拡大され、魔法使いの足元に円が表示される。
「敵との距離、約30メートル。この距離では、オークの投擲武器の射程範囲内にギリギリ入ってしまう。実際、この直後、彼は敵の投げた粗末な石斧によって詠唱を中断させられ、パーティ全体の陣形が一時的に崩れることになった」
教官は映像を一時停止させ、わずかに間を置いてから続けた。
「彼がもう一歩、いや、50センチ後ろに下がってさえいれば、このリスクは回避できたはずです」
淡々とした、だが寸分の隙もない分析。学生たちの間から「なるほど」「そこまで読むのか」といった感嘆の声が漏れる。教官が示した「50センチ後退すべきだった」という指摘に、多くの学生が素直に感心している。
蓮もまた、真剣な眼差しでスクリーンを見つめていたが、その思考は既にその先にあった。
(そもそも、後衛にリスクを負わせる陣形自体が最適解ではない。この地形なら、斥候役の召喚獣を先行させ、敵の正確な位置と数を把握した上で、側面から攪乱部隊を投入する。そうすれば、敵の注意を引きつけている間に、主力部隊が安全圏から一方的に攻撃できる)
蓮は無意識に指先でペンを回しながら、思考を深めていく。
(教官の分析は正しいが、それは提示された戦術という「箱」の中での話だ。もっと根本的な、戦場の作り方そのものから考えなければ意味がない)
蓮が思考の海に沈んでいると、ふと、斜め前の席に座る水谷葵の存在に気づいた。彼女もまた、スクリーンを静かに見つめている。他の学生のように感心した様子でも、難しい顔をしているわけでもない。ただ、その瞳は、まるで蓮と同じように、映像のさらに奥にある「戦場の本質」を見抜こうとしているかのように、鋭い光を宿していた。
やがて、講義の終了を告げるチャイムが鳴り、張り詰めていた講義室の空気が一気に弛緩する。学生たちが雑談を交わしながら帰り支度を始める喧騒の中、蓮は一人、冷静に手元の端末を操作していた。
彼が見ているのは、内閣府ダンジョン庁が運営する「適性者総合ポータルサイト」。マイページに届いた通知から「特別婚姻措置・公示ページ」へとアクセスすると、そこには蓮自身の顔写真と、淡い藤色の訪問着を纏った銀髪の少女――九条院雅の顔写真が並んで表示されていた。氏名、所属大学、ジョブといった基本情報が、まるで企業のプレスリリースのように淡々と記載されている。
(やはり、今日付けで公示されたか。それにしても、顔写真付きとはな)
蓮は、この国のプライバシー意識の欠如に内心で呆れる。だがすぐに、その思考を切り替えた。
(……いや、これは単なる記録の公開ではない。国家による巧みな情報戦略だ。若く容姿の整った女性との縁談情報を、男性制圧士の成功の象徴として陳列する)
蓮の視線が鋭さを増す。
(これは、実績のない大多数の男性制圧士に対する、最も安価で効果的な人参だ。彼らの競争心、承認欲求、そして性的な欲望を煽り、ダンジョン攻略へのモチベーションを維持させるための、高度に計算されたプロパガンダだ)
蓮が国家の意図を冷徹に分析し終えた、まさにその時だった。
「神谷」
静かな声に思考を中断され、顔を上げる。そこに立っていたのは、知的で落ち着いた雰囲気を持つ友人、二木涼介だった。彼は、普段からダンジョン政策に関する情報収集を欠かさない男だ。
二木は自分の端末画面を蓮にだけ見えるようにそっと差し出しながら、声を潜めて言った。驚きと、どこか面白がるような色が、その冷静な瞳の奥に浮かんでいる。
「……いつの間に、国のマッチングシステムに登録していたんだ? いや、違うな。お前のことだ、とっくに仕組みを理解した上で、最適なタイミングを待っていたんだろう? まったく、出し抜かれた気分だよ」
蓮は肩をすくめ、まるで他人事のように返した。
「俺が登録したわけじゃない。一定以上の適性者は、自動的に候補者リストに入る仕組みらしい」
その淡々とした返答に、二木は小さく息を吐いた。
「自動登録、か。……でも、この結果を見る限り、お前はそのシステムが何をもたらすか、最初から分かっていたんじゃないか?」
二木の言葉には、非難ではなく、純粋な知的好奇心が滲んでいた。蓮は答えず、ただ静かに笑みを返すだけだった。
その二人のやり取りを、近くで別の友人と雑談していた犬井健人が聞きつけた。
「ん? マッチング? なんだよ涼介、お前も登録したのか?」
犬井が無邪気に尋ねると、二木は呆れたように首を振り、親指で隣の蓮を示した。
「俺じゃない。蓮の話だ」
「は? 蓮が?」
きょとんとした顔で、犬井は二木の持つ端末を改めて覗き込んだ。そこに表示されていた蓮の顔写真と、隣に並んだ見知らぬ銀髪の美少女、そして『特別婚姻措置・成立』という堅苦しいタイトルを認めると、今度こそ驚きに目を丸くした。
「うおっ、蓮! お前、マジでマッチングしてんのかよ! やるなあ!」
まず驚いたのは、蓮が抜け駆けするようにマッチング制度を利用していたことだったらしい。犬井は興奮気味に蓮の肩をバンと叩くと、改めて二木の持つ端末に表示された写真に、ぐいっと顔を近づけた。
「しかも相手、めちゃくちゃ美人じゃねえか! どっかのモデルか?」
犬井は興奮を隠せず、二木の持つ端末を食い入るように見つめた。
「ちくしょう、羨ましすぎるだろ!」
本心から羨む声を上げた後、犬井はふと我に返ったように蓮の方を振り返り、呆れ半分、感心半分といった表情で言った。
「つーか蓮、お前、いっつもこうだよな。何も言わずに、気づいたら一番美味しいところを押さえてる」
犬井は呆れたような笑みを浮かべながら、言葉を続けた。
「俺たちが騒いでる間に、お前だけはもう次のステージにいるっていう」
犬井の言葉に、周囲で話を聞いていた数人の学生が、妙に納得したように頷いた。そして再び端末に目を戻した犬井は、相手のプロフィール欄に記載された名前に目を走らせ、今度こそ本当に言葉を失った。
「……は? く、九条院……?」
そこまで呟くと、犬井は弾かれたように顔を上げ、教室中に響き渡る声で絶叫した。
「蓮、お前、相手、あの九条院家なのか!? 嘘だろ、俺たちでも名前くらいは知ってる、あの九条院家か!?」
その言葉が引き金となり、教室の空気は一変した。近くの席にいた学生たちが、何事かと犬井の持つ端末を覗き込み、そこに映し出された内容に息を呑む。
その驚きはさざ波のように周囲へと広がり、一部の好奇心旺盛な学生が、自分の端末を取り出して情報の真偽を確かめ始めた。「マジだ……」「神谷が……」という囁きが、やがて嫉妬と羨望が入り混じった渦へと変わっていく。
その喧騒の中、蓮の少し後ろの席に座っていた女子学生たちの会話が、彼の耳に届いた。
「九条院家の令嬢、か……写真、見た?」
一人が端末を操作しながら呟く。もう一人の女子学生が、画面を覗き込んで小さく息を呑んだ。
「見た。すごく綺麗な人ね。それにあの家柄……」
「羨ましいわ。ああいう人が選ばれるのって、やっぱりね」
後ろの席から聞こえる、素直な羨望の声。
蓮は、そんな教室の熱狂をどこか他人事のように眺め、静かに視線を一人に向けた。
その視線の先、少し離れた席に、水谷葵が座っている。彼女は端末を見るでもなく、ただ静かに教科書を鞄にしまっていた。一見すれば、この騒ぎに全く興味がないように見える。
だが、蓮には分かった。彼女の指先が、教科書を仕舞う一瞬、無意識に強く押さえつけていたのを。驚きはない。彼女はこのシステムのことを知っている。
これは、驚きではなく、もっと別の感情。自分の知らないステージへと蓮が駆け上がっていく現実と、周囲の熱狂に対する、どうしようもない苛立ちのようなものだろうか。
葵は、蓮の視線に気付くと、ふいと顔を背けた。その横顔には、いつも浮かべている飄々とした笑みはなかった。
* * *
その夜、蓮は寮の自室でシャワーを浴び、備え付けの簡素なデスクに向かっていた。濡れた髪をタオルで乱暴に拭きながら、彼は数日前の料亭での出来事を反芻していた。
(九条院雅……)
脳裏に浮かぶのは、淡い藤色の訪問着を纏った、銀髪の少女の姿。人形のように整った顔立ちに、雪のように白い肌。完璧な所作。気品のある佇まい。
訪問着の上からでは正確なラインまでは分からないが、胸の膨らみは控えめなようだった。だが、そんなことは些細な問題だ。重要なのは、彼女という存在そのものが、極上の素材であるという事実。
そして、その瞳の奥に宿る、揺るぎない規範意識。彼女は、この国が理想とする「良き妻」の概念を、寸分の狂いもなく体現した存在だった。
(だからこそ、価値がある)
蓮の唇が、愉悦に歪んだ。あの気高く、磨き上げられた精神を、その根幹は維持したまま、俺だけの都合のいい形へと作り変えていく。彼女が信じて疑わない「正しさ」や「誇り」といった規範意識、その全てを、俺への奉仕のための道具へと変貌させるのだ。
あの気高い瞳が、俺の前だけで潤み、懇願の色を浮かべる様を想像する。貞淑さを誇るその唇が、俺の命令一つで、恥じらいながらも淫らな言葉を紡ぐ様を幻視する。
その倒錯した光景を思い描くだけで、下腹部に鈍い熱がこもり、思考がじくりと焼け付くような快感が走った。
そして今日、講義室で起きた喧騒。学生たちが色めき立ち、羨望と嫉妬の視線を一身に浴びたあの瞬間は、彼女が持つ「記号としての価値」がいかに絶大なものであるかを、改めて蓮に叩きつけた。あれこそが、蓮が渇望してやまない社会的地位の象徴だった。
(そうだ。彼女は、俺が手に入れるべき最高位の存在だ)
蓮が、雅という名の獲物への征服欲を新たにしていた、まさにその時だった。まるで彼の思考を読んでいたかのように、手元の端末が静かに着信を告げた。
メッセージの送り主は、九条院雅だった。
『あれからお変わりないでしょうか。先日、友人と一緒に日本画の展示を観に行ってまいりました。春の草花を描いた作品が多く、とても穏やかな気持ちになれました。話は変わりますが、本日公示されました件、蓮さんの周りは騒がしくなっておりませんでしょうか。わたくしの家のことで、ご迷惑をおかけしていなければよいのですが』
丁寧な文面は、彼女の声で再生されるようだった。続く文章で、次の食事の誘いが提案されている。
蓮はメッセージを閉じると、口の端を吊り上げた。
ゲームは、次のフェーズへと進み始めた。すべては、計画通りに。




