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九条院雅(後編)


 静寂が部屋を支配する中、沈黙を破ったのは、意外にも雅の方だった。


「蓮様」


 両親の前での寡黙な姿が嘘のように、凛とした声だった。


「蓮様は、これから、どのような道を歩んでいきたいと、お考えでいらっしゃいますか」


 柔らかだが、蓮の覚悟を問うような、真っ直ぐな問いだった。


 蓮は一瞬だけ驚きを見せたが、すぐに笑みで塗りつぶし、彼女の瞳を見つめ返した。


「そうですね。まずは、誰よりも強くならなければならないと考えています。力なくして、守れるものも守れませんから」


 蓮は一旦そこで言葉を切り、雅の瞳をしっかりと見据えた。


「そして、その力をもって、この国と、社会の安定に貢献する。それが、私の責務です」


この社会における模範解答。その言葉が指し示す未来は、彼が目指すものと寸分違わなかった。ただ、その動機が愛国心ではなく、自らの野心にあるという一点を除いては。


「……素晴らしいお考えですわ」


 雅は、蓮の答えに満足したように、ふわりと微笑んだ。その笑みは、それまでの人形のような無表情さとは違う、人間的な温かみを感じさせるものだった。


「蓮様のような方であれば、きっと、どんな困難も乗り越えていかれるのでしょうね」


「ありがとうございます。私のジョブは召喚師ですので、力だけでなく、知恵も必要になりますから」


 蓮はそこで一度言葉を切り、会話の糸口を探すように視線を庭へと向けた。窓の外では、初夏の風が庭木を優しく揺らしている。


「プロフィールを拝見しましたが、雅さんは鳳華女子大学で学ばれているとか」


 彼は探るような視線を雅へと向けた。


「鳳華女子大学といえば、伝統ある名門校ですね。どのようなことを学ばれているのですか?」


 蓮の問いに、雅は静かに微笑んだ。


「はい。わたくしは文化史を専攻しておりまして、古典文学や芸術史を中心に学んでおります。加えて、茶道や華道、社交マナーといった実践的な教養も」


 彼女は少し恥じらうように視線を落とした。


「まだまだ未熟ではございますが、いずれ殿方をお支えする立場になった時、恥ずかしくないよう、日々精進しております」


(なるほど……徹底している)


 彼は雅を観察しながら、思考を深めた。


(令嬢として生まれ、この世界の女性として最高峰の教育を受け、その価値観を体現している。だが、彼女はどこまで、この価値観を内面化しているのだろうか)


 蓮は、感心したように頷いてみせた。


「素晴らしいですね。古典文学や芸術は、人の心を豊かにするものです。そうした教養は、きっとこれからの人生を彩る宝物になるでしょう」


 蓮は率直な称賛の言葉を続けた。


「それに、社交マナーや伝統芸能まで。九条院家の令嬢として、本当に素晴らしい教養を身につけておられるのですね」


 蓮は内心で舌を巻いた。彼女の可憐な見た目の奥にある、徹底的に磨き上げられた教養と覚悟。彼女は、ただ守られているだけの深窓の令嬢ではないのだ。


「とんでもないことですわ。まだまだ、学ばなければならないことばかりで……」


 謙遜する彼女の姿に、蓮はますます興味をそそられた。


「なるほど。……では、そんな雅さんだからこそ、お聞きしたい」


 蓮は、彼女が自ら振った話題を、そのまま返す形で問いかけた。


「今回のお見合いについて、どのようにお考えですか」


 蓮の問いに、雅はきょとん、と小さく首を傾げた。その表情は「驚き」や「戸惑い」というより、むしろ問いそのものの意図を測りかねているかのように、純粋な不思議に満ちていた。


「わたくしが、どう、考えているか、ですか……?」


 まるで初めて触れる概念であるかのように、彼女は蓮の言葉を繰り返した。


 その反応に、蓮は彼女という人間の本質を垣間見る。彼女にとって、この見合いは自らの意思で「考える」対象ですらないのだ。


 やがて、雅は蓮の問いの意図を自分なりに解釈したのか、すっと背筋を伸ばした。


 そして、静かに、だが強い意志を込めて言った。


「わたくしにとって、このお話は受け入れるべき天命のようなもの。そう教えられてまいりました」


 雅は一度息を吸い、言葉を続けた。


「家の意向、そして国の制度が、わたくしに神谷様という方をお示しくださった。ならば、わたくしは、神谷蓮という方の妻として、その御生涯を全力でお支えする」


 彼女は蓮の目を真っ直ぐに見つめて、言い切った。


「ただ、それだけでございます。そこに、わたくし個人の考えを差し挟む余地など、ございません」


 その言葉に、迷いや揺らぎは一切感じられなかった。それは盲信というより、もっと静かで、それでいて圧倒的な覚悟。良妻賢母として、家の決めた相手、国が選んだ相手に、自らの生涯を捧げるという、教育の果てにたどり着いた、揺るぎない決意の光がその瞳には宿っていた。


(凄まじいな……これほどまでとは)


 蓮の内心に浮かんだのは驚愕の感情だった。


(家柄、美貌、そして揺るぎない従順さ。まさしく、この国が規定する「良き妻」の理想像そのものだ)


 彼は冷静に、しかし興奮を抑えきれずに思考を続けた。


(その上で、この純粋さ、この盲信。なんと御しやすく、そして、なんとそそられる在り方だろう。一体どうすれば、これほど見事な怪物(・・)が完成するのか。その過程を覗いてみたいものだ)


 蓮は、湧き上がる欲望を柔らかな笑みの下に隠し、心からの感謝を伝える青年の顔で言った。


「光栄です。私のような者には、もったいないお言葉です。あなたのような素晴らしい方が隣にいてくださるのなら、これほど心強いことはありません」


 その後も、二人の会話は和やかに続いた。蓮が語る大学での学びやダンジョン制圧士としての展望に、雅は真剣に、そして時折楽しそうに相槌を打つ。その反応の一つ一つが、彼女が受けてきた教育の高さを物語っていた。


 そして見合いは、事実上の成功を収めた。帰り際、二人きりになった最後の瞬間に、雅が改めて口を開いた。


「あの……蓮様。大変恐縮なのですが、もしお許しいただけるのでしたら……今後は『蓮さん』と、お呼びしてもよろしいでしょうか」


 定められた関係を重んじながらも、その中で確かな信頼を築こうとする、彼女らしい奥ゆかしい意思表示だった。


 蓮は、満足げに微笑んだ。


「ええ、もちろんです。雅さん」


 そして、彼は一歩踏み込み、彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「ご存知の通り、この制度ではまず六ヶ月の交流期間が設けられ、その間は国への報告義務もございます」


 蓮は言葉を切り、さらに続けた。


「ですが、本日お話しさせていただき、私は心を決めました。この期間は、あなたという素晴らしい方をより深く知るための、喜ばしい時間となるでしょう」


 そして、静かに、しかし力強く宣言した。


「半年後、あなたのお気持ちが変わらないのであれば、是非、正式な婚約へと進ませていただきたい。そう、心から願っております」


 蓮の力強い宣言に、雅は驚いたようにわずかに目を見開いたが、すぐにその白磁の頬をほのかに染め、深く、深く、頭を下げた。その反応に、蓮は確かな手応えを感じていた。ゲームは、ここから始まる。



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